プロローグ

『見込めない成長』

 修学旅行明け。二年生は土日も挟んだことで実に五日ぶりの学校登校となる。

 教室の中は未だその熱が冷めているようには感じず、クラスの連中も修学旅行の話題に花を咲かせていた。決して盗み聞きしているわけではない、少し耳をすませばすぐにそれ関連の話が耳に入ってくるだけだ。

 ちなみに俺は修学旅行についてこんな風に談笑できる友人が少ないため、金曜日家に帰った時にお袋にめちゃくちゃ喋っておいた。お袋は子供から学校関連の話が聞けて嬉しそうだったし、俺も色々と思うところの憂さ晴らしになった。

 憂さ晴らし、と言うからにはもちろんのことながら晴らしたいと思う憂さがあったわけなのだが、それもお袋との会話で完全に取り除かれたわけではない。俺の中に蟠りとなって未だ残っている部分がある。

 修学旅行二日目の夜。俺は元学校一の人気者であり、現学校一の嫌われ者である春夏秋冬ひととせ朱々しゅしゅと、ある人物へ復讐を計画していた。

 しかし結果としてそれは失敗に終わり、その上聖柄ひじりづかりょうという春夏秋冬にとって一番に言われたくなかったであろう人間から俺たちのやったことは間違いだと断言されてしまったのだ。

 ただ別にその言葉が蟠りになっているわけではない。俺が悩んでいるのは、そのあとだ。

 自分の過ちに気付いた、それまでは良いとしよう。でも、そこから俺は何を見出せば良いのかわからない。今まで自分が成長することに目を瞑ってきただけに、俺にはその先をどうしても考えることが出来ない。と言うか、想像が全く出来ない。更生したクズじゃなく捻くれていなくて、ゴミカスじゃない自分のイメージが一切沸かないのだ。

 これまで社会不適合者であることに誇りさえ持っていた俺には、どうやら自分を高める方法をすぐに思いつくことが出来ないらしい。

 今日一日授業中もほとんどそのことに思考を費やしていたのだが、それでも結論が出てこないのだから、やはりここは誰かにアドバイスを求めるべきだろうか。いやしかし一度は自分で考えなくてはと決意を固めたこと。すぐ諦めてしまうのもなんか悔しい。



『二年六組の穢谷けがれや葬哉そうやは至急校長室に来てください』



 その日の帰りのHR中、俺が担任の話を右から左に受け流しながら物思いにふけっていると、校長が俺を呼び出すいつもの放送が流れた。担任はしっしっと追い払うかのように手を払い、俺に校長室へ行けと無言で指示を出す。

 それに従い、俺は荷物をまとめてそそくさと教室を後にした。クラスの連中にアレコレ言われるのも変な目を向けられるのも、いつの間にやらなくなっている。皆がこの特例に慣れてきたということなのだろう。

 時間というものは本当に恐ろしく、素晴らしい。時間は多くの物、事、人を変化させる。変化しないことの方が珍しいくらいだ。

 それは先も述べた通り、恐ろしくもあり素晴らしくもある。プラスに働くこともあれば、マイナスに働くことだってある。だから人生の限られた時間というものをどう使うかは、その人次第だ。

 教室の外に出て校長室に向かって歩みを進めていると、すぐに冷たい空気が俺の顔を包み込んできた。俺が校長から呼び出されることに慣れてしまったクラスの連中のように、俺も寒さに慣れたいものだ。


「穢谷!」


 教室のある一棟と校長室のある二棟の渡り廊下に差し掛かったところで、後方から俺の名を呼ぶ声が響いた。振り返ると、そこには春夏秋冬ひととせの姿があった。走ってきたのか、小さく肩で息を切っている。

 俺に歩み寄ってきた春夏秋冬は、ふぅーっと大きく息を吐き、呼吸を整えてから口を開いた。


「穢谷、今日の夜時間ある?」

「あー……。校長からの面倒ごとにもよるかな。それが夜までかかりそうなら無理だけど、普通に帰れそうなら時間ある」

「そう、わかった。じゃあそれわかったら連絡して」

「おう。りょーかい」


 俺が頷くと、春夏秋冬はニコッと可愛らしく微笑んだ。俺に対してはいつも無愛想な顔で突っかかってきていた春夏秋冬も今となっては肉体関係すら持ち、俺に向かって頻繁に笑顔を見せるようになった。

 寂しいような嬉しいような、だけどその中に感じるべきではない違和感のようなものがこびり付いて離れずにいる。

 思えばこれは付き合った当初から感じていたのかもしれない。付き合った感じがしなかったという気持ちは、違和感だったのかもしれない。

 でもその違和感の正体は未だ掴めずにいる。何が起因となって生じている違和感なのかは不明なのだ。何に関しても俺はわからないことだらけだ。無駄知識保有量ピカイチとまで言われた俺には、無駄知識以外の事柄を記憶しておくほどキャパシティが大きくない。マジ俺の脳低スペ。


「ちなみに、夜なにすんの?」


 何の気無しに発したその問い。単なる俺の知的欲求から生まれた問い。そして後から言わなければ良かったなと後悔してしまった問い。

 それに対して春夏秋冬は口の端を歪め、愉快げな声色でこう言った。


「もちろん……次の復讐の作戦を練るのよ!」


 刹那、俺は立ちっ放しだったのに立ち眩みのような感覚に襲われ、頭から血の気が引いていくのを理解した。と同時に、その春夏秋冬の笑みと言葉を見聞きして、何だか悲しいような虚しいような不思議な感覚にも襲われた。

 春夏秋冬ひととせ朱々しゅしゅは、聖柄ひじりづかからの言葉に何ひとつとして心を揺り動かされていなかった。

 春夏秋冬らしいと言えばらしいのかもしれない。だけれど、それは大人な選択ではないように思える。今まで素直じゃなく常に捻くれた思考で人生そのものを軽んじてきた俺が言えた口ではないが、正しいことだと断言することはできないだろう。

 そして春夏秋冬が聖柄に言われたことを何も理解していない、もしくは理解していながらもまだこうしようとしているという事実は、俺の胸をキュッと締め付けてきた。


「春夏秋冬、俺はさ……」

「ん? なに?」

「……いや、何でもない」

「あぁ、そう。なら良いんだけど」


 春夏秋冬は俺の顔を見て不思議そうに首を傾げるも、『じゃあね』と手を振って踵を返した。俺はその背中を見届け、見えなくなったところで大きくため息を吐いた。吐いたと言うか、自然と零れ出てしまったと表現した方が正しいだろう。


「自分も変えられねぇのに、他人のこと変えられるわけねぇよな」


 ぽつり小さく呟いたその言葉は誰もいない渡り廊下に反響し、やがて泡沫うたかたの如く消え去ってしまった。

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