第38話 先輩と学生会長

「おい、少し待てよ」

 ーー敵意ある声音。

 トイレから戻り、図書室の扉を開けようとした蓮は動きを止めて背後を振り返る。

 そこには、部活動のためか練習着に着替えている短髪で高身長の男が立っていた。


「……なんですか?」

 蓮からすればこの男は初対面だ。敵対されていてもまずは丁寧な口調を意識して返事する。


「お前。二条城 蓮だよな」

「そうですよ。……それで、俺になんの用です? 友達を待たせているので、用件があるなら早くしてもらって良いですかね」


 真白に勉強を教えるという約束をしている蓮は、早く図書室に戻らなくてはならない。最初から敵視してくる相手に構ってる時間などないのだ。


「友達……だと?」

「ええ、友達の真白、、ですけど」

 蓮はこの相手が誰であるか、なんとなく理解していた。それを確かめるために真白という部分を強調したのだ。


「……おい」

 そして案の定、この男は引っかかった。


「これ以上、俺の、、真白に近付くんじゃねぇよ」

「……やっぱりあなたでしたか」

「あ?」

「聞きましたよ、翔先輩。真白に振られたんですよね? ……それなのに俺の真白とはどういうことでしょうか?」


「俺の女は真白しか釣り合わねぇんだよ」

「はぁ……。なんですかその理由」

「あ?」


「1つ言いたいんですけど、先輩が真白と本当に『釣り合ってる』なんて思っているなら、ありもしない噂を流したり、こうやってわざわざ圧力をかけに来ないと思いますが? 堂々と勝負すれば良いじゃないですか」

「ありもしない噂とかしらねぇし、んなもん俺の勝手だろうが」


 あくまでシラを切るらしい。だが、真白に嫌われないためにもそうするのが定石だろう。嫌われるようなことをして、付き合えるはずなどないのだから。


「まぁ、別に先輩がどうしようが構いませんけど、そんなことしてもあまり意味ないですよ」

「……」

「俺が真白に協力するんで」


 決意を発した瞬間、蓮の背後にある図書室の扉からなにかの音が小さく鳴った。

 その音に気付くことのない二人だったが、図書室の中には一人しかいない。ーー間違いなく、その一人が鳴らした音だった。


「お前、俺の真白を狙ってるな……?」

「それに答える義務はありませんね。……でも、これで先輩も分かったでしょう? その程度の圧力じゃ俺になんの意味もないってことは」

「……」


「ですから、俺を精神的に弱らせてみれはどうでしょうか。先輩お得意の、ありもしない噂を流すとか?」

「お前、調子に乗るんじゃねぇぞ……」


 蓮だって好きで先輩を挑発しているわけではない。真白にこれ以上の被害がいかないように、真白のありもしない噂を少しでも軽減出来るように動いている。


 元気のない真白の姿を見たら、こんな行動を起こすのは当然だった。仮に自分にどのようなことが起こっても……


「調子になんて乗ってないですよ。ただ、俺は伝えたいだけです。……そんな事しても意味無いですよってことを。……俺は真白に協力するって約束してますから。裏切るつもりもさらさらありませんし」

 その言葉に、背後にある図書室の扉からまた小さな音が鳴った。


「……もう一度だけお前に忠告しとく。これ以上、俺の真白に近付くな。……これが最後だからな」

「……」

 眉間にシワを寄せながら、右拳で壁を『ドンッ』と叩いた後に、先輩は去って行く。ーーその後ろ姿が見えなくなった瞬間だった。


「……あらら、厄介な相手に捕まってしまいましたね、後輩くん?」

 死角になっているところから、ひとりの女子生徒が現れた。

 艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、端正な顔立ちをした少女は、細い指を肉つきの薄い唇に当てて微笑みを浮かべながら蓮に近づいた。

 

 吸い込まれそうなほどの大きな瞳からは、確かな優しさが伝わってくる。


貴女あなたは?」

「私はたちばな 琥珀こはくと言います。後輩くんは知らないと思いますが、これでも学生会長を務めさせていただいてます」


 丁寧な口調で自己紹介をする学生会長は育ちが良いのだろう、洗練されたお辞儀を見せた。


「丁寧にどうも。二条城 蓮です」

「噂は予々かねがね聞いておりますよ。転入試験においてとても優秀な成績を出したらしいですね。素晴らしいです」


「ありがとうございます。……それで、厄介な相手というと翔先輩がでしょうか?」

 早く本題に入りたかった蓮は早めに口を挟む。


「そうですよ。あの方は容姿も運動神経も学力も優れているのですが、中身がとても残念さんなので」

 蓮の意図を汲み取り、にっこりとお手本のような微笑みを見せる学生会長。


「それに……、あの方はやんちゃな学生さんとも絡んでいますので少々面倒くさいのですよ」

「……なるほど」

「ふふっ。コレを言うと不謹慎なのですが、後輩くんのお陰でとても面白いものが見れました」

「なにがですか?」

 口角を少し上げ何やらご機嫌気味な学生会長はその理由を淡々と述べた。


「あの方を挑発する後輩くんを私は初めて見ましたからね。……真白さんを狙っている後輩くんを片っ端から排除しているんですよ、あの方は。……真白さんを自分のモノ、、にするために、自分の評価を上げるために。ですから、後輩くんがあのように言って頂けて、私はスカッとした気分を味わえました」


「真白と付き合いたいのは、結局自分のためってわけですか……。って、ずっと見てたなら助けに来てくれても良かったんじゃないですか? 貴女の立場は学生会長なんですし」


 今の口振りから、最初の方から覗かれていたことに蓮は気付き、不満を浮かび上がらせる。


「助けることも出来ましたが、後輩くんにはあの方を挑発するほどの余裕がありましたから。……ですが、気を付けて下さいね。あの方を挑発し過ぎると、何をしてくるのか分かったものではありませんから」


 学生会長は翔先輩の事についてなにか知っているのだろう。言い終わるに連れて学生会長の微笑みは消え、真剣な眼差しが蓮を貫く。


「それは、学生会長からの忠告ですか?」

「そうですね、忠告ということで。ふふっ……ですが、後輩くんはまだ安心ですね。あの様子を見るに、自分の身を守る術を持っているでしょうから」

「……」

 口を閉じ、無意識に眉をぴくりと上げる蓮に、学生会長は面白げに言葉を続ける。


「なぜそれを……と言いたげですが、これは女の勘です。確信もなにもありません」

「そう言う割には、確信を持った言い方をした気がしますが」


「それは捉え方次第ですので。……もし何か困ったこと等があれば、遠慮なく相談に来て頂いて構いませんから」

「遠慮しておきます」


「ぅ、振られてしまいました。残念です……」

 学生会長は話相手が欲しかったのか、断られたことで明らかな落胆が目に見えた。女性らしい小さな肩幅をさらに縮め、何故かいじめているように感じてしまう。


「え……。なんか本当に残念そうですね。てっきり軽く言われるものかと思ったのですが」

「ほ、本当に残念そうだなんて、そ、そんなことはありませんよ。私だって暇ではありませんから。……話し相手もいるのですからっ、ええ、ちゃんと」


 冷静さが少しかけた学生会長は、一人で相槌を打ちながら自爆していた。


「そこまでは聞いてないんですが……。あ、その代わり一つ良いですか?」

「な、なんでしょうか?」


「学生会長さんは随分と翔先輩のことを知っていたようですけど、一体どんな関係なんですか?」

「……気になりますか?」

「はい。これから先、あの先輩にちょっかいを出される可能性がありますので少しでも情報を集めようと」


 情報はなににおいても有利に働く。知っておいて損はないのだ。


「それは、あの方の脅しには屈しないという表明ですね」

「屈するも何も、従う必要もないですから。……それで、教えて頂けますか?」


「良いでしょう。私はこれから用事があるので、明日の昼休みに学生会長室で落ち合うというのはどうでしょうか?」

「ありがとうございます。それとあと一つ、学生会長室というのは一般生徒が入室出来るところなんですよね?」


「ええ、私が付いていればなんの問題もありません」

「分かりました。ありがとうございます」


 そして話が終わり、約束を済ませた瞬間だった。

「……琥珀」

 学生会長は、自分の名前を呟いた。


「はい?」

「私のことは『学生会長さん』ではなく、『琥珀』と呼んで下さい。……タダで後輩くんの条件を呑むほど、私は甘くないですよ」

 ニヤリと妖艶な笑みを浮かべる琥珀先輩からは、『これを言って頂けないと、約束は取り消しですよ』なんて言葉が自然と伝わってくる。


「そう来ましたか。では、……琥珀先輩。明日はお願いします」

「よく出来ました。それでは、明日学生会長室で」

 時間が押しているのか、一礼して早足で去っていく琥珀先輩に蓮も礼を返し、琥珀の姿が見えなくなるまでじっと待機する。


「……さて、戻るか」

 琥珀の姿が消えたと同時に、蓮は再び図書室に入室した。

 だが、今までの会話が図書室の中に居る一人の生徒に聞かれていたと言うのは、知る由もない。


 ーーただ、真白のために『協力する』ことを行動で示したのは間違いなく、それは、真白にも確実に伝わったことだろう。

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