第21話 夢を叶える雨の精霊
僕と小晴。
夢を失った人間と、夢を叶える雨の精霊。
こんな二人が出会ってしまうなんて、どんな偶然が重なってしまったのか。
小晴曰く、偶然は起こるものでなく起こすものらしいけど、それでもやはり偶然は起こるのだと思った。
鼓動の響く音が聞こえる。
それが、僕の音なのか小晴の音なのかどうかは分からない。
分からないけれど、僕は無意識のうちに小晴の身体を抱きしめていた。
実体のない、半透明な身体。
だけど、僕にだけ分かる確かな感触。
温かい女の子の感触が直に僕の心に伝わって、互いの鼓動が互いを響かせ合っていた。
奈落の果てで僕がようやく見つけ出した、僕にとっての生きる意味だった。
「小晴」
「はい」
だから、どうしても僕は信じられなかった。
「さっき、小晴の身体は雨に変わると言ったよな」
「…そうですね」
「消えてしまうのか」
「僕の夢を叶えて、小晴はこの世界からいなくなってしまうのか」
半透明になっているこの身体が、朝よりも薄くなっていることに気が付いていた。
それに、さっきの小晴の言葉が本当なら…。
そんなことは、信じたくもなかった。
「消えるなんてことはありませんよ」
小晴はそう言って、僕が何度も見た笑顔を見せてくれるのだった。
「私の身体は、きっと素敵な虹色の花に変わるはずですから」
夢野小晴は、誰よりも夢を追い続けているのだと思った。
小さな身体が、光と共に消えていく。
あの雨の日に見た、眩い光が僕と小晴を照らしていた。
「…お別れの時間ですね」
小晴が、そう小さく呟く。
頼むから、別れの言葉を言わないで欲しかった。
今になって、実感する。
本当に小晴が消えてしまうのだと、今この瞬間になって、ようやく分かる。
ようやく見つけることが出来たのに。
何の希望もない日々に、ようやく希望を見出せるようになったというのに。
「祈吏さん」
涙ぐむ小晴の声が聞こえて、僕はもう一度小晴を抱きしめた。
本当は、別れたくない。
僕も涙を流したい。
だけど、それをしてはいけない。
小晴が僕に夢を与えてくれて、それを叶えてくれたように、小晴もまた、この瞬間の為に長い道のりを歩んできたのだから。
「小晴」
名前を呼んだ。
泣き笑いの笑顔を見せて、小晴が僕の目を見つめる。
「ありがとう」
僕も笑った。
小晴に教えてもらったこと。
小晴を通じて、光夏や如月さんに教わったこと。
それは、今この瞬間を笑顔でいられるかどうかだ。
「小晴と出会わなかったら、僕はあの日のままだったよ」
あの日。
何もすることがなくて、ただ時間を無駄に費やしていたあの時。
この公園で小晴と出会うことがなければ、僕は変わることが出来なかった。
「そんな、私の力なんかじゃないです」
腕の中で、小晴が首を振る。
「祈吏さんの力ですよ」
そんなことを囁く。
「僕だけの力じゃない。小晴のおかげだよ」
「キリがないですね」
「そうかもな」
どうせ、やることがない。
小晴と時間を共にしたのも単なる暇つぶしでしかなかった。
そこには元々感情なんかなくて、小晴もそれを感じていただろうと思う。
だけど、今の僕にはハッキリとした感情がある。
小晴と一緒にいることが、楽しい。小晴の夢を応援したい。
「不思議です」
その夢を叶える瞬間を、僕は見届けたい。
「雨を降らせるためにずっと努力をしてきたのに…今、私は悲しいです」
「そんなに笑ってるじゃないか」
「嬉しいのに、悲しいんですよ」
人生なんて、そんなことの繰り返しなんだろう。
僕はどうすれば良いのか分からなくて、露頭に迷っていた。
夢や目標のない人生に生きる意味を見出すことが出来なくて、僕はどうすれば良いのかが分からなかった。
だけど、それは間違っていた。
どうすれば良いのかなんて、誰にも分からない。
分からないから、今を充実させるために生きる。
出会った時、雨を降らせるためだけに生きる精霊の話を聞いて不思議に思ったけれど、小晴がどうしていつも笑顔だったのか、ようやくだけど、分かったような気がする。
小晴は、常に今現在を楽しんでいたんだ。
「よかったよ」
小さな声で言った。
「何がですか?」
「あの時、交通事故に遭ったこと」
過去が今に繋がって、今が未来に繋がっている。
あの時、僕が事故を起こしたから、今の小晴に出会えている。
「事故がなければ、小晴とはきっと出会わなかったと思う」
「小さな偶然ですね」
「そうだな。小さな偶然だ」
もしかしたら、あの事故の時にも別の精霊が偶然を起こしていたのかもしれない。
「そう言われるとやっぱり嬉しいですね。私は、祈吏さんの力になれたんですね」
「当たり前だよ。さすがは優等生だな」
「あっ、初めて褒めてくれましたね!」
今から消えてなくなる人に、皮肉なんか言えるはずがなかった。
いつかの僕と光夏がそうだったように、今の小晴には本音の言葉をかけてあげたかった。
やがて、強い風が吹き付け、小晴の身体がより一層強い光を放つ。
キラキラと輝くその光は、夢と希望に溢れているように思えた。
「小晴」
「はい」
「最後に、一つだけ聞いてもいいかな」
涙ではなく笑顔を作る。
これが小晴との最後の時間となるなら、小晴の為に僕が笑う番だと思った。
「なんでしょう」
だから最後の最後にだけ、僕は聞きたかったことを聞いてみる。
あの日、僕と小晴が出会ってから、ずっと疑問に思っていたことを。
「小晴は、一体いくつなんだ?」
「今さらですか」
僕の馬鹿げた質問に、涙の小晴は笑ったのだった。
そう。それだ。
その笑顔が見たかったんだ。
「天に命を受けて今年で十七年。祈吏さんと、同い年ですよ」
目を閉じて、静かに小晴はそう言う。
「そんな気がしたよ」
なんとなく、分かっていた。
「今更言うなんて、うっかりもいい所です」
そう言って、小晴は最後の力で僕の手を握ってくれた。
笑顔に包まれた僕らの世界が、今この瞬間に終わる。
そのまま小晴は僕にそっと唇を寄せたあとー
静かに消えていなくなった。
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