第7話 真白との出会い

 蓮がこの学園に転入する際に抱いていた最大の不安。それは授業内容だ。

 前の学校でやっていない単元をしていた場合、授業に付いていこうにも基礎が理解出来ていなければ確実に遅れが出てしまう。


 ーーが、その不安は杞憂だった。

 これから受ける授業は、習っていない単元ではなく一年の授業内容の復習だった。


 そして、この学園指定の教材がまだ届いていないという不安も解消出来た。

 可憐より先に右隣に座る同性のクラスメイトが教材を見せてくれたのだ。そのことをキッカケに友達が数人程度増えたのである。


「へぇ……なるほどな、この問題はこう解けばいいのか……。サンキュ、蓮」

 現在の授業は数学。公式を当てはめて応用する問題である。

「礼なんていいよ。こっちは教材を貸してもらってるんだから」

 授業中のため、小声でやり取りしているのは蓮の右隣の席である藤本大志たいし


 キリッとした眉に整った容姿の持ち主で、高身長でバスケ部所属と、どこからどう見てもイケメンの部類に入る……が、大志がモテることは全然無いらしい。

 

 それはあるコトが原因であった。


「はぁ……。この学園に数学を教えてくれる60代のおばさまがいれば、オレもやる気が出るんだけどなぁ……」

「……またそれか」

 そう、大志は超が付くほどの熟女好きなのだ。その情報は既に皆に知られているらしく、『好きな情報をオープンにしてこそ真の人間である!』なんて名言を作ったほどの凄い? 人物らしい。


 皆からは、『残念さすが大志』というあだ名まで付けられている人気者である。


「出会ってそうそう『熟女好きか!?』なんて聞かれるとは思わなかったよ。衝撃的な体験が出来たもんだ」

「このクラスには熟女の良さが分かっていない奴が多いんだよ。だからこそ蓮に期待したんだが、蓮もそっち側だったとは……」


 長いため息を吐きながらチラチラと視線を寄越す大志。なにかを察してくれと言いたげな様子に、教材を見せてもらっている蓮としては断ることが出来なかった。


「……わ、分かったよ。同じ仲間にはなれないが大志の熟女話は聞く。これでいいか?」

「サ、サンキューー!! それでもいい!」

 眩い輝きを放つ瞳で椅子を鳴らしながら勢いよく立ち上がる大志。


「お、おい大志……」

「なんだよ〜! 嬉しいこと言いやがって!」

 蓮の返答に舞いあがり、満面な笑みを見せる大志は一つ肝心なことを抜かしている。ーー今、授業中であることに。


「おい大志。なにがサンキュー、だって……?」

 運の悪いことに数学の授業担当は二年一組の担任である牧原先生。教室にピリついた空気が漂い……、原因主である大志は額に冷や汗を滲ませ、吃りながらその意味を説明していた。


「い、いやぁ……蓮に分からない問題を教えてもらってたんですよ。そ、それで解けたからサンキューって!」

「ほう? 俺の耳には熟女がどうたら聞こえてたんだが?」

「そ、それは牧原さんの幻聴っすよ! オレがそんなこと言うわけがないじゃないですか!」

「……俺がお前の好みを知らないとでも思ってるのか?」

「え……」

 冷淡な声音で事実を告げる形の牧原先生に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で力のない返事を漏らす大志。


「まぁいい。お前のその好み、、ってのは、誤魔化しが出来るほどの浅はかなものなんだろうからな」

「そ、そんなことはないですよッ!!」

 なにかを狙ったような挑発的な口調に、大志は声をあげて否定する。

 まるで『好きな情報をオープンにしてこそ人間である』なんて名言を逆手に取っているように。


「じゃあもう一度問う。なにがサンキューなんだ?」

「蓮に熟女の良さを語っても大丈夫なことです!」

 キリッとした瞳で、馬鹿正直に言う大志に教室は静まり返りーー時間差で大爆笑が沸き起こった。


 また、それだけでなく別の教室からガヤガヤとした声が聞こえてきた。大志の声量は別のクラスに聞こえるほど大きかったのだ。


「大志。次の休み時間、俺と一緒に職員室に来い。資料整理を手伝ってもらう」

「はっ……」

 大志は悟った。ーー牧原先生の狙い通りの展開にされたことに、自分の好みをエサにされ、いとも容易く引っかかってしまったのだと。


「へ? 牧原さん、資料整理はうちがさっきしましたけど……」

 と、この時……朝礼が終わった後に職員室で整理を手伝った可憐が疑問の声を上げた。

 数時間前にした整理を再びさせようとしているのだから、可憐の言い分はもっともなのだが、

「……大志、分かったか?」

「は、はい」

 可憐の声は十二分の牧原先生の耳に届いている。が、牧原先生は気づかないフリをしている。正確に言えばポーカーフェイスを貫き、聞き逃そうとしていた。


「……え、もう汚くしたんですか? うっそ……。あ、あんなに頑張ったのに……」

「よーし、次は大問の2だ。可憐、前に出て黒板に書くように」


「んなっ、なんでですかっ!? って、そこさっきより難しい問題ですし!」

「おー、確かにさっきと比べたら難しいかもなぁ」

「ぬ、ぐぬぬ……」

 苦虫を噛み潰したような顔をする可憐は、黒板の前に移動し時間を掛けて数式を書いていく。


 このことで蓮が牧原先生について理解したことは二つある。

 一つ、牧原先生は整理整頓が苦手だということ。

 二つ、牧原先生の弱みに漬け込んだ時、何かしらの反撃が加えられるということだ。


 そして時間は過ぎーー四時限目の授業は終了した。時間も正午過ぎになり、昼休憩の時間となる。


「蓮、メシはどうするんだ?」

 と、ありがたい質問を投げかけてくる大志。転入生の立場にいる蓮からすれば心温まる出来事だ。


「とりあえず自販機に行ってくる、確か一階だよな?」

 朝礼時にあった可憐のお詫びをしなければ……と思案しての行動である。

「ああ、一回まで階段を降りて廊下を渡ったとこだ。場所が分からないならオレが付いていくぞ?」

「いいや、そこまでされるのは気が引ける。大志、なんか飲み物いるか?」

「んにゃ、オレには水筒があるから大丈夫だ。ここで待ってるから迷わず戻って来いよ」

「大丈夫。流石に迷わないって」


「この学園、外装内装にこだわりがあるらしくて造りが複雑だからな。迷ったら大声でオレを呼んでくれ。直ぐに救助してやるから」

「分かった。その時が来たら宜しく頼む」

 そうして、黒革製の長財布を片手に持った蓮は自動販売機に向かうのであった。


 ======


 迷うことなく自動販売機に着いた蓮は200円を入れて微糖のコーヒーを、なんとなく可憐が好んでいそうな詫び分のいちごオーレも購入する。

『ガタン』

と選んだ商品が下に落ち、プラスチックの開閉扉を開けて冷気漂う飲み物を取り出す。

片手に財布。片手に二つの飲み物。両手が塞がった状態で教室に戻ろうとした矢先だった。


「あ、あの……す、すみません、少し聞きたいことが……」

「ん?」

 背後から弱々しい声音をかけられ、自然に振り返る蓮。

そこには顔も知らない女子生徒が立っていた。


 ボブの掛かった茶髪に大きな猫目。小ぶりなピンク色の唇。弱々しく上目遣いで見つめてくる様子は実に子動物らしい。

 細く長い脚に黒のストッキングを履いた女子生徒は、おずおずとしながら要件を伝えてきた。


「あ、あの、その、すみません。……きょ、教室に戻れなくて、道のお尋ねを……」

困っている顔をしながら伝えてきた要件はコレだった。


「もしかして、道に迷ってるのか?」

「は、はい……。職員室から帰る途中なんですけど道が分からなくなって……。ですから、道を教えて欲しくて……」

 どこか急いだような、それでいて不安に駆られたように眉根を下げている女子。

「……」

「……」

蓮が返事をしなかったことにより無言の間が作られる。だが、これは意地悪をしようとしたわけではない。ある考え事をしていたのだ。


「……あー、悪い。実は俺も道に迷っててな」

「え、せんぱいも……ですか?」

 その口振りから『先輩なのに?』といった様子が伺えた。先輩後輩の区別は、制服の胸辺りにある校章の色で判断出来る。

 一年は黄色。二年は青色。三年は緑色となっている。


「俺、この学園に来てまだ日が浅いんだ。それで飲み物を買いに来たらこの有様でな……。きみ、名前は?」

「あっ、すみません。わたし、1年の小桜真白ましろって言います」

「俺は二条城 蓮。クラスは2年」

 自己紹介をしてもなお、お互いに気付くことはなかった。

今朝、可憐を通じてお互いの会話に出てきていたお相手だと言うことに。


「……って、こうして時間潰してる場合じゃないな。教室探し手伝うよ。ほら、そこに学校案内図があるし」

「……ぅ」

 そこで何故か視線を斜め下に向け、バツの悪そうに顔を歪ませる真白。


「どうした?」

「あ、あの。わ、わたし……案内図を見ても分からなくて……」

「な、なるほどな……。方向音痴ってやつか」

「は、はい……。あの案内図を見て一度は教室に戻ろうとしたんですけど、またこの場所に戻って来てしまって……です」

「……大変だな、それ」

『はい……』

 真白は声を発さずに小さく頷いた。今現在、その方向音痴に悩ませられているのだから、『そんなことはないですよ』なんてお世辞も言うことが出来ないだろう。


「まぁ、俺の妹も方向音痴だし、変な目で見たりはしないけどな」

「せ、せんぱいの妹さんも……ですか?」

「ああ。そのお陰で妹に頼られることも多くてな。案内図を見れば大体は分かるからとりあえずそこに移動しようか」

「あ、ありがとうございます」

「いや、気にしなくていいよ」


 そうして、案内図が書かれた場所に移動した二人は、一年二組である教室を探し、指でなぞっていく。

 その隣では、小声で唸りながらどうにか理解しようとする真白の姿。

一度理解出来なくても理解しようとするその姿は、妹である楓とそっくりで、思わず微笑を浮かべてしまう。


「さて、行くか」

「えっ、もう分かったんですか……!?」

「完璧とまではいかないが、大体は」

「す、すごいです……」

「そ、そんなことはないと思うんだが……」


 たったこんなことでキラキラとした尊敬の眼差しを向けてくる真白。それだけでこの状況に困窮していたことが分かる。


「じゃ、時間もないし行こう」

「はいっ!!」

そして、真白の歩幅に合わせ教室に向かう蓮であった。


=====


 二人は一年二組の教室に歩みを進めている。その最中、妬みや嫉みの視線が幾度となく蓮を突き刺していた。


 何故これほどのやっかみを受けるのか……それは後に分かることになる。


「あ、せんぱいはどうしてこの学園にこられたのですか? 日が浅いってことは転入か編入してきたってことですよね?」

 場を持たせるための話題提供ではなく、転入してきた理由が純粋に知りたいのだろう。宝石のような輝かしい瞳を蓮に向け小首を傾げている真白。


 教室に戻れる安心感からか警戒心を解いてくれているようだった。


「ああ。両親が仕事で海外に行く理由で妹もそっちに。そういう真白はどうなんだ?」

「ふぇっ!?」

「ん? ……あ、いきなり呼び捨ては失礼か。すまん」

 驚いたように肩を大きく上下させた真白の反応を見て、その原因にすぐ気づく。


「あっ、い、いやっ……気にしないで下さい。単に呼ばれ慣れてなかっただけなので……その、い、いやじゃないですから……」

 慌てふためき、頰を薄っすらと赤く染める真白。


(なんか似てない気がしないでもないな……)

その様子を見て、VRで当初の頃に出会った『モカ』を重ね合わせていた蓮。


「なら良かった。……それで話を戻すが、どうしてこの学園に?」

「わたしがこの学園に来た理由は校則がなかったからです。……そ、その、いろいろとありまして……」

「ふぅん」

 言葉を濁すならば無理に聞くことはない。言いたくないことの一つや二つ、誰だってあるだろう。蓮もその一人なのだから。


「あ、あの……。詳しく聞かないのですか?」

 簡単に話を終わらせた蓮に、真白は視線を彷徨わせながら疑問符を浮かべている。話を戻せば再び聞かれてもおかしくない。その可能性を分かっていても真白は純粋に気になったのだろう。


「まぁ言いたくなさそうだったし、無理に聞こうとは思わないな。言っとくが、先輩だからと言って無理やり吐かせるようなことはしないからな」

「……あ、ありがとうございます。……す、少し前に無理に聞いてくる人がいて……ですね」

「もしかしたら真白に気があったんじゃないか? 俺がどうこう言える立場じゃないが、言いたくないことは無理に言わなくて良い。言う側が気分悪くなるだろ」

「や、優しい、せんぱい……です……」

 ーー誰の耳にも届かない真白の小さな独り言。


「ん?」

「な、なんでもありませんっ。そ、それより、その飲み物は一人で飲むんですか?」

 真白の明らかな話題変換。話題を変えた要因は分かったものではないが、なにか不都合があったのだ……と蓮は断言出来る。これは超能力などの特殊能力ではなく、ただ単に真白の挙動がおかし過ぎるのだ。

これだけで嘘がつけない、嘘をつくことが下手なのだと解る。そして、ここで話を戻すのは些か可哀想だ。


「ああこれか。こっちのいちごオーレはお詫びみたいなもんで俺が飲むわけじゃない」

「お、お詫び……? せんぱいは何か悪いことしたんですか?」

「ま、まぁ……あれだ。簡潔に言うなら一時的に友達を売ったみたいな……。その罪悪感からこうしてるわけなんだが、好みが合わなかったら嫌がらせに捉えられそうだなこれ。もっと考えるべきだった」

 転入生だからと気遣ってくれた可憐に対してあの『無視』はないよな……と、反省する蓮。だからこそ、こうした行動を起こしているわけでもある。


「大丈夫だと思いますよ? いちごオーレ好きな人は多いですから」

「そう信じたいもんだ」

 会話が途切れることで気まずい雰囲気にならないように、何気ないことを話す二人。しばらく歩みを進めていると遠目に一年二組の教室札が目に入った。


「あっ」

 真白にも教室札が見えたようだ。


「こ、ここで大丈夫ですっ。本当にありがとうございましたっ」

 蓮に向かいぺこりと小さく頭を下げる真白。その所作は無駄がなく洗礼されている。礼儀正しい後輩だ。


「次は気をつけてな。まだ学園ココだから良いが、夜道だったら多少なりの危険があるだろうし」

「帰りはお友達と一緒なので大丈夫です。……心配してくれてありがとうございます」

「そっか。なら大丈夫だか。……じゃ、俺は教室に戻るから」

「はいっ! ほんとにありがとうございました!」

「どういたしまして」


 教室まで送り届けるという役目を果たした蓮は真白に背を向け、迷いなく、、、、教室に向かって行く。


「え……」

 ーー真白がその様子を見た瞬間だった。『はっ』と脳裏に閃光が走る。


「も、もしかしてせんぱい……。わたしに気を遣わせないために自分も迷子だって言ったのかな……」


 真白は一つ、蓮のことで引っかかることがあった。


(案内図の時、せんぱいはわたしの教室の進路しか指で辿ってなかったよね……)

 堂々と自らの教室に戻っているであろう蓮の大きな背中を見て、ふとそんな思考が脳内によぎったのである。


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