第52話 side琥珀 二人っきりで

 翔先輩と別れた蓮は、学生会長室の前に到着する。その目的は一つ、琥珀先輩に借りていたボイスレコーダーを返しにきたからだ。


『コンコン』

 軽くノックして中の反応を伺う蓮。

「はい、どちら様でしょうか?」

 学生会長室の中から透き通ったような声が聞こえる。その声は間違いなく琥珀先輩である。


「二条城 蓮です」

「レン? もしかして、私に会いに来てくれたのかしら?」

「そう……なりますかね」

「それは嬉しいですね。……少々お待ち下さい」


 小ささ足音がコツコツと扉に近づき、学生会長室の扉がゆっくりと開いた。


「今朝振りですね、レン?」

「そうですね。……あの、今日は会議とか無いんですか? 見たところ一人しかいないようですけど……」


「はい、一人ですよ。……つまり、レンと二人っきり、、、、、になるわけです」

『二人っきり』という部分を強調した琥珀先輩は、丁寧な指差しで中に入るように促した。


「……それは好都合です。失礼しますね」


 学生会長室の中に入った蓮は、琥珀先輩が先に腰を下ろしたことを確認し、向かいあったソファーにゆっくりと座る。


「レンはお利口さんですね。思わず頭を撫でたくなってしまいます」


 この場に来た時点で話の要件は分かっているのだろう、上品に微笑む琥珀先輩は前のめりになって蓮の頭を撫でようとする。


「それは恥ずかしいので遠慮します」

「あら、また振られてしまいましたね」


 ケロッとした表情で、前のめりから綺麗な姿勢に戻す琥珀先輩。


「それで、俺が来た目的なんですけど……」

「あの件……、解決したんですよね? でなければ、この場に足を運ぶことはないでしょうから」

「流石です。これ、ありがとうございました」

 そうして、蓮は何も録音されてないボイスレコーダーを琥珀先輩に返した。


 琥珀先輩は、そのボイスレコーダーを手に取り……録音数を確認した後に蓮に向かって小さく微笑んだ。


「何も録音されてない。……私の願い、聞いてくれたのね」

「……何故、琥珀先輩が翔先輩のことをここまで熟知してたのかは、聞かないことにします」

「ええ、そうしてくれると助かるわ」


「それより、琥珀先輩は一人で何をしていたんですか?」

「資料整理と各部活動の予算案の確認ね。……それから、テスト勉強も少し」


「そんな雑用は、琥珀先輩が全部してるんですか?」

「毎回ではありませんよ。ですが、現在はテスト期間ですから私が請け負ってるんです」


 当然ですよ、と言わんばかりに少し散らかった資料を整理する琥珀先輩。


「テスト期間中だからこそ、みんなで協力するべきだと思うんですが……」

「あっ、これは誤解のないように言っておきますが、これは私が提案したことなんです。雑用に時間を割いて成績を落とすわけにもいかないですし」

「琥珀先輩は大丈夫なんですか?」


「はい、私は学生会長なのである程度の点数は取っておかないと示しが付かないので、予習復習は常にしております」

「……そう言う割には、赤ペンで訂正してるところ多い気がするんですが」


 机上にあるテスト勉強用のノート目を向けた蓮は、半目で琥珀先輩を見つめる。


「っ、こほん。そ……そんなことはありませんよ」

 珍しく言葉を詰まらせた琥珀先輩は、頰を薄ピンク色に染めてノートを閉じた。その恥ずかしさを隠した咳払いは、なんとも新鮮なものだった。


「……俺が資料整理と予算案の方を片付けておくので、琥珀先輩はテスト勉強をして下さい。……完璧に出来る自信はありませんが、ある程度は出来ますので」

「優しいのね、レンは」


「当然のことだと思うですが」

 資料整理、各部活動の予算案の確認。これだけの作業が残っていて、テスト勉強に時間が割けるわけがない。

 蓮は琥珀先輩に何か一つでも協力したかったのだ。……まだボイスレコーダーを貸してくれた恩を返せていないのだから。


「一つ言わせてもらうのだけれど、そんな優しさを見せても、私は簡単には落ちませんよ?」


 そう簡単にレンのことを好きにはなりませんよ? なんて意味合いを持って発言した琥珀先輩だったが、蓮は全く違う考えを持っていた。


「受験に余裕を持つのは大事な事ですけど、危機感を持つことも大事ですよ」

「じゅ、受験……?」


「はい。『簡単には落ちませんよ?』って言ったじゃないですか」

 蓮が補足したことで、琥珀先輩もその要点を理解した。


「なるほど……ふふっ。受験に落ちない、ですか。その切り返しは予想外でした。……では、お言葉に甘えて一時間ほどお任せしてもよろしいですか?」


 琥珀先輩は蓮の提案に遠慮することなく乗った。それは一人でするに当たって限界があったからであろう。まさに、猫の手も借りたい状況だったのだ。


「あの、一時間ほどで良いんですか?」

「その言葉ですと、もっと手伝えると言ってる事になりますよ?」


「一応テストには余裕があるので、琥珀先輩は気にしなくて大丈夫ですよ」

 蓮は『琥珀先輩より余裕があるので』と言う意図を持って発言し、琥珀先輩もその意図を汲み取った。


「それは頼もしいですね。それでは、ある程度の目処めどがつくまで……でお願いします」

「はい、それでは俺は予算案の方に取り組みますね」

「ありがとうございます」


 そして、蓮は机上にある予算案に目を向け、琥珀先輩はテスト勉強に取り組んだ。



 ==========


《琥珀side》


「レン。 ……一つ宜しいですか?」

 私は教材からレンに視線を変えて話しかける。


「んー、この値段は妥当だが、こっちは少しだけ高く見積もってるよな……」


 しかし、レンは私の声に気付くことなく一生懸命に予算案に向き合ってる姿がそこにはありました。

 そんな光景は私にとって、とても新鮮に映ります。


(“見返り”もなく真剣に向き合ってるのね、レンは……)


 財閥関係者の私にとって、それは摩訶不思議なことでもあった。


 でも……そんなレンは私の見込んだ通りの後輩でもあり、あの方のことを解決してくれた張本人。

 ……あの方に怒りを持ちながらも、私の願いを守ってくれた。


 あの方を脅す材料があるにも関わらず、怒りを抑えてコトの解決にだけ全力を尽くす純真な心。


 それは……私には持ち合わせていないもの。


「レン、少し良いかしら?」

 私はさっきよりも少し大きな声を出し、レンの意識をこちらに向ける。


「……あっ、もしかしてスマホ使ったらダメでしたか?」

 どこからそんな考えが出たのか、レンは申し訳なさそうな表情で私を見てくる。

 レンはスマホから、予算案に記されていた道具の値段相場を調べていたのだろう。


(そんなこと言われると、意地悪したくなるわね……)


「ええ、禁止ね」

「す、すみません……。では、今からパソコン室とか利用出来ますかね……?」

 レンはスマホの電源を切り、頭を下げた後に立ち上がった。


(……自分のことではないのに、そこまでして調べようとしてるのね。レンは……)

 レンの本心に触れた私は、確かな罪悪感が心を蝕んだ。


「ごめんなさい、冗談よ」

「ほ、本当ですか……? これでもし琥珀先輩が怒られたりしたら、俺の立場がないんですけど……」


 私が気を遣ったと勘違いしているレンは、不安そうに顔をしかめた。


「ふふっ、本当に大丈夫よ。冗談を言ってごめんなさい」

「それなら良いんですけど……。あ、予算案の用紙が一枚だけ仕上がったので確認して頂けますか? こんな感じ良いのか少し不安で……」


 レンが両手で渡してきた予算案を受け取った私は、確認をすることなく透明なファイルに閉まった。

 その光景にレンは『えっ?』と間抜けな顔をしている。


「レンが仕上げてくれたのなら安心よ。不安にならなくても大丈夫」

 私はそんな言葉をレンに掛けた。それは冗談でもなんでもない、私の本心だった。


「……それは嬉しいんですけど、確認してくれませんか?」

「何か複数の不安要素があるのね」


「はい。この予算案になにかの間違いがあったら、琥珀先輩に迷惑がかかるじゃないですか。俺が無理やり手伝っておいて、琥珀先輩の仕事を増やすような真似は出来ませんよ」

 突然と瞳に力が入るレン。


「……レンは一生懸命に取り組んでいたわ。それだけで信用出来るものよ」

「……では、今朝の対価を使うので確認してください」

 レンの言う対価とは、私のお願いを守ってくれる代わりに、『レンの願いを一つだけ叶える』というものだ。


「えっ? そんなことに対価を……?」

「ただでさえ琥珀先輩はこんなに忙しいのに、これ以上仕事を増やすわけにも行きませんから。……それに、俺からするとそんな、、、お願いではないですよ。重要なお願いです」


「そ、そう……」

 不意打ち……思いもしなかったレンの言葉に、私は確かな恥ずかしさを覚えた。


 その感情を上手く誤魔化そうとした私は、予算案を顔の前に持ってきて表情を見られないように工夫しーー予算案に目を通した。


「……どうですか?」

「……」


 レンが渡してきた予算案には、相場の誤差はもちろんのこと、今挙げられている道具よりも、安くて品質が良い商品が簡単に纏められていた。そして、余った予算で他になにが買えるのかまで……。


 一つ言えること。それはーー私よりも完成度が高いものが出来ているということだった。


「言うことは何もないわね。……完璧よ」

「それは良かったです。……では続きをしますので、琥珀先輩はテスト勉強の方を」

「ありがとう、レン」


 予算案を再びファイルに綴じ、再びペンを持った私はレンに視線を向ける。

 しかし……レンと目が合うことはなかった。それは、レンは既に予算案の2枚目に取り組んでいたからだ。さっきと同じ、真剣な表情で……。


(はぁ……。こんなことなら、敵に塩を送らなければ良かったわね……)


 私の中で大きな後悔が生まれていた。

 そして知っていた。レンが私を友達としか見てくれていないことに……。



 



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