第5話 そんなことを考えるくらいならば

黒髪ショートに円らな瞳。透き通るような美しい肌に、白を基調とした清爽な制服。目の前に座っている不思議な少女は、人間ではない。


状況を理解するまでに多くの時間はかからなかった。元々、詐欺師か何かだと思って小晴と接していたのだ。突如現れた正体不明の不思議ちゃんが、今さら人間でないと言われたところで、大して驚くわけでもなかった。


ただ、雨の精霊なんて御伽噺のような存在が実在している点については、さすがに驚きを隠せないのだけれど。




「まぁ、そういうわけなんですよ」




納得した僕の様子を見てか、小晴はどこか嬉しそうだった。


この釈然としない感じ。だが、今の僕に出来るとすれば受け入れることくらいのものだ。




「分かった。信じる。小晴さんがこの世界の人間じゃなくて、雨の精霊だってこと」




ぱあっと、小晴の表情が明るくなる。




「本当ですか!」




僕は頷いた。




「信じるよ。これだけのことを見せられて、信用しない理由がない」




仮に疑い続けて、何か害があるとも思えない。


自分の存在を証明できたからなのか、小晴が緊張感を解くのが伝わった。張りつめていた空間も、どこか和らいだような感覚となる。


僕も一つ、息を吐く。まったく、一体何があったら精霊と遭遇したりするんだ。この経験を小説にでもすれば、一躍有名作家にでもなれるのではないのだろうか。


そんなことを思ったところで、小晴がくすっと笑った。




「どうしたんだよ?」


「いや、嬉しいんです。祈吏さんに信じてもらえたってこと」


「別に、僕はただ事実を認めただけだよ」


「それでも、です。信用されるってことは大切なんです。同じ自分でも、相手からどう思われているかで違う自分になりますから」




小晴なりの価値観、なのか。それとも、




「それも高等学校で習ったことなのか?」




小晴は、首を振った。




「これは私の性格です。こう見えて、人の視線を気にしやすいんですよ」




照れ隠しなのか少し俯くようにして。雨の精霊は、いつも笑ってる。




「まぁ、今日からは誰にも見られないですけど」




言い捨てるように小晴は呟く。


どうして。


どうしてそんなに悲しい現実を、小晴は笑って受け入れることが出来るんだ。


下界に降りるということ。それが小晴の夢への一歩だからなのか?


それと引き換えに「姿」を失って、彼女はなぜ笑っていられるのだろう。


僕には、分からないことだった。楽観的な、その感覚。




「それで」




自分と比較して、少し嫌気がさした。話を割って、話題を変える。




「小晴さんはどうするつもりなんだ。これから先、その」


「雨を降らせるために、ですね」




僕は頷く。




「姿も見えない。声も届かない。いくら偶然を起こすと言っても、そう上手く進むとは限らないだろ?」


「そうですね。難しいと思います。少なくとも、一人では」


「一人では?」




言ってはないが、僕も小晴同様、人目を気にしやすい性格だ。だから、人の持つ様々な笑みから、その人の心情を推し量ったりする。


少なくとも、一人では。


今、小晴の見せている笑みは、何かを企む笑みだ。


そしてその意図を、僕は察した。




「まさか」


「その、まさかです」




ぱんっと両手を合わせたかと思うと、小晴は目を閉じ頭を下げる。




「私がこうして見えているのも何かの縁。祈吏さん、どうか私に協力して頂きたいです」


「おいおい、ちょっと待ってくれ」




頭を下げられたところで、困る。




「精霊のやるべきことを、俺が手伝っていいのかよ」


「力を借りる分には、問題ないと思います」


「いや、それにしても」




言い淀んで、結局言うことにした。




「小晴さんは雨を降らせるために、色々なことを勉強してきたんじゃないのか。その努力に、僕なんかが力を貸したところで…」




小晴の姿と過去の自分が重なっていた。自分の力でやりきったという感覚。その感覚に、他人の力を加えてしまっていいものなのかどうか。


だが、小晴はそれでも笑うのだった。




「いいんです。私、劣等生だったので」


「それはなんとなく、分かるけどさ」


「悲しいです…」




まあ、今までの小晴からしてみても、やはりそうだろうな、とは思う。


しかし、本当に僕なんかが。僕が力を貸して、良いのだろうか。




「お願いします。私一人だと、どうしても心許ないんです」




どうしてこの子はそんな状態でこっちの世界に降りてきたんだ。


ただ、僕は考える。


僕が協力しなければ、誰からも姿は見えないまま小晴は孤独に行動することとなる。それはきっと、精霊にとって当たり前のことなのだろう。恐らく小晴も、そういう教育を受けてきたはずだ。だが…。


自称うっかり。僕からしてみれば不思議ちゃんな小晴が、一人でやっていけるとも思えない。ここで見放すのも、なんだか無責任であるような気がする。




「僕は…」




学習机の一番端。不意に、伏せられている写真立てが目に入った。


あれは、中学時代に完封勝利を決めた時の写真。片づけるにも片づけられなくて、見たくもなくて、伏せてある。


僕はこうして逃げてきたんじゃないのだろうか。小晴を前にして、唐突にそう思った。


また何かの言い訳をして、一向に現実を見ようとしない。


今日一日、何をしていた? 放課後の教室で、地元の公園で。


結局、何もしないまま一日を終えているんじゃなかろうか。




「僕は、何も出来ないまま一年が過ぎてしまった」


「はい?」




小晴が顔を上げる。僕を頼りにするのもおかしな話だとは思うんだけどな。




「なんでもない」




一言、吐いて。




「協力するって言ったんだよ」




どうせやることもない。だったら、人助けくらいしてやるべきだろう。


小晴は満面の笑みだった。何ひとつ、疑いようのない。




「ありがとうございます!」




この笑顔をしばらく眺められるのならば、それも悪くはないと思った。


なんというか、単純だ。単純なくらいが、ちょうどいい。




「それでは、なんというか、改めまして」




雨の精霊は僕の手を握った。




「よろしくお願いします。祈吏さん」




何も知らないくらいが、ちょうどいい。

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