第4話 夢のお手伝い
商店街から少し外れた所、ひっそりと潜む住宅街の群れに僕の家はある。
きっと疲れているんだと、あれから林さんは珍しく僕に帰宅するよう命じた。
状況の理解が追いつかなかった僕は、言われるがままに家へと向かった。
人前で小晴と話すのが怖くなって、互いに終始無言のまま歩き続けた。
小晴を連れて、玄関から帰宅する。帰るのが遅いと母は僕を叱ったが、小晴のことには気が付いていない様子だった。どうやら、他人に姿が見えていないというのは本当らしい。
仕方なく、僕は小晴を部屋に招き入れることにした。他人から姿が認識されていないのならば、外で小晴と話す訳にもいかない。小晴の身に何が起きているのかは分からないが、この不可思議な超常現象を信じるのだとすれば、僕の部屋以外に安全な会話を出来る場所が思いつかなかった。客観的に見て、僕が危ない奴だと思われてしまう。
「適当な場所に座って」
「お邪魔しますね」
四畳半の小さな部屋。ベットと机以外に大した物は置いてないが、気まぐれに部屋掃除をしていて良かった。小晴が机の右側に座ったので、僕は向かい合うようにして座る。
「何か飲む?」
「いえ、お構いなく」
家族以外の人物を部屋に入れるのは久々のことだ。それが、同い年くらいの異性ということも相まって、どうも緊張してしまう。さすがに何も出さない訳には行かず、戸棚からインスタントのコーヒーを取り出した。
「で」
互いのカップにコーヒーを注ぎ終えて、聞く。
「小晴さん、君は一体何者なんだ」
単刀直入に、言った。
姿が見えていないのなら、その答えは幽霊か。実際に林さんや母さんから認識されていない所を目の当たりにして、説明を求めずにはいられなかった。三人がグルを組んで僕を騙そうとしている可能性もあるが、それは無為な思考というやつだろう。そんなことをして何になる訳でもない。
「そうですね」
注いだコーヒーには手をつけず、小晴は窓の外をぼんやりと眺めていた。
「簡単に言えば、雨を降らせる存在ということです」
「雨を、降らせる?」
「はい。この世界に降り注ぐ雨。その雨を降らせている、雨の精霊です」
この子は一体何を言っているのか。
「信じられますか?」
答えは、明白だった。
「信じられん」
信じるも信じないにも、言っていることが飛躍し過ぎていて言葉にすることが出来ない。
雨の精霊と言った。今、目の前にいる夢野小晴という人物は自分をそう名乗った。
「恐らくそうでしょうね。信じられないと思います。というより、こんなことを素直に聞いてくれる方なんていないかもしれないです。信じてくれなくても構いません。ただ、よかったらお話しだけ聞いてください」
本当の本当に不思議ちゃんであるのなら、僕はこんなバカな話に付き合いきれない。
ただ、小晴は嘘を言っているわけではなさそうだった。いつの間にか、視線は僕へと向けられていて、初めて会った時のように目を合わせたまま逸らそうとしない。
姿が見えていない点も含めて、今の僕に出来るのは話を聞くことくらいのものだ。
「分かった。分からないことがあれば、その都度聞こう」
僕は頷いた。元々、そのつもりで小晴を招き入れている。
「ありがとうござます。あくまで、私が雨の精霊であるということを信じて頂いている体でお話ししますね」
そう言って、小晴は話し始めた。
「私はこの世界に雨を降らせるため、天からこちらに舞い降りてきました。さっき言った、遠い所というのは天のことですね。小旅行というのも、小さな嘘です。雨の精霊の役割は文字通りこの世界に雨を降らせること。人生のうちに一度だけ下界へ降りて、雨を降らせるための仕事をこなします」
「仕事?」
「簡単な、夢のお手伝いです」
言って、小晴は笑った。
「下界に降りて、人々の夢や目標を達成するお手伝いをするんですよ。一人では叶えられなさそうな夢、目標。そこに小さなお手伝いを加えることで、夢を叶えてもらうんです」
「なるほど、アイオライトだ」
林さんからの説明を思い出して、思わず言った。
「さっき聞いた時には、びっくりしました」
だから小晴はあの石を欲しがったのか、と今さらになって思う。しかし、この話が本当であるならば、金がないのも事実だろう。
小晴は続けた。
「さっきもお話しした通り、私達は人から姿を見られることはありません。それを上手く利用して、夢を叶えて差し上げるんです」
「上手く利用する。例えば、どういうことだ」
「そうですね…」
そう言って小晴は何かを探すかのように僕の部屋を見渡し始めた。あまり色々見て欲しくはないのだが、自分から話を振った以上仕方がない。
しばらくして、小晴は学習机を指さした。
「例えば、祈吏さんの夢が定期試験で満点を取ることだったとします」
「随分小さな夢だな」
「どんなに小さくても夢は夢です」
机に近づき、参考書を手に取る小晴。
「触れるのか」
「少し、疲れますけどね」
そういえば、アイオライトも普通に触れていたような気がする。
小晴は取り出した参考書をパラパラとめくり、それを机に置いた。
なんてことはない。傍目からして見れば、ただ僕の学習机を荒らしただけ。
「何をしたんだ?」
聞くと、小晴は人差し指を立てた。
「お仕事完了です。今、祈吏さんの『定期試験で満点を取る』という夢に、少しのお手伝いをしました」
…全く持って意味が分からない。
「これのどこが夢への手伝いなんだ?」
「私が『先に問題用紙を盗み見ていた』と仮定して考えてみてください。テストに何が出るのかが分かっている私は、こうすることで祈吏さんにヒントをあげるのです。なんとなく開かれていた、参考書のページ。仮に、祈吏さんがそれを見たとしましょう」
参考書の右側、練習問題の部分に丸をつける小晴。
「翌日、テストでこの問題が出てきたとします。私がいなければ分からなかったかもしれない問題ですが、私が参考書を開いたことで解答のきっかけとなる可能性が出来ます。つまり、満点に近づく要素を増やしてあげたということ。これが、私達のお仕事、夢へのお手伝いです」
満足そうな小晴。単刀直入に言ってやる。
「例えが分かりにくい」
小晴の言葉を一つ一つ整理しながら聞いていた。が、要点をまとめるのが下手過ぎる。この例えではイマイチ理解することが出来ない。
「つまり、要するに」
頭をフル回転させる。小晴の言葉をまとめると、
「偶然を起こしてやるってことか」
小晴は頷いた。
「そうです。 簡単に言えば、そうなりますね。人から見られないことを利用して偶然を起こす。偶然は、勝手に起きるものじゃなくて起こすものなんですよ」
「それが、夢や目標へのお手伝いになる、と」
小晴は頷いた。
正直、小晴が何を言っていて自分のまとめが正しいかどうかさえ、分からなかった。
ただ、今は聞くことしか出来ない。重要なことは後回しで構わないだろう。
「で、夢を叶えて、それが雨を降らせることに繋がるのか?」
聞くと、小晴は残念そうに目を閉じた。
「実を言うと、そこまでは私も分かりません。私達が雨を降らせることが出来るのは人生で一度限り。その一度の為に、天の世界で私達は様々なことを学びます」
「それで、高等学生か」
「勘が鋭いですね」
話の流れからすれば、想像はついた。
「こちらの世界と同じように、私達は生まれた時から教育を受けて育ちます。初等部、中等部、そして高等部。基本的な学習年数は同じと考えて頂いて構いません。どうすれば雨を降らせることが出来るのか。常にそれだけを勉強し続けてきました」
「この、お手伝いってやつをか?」
小晴は少しばかり首をひねった。
「うーん、ちょっと説明が難しいです。まず、初等部などでは下界についての知識を取り入れますね。だから、この世界の常識的なことは理解しているつもりです。それを踏まえた上で、中等部や高等部では人の夢や目標について学びます。私達に出来ることを、あらゆる可能性を考慮して覚えていくんです」
「そうして下界に降りた時、学んだことを実践すれば雨を降らせることが出来ると言われています。下界に降りた後は元に戻ることが出来ないですから、本当かどうかは分からないんですよ。それでも、何億年とこの世界に雨が降り続いている以上、きっとこれが正しい方法なのだと思います」
「雨、ね」
外を見た。夕暮れから降り続く雨は未だ止む気配すらも見せていない。
この雨を。この雨を降らせている存在が精霊であり、目の前にいる夢野小晴という人物は自分こそがそれであると言い張っている。
僕は小晴の目を見た。小晴もまた、僕を視線から外してはいなかった。
そんな馬鹿な話があるものか。この不思議な少女の言っていることが事実であれば、それは超常現象どころの騒ぎではない。決して日常では考えられないようなことが、実際に起きているということになる。しかし…。
つじつまが合っているのもまた、事実だった。超常現象を説明する為には超常現象で解決する他にないのかもしれない。
小晴は多くを語ろうとはしなかった。僕が小晴を信用するか否か。その判断に、身を任せているようにも見える。
「二つ、質問させてくれ」
そうなれば、僕の方からも聞くしかない。
真似をするつもりで、人差し指を立てた。
「まず一つ。精霊は人に認識されていない、姿が見えていないって言ったな。しかし俺にはこうして小晴さんが見えている。これは一体どういうことだ?」
まず単純に、根本的な疑問だった。林さんや母さんに見えていないような存在を、どうしてこの僕だけが捉えることが出来ているのか。
何を思ったのか、小晴は何とも言えない表情だった。
「それが…私にも分からないんです」
「分からない?」
「私の知っている限りでは、下界の人間に私達が認識されることはないとのことでした。普通、精霊は下界に降りたあと、孤独な人生を送らなければならないんです」
普通でないなら、僕が想定外。
「まさか」
思わず、声を上げた。
「そんなことはない。現にこうして会話をしている」
小晴は首を振った。
「それは私にも疑問なんです。こうした話は今まで聞いたことがありません」
ありえない。と反論してやりたかったが、僕が断言できることでもなかった。
この超常現象下では小晴の話すことを信じるしかない。小晴が知らないというのなら、僕も知らない。そういうことになる。
小晴は僕の部屋を見渡すようにして、言った。
「何か、下界でしか起こらないことが起きているのかもしれません。そうだとすれば、天で教えられなかったとしても納得がいきます」
「つまり、何かの条件があるかもしれないと」
小晴は大きく頷いた。
「その可能性は十分にあります。さっきも言いましたが、下界に行った精霊が戻ってこないのなら、下界の情報は分からないですからね」
「うーん…」
考えた所で今すぐ結論が出そうではなかった。下界、というのが僕らの住む世界であることは分かるが、そもそもの事態が想定外だ。聞いているのは御伽噺のようで、実感が湧くはずもない。
「後回しにするしかなさそうだな」
「そういうことになりますね」
結局、またこれも後回しだ。根本的なことは何ひとつ解決していない。
僕は小晴を見た。微笑ましい表情を浮かべながらも、その目が嘘をついているようには到底思えない。
「じゃあ、二つ目」
続けて、中指を立てる。ならば、と思った。嘘をついていないのならば、根本的な問題が解決していないのならば、それを信じるか否か、僕が決めなければならない。
「これは、質問とは言えないことかもしれないが」
断って、姿勢を正す。
「その、小晴さんが雨の精霊だということを僕は未だに信じられない。小晴さんが嘘をついていて、僕がこの話を鵜呑みにしたのだとすれば、これは裸の王様ということになる」
僕だけが話を信じていて、それに踊らされているだけ。
「確かに、林さんや母さんは小晴さんを見てはいなかった。商店街で、僕が周りから冷徹な目を向けられていたことにも納得がいった。ただ、今までの話を全て信じられるほど僕は楽観的な人間じゃない」
小晴は黙ったままだった。沈黙を嫌って、続けた。
「小晴さんを信じていない訳じゃない。僕が信じていないのは」
「現象、ですね」
唐突に、僕の言葉を遮るようにして小晴は言った。僕は頷く。
「そう。今起きている現象が『小晴さんが雨の精霊だから』と言われた所でどうにも信じることが出来ない。僕は今でも、これには何かトリックがあって、騙されているようにしか思えないんだよ」
視覚的な現象ならば、周囲の協力で騙すことが出来る。別に、疑心暗鬼という訳ではないが、これで「はいそうですか」と納得するのもいかがなものだろう。
「だから…という訳ではないけれど、何か自分が精霊だと証明できるような、証拠になるような物とかがあるのならば、それを見せてもらいたい」
「証拠、ですか」
僕の言葉を聞いて、小晴は考えるように腕を組んだ。
申し訳ないと思う。あくまで現象を信じていないと言ったが、証拠を求めるようでは小晴も信じていないと言っているのも同然だ。
しかし同時に、ここで小晴が何も出来ないようならば、この子を信用する訳にはいかないとも思う。出ていってもらおう。
そんな僕の思考に対し、小晴は嫌な顔一つ見せなかった。代わりに、制服のポケットから何かを取り出し、それをコーヒーカップの隣に置いた。
「これが証拠となるかは分からないかもしれませんが」
置いたものを僕の方へとスライドさせる。見ると、それは何かのカードだった。
「これは?」
「学生証です。私が高等学生であることの、証明になります」
言われて、納得する。カードを裏返すと、小晴の顔写真が貼られてある。
確かに、これは身分を証明するものだろう。だが、残念なことに、
「文字が読めない」
顔写真の隣にある文字は、まるで暗号のようだった。
「ああっ! そうでした! こちら側の言葉ですと、分かりませんでしたね」
慌てふためく小晴。その姿を見て、思わず言ってしまう。
「馬鹿なのか?」
小晴は首を振った。
「うっかりです」
たぶん、同じ意味だと思う。
学生証を返してやると、小晴は更に別の物を取り出した。
「でしたら、これは証明にならないでしょうか?」
そう言われ渡されたのは肩掛け式のデジタルカメラ。探せばうちでも見つかりそうで、何か特殊な仕様があるようにも見えない。
「これが何の証明になると?」
首をひねると、小晴は僕の隣に座り直し、カメラの画面を操作し始めた。
小晴の肩が、僕の肩とぶつかる。改めて近くで見ると、本当に綺麗な少女だなどと思ってしまう。この子が嘘をつけるのだろうか。信じる信じないを、別にして。
小晴はいくつか画面をスライドさせると、やがて得意気に話し始めた。
「私がいつも持ち歩いているカメラなんです。これのデータを見れば、向こうの世界の景色も見せられると思います」
画面には、どこか幻想的な、見たことのない景色が表示されていた。
青く映し出されているのは、雲の上の空なのだろうか。地上から見る空よりも、青の色はずっと深い。
「どうですか?」
今度こそ、と満足そうに小晴は笑みを浮かべた。自分の撮った写真を他人に見せたことに、満足感を得ているのかもしれなかった。
ただ、本当に残念な子だ。何かが一つ、足りてない。
「これがそっちの世界の景色だったとして、それを証明できるものはこの世界に一つもないだろ。小晴さんが精霊だと言うなら、そっちの世界のことは、小晴さんしか知らない」
「私の大好きな場所なんですけどね」
「それはあまり重要じゃないな」
「残念です…」
やはり、不思議ちゃんというよりただの馬鹿なのだろうか。
小晴は本当に残念そうに、カメラを制服の内ポケットへとしまった。もはや、証拠になるようなものはないだろうか。僕がそう思った時だった。
「うわっ!」
甲高い小晴の声。がたん、と音のした方を見ると、カメラの紐が引っかかり、コーヒーカップが倒れていた。まだ手を付けていなかった小晴のコーヒーが彼女の足元へと滴り落ちる。
「すみません、床が…」
「大丈夫。そんなことより、危ないからそこをどいた方がいい」
涙目の小晴をよそに、僕は言った。結構な勢いがあったはずだ。床が汚れる分には構わないが、小晴の白い制服にコーヒーを零したとなると、汚れは目立つに違いない。
しかし、小晴はその場を離れようとしなかった。慌てているのは床が汚れているからで、自分の制服を心配しているような様子ではない。
「おい、何をしてるんだ。そんな所にいたら…」
そこで、僕は気が付いた。
「私のことは大丈夫です。私が拭きますので、座っていてください」
どうして小晴が傘を差していなかったのか。
「小晴さん、まさか」
どうして小晴が傘の使い方を知らなかったのか。
「あっ、もしかしてこれ、言ってませんでしたっけ」
どうして雨の中、彼女の制服が濡れていなかったのか。
視線の先、コーヒーを零したはずの小晴の制服は綺麗な白色に包まれたままだった。
透き通るような瞳をこちらに向けながら、小さな少女は微笑んだ。
「雨の精霊は、水に濡れないんです」
これはもう、信じるしかなかった。
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