第20話 告白
それはあまりにも唐突で、衝撃的な告白だった。
「これが最後って…?」
「そのままの意味です。私と…祈吏さんの。お別れの時間です」
小晴の声が震えていた。
これは嘘ではなく、本当だろうと勘付いた。
「どうして急に」
唐突だ。
小晴はいつもそうだけど、いくらなんでも突然すぎる。
「夢を叶えてしまったからです」
「夢…?」
よく分からなかった。
まだ誰の夢も叶えていないから、こうして雨が降らないんじゃなかったのか。
「光夏の夢…か?」
検討が付かず、聞いてみる。
小晴はかぶりを振った。
「…いえ」
そうして言う。
「祈吏さんには、本当のことを伝えなければなりませんね」
…なんだ。
なんなんだ、本当のことって。
まだ何球も投げていないというのに、もはやキャッチボールどころではなかった。
「言ってくれ」
今日一日、小晴のために時間を費やしてきた。
小晴を喜ばせてやりたくて、その為の計画を遂行してきた。
精霊である小晴に、この世界のことを教えてあげたい。
だけど、その小晴が何かを隠していただなんて僕は思いたくもなかった。
「どんなことでも、言って欲しい」
心からの気持ちを話す。
小晴はゆっくり頷いてみせた。
「私が祈吏さんに話した目的、覚えてますか?」
もちろん覚えている。
「雨を降らせること、だろう」
「正解です。その目的に間違いはありません」
小晴はゆっくりと、一歩一歩僕に近付いてくる。
「では、雨を降らせる方法は、覚えていませんか?」
「方法…」
ぼんやりとした頭の中で、部屋での会話を思い出した。
小晴と出会ったあの日、雨宿りの為に戻ってきた部屋で小晴が僕に話してくれたこと。
何を当然のことを。
はっきりと、覚えている。
「人の夢や目標を叶えるお手伝いをすること。だ」
「ご名答ですね」
さすがに、忘れる訳もない。
だって、僕と小晴はその為に光夏や如月さんの間に割って入ったのだから。
しかし、
「実はそれ、ちょぴり嘘なんです」
小晴の声が、公園に響く。
その言葉に、どこか頭を打たれたような感覚がして、僕はしどろもどろだった。
「嘘、というのは」
「ごめんなさい。騙すつもりはなかったんですけどね」
理解が追いつかなかった。
では、今ままで僕らは一体何をしてきたというんだ。
小晴が雨を降らせたいと言うから、僕はそれに付き合っていたのではないか。
もしそれが違うというのなら。
「じゃあ、一体何が…」
一体何が、本当なのだろう。
答えて欲しいことは分かっていますといった様子で、小晴は一言一言、丁寧に言った。
「私の本当の目的は…」
そうして、僕の目を見てくる。
「祈吏さんの夢を叶えることです」
それは小晴と初めて会った時のような、純粋無垢な瞳だった。
「僕の…?」
「はい。雨の精霊が果たすべき使命。それは、下界に降りて誰か一人の夢を叶えることなんです。その夢を叶えることで、雨を降らせることが出来ます」
「誰か一人…」
その一人が、僕だというのか。
唐突な告白に実感が湧かなくて、困惑していた。
「いや、でも待て。それなら、光夏の夢を叶える手伝いをしたじゃないか」
僕の言葉に、小晴は静かに首を振った。
「その一人は、精霊が舞い降りた地点から一番近い人に決まるんですよ」
一番近い人。
そういう話なら、光夏ではない。
小晴が光夏を知ったのは、僕が小晴に紹介したからだったはず。
「ということは、それが…」
それが、僕だというのか。
「はい。そして実は、その対象になった人物にだけ、精霊の姿が見えるようになるんです。祈吏さんに私が見えていたのは、偶然でも怪奇現象でもなかったんですよ。私が夢を叶るべき対象が、祈吏さんになったからなんです」
「…最初から知っていたのか」
その問いには答えず、小晴は肩をすくませた。
「私の身体が消えかかっているのも、それが一つの原因なんです。私の身体は雨に変わる。雨を降らせると同時に消えてしまうんです」
気が付けば、橙色の空は曇り空へと変わっていて、今にも雨が降り出しそうな雰囲気を醸し出していた。
最初から知っていたのだ。
下界でしか起こりえない現象などと言いながら、小晴には全てが分かっていたのだ。
初めて会った時。
小晴は僕を見つめながら、喜々揚々とした声で言っていた。
「私のことが見えてるんですか!」
言われてみれば、納得できる。
あの時、どうして小晴が喜んでいて、執拗に僕と関わりを持とうとしていたのか。
最初から全てを分かった上で、小晴は着々と雨を降らせる準備を進めていたのだ。
ただ…。その理論を説明するには一つだけおかしな点がある。
小晴は今、なんと言った?
雨を降らせるための方法を。
「まとめると、僕の夢を叶えることが雨を降らせる手段ってことになるのだけれど」
誰か一人の夢を叶えると言った。
誰か一人。雨崎祈吏の夢を叶えるのだと言った。
一つだけ、確認しておきたいことがある。
今の僕に、夢はない。
ない、はずなのに。
「その通りです。祈吏さんの夢を叶えました」
小晴の身体がそのことを証明していた。
小晴の話が本当であるなら、身体が透明となっているということは、夢を叶えているということになる。
「そんな、何が…」
「まだ、お気付きじゃないですか?」
小晴にはその答えが分かっているようだった。
一体、何のことなんだ。
この白球は、それとは違う。
確かに今日、僕は野球を受け入れることが出来たけど、それは決して夢を叶えたという訳ではない。
今の僕の、生きる理由。
目標となっていること…。
「小さな夢でも夢は夢です」
笑顔と共にそう言った小晴の姿を見て、僕はその答えに気が付いた。
「ああ…なるほど」
そう言った僕に、小晴はまた微笑んだ。
単純な話だ。こればかりは、認めたくないが認めるしかない。
甲子園という大きな夢を失った僕に、日常の中の小さな夢が生まれていたことに、気が付いた。
今現在を生きる僕が、叶えたいと思っていることは恐らく一つだけだ。
「小晴。君のことだね」
小晴と出会ってから、いつの間にかそうなっていたことに今更気付かされた。
時間がもったいないとさえ思った。
限りある時間を小晴に尽くしてやりたいと思った。
今を充実させたいと思った。
同時に、充実させてやりたいとも思った。
未来に希望を見いだせるようになった。
明日のことを考えるようになった。
こんな風に僕が思えるようになったのは、
「小晴を楽しませたいと思うようになったからだ」
野球を辞めて、何の目標も見出せなくて、時間をただ浪費していくばかりの日々。
その中で、雨の精霊が僕に光を与えた。
小晴と共に過ごし、笑い合う中で、生きる意味を見出すようになっていた。
「やっぱり、私の勝ちですね」
小晴は、天使のように笑った。
…そうか。
僕は小晴と一緒にいることで、いつの間にか夢を持ってしまっていたんだ。
小晴に笑って過ごして欲しいという、小さな夢を持っていたのだ。
「最初から知っていたのなら、素直に言ってくれれば良かったのに」
僕は負け惜しみを言った。
「言わなかったから、上手くいったんじゃないですか」
クスクスと笑う小晴に対して、何も返す言葉がない。
その姿はほとんど消えかかってしまっているが、それこそが小晴の作戦成功を意味していた。
まったく、僕の完敗だ。
「全部だったのか?」
負けを認めるから、聞いてみる。
「何がですか?」
「道案内の時から、光夏のこと。そして今日一日を過ごすまで。全部、小晴の計算通りの出来事だったのか?」
小晴は僕の問いに、小さな身体を反らすようにして胸を張った。
「もちろんです。その為の勉強をたくさんしてきたんですから。こう見えて私、学年で一番の成績だったんですよ!」
…やられた。
どうやら本当に僕は完敗を喫してしまったらしい。
何が馬鹿な子だ。何が劣等生だ。
最初から全部が計算通りなら、僕は一つも見抜くことは出来なかった。
「分かった。認めるよ」
ふとひとつ、大きな息を吐く。
それなら、雨の精霊に僕の夢を告白しなければならないと思った。
「今の僕の小さな夢は、小晴に笑顔で過ごしてもらうことだ」
一日の計画を立てたり、慣れない場所に出かけてみたり。
それは自分の意思でないように見えて、小晴を喜ばせたい僕の意思だったんだ。
「ひとつだけ聞かせてくれないか」
だからせめて、夢の答えが知りたくなった。
「なんでしょう?」
「今日は、楽しかったかな」
僅かな時間だけれど、小晴が僕に見せてくれていた笑顔。
それが雨を降らせるためだけだったのか。
それとも、心からの笑顔だったのか。
それだけは知っておきたかった。
小晴は一度俯いたあと、初めて出会った時のように僕の目をじっと見つめてくる。
「とっても楽しかったですよ。私は、祈吏さんと過ごした時間が、大好きです」
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