第10話 たとえどんなに小さな夢でも
部室の裏から帰る道を僕はよく知らなかった。
部活動の終了時刻を迎えると、正門側の出口は警備の都合で閉められてしまう。そのため夜遅くまで残る生徒は裏口から出るよう指導されているのだが、僕がこの通路を使ったのは入学以来初めてのことだ。
学校の塀に沿うようにして、普段通りの帰路を目指す。この辺りは灯りも少なく、通学路としては危ないと思った。視界の悪い道をゆっくりと進んでいく。
「一応、なんとかなりましたね」
それでも僕が孤独を感じないのは隣に小晴がいるためだろうか。
ひと仕事を終えて、小晴は満足そうだった。
「あれでよかったのか? なんだかんだで、僕らは何もしてないように思えるんだが」
「良いんです。私達に出来るのは少しばかりのお手伝い。最終的に夢を叶えるのは、結局光夏さん自身なんですよ」
僕が光夏に話しかけた時、小晴は同時に別の行動を起こしていた。
一度帰路についた如月沙希を部室に呼び戻す。姿が見えないことと、僅かながら物に触れることが出来るということ。この性質を利用して、一つの偶然を起こしたのだ。
小晴が沙希の鞄から財布を抜き取り、全員が帰宅した所で部室に戻した。故意的な忘れ物を演出し、光夏と沙希の出会いを作ったのだった。財布を抜き取る行為は半分グレーゾーンだとは思うのだが、貴重品ともなれば取りに戻ることは間違いない。下手をすれば警察沙汰になる賭けだった。上手くいったのは運が良かったとしか言わざるを得ない。
どちらにせよ、これが光夏にとってのきっかけになったことは断言できる。それ以降に関しては、小晴の言う通り本人に委ねるしかなかった。
「それにしても」
暗がりの中で白い制服はよく目立つ。
僕の周りを跳ねるように歩きながら、小晴は言った。
「祈吏さんも、よく思いつきましたね」
「なにを?」
「光夏さんの目標を叶えるために、沙希さんを呼び戻すことが必要だって」
「ああ…」
小晴は、光夏の目標に対する違和感を僕に教えてくれた。が、光夏の目標が隣の人を笑顔にさせることだと気が付いてから、解決策を示したのは僕だった。
なんてことはない。単純な理由だ。
「同じようなことがあったからな」
光夏と似たような状況を僕も何度か経験していた。愚者は経験に学ぶと言うが、この場合においては賢者だと思った。それで、僕が提案した。それだけの理由だ。
「中学校の時だ。僕も選手として頭角を現した時に、似たようなことがあった。僕の場合は運よくその場で解決が出来たんだけどな」
「そうだったんですね」
「人が不安になるのって結局は何も知らないからなんだよ。知らないから、勉強して、安心感を得ようとする。知らないから、練習して、一度経験を得ようとする。知らないから、会話して、相手の気持ちを知ろうとする。互いに互いの気持ちを知らないから、二人は笑顔で話せなかったんだろ」
先輩をサポートする側に回りたいという光夏の主張もその表れだったのだと思う。二人に必要なことは本音の対話だった。恐らく、もう安心感は得られたはずだ。
「難しいですね、人って」
呟くように、光夏は言った。
「思ったよりも、複雑だったか?」
「そうですね。私が高等学校で習った時は、そこまで複雑な心があるとは思いもしませんでした。私達が、少しの力を与えてあげるだけで、簡単に夢は叶うものだと思っていたんです」
「簡単に、ね。そこまでお気楽じゃない」
「ちょっぴり、甘かったです」
暗闇から聞こえる声は落ち着いていた。やるべきことを終えて満足しているだけの声色ではなかった。
「数学の教科書を開くだけではダメですね」
そう言って小晴は何度か頷いた。確かに、僕の部屋で見せてくれた例えが教科書を開くことくらいだったことも、小晴の認識の甘さを呈していたのかもしれない。
「でも」
しかし、それでも。
「きっかけを与えることくらいは出来るのかもしれません。私たち精霊の出来ることがどんなに小さなことだろうと、人の気持ちを動かすきっかけになる、何かを」
「どんなに小さくても夢は夢、か」
僕の部屋で、小晴はそんなことを言っていた。
僕と小晴の与えたきっかけ、言うならば偶然が、光夏にどんな影響を与えたのかまでは分からない。が、これだけは分かる。この偶然は、精霊である小晴がいなければ決して起こることのなかった偶然だと。
「あっ、行きますか?」
いつの間にか辿り着いた横断歩道で、青信号が点滅していた。
「いや、止まっておこう」
ここを渡れば正門側に戻ることが出来る。行けない距離でもなかったが、急ぐほどの理由もなかった。横にぴったり小晴がついて、何やら眠そうな目をしている。精霊は眠くならないんじゃなかったのか。
そんな時だった。
後方から飛び出した一つの影が、僕と小晴の間を勢いよく通り抜けていった。
一体何が起こったのか…
と、考える前に、あほらしくなる。
「沙希さん、何やってるんですか! 私、先に行っちゃいますからね!」
制服姿に髪を後ろで束ねて。運動靴でなくローファーで。
街灯の光に照らされて、横断歩道の先には光夏の姿があった。
どこか吹っ切れたような表情を見せて、こちらに大きく手を振っている。
「ちょっと、ほんとに馬鹿なんじゃないの」
追いかけて来た如月沙希が、信号に阻まれ立ち止まる。
「ああ、調子に乗らせるんじゃなかった!」
遠巻きに息を切らす彼女は、どうやら僕に気付いていない。
制服姿にエナメルバック。二人は、今僕らが歩いてきた道を全力疾走で駆け抜けてきたようだった。
頑張れ。は他人事のようで頑張る人に言う言葉じゃない。
だから、僕は頑張れとは言わない。僕も一緒に、頑張るんだ。
そんなことを言った気がする。
そんなことを、出来たのだろうか。
僕の隣、如月沙希は、光夏の姿を見て笑っていた。
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