第17話 僕の叶えたかった夢
今日のメインイベントでもあるショーを終えると、肩の力がふと抜けた。
なんとかここまで計画されたイベントを消費することは出来た。
それも全部が全部、小晴と二人で楽しんで。時間をかけて準備をした甲斐があったと心から思った。
そう思うと、自然と力も抜けてくる。
ショーを終えた所で、水族館での予定はもう何もなかった。
あとは水槽を眺めるくらいのものだが、小晴としても見たい物は見終わった様子だった。
それならばということで僕らは族館を後にした。
「さてと」
誰もいないバス停。次のバスが来るまで十分近い時間があった。
誰かが寄付したのだろうか、バス停の横には何故か黒色のソファーが置かれてある。
小晴がそこに座ったので、僕もそのソファーに腰を下ろす。
さて、次の計画はどうなっていただろうか。
確か、計画ではこの後に夜景を見に行くことになっていたはずだが、それにしてはまだ時間が少し早かった。
日が落ちるのが伸びているから、もう五時を回ったというのに空は明るかった。
「さてさて!」
一方で、小晴のテンションは最高潮だった。
念願かなって水族館を満喫した小晴は、愉快な様子で声を上げた。
「次はどこに行きますか? 私、今なら何をしても楽しめそうです!」
パタパタと足をバタつかせて、小晴は本当に楽しそうにそう言う。
「いつもそんな感じだけどな」
皮肉を言ってやると、むっとした。
「そんなことないですよ!」
やはり、テンションは高い。
それなら、別に何を言っても構わないだろうか。
僕は正直に答えることにした。
「次の行く場所なら考えてあるんだ」
「ほう?」
「…と言いたいところだけど、それにしてはちょっと時間が早くてね」
うーん、と小晴は腕を組んだ。
「意外ですね」
「うん。意外だった」
正直な所、僕は水族館だけで夜までいられると思っていた。
だけど、意外なことに水族館は短時間で回ることが出来て、僕らは全ての水槽を見終えてしまったのだ。
小晴なら何周しても楽しむことが出来そうだけど、この人混みに再び突入する気にはなれなかった。
代わりに、聞いてみることにする。
「だから、もし小晴さんの行きたい場所があれば案内するよ」
僕の言葉に、小晴はにっと笑った。
「さすが案内役ですね」
「言うと思ったよ」
「うーん、でもちょっと待ってくださいね」
小晴は腕を組んで、首を捻った。
これは何やら、考えている様子だ。
「次の予定まで、時間で言うとどのくらいですか?」
「大体、一時間くらいだな」
「なるほどです」
「別に、それにこたわらなくてもいいよ。あくまで僕が立てた予定だから、小晴さんに何かあればそれに従うし」
「でも、それは祈吏さんに迷惑じゃありませんか?」
何をいまさら。
「もう慣れたよ」
ここまで僕の予定通りに運んだことが想定外で、僕はもっと小晴に振り回されるものだと思っていたくらいだ。
僕にとって意外だったのは予定が一時間早まったことじゃない。
ここまで小晴が僕の予定に合わせてくれている点だった。
雨の精霊とかいう訳の分からない存在。
それも、天然か不思議ちゃんかも分からないような自由気ままな少女と、四日間を共に過ごしている。
そのせいで、嫌でも小晴の性格が分かってくる。
だけど、今日の小晴は僕の予想通りじゃなかったのだ。
だから、ここに来て唐突な予定を入れられたとしても、大して問題はなかった。
「でしたら…」
小晴は何か思いついたようだった。
よし、何でも言ってくれ。そんな気構えで僕は小晴の言葉を待つ。
今なら、何でもできるような気がしていた。
しかし、
「キャッチボール、したいです」
いつものような笑みを浮かべながら言った小晴の言葉は、更に僕の想像を越えてきた。
「…なんだって?」
「キャッチボールです。あれ、合ってますよね?」
…合っている。
きっと、高等学校で必死に勉強してきたのであろう単語。
僕にとって聞き慣れたその単語は消して間違ってはいない。
問題はそこではない。
「どうしてそうなるんだ」
小晴には言ったはずだ。
野球が出来なくなったから、今の僕には何もないのだと。
小晴は、そんな僕を否定してくれた。
今の僕が決して『無』ではないのだと断言してくれた。
それでもまだ、僕が過去の自分と向き合うことが出来ていないことを、一緒にいてよく分かっているはずなのに。
「私がやってみたいからですよ」
そんな思考を遮るかのように小晴は言った。
「祈吏さんの叶えたかった夢。その夢を、私も体験してばいけないでしょうか?」
「だめ、ではないけれど…」
過去の僕と今の僕を重ねたくなくて、あれから野球には触れていない。
だけど、僕は…。
「どうしてもやりたいんです」
小晴は、考える隙を与えてくれない。
「どうしてそこまで」
たまらず言った。
「だって、祈吏さんのことをもっともっと知りたいじゃないですか」
「別にだからって昔の僕に合わせる必要はないだろう」
「合わせていません。私はただ…」
ただ、なんだ。
「今を大切にしたいだけなんです」
目を閉じて、ゆっくりと小晴はそう言った。
…分からない。
僕の目指した夢を体験してみたり、昔の僕に合わせたりすることがどうして今現在を大切にすることへと繋がるのか。
それは単なる小晴の好奇心というやつなのだろうか。
好奇心こそが物の全てで、その好奇心さえ満たしてしまえば今を充実させられるのだろうか。
「…だめでしょうか?」
もう一度、小晴は言ってきた。
僕の顔を覗き込むようにして、真剣な表情で聞いてくる。
「僕は…」
僕は、どうしたいのだろう。
野球を辞めてからずっと避けて来たことに対して、これからの僕はどうしたい。
何かをするのを恐れ続けて、過去の自分に囚われるのか。
それとも誰か他人の為に、今の自分を変えていくのか。
「…小晴がそう言うのなら」
今日の僕は、後者だった。
昨日、決めたばかりではないか。
夢野小晴を喜ばせてやることが、今の僕の目標だと。
「本当ですか! よかった…よかった、嬉しいです!」
僕の言葉に、小晴は飛び跳ねて喜んだ。
「そうと決まれば時間はないですよ! 急ぎましょう、祈吏さん!」
不思議と、後悔していなかった。
それどころか、この笑顔を見た瞬間、過去に野球をやっていて良かったとさえ思えた。
「何年振りかな」
僕がそう言うと、小晴はもう一度笑ってみせた。
そう、この笑顔を見るために今日の僕は生きている。
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