前評判は悪くはなかった。

 地元の新聞に、三人の選手が紹介された。

 まず、エースのシュウ。

 正確なコントロールが武器。夏は4試合全てに先発し、28と1/3イニングで与えた四死球が5。明るい性格で、チームを引っ張る主将。中国から来た精密機械との評。

 次に、センターの青田。

県下一の俊足。抜群の身体能力を生かしたプレーはダイナミックで、それでいて頭脳的なプレーも多い。大宮の韋駄天、と続く評。頭脳的な、いうところは、昨夏のディレード・スチールが記者の頭にあったのだろう。

 最後に、ショートの猫伏。

走攻守三拍子揃った名プレイヤー。完成されたプレースタイルは、高校生離れしている。試合後半には、140キロを超える速球で相手を威圧する。松井稼頭央タイプとの評。

 総括して、初めての甲子園を、センバツで狙えるのではないかという〆。

 そういう評価だった。


 なるほどな、と監督の中田は唸った。こう書かれるといいチームに見える。

 実際良いチームだった。控えの層が薄いと言われることもあったが、プロ野球でもあるまいしそれほど問題であるとは思わなかった。

 しかし結果は、県大会準決勝敗退。関東大会に駒を進めることはできなかった。


 準決勝前日、幹部であるシュウ、青田、猫伏を中田は放課後第三予備教室に集めた。

 予備教室に入ると、既にユニフォームに着替え一番前の席に座っていたシュウが、「お願いします」と立ち上がって挨拶をした。

 そんなに鯱張らないでください、と何度言っても態度を崩さない。留学生だからということより、生来の性格によるところが大きいのだと結論付けたのは最近だ。

「ハカセ、今日の練習は高木にまかせているアル。それでよろしかったアルか?」

 それでいいですよと答え、教壇に立つ。

「今日は何の話アルか? 次の試合のシミュレートをまた練るアルか?」

シュウが中田に尋ねた。

 試合のシミュレート。このチームの躍進の鍵はそこにあったと中田は考えていた。

 試合のシミュレートなどなんの役にも立たないと言う人も多い。実際、ほとんど役に立たなかった試合も中田は数多く経験している。

 ただ、このシュウを擁する大宮技術高校ではそれは当てはまらなかった。正確無比なコントールがあれば、高校生の試合のコントロールなど造作もないことだった。

「野球は確率のスポーツだ」

 中田は言った。常々言っている。

 知らない投手を相手にしたとき、打席でどんな球を狙うべきか、と新入生に問う。

 臨機応変に対応しますという回答が最近は目立つが、中田はそうは思わない。

 外角の直球、それに尽きる。有史以来、捕手が最も要求した球は何かと考えると、明らかに外角の直球だ。

 イメージには残らない球かもしれない。あの投手のスライダーには手を焼いた、あのフォークは消えたという話は良く聞くが、外真っ直ぐにしてやられた、という話はほとんど聞かないだろう。

 そういった、感覚とは違うデータの積み重ねの実践が、試合である。中田は野球をそう捉えていた。

「しかし」と続ける。「今は別の話をしたい」

 それは、と口を開くとばたばたと廊下を走る音がして、青田が教室に飛び込んできた。

「すみません、遅れました!」

 リードオフマンの登場だ。何故か上だけ練習着に着替えているのでそれを指摘すると、「ミーティングを忘れていました。すみません」と答えた。

 まあいい、こういうやつなんだから。やるときはやってくれるし、期待に応えてくれる。

 そう考えていると、再び扉が開いた。

「すみません、掃除当番で遅れました」

 猫伏が申し訳なさそうに教室に入る。本当にそう思っているのかは、分からない。

 席に着いた三人を見る。

 良い子、悪い子、普通の子だな、と改めて思った。バランスが取れている。

 いや、取れてしまっていると言った方が正確で、そして問題を適切に表現している。

 今日はその問題を解決しなければならない。

「今週末は、準決勝。そして決勝戦を控えています」

 シュウが頷き、青田が何を当たりな、という顔。猫伏は、軽く頷いたように見えた。

「もちろん今まで通りの野球をすればいいです。そうすれば勝てる、かもしれません。勝つ確率を、少しでも上げよう。物事に絶対はありませんが、その絶対に近づきたい」

 そして一度大きく息をつき、宣言する。

「でも、今回は、理屈じゃないだ!」

 三人が「え」と声に出して反応する。予想通りだ。

「いきなりそんなこと言われても……」

 猫伏が困惑した目で中田を見る。

 よしよし、説明をしてやろうかと口を開きかけた矢先に、青田が叫ぶ。

「いや、流石先生、よう言うてくらはりましたわ! 『理屈じゃねえんだ』でしたっけ、格好ええやありませんか!」

 なあ、と言って青田がシュウと猫伏に同意を求める。

「アイヤー、センセ、急にどうしたアルか? 何か悪いもの食べたアルか?」

 ガクっと来たが、シュウが続ける言葉に救われた。

「らしくないアルね。でも……いいアルね。『理屈じゃねえんだ』アルか」

 やろ! と再び青田が興奮する。ここまで反応がいいとは思わなかったが、むしろ好都合だ。

「先生、いきなりどうされたんですか。らしくないとみんなが言うのもそうなんですが、自分たちは確率の野球でここまで来れたんです。それを何でいきなり……」

「細かいことはええやんか。小さい、小さいなぁ。確かにオレも確率の野球は否定せえへん。せやけどやっぱり気持ちが大事ちゃうか、ということを先生は言うてはんねん。正直最初は確率のスポーツとか言うてはって、何言うてんねんとか思とったけど、それで結果が残って流石やなと思ってたところに、この爆弾発言や。よっ、大統領!」

「そうです。別に方針が変わったわけではありません。今まで通り、確率のスポーツとして捉えてくれればいいんです。でも、プラスアルファと言いますか、そういった観点が欲しくなりました。そのプラスアルファを、そろそろ加えてもいい。そういう段階にチームが入った、と思っています」

 ペットボトルの水をぐいと飲む。中田は自分のことを無口な方だとは思っていなかったが、あまりこういう話をしないタイプである。普段と違うことを言ってみると、頭も口も乾いてしまう。

 もっとも全くいきなりの発言というわけではない。前々から思っていたことだが、チームとしてようやく実現できるかもしれない、と思ってのこのタイミングだ。

「猫伏君、納得していただけましたか?」

 猫伏がまた「えっ」という表情をした。何を考えているのだろうか、あるいは何も考えていないのか――

「ハカセ、とにかく『理屈じゃねえんだ』アルね? いいスローガンアルよ!」

「ガッツだぜ、以来のスマッシュ・ヒットやね。皆に言うてきますわ!」

 ミーティングこれで終わりでヨロシか、とシュウに聞かれたので、そうですと答える。

 ありがとうございました、と三人が立つ。後でまた、と言って教室を出る彼らを見送る。

 伝わっただろうか、「普通の子」に。


 その夜、練習後グラウンドに顔を出すと、部員がニヤニヤしながらこちらを見ていた。方々から、「理屈じゃない人だ」といった声がボソボソと聞こえた。

 アプローチ、間違えたかもしれない。


 そうした中田の杞憂とは裏腹に、大産大附属との試合は、大宮公園前高校に有利に進んだ。

 理由は、高校通算40本塁打を誇る四番、中村を完璧に封じたこと、そして速球派エースの角、その速球を狙い撃ちしたことにある。

 ミーティングの主なインプットは、露骨なまでの速球狙いと、勇気をもってボール球を投げぬくこと。入力は、シンプルであればシンプルな方がいい。中田は常々そう考えていた。いくつもやることがあっても、やりきれない。少ないインプットをやり切ることが、勝つ確率を上げる。そう考えていた。

 更にこの度、「理屈じゃねえんだ」という強烈なインプットがあったと選手一同は認識しているらしかった。言葉だけが上滑りしているのは、嬉しくそして誇らしかった。

 初回、先頭の青田が初球を振りぬきライト前ヒット。理屈で言えば、最低の打席だ。俊足の一番打者が、初球を引っ張り。全く一番打者の役割を果たす気持ちが見られない。でも、結果は最高。そんなもんだよな、と思う。

 二番の柴田が、エバンスを繰り返し四球を獲得して無死一、二塁。

続く、三番の猫伏。優等生の賢い打者だ。だから、バントのサインはほとんど出さない。

 初球は、バントの構えから直球を見送る。ワンボール。

 二球目も同じく、バットを引いて今度はストライク。

 三球目は難しくなる。ここまで相手バッテリーが使った変化球は、柴田の二球目に投げたスッポ抜けのスライダーだけ。しかし、ここで直球を続けると……と捕手はいろいろ考えることになる。

 結局のところ、真っ直ぐを使うことになるのだろう。中田はそう思っていたし、猫伏もそう思った。それを狙わなければいけない。

 狙い通りの真っ直ぐ、それも甘い高めに飛んできたものをお手本通りにショートの頭の上に打ち返す。矢のような打球が左中間を襲い、センターがボールに追いついた頃には柴田は三塁を回らんかとするところ。懸命な返球が少し高めに逸れ、カットマンが本塁への送球を諦める。二点先制だ。

 塁上で猫伏が軽くガッツポーズ。理屈で打ち返したのかは、中田からは分からない。


 終始大宮公園前のペース試合を進めるも、その後1点しか加点できずに迎えた八回の表、センパツのシュウに異変が起こった。

先頭の八番打者をシュートでショートゴロに打ち取ったあと、この試合全く当たっていなかった九番打者に、甘い半速球をセンター前に運ばれた。

 珍しく焦ってストライクを取りにいったのかと中田は思ったが、それはないだろうと直ぐに考えを打ち消した。

 中国野球の明日を背負うシュウは、そんな考えはしないだろう。そう考えた。だとすると、他に思い当たる理由はなんだろうか。

 続く一番打者に対して直球でバックファールを奪い、低めのシュートで追い込む。

 三球目、スライダーをシュウが低めに叩いた。捕手の高木がなんとか前に止め、進塁を許さない。高木がボールの交換を要求し、間をとる。

 四球目、スローカーブをここで使うも高めにスッポ抜ける。何かがおかしい。

 そして五球目。またしても甘く入った半速球を、相手の一番打者は逃さない。一、二塁間を真っ二つにして、一死一、三塁。

――間をとってもいいんじゃないか。猫伏、何故お前が間をとらない。お前は、そういう役割じゃないのか――

 続く二番打者には四球。これで満塁。たまらずタイムをかけたくなるが、グッとこらえる。まだ秋じゃないか、中田はそう自分に言い聞かせる。一度六回に肩を作らせた杉坂にもう一度肩を作らせる。ブルペンがシュウの視界に入ることも考慮した。

 三番の角には、ストレートの四球。もはや誰がどう見ても、おかしい。

 捕手の高木がようやくタイムをとってマウンドに向かう。マウンド上で一言二言シュウと言葉を交わし、カチャカチャと防具を鳴らしてホームへと戻った。

中田には見つめるより、他はなかった。

 そして迎えた四番の中村。

 中途半端な高さに入ったスライダーが、スコアボードを直撃した。

 センターを守る青田は、一歩も動かない。そんな打球だった。

 中田はようやく重い腰を上げて、審判に投手の交代を告げざるを得なかった。

 呆然とするシュウから、杉坂がボールを受け取る。


 それがシュウの最後の登板になった。

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