シュウがいなくなって、もしかしたら俺が主将かも、と思っていたらハカセはネコを主将に指名した。しょうがねえなあ、ま、副官として支えてやってもいいかな、と思った。

 青田はそういう男だった。

 青田は仁義の男である。派手なプレーに隠されているが、その実典型的な副官タイプ。

 主君がシュンの時は、チームのムードメーカーというのが青田の自分に課した役割だった。シュンが言葉と気迫で引っ張る。猫伏が背中で引っ張る。青田が気持ちで引っ張る。

 もっとも、誰かがそんなことを言ったら、「いや、おれ足引っ張ってるから」と笑って誤魔化すだろう。

 憎めない男である。

 だから主将が猫伏に変わった時に、自分はどんな立ち位置が彼にとってやり易いか、と考えた。背中で引っ張るタイプだから、「ちょっと厳しいお兄さんかな」と思っていた。

 見当違いもいいところだった。

 他人に厳しく、自分にも厳しい。最初だけかな、と思って見ていたら、気づけば春。部員も減っていた。

 こりゃいかん、ということで「話がわかるオモロイ兄貴」というポジションに落ち着いていた。主な業務は、主将の通訳と、部員の愚痴受付係。

 だから、一部の部員がなんとなく青田の方に懐いていたのは極めて自然な流れだった。

――そんなん全然いらんのに。


 春、最初の練習試合の前日、青田は猫伏を銭湯に誘った。以前はシュウと三人で行くこともあったが、シュウが帰国してから一度も行っていなかった。

 別段意味があって誘った訳ではない。なんとなく誘った方がいいと思ったから誘った。

 それが、青田の天賦の才なのかもしれない。もしかすると、足が速いとか肩が強いとか。そういうことよりも、青田のレーゾン・ヴェーテルとして大きかったのかもしれない。

 自主練習の終わりの時間を合わせて、二人で自転車をこぎこぎ最寄りの銭湯に向かう。

 番台さんにお金を払い、いそいそと服を脱ぐ。別に待つ必要もないので、「ほな俺先入っとくわ!」と宣言し、石鹸とシャンプーを小脇に抱えて湯けむりに消える。

 金曜日の夜の銭湯、混んでいると言えば混んでいる。

 横並びで空いている場所を見つけ、シャワーを被る。シャンプーを手に取り髪をしごく。丸坊主が強制されているわけではないのだ。

 横目に猫伏が来たのを確認し、それとなく話しかける。

「最近どうでんな。ちょっと頑張りすぎちゃいますか」

「いや別にそんな、普通だよ普通」

 そのシャンプーくれ、と言われたのでワンプッシュ三百円な、とくだらない返事とともにボトルごと渡す。

 お互いわしゃわしゃと扱く。

「でも主将なってから気合入ってるように見えまっせ。主将の自覚ちうやつですかね」

「まさか。ただ、やるしかないってだけさ」

「なんか思い詰めてるようにも見えますが?」

「気のせいだろ。多分」

 石鹸くれよ、と言われたのでホイと渡す。

 立つ瀬がない。

 しかし青田は優秀な副官だった。だれがどう見ても思い詰めているこの主君を、放っておくという策はなかった。

「なあネコさんや。正直春の一番、俺やと思ってんねんけど、どない思う?」

 真っ赤な嘘だった。

 ハカセの指示で、最近青田もブルペンに入っている。肩も強くそこそこ器用で、意外にもコントロールは悪くはない。なかなかどうして評判だった。

 でも、器ではないし、はっきり言ってレベルが違う。他の部員がどう思っているかは知らないが、青田はそう思っていた。

「……それは、譲れない相談だなあ」

――シメた!

 意外だった。予想した答えは「それはオレたちが決めることじゃない」という類だったが、「譲れない」ときたか。これには驚いた。

「あらあら、らしくないね。それは練習試合とかで決まることちゃうの?」

「いやまあ、そうなんだけど、さ」

「ほななんやねん、コノヤロ~」

 シャワーで冷水をぶっかける。やめろ! と喚かれるが、笑いが続くまで引っ張り続ける。隣のオッサンがダルそうな目で見てきても、気にしない。

 青春してるなと思った。イイ感じだ。


「で、さっきの話の続きやけど」

「おう」

「めずらしくネコが主張してきた。これは俺としてはワリとびっくりなことやねん。前やったら『ハカセが決めることだ』とか言ってたと思うのに、なんかええことあった?」

 オジサンそこんとこ気になんねん、と言って冗談めかすのを青田はもちろん忘れない。

 深刻ぶっても仕方があるまい。灼熱のサウナで青田はそう考えていた。気持ちとしては、「ピッチャー楽に行こうぜ」と声を掛けてやりたい。そんな一心だ。

 そんな青田に猫伏がとうとうと語りだした。

「なんというか、今俺は、人生で一番頑張っている。自分で言ってて恥ずかしくなるけど、実際そうなんだ」

 青田はじっと聞く。

 なんで投手をやらされるのか分からなかったこと。シュウが辞めたときのこと。その後冬の練習を死ぬほどやったこと。死ぬほどやって、何人か部員が辞めてしまったこと。

 誰かに喋りたかったんだな、と思う。そして、今まで話を聞いてやれなかった自分を青田は責めた。

それくらいなら、してやれただろうに。

「シュウが辞めた時にさ、必死にやってないって言われたんだよね。必至にやってるつもりだったけどさ、改めて必死にやってるかって言われると、そうじゃなかったんだよね」

「なるほど」

 猫伏がシュウの件で悩んでいた、というのは一つ合点がいくところではあった。責任を感じてしまうタイプではあるし、猫伏がもう少し投げられれば、というところもあったかもしれない。

「で、ネコくんは必死にやりました、と。それでええんちゃう? 実際、めちゃめちゃ良い選手になった思うし」

「でも、シュウは違った。なんのためにやっていたか、それが明白だった。レベルが違う。このままでは、いつまで経っても……」

 なるほどな、と。悩みは思ったより高度で、思ったよりシンプルだ。

 解決は青田にとって、容易だった。

「例えばさ、箱根駅伝あるやろ」

「うん」

「あれ正月にテレビつけて、まずどう思う?」

「うーん、凄いなって単純に思うし。それ見て頑張んなきゃなって思う」

「はい、猫伏選手、百点! おめでとう!」

 サウナ室で盛大な拍手を送る。まわりに客がいなくて本当に良かった。良い演出ができたと自賛したい。

 ただ、まだ仕事が残っている。居直り、続けた。

「そうなのよ、あの人ら、凄いし頑張ってるのよ。でもそれって、走るのが速くて凄いって思うパターンとちょっと違くない?」

 二区のごぼう抜きとか五区の山登りとかは置いておいてさ、と補足。

「そうだなあ。確かに。頑張ってるのが……凄いのか」

 確かに、と猫伏が自分の言った言葉に頷く。

 青田の本心もそこにあった。頑張っているのが凄い。なんのために、っていうのはあってもいいが、それを探す道のりで頑張ってもいいじゃないか。

 野暮になるのでそこまでは言わないが。

 でも、もっと野暮なことを言わなくてはいけない。これは、青田にしか言えない。シュウでも、ハカセでも駄目だ。絶対に自分が言わなければいけない。

「そう。でな、箱根の沿道のおばちゃんなんかも応援しはるやろ? 全然関係ないのにな。あんな寒い中さ。つまり俺が言いたいのは、真剣にやってる人を応援したくなる人は絶対にいるってことなんよ」

 息継ぎして続ける。

「で、俺みたいなチャランポランな奴は、真剣な奴みると応援したくなるわけ。そん時に、俺ができる最大の応援ちうんは試合で活躍すること。そのために練習すること」

 猫伏がポカンとした顔をしている、ハズだった。とてもではないが、見られない。

 やにわ立ち上がって、最後に決める。

「少なくとも、俺はそうや」

――言った。


 帰り道、青田は強引にラーメンを奢った。

青田は、そんなナイスガイだ。

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