第51話 解決へ
「おはようございます、レン」
その早朝、
「おはようございます、琥珀先輩。何をしてらっしゃるんですか?」
なんて言うものの、朝の挨拶運動的な何かだろうというのは予想出来ていた。
「挨拶運動もですけど、レンを待ってました」
その思考を読んだ琥珀先輩は、いたずらな笑みを作りながら口元に白く細い指先を当てる。
「……それは嬉しいですね」
「気持ちがこもってないわね……。私、そんなに嘘っぽく言ってるように聞こえるかしら?」
「一応気持ちは込めたつもりですよ」
「それなら良いのだけれど。では、蓮に一つだけお話を……」
「何でしょうか」
一瞬で真剣な雰囲気を纏う琥珀先輩を見て、蓮もスイッチを切り替えた。
「……レン。あの方の会話を録音したボイスレコーダーを持参してますか?」
自然な流れで蓮に近付いた琥珀先輩は、耳元に口を寄せて小声で伝えた。恐らく、『ボイスレコーダー』という言葉を他の学生に聞かれたくなかったのだろう。
「ええ、持ってますよ」
スマホを使ってあの会話を複製した蓮は、学園にボイスレコーダーを持って来ていた。
もし、翔先輩にこのボイスレコーダーを狙われてデータを削除されても、複製しているのだからなんの問題もない。
……その時に一つ気付いた事。それは、琥珀先輩が貸してくれたボイスレコーダーの軽さに小ささ。そして高音質さだった。
財閥の関係者なだけあって、かなりの高級品なのであろう。
「……もしかしたら、今日の放課後。“あの方”からお呼びが掛かるかもしれません」
琥珀先輩が言うあの方とは、翔先輩のことだ。
「それは無視して構わないんですか?」
「いいえ、それは好ましくありません」
「……なんか嫌な予感がするんですが、俺に拒否権はないようですね」
「お察しの通りです。……その事で一つ、私とのお願いを聞いてくれないでしょうか」
「お願い……?」
「……もし、そのお願いを聞いていただけたら、レンの願いを一つだけ叶えましょう。言葉を言い換えれば、対価を払うと言ったところでしょうか」
琥珀先輩は自分のお願いに必ず“対価”を付ける。これがまた財閥の関係者らしいところだ。
「そんな甘い話には裏がありそうですが……、その約束とはなんですか?」
「あの方の言うことを信じる。……それだけです」
そうして、にっこりと微笑む琥珀先輩の笑顔に裏はない。
「えっと……
「それは、レンに感じ取って欲しいからです。今ここでこの意味を理解させてしまえば、私の判断のままに動くことになってしまうので」
「……な、なんとなく言いたいことは分かりました」
「では、約束して頂けますか?」
「……信じる
「ええ。信じる“だけ”で構いません」
「それなら構いませんよ」
「交渉成立ですね。……約束の対価のことですが、『俺と結婚しろ』なんて熱いプロポーズでも構いませんよ? ふふっ」
交渉成立が嬉しかったのか、ご機嫌な琥珀先輩。
「本気にしますよ、それ」
そんなからかいに少々反撃したかった蓮。この反撃したいという考えになるのは、少なからず可憐に影響だろう。
「ええ、本気にしてくださって構いませんよ?」
「……そうですか。で、では、俺は教室に向かいますので」
その小さな反撃に動じることなく、琥珀先輩に綺麗なカウンターで決められた蓮は素直に撤退することにする。
「あら、残念。もう少しお話しをしたかったのだけれど……」
「俺は琥珀先輩と違っていつも暇なんで、用事がある時にはいつでも呼んで下さい」
「いつでも、ですか。それは良い言葉を聞かせてもらいましたね。……わざわざ呼び止めてしまってすみません」
「気にしないで下さい。それではまた」
琥珀先輩に頭を下げた蓮は、カバンを肩に掛けて自分の教室まで向かって行った。
『お、おい。今見たか? 会長と長い時間、サシで喋ってたぞアイツ……』
『なんか楽しそうだったよな……会長』
『ああ、お前もそう見えたか……』
『会長と喋ってたあの男、一体誰なんだ……?』
なんてヒソヒソと話されていた蓮だが、その声には気付いていなかった。
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いつものように昼休みが過ぎ、掃除が終わった後の休み時間だった。
「蓮……」
苦虫を噛み潰したような表情で、可憐は蓮に話しかけた。
「お、どうしたんだ?」
「翔先輩がさ……。放課後あの場所に来てくれって、うちの友達から伝えるように言われたんだけど……」
昨日、可憐にはこの件を話している。全ての事情を知り、『あの場所』なんて呼び出しの場所を濁されてもいるのだから、そんな表情になるのも仕方がない。
「来たか……」
琥珀先輩の言われてた時点で、現実になるだろうと予想していた蓮は、対して驚きを見せることはなかった。
「あの……大丈夫なの?」
「心配してくれてるのか、可憐? 優しいとこあるじゃないか」
「話を逸らそうとしない。……本当に、大丈夫?」
可憐は目尻を下げながら、蓮を本気で心配してくれていた。だからこそ、安心させる必要があった。
「平気だ」
「その言葉……信じるよ?」
「ああ。……だから、このことは真白に言わないでくれ。真白のことだから俺を止めに来るだろうし、それで翔先輩の目に留まるわけにもいかない」
「わ、分かった……。で、でも怪我だけはしないでね。週末、ましろんと買い物があるんだから」
「当たり前だ。俺も楽しみにしてるし……あ」
その時、蓮は後悔した。一番聞かれたくない相手に口を滑らせてしまった。
「ふぅん……楽しみかぁ。これはましろんに言っとくから」
「や……、やめてくれ」
頭を抱える蓮は、恥ずかしさから視線を逸らして空を見つめた。
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蓮はその放課後、高校三年の男子トイレに足を運んでいた。その中からは一つの気配がり、警戒心を瞳に宿らせた蓮は、ゆっくりとした足取りで男子トイレの中に入る。
既にそこにはあの人物が待っていた。
「……来たか」
「ええ、呼ばれたので」
ーーその人物は、顔を腫れあがらせた翔先輩だった。
男子トイレに重い空気が流れーー沈黙が生まれる。そして、数十秒が経ち……翔先輩が先に沈黙を破った。
「まずは……あの時いきなり殴りかかってすまなかった……。この場を借りて詫びる」
「……」
翔先輩は何を思ったのか、いきなり頭を下げて謝って来たのだ。その予想外の行動に、蓮は呆気に取られていた。
「……一つ聞きたいんですが、どうして顔が腫れてるんですか? その感じだと誰かに殴られたような感じがするんですが」
「俺のダチと……縁を切った。それがこの代償だ」
「悪さをする友達とですか。それは全く信じられなーー」
そこで蓮はあのお願いを思い出した。琥珀先輩の願い。それは『翔先輩を信じる』である。
(琥珀先輩はこの事を言ってたのか……。そして、あえて理解させなかったのは、俺の判断に任せるため……)
ようやく琥珀先輩の意図を掴んだ蓮。
その中で、この事を予期していた琥珀先輩は一体何者なのだろうか……と疑問が湧いていた。
「……なんでその友達と縁を切ったんですか? 電話を聞いていて、仲の良い友達だったこと明白でしたが」
ダチと縁を切った。そのダチとは悪さをしていた友達。あの時、電話をしていた相手も含めた友達だろう。でなければ、殴られるなんて行動は取られない筈だ。
「目、覚めたよ……。俺が真白にどれだけ酷い事しようとしてたのか……」
「それに気付かないってこと自体が異常だと思いますが」
「そうだな……。そうだよな……」
翔先輩は唇を噛み締めて、罪悪感に包まれたように呟いた。
「念のために聞いておくんですが、その友達には真白を諦めることを伝えたんですよね?」
「ああ。……アイツらには真白のことは諦めることを伝えたし……真白には後ろ盾があるなんて嘘も言った。アイツらはリスクを犯さないことは俺が一番知ってる。……だから、真白に危険はない」
(この言葉も信じろってことなんだよな……)
なんて約束に縛られた蓮だが、なんとなく嘘を付いてないことは翔先輩の表情を見て察することが出来た。
翔先輩が殴られたのも、縁を切ったからではなく、電話で話していた『真白を彼女にして、みんなで犯す』計画を放棄したからであろう。
「……それで、その友達と縁を切った目的はボイスレコーダーの音声を削除して欲しいということですか?」
「……俺にそんな目的はない。これは俺のケジメをつけただけだ……」
なにも包み隠すことなく、真実を話そうとする翔先輩。
「では、ボイスレコーダーの音声は消さなくて良いと?」
「ああ。その代わり……俺が今さっき言ったこと。そして、これから俺が言うことを信じてほしい」
その言葉は本心なのだろう。ひしひしとその気持ちが伝わってくる。……ここまでの覚悟を持った翔先輩に、蓮は心を入れ替えた。
「俺はもう……真白に手を出さない。そして……関わらない。もう一度約束する……」
「……分かりました。その言葉、信じます」
翔先輩からその言葉を受け止めた蓮はポケットからボイスレコーダーを取り出す。
そして……指を動かして、ある機械音声を流したのだ。それはーー
『……このボイスレコーダーには何も録音されてません。録音は青色のボタンから出来ます』
そんな音声が流れた瞬間、翔先輩は目を見開いた。そのボイスレコーダーから流れた機械音声から分かっただろう、蓮があの録音を削除したのだと。
「お、お前……」
「複製しといた音声も消しときますよ」
「な、なんで消したんだよ……。それを消したら俺を脅せなくなるじゃねぇか……」
「先輩がきちんと行動に移した以上、俺はその行動に答える意味があります。……もしこれで先輩が約束を破るようなら、それは俺の目が節穴だっただけ。……真白が許してくれるまで俺は謝り続けますよ」
蓮はこの時、琥珀先輩の願いを聞いたわけではなく、翔先輩の言葉の重みと真剣な表情から、ボイスレコーダーの音声を削除するまでの行動を起こしたのだ。
この判断は一番やってはいけないのかもしれない……。
真白には悪いことをしてしまった……。そう思いつつも、蓮は“今の”翔先輩を自分の意思で信じれたのだ。
「先輩。一つだけ言いますけど……先輩が真白にしようとしたこと、俺は許したわけじゃないですから」
「わ……分かってる」
冷淡な声音を発す蓮の怒りは本物である。それを見せることは一種の釘刺しのようなものだ。
「では、話はこれで終わりですね」
何も録音されてないボイスレコーダーをポケットに入れた蓮が、この場を去ろうとした最中、
「今日は俺の話を……ありがとな」
翔先輩は蓮に向かって再び頭を下げた。
「いえ。気にしないでください。……あ、最後にこれだけ」
そうして、蓮は翔先輩に向かい合い……言う。
「高校生最後の試合、先輩の活躍に期待してます。……
「……」
「失礼をすみません。それでは」
蓮は小さく頭を下げて、男子トイレを抜けて行った。
「ありがとな……俺を信じてくれて……」
感謝溢れたような翔先輩の声音は、蓮の耳にちゃんと届いていた。
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