再び、夏
下馬評通り勝ち進んでいた。
準決勝まで全て猫伏が先発。大差の試合も、僅差の試合もあった。共通するのは、猫伏の失点が少ないことだった。
春の大会は中途半端な変化球を狙われて、県大会の準決勝で敗北を喫した。
自身としては、後悔のある結果ではなかったが、夏は絶対に勝たなければいけなかった。
なぜかと言えば、まだ答えが出ていなかったからだ。
――なんのために戦うのか。
去年の夏。そんなことを考えたことすらなかった。
去年の冬、そんなことを考え始めた。がむしゃらにやった。
今年の春、なんのために戦うのか。答えが出ない自分に苛立っていた。
そして今、答えを探すために戦う。
仮の答えかもしれない。でもそれが現時点の答えならやるしかない。
そんな過程を経て、一つ上のレベルに立てたような気がした。戦いに勝たなくては自分の答えは見つけられないから、戦いに勝つ方法を模索するようになった。その模索した手段を達成するために練習した。
猫伏の変化は、速球の制球力により磨きをかけたことと、球種を二つに絞ったこと。
投手として、甘い球を投げない。四死球を出さない。これを徹底すれば試合に勝つ確率が高くなる。そう信じて、練習に取り組んだ。
そして身に着けたのが、真っ直ぐとほぼ同じ速度で少し沈む球と、ストライクに投げないフォーク。この二球種だった。
捕手の高木を不安にはさせたが、今のところこれが功を奏している。
真っ直ぐ系の球を、相手打者の内角に投げ込み続ける。偶に外角を使うことはあるが、一般的な投手と内外の率を完全に入れ替えた。
元々スタミナは冬のガムシャラな練習で十二分に身についていたし、肩も全く使い減りしていなかった。連投も利く。
今や県下一の投手として名を轟かせていた。そのレベルまで、一年で到達していた。
――しかし。
準決勝が終わった後のロッカーで思う。
あと一戦。これは絶対に勝たなくてはいけない。勝たなければ、分からない。求めているものが出てくるかは分からないが、勝たないと分からないだろう。
試合終わりのミーティングで、「明日も勝つ」と強くナインに宣言した。青田を筆頭に、皆それに答えてくれた。自分もそれに答えなくてはいけない。
責任感と義務感に、少し押しつぶされそうになったとき、ロッカールームに中田が入ってきた。
「お疲れ様です。改めて、ナイスピッチング」
「ありがとうございます。ハカセを初めとして、色々な方々のおかげです。とても自分一人では……」
「その言葉は、明日の試合が終わるまでとっておくべきですよ」
中田が笑う。猫伏も釣られて笑うが、中田の笑いより幾分乾いたものになる。
「怖いですか?」
え、と聞き返してしまう。聞き取れたが、意味が理解できない。
「怖いのかいと聞かれて、「ハイ怖いです!」と即答されても困りますがね」
ふふふ、と中田が笑って続ける。
「まあ別に怖くても怖くなくてもどちらでもいい。いずれにせよ何か不安がありそうだ」
「いえ、そんな――」
「まあ、歩きながら話そうよ。少し昔話をしてもいいかい?」
嫌だとは言えなかったし、言うつもりもなかった。
「ボクはね、実は昔埼玉で野球をやっていてね。浦和の方で」
「へえ」
知らなかった。そういえば、このハカセの出身校すら知らなかった。
「マリーンズの二軍施設が浦和にあってね」
「そこで選手を見た。ということですか?」プロ野球に行け、という話ならごめん被りたいところだった。このところ、スカウトは嫌でも目に付くし、教室に行ったら行ったで、「よ! 未来のプロ野球選手!」とクラスメイトに声をかけられる。
初めは悪い気はしなかったが、最近は随分な雑念に思えていた。その話は、まだだ。
しかし、中田の話は猫伏の予想を大きく裏切った。
「実は昔、マリーンズに所属していてね――」
田舎の大学を出て、ドラフトで指名されてさ。ちょっと舞い上がっちゃったんだよね。銀縁メガネの鉄腕! とか言われててさ。
一年目から、とんとん拍子で活躍してさ。五勝、七勝と勝って、三年目。さあ今年は二ケタ勝利だ、と思ったところでちょっと怪我をしちゃってさ。
もうそれから地獄。千葉なんか全くいかない。ずーっと埼玉の浦和。グラウンドの脇にさ、ロッテの工場があるの。それだけ。笑っちゃったよね。
自分がなにしてるかもわかんないし、もがくしかないし、でももがきかたもわからない。で、気づいたらハイサヨナラ、ってわけ。
今思うに、何も考えてなかったんだと思うよ。何がしたいとか全くなくて。
学生の時からプロ野球に行きたい! ってずっと思ってたわけでもなくてさ。プロに行った時も、なにかを達成したいと思って達成したわけじゃないわけよ。
結局のところ、勝てなかったんだよ。僕は。
――え、勝ち星? 違うよ。そういう話じゃなくてさ。目的をもって、何かを達成したわけじゃなかったってことだよ。多分、絶対に一勝するんだ、と思って一勝してたら、価値観は今と大分違ったと思うよ。
だから、老婆心ってワケじゃないけどさ、明日、勝とうぜってこと。
それだけの話ですよ。長々と、すみませんでした――。
駅で、「じゃあ僕は反対方向だから」と言って反対側のホームへと足早に去っていった。
猫伏は、その場に少し立って空を見上げた。
――結局のところ、勝たなきゃわからない。
それが分かっただけでも随分な収穫だった。
握りしめていた右手はほぐれていた。
「明日も勝てそうだな」
そうぼそりと呟いたのを聞いたのか、長い弓をもった女子高生が一瞬こちらを振り向いて、古い駅舎に弓具を引っかけた。
笑ってしまい、今度は睨みつけられたのでさっと目を逸らした。
そういうことも、ある。
結論から言うと、決勝も難なく勝てた。
相手は秋と同じく、大産大附属。個人としても、チームとしても雪辱に燃えていた。
秋の再現のような試合に見えただろう。一回の表に電光石火で、再び大宮公園前が先制した。
先頭の青田が、深いファーストの前にセーフティバントで出塁。二番の柴田は、また粘って四球。続く三番の猫伏が内角の真っすぐを振りぬいて右中間をぶち破り、鮮やかに三塁を陥れたと思うと、四番の高木がレフトに高々と犠牲フライ。
そんな鮮やかな先制点に加え、五回にも青田が足を生かして、盗塁と内野ゴロで一点。
そして光ったのは、猫伏のピッチングだ。
丹念にコーナーに直球系の球を投げ続け、要所要所でフォークボールを投球する。ワンパターンだが、徹底されると打てない。直球と、それに似た変化球はほとんど区別がつかず、内野ゴロと打たされた打者は首を捻る
そして準決勝までと同様、相手が首を捻っている間に試合が終わってしまった。
盤石のゲーム展開だ。恥ずべきことはなにもない、横綱の野球だった。
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