第5話 担任の先生

 可憐と別れた蓮は迷うことなく職員室に到着し、室内に入る。


「すみません、ここに牧原先生はいらっしゃいますかね……?」

 クラス等の詳細に付いては、牧原という先生に聞くように言われていた蓮。すれ違った先生に質問した矢先だった。


「おー、蓮か。ここだここ。入っていいぞ」

「……あ」

 手を上げながら場所を示してくれる牧原先生。蓮は質問した先生に頭を下げて牧原先生の元にゆっくりと歩み寄った。


「初めましてだな、蓮。遅刻していないようで何よりだ」

「初めまして、牧原先生」

 

「簡単にだが俺の自己紹介を……。俺の名前は牧原 敦士あつし。二年一組担任で、蓮のクラスも二年一組になる。宜しく頼む」

「二条城 蓮です。こちらこそよろしくお願いします」


 なにかのスポーツをやっているのだろうか、半袖から出るたくましい両腕に、がっちりとした体型の牧原先生。彫りの深い顔立ちで怖そうな印象を受けるが、こうして話してみると優しい先生だということが伺える。


「何か困ったことがあればいつでも言ってくれ。最初の方は馴染むのに苦労するだろうし、前の学園とは雰囲気が全然違うだろうからなぁ」

「ここの生徒の方が、前の学園の生徒よりも生き生きしている気がします」

「ハハハ、うちの学園は校則がないからなぁ。『校則がない』この言葉だけを聞けば印象が悪く映るかもしれないが、実際はそんなことはない。安心してくれ」

 たくましい腕を組みながら牧原先生は豪快な笑みを浮かべる。


「それと……転入試験頑張ったな。面接試験での減点は少々。筆記試験では8割以上取れていた。周りの先生方も驚いていたぞ?」

「それは良かったです。勉強した甲斐がありました」


 転入試験に自信があったわけではない蓮だが、時間が余る限り試験対策はしていた。家族を安心させるためにも、ギリギリの点数よりかは余裕のある点数ーー高得点で合格した方がいい。


 これで両親への報告も堂々と行えるものだ。


「これは余談だが、こんな生徒を受け持つ俺の鼻も高かったもんだ」

「ありがとうございます。この先の勉強について行けるか不安はありますけど……」

「俺はその辺の心配はしていないんだが、これから大丈夫か……? 蓮は一人暮らしをしているんだろう?」

「そうなります」

 ある程度の事情は学園に、そして担任である牧原先生の元にも伝わっている。担任としても、一人の人間としても、当然の心配事である。


「成績が全てだとは言わないが、学園と一人暮らしが両立出来ずこの学力を落とすのは流石に勿体ない。俺としては蓮が両立出来るかが心配なんだが……。なんせ、一人暮らしの辛さを分かってない連中が多くてだな……」

 はぁ、と気を重くしながら肩を落とす牧原先生。その反応は、自分自身も苦労しているような感じであった。


「そこは大丈夫です。家事等は昔から教えられていたので。もちろん完璧とまではいかないですけど……」

「ほう、その歳で家事も出来るのか」

 眉を上げ、意外そうな表情を見せる牧原先生。確かに今の時期、家事をする学生は珍しいのかもしれない。


 蓮の家庭事情は常に両親が忙しいという状態だった。そう、それは両親が家事をする時間がないほどにだ。

 そのため、兄である蓮と妹のカエデが家事等を任されていた。そのおかげで一人暮らしが出来るほどのスキルを身に付けられたのである。


「もし一人暮らしが出来る生活を身に付けていなければ、この生活は許されなかったと思います」

「それなら大丈夫だな。さて、これ以上俺が首を突っ込むのは野暮ってもんだし……」

 牧原先生は職員室の壁に取り付けられた時計を確認しーー

「よし、蓮。そろそろ教室に行くか」

 朝礼が近付いているのだろう、牧原先生は座っていた椅子から立ち上がった。


「やっぱりこの時って緊張しますね」

 新しい学園に来ると必ずやるべきものがある。それはクラスとの対面、そして自己紹介である。

 まだ顔も知らない、関わりなど一切ないクラスメイトと関るというのはやはりやり辛いものがある。


「そう言う割には、緊張しているようには見えないが?」

「これでも緊張しています。表情に出ていないだけで」


「なるほど。……実は俺も担任を持つのが初めてでな、蓮と同じように緊張したもんだ。……が」

 意図的に言葉を区切った牧原先生は、真顔のままーー

「もし、最初の挨拶でミスるようならそこから先の学園生活は地獄と化す。気をつけろ」

 脅し文句のような語り口でそう告げてきた。


「先生、その言葉かなりプレッシャーがかかってるんですけど……」

「すまんすまん。穏便な学生生活をするなら無難な挨拶が一番良いだろう。その挨拶一つで学園に馴染めず、一人暮らしの生活に支障が出るのは好ましくないからな」

「そうです……ね」

 何だかんだ言って、蓮を心配しているのは間違いないようだ。


「あと、俺の呼び名は『先生』じゃなくていいぞ」

「どうしてですか?」


「俺はまだ先生として呼ばれるレベルの人間じゃない、そう自覚している。だからさん付けで結構。これはクラスのみんなにも説明していることだ」

「あの、失礼なことを言いますけど……普通の先生とは少し違いますね?」

「ハハハッ、そんな自覚はあるさ。仮にも先生である俺が、先生と呼ばれるレベルじゃないなんて言ってるんだからな。……だが、こうして俺の本音をぶつけることで生徒と壁のない関係を作れれば……と思ってる」


「……凄く立派な考えだと思います、先生、、

「ん?」

 あえて先生付けした蓮に、訝しげな視線が向けられる。


「今の言葉を聞いて、牧原先生は凄く立派な先生だと思いました」

 脅し文句を言われた仕返し、とまではいかないが『本音をぶつけて』という部分を引用した蓮は、素直にそう伝えた。


「……出会って間もないが蓮に一言、物申す」

「なんでしょうか?」

「生意気な生徒は嫌いじゃない。……好きにしろ」

 ぶっきらぼうに言う牧原先生だが、そのどこかで薄い笑みが浮かんでいたのは気のせいではないだろう。


「ただ、友人のように接しようとしたら雷が落ちる。その事だけは忘れるなよ」

「もちろんです、先生。……あ、でもこの呼び方は二人っきりの時だけでお願いします。クラスで浮くのは困るので……」


「ったく、調子の狂う生徒を受け持っちまったもんだ……」

 そうして、ぽりぽりと鼻先を掻きながらそっぽを向く牧原先生と共に蓮は新しい教室に移動するのであった。







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