『アタシはこの幼馴染を陰ながら支え続ける』

 アタシ、月見つきみうさぎは謙遜無しに言っちゃえば、非常に恵まれた家庭に生まれたと思う。もちろん小さい頃はそんな意識なかったけど、小学校の四年生くらいになると自分がかなり金持ちの家に生まれたことに気付いた。家に遊びに来る友達みんなが口を揃えて言う『うさぎちゃん家広ーい!』がお世辞でも何でもないことに、ようやく気付いたのだ。アタシの住んでた家は俗に言う高級住宅街に建っていたのである。

 そんなちょっと抜けているところがあると自覚しているアタシには、アタシが生まれた時からの長い付き合いである幼馴染がいる。幼馴染と言ってもそっちの方が九才年上で、お姉ちゃん的存在なんだけど。アタシの家の隣に住んでいて、我が家と同じく富裕層で間違いない。

 東西南北よもひろ花魁おいらんという苗字も名前も珍しいその幼馴染は、親が金持ちで甘やかされて育つことも出来たはずなのだけど、そうじゃなかった。花魁ちゃんは頭も良くて、スポーツも出来て、人望も厚くて、何をさせても完璧にこなして、本当に天才という言葉がぴったりだった。中学くらいから若干グレだしたアタシとは大違いで。

 でも逆に出来ないことが無くてつまらなさそうでもあった。将来の夢を持ったことがあるかと問うと、一度も無いと言う。何か楽しいと思うことがあるかと問えば、別に大したことはないと言う。要するに花魁ちゃんは人生そのものに暇していたのだ。だから何となく入った大学で何となく取った教員免許を使って何となく教師の仕事を始めた。

 その何となくの積み重ねが花魁ちゃんの教師人生の始まりであり、花魁ちゃんの暇で暇で仕方なかった人生を変えることになる。と言うのも、花魁ちゃんは徐々に教師という仕事にやりがいを感じるようになってきたのだ。生徒に何かを教えるのが楽しくて仕方ないと、生き生きした顔をするようになった。

 アタシはそれが嬉しかった。今まで何をするにも眠そうで暇そうで退屈そうだった花魁ちゃんが、教師を始めてから嘘のように変わったから。

 これがいつまでも続けば良いなと、アタシは勝手ながら花魁ちゃんの変化を喜んだ。花魁ちゃんも、初めて熱く打ち込めるものが見つかって本当に楽しそうにしていたんだ。

 それなのに、その日々はすぐに終わりを迎えることになってしまった。とあるひとりの男のせいで。


「こんちはー。花魁ちゃんに会いに来ました」

『少々お待ちください』


 今から五年前、中学一年生がようやく板に付いてきた頃(この辺りからかなりヤンチャな人たちとつるむようになった)。その頃のアタシは毎日のように自宅の隣、花魁ちゃんの家に赴いていた。

 チャイムを鳴らし、聞き慣れた使用人のおばさんの声がインターホン越しに聞こえると、程無くして鍵が開く音がし、扉が開かれた。


「おはようございます。うさぎお嬢さん」

「おはよ。もう、お嬢さんはやめてってば。アタシはここの家の人間じゃないんだし」

「いえいえそういうわけにもいきませんよ。お客様ですしね」


 おばさんはいつも通り柔和な笑みを浮かべて、アタシを花魁ちゃんの部屋へと案内してくれる。


「花魁お嬢様。うさぎお嬢さんがお見えになりましたよ」


 コンコンとドアをノックして、中にいる花魁ちゃんへ声をかけるおばさん。するとガチャリと解錠音が聞こえ、中から花魁ちゃんが恐る恐るといった感じで顔を出した。頰が少しこけ、目の下にひどいクマという弱り切ったその顔がアタシの表情を負の方向に歪めさせる。


「お、おはよ花魁ちゃん! 大丈夫? ご飯食べてないでしょ?」

「うさぎちゃん……。ごめんね、今日はもう、帰って」

「え、でも来たばっかり……」

「来てくれるのは嬉しい。でも、今日はお願いだからひとりにさせて」


 弱々しくか細い声で言う花魁ちゃん。アタシの返答は聞かず、顔を室内に引っ込めて扉を閉めてしまった。


「……ごめんなさいね。毎日花魁お嬢様のお見舞いに来てくださっているのに」

「ううん。花魁ちゃんもひとりになりたかったんだよ。仕方ない」


 アタシは花魁ちゃんが閉めた扉を見つめて言う。そうだ、仕方ないんだ。自分の受け持っていたクラスの生徒たちが悲惨な目に遭ってしまったのだから。大人として自責の念に駆られるんだと思う。

 だけど、もう花魁ちゃんが部屋に引きこもって三ヶ月が経とうとしている。もうそろそろ気持ちを切り替えてもいい頃合いじゃないだろうか。暴行事件を完璧に忘れるなとは言わないけど、記憶の片隅に置いて立ち上がるべきじゃなかろうか。花魁ちゃん当人の苦しみもわからないのに、こんなこと考えるのはお門違いな気もするけど。

 そもそも、暴行事件さえ無ければこうはならなかったんだ。事件を起こしたヤツの名前は確か、平戸ひらど凶壱きょういちだっけ。いつか出会うことが出来たら、絶対半殺しにしてやる。

 アタシはそう心に誓い、拳をギュッと握り締めた。




 △▼△▼△




 それから日にちは二日ほど経ち、アタシはまた花魁ちゃんの家へと足を運んだ。これまで毎日行くようにしていたんだけど、花魁ちゃんに帰ってくれと言われたのが後になって悲しくなってヘコんでしまっていたのだ。花魁ちゃんが引きこもった時、お世話になってきた花魁ちゃんのことを今度はアタシが支えようって決めたのに、まだまだだな。

 アタシは花魁ちゃんの家の玄関扉前に立ち、インターホンに手を伸ばす。とその時、ドタドタと慌ただしい足音が家の中から聞こえてきた。その足音は玄関の方に近付き、やがて勢いよく扉が開かれる。


「お、花魁ちゃん!?」

「おや、うさぎか!」


 アタシは家から飛び出して来た人物を見て、目を丸くしてしまった。一昨日まで部屋にこもりっきりで不健康そうな顔だった花魁ちゃんが、教師が楽しいと言っていた時なんか比じゃないくらいの満面の笑みを浮かべている。否、満面の笑みは満面の笑みなんだけど、不思議とアタシにはそれが無理矢理笑っているように見えてしまった。


「いやー、一昨日は追い返してしまって悪かったね」

「う、うん……それは良いけど。花魁ちゃん、大丈夫なの……?」

「あぁ、安心したまえ。わたしはもう完全に復活した!」


 おかしいのは表情だけではない。話し口調まで変になっている。こんなに男勝りな口調じゃなかったのに……一体花魁ちゃんの身にたった二日の間で何が起きたって言うんだ。


「うさぎ、わたしは今度こそやるぞ。ようやく教師のなんたるかを理解することが出来たんだ!」

「きょ、教師のなんたるか?」


 アタシが鸚鵡おうむ返しで首を傾げると、花魁ちゃんは『あぁ、そうだ』とアタシに説明してくれた。


「教師には何か目標、自らの使命とするべきものが必要なんだ。例えば子供たちを立派な大人にするために全力で指導をするとか、生徒のわからない問題にはわかるまで付き合ってあげるとか、生徒の悩みを真摯に聞いて解決に取り組むとか、どんな小さなことでもいい。目標、使命がなくては教師は務まらないんだよ。わたしのようにただ人に何かを教えるという行為が得意だから、楽しいからってだけで教師をやっていてはダメだったんだ」

「じゃあ、花魁ちゃんはどんな目標を決めたの?」


 アタシが問いに、花魁ちゃんはよくぞ聞いてくれたといって感じでニヤリと口の端を歪める。そしてバッと腕を大きく広げ、天を仰ぎながらこう宣言した。


「わたしはね、二度とあんな惨劇を起こさないためにも平和な学校を作る! そしてあわよくば、また彼と会って、彼をわたしの手で更生させたい」


 雲ひとつない青く晴れた空の下、花魁ちゃんの宣言が響き渡る。平和な学校か……すっごくいい目標だ。花魁ちゃんなら絶対に作ることが出来る。今のこのちょっと変な口調と無理矢理な笑顔じゃない、元の花魁ちゃんであるなら。


「じゃあさ、アタシも花魁ちゃんのこと手伝うから。いいよね?」

「あぁもちろんだとも! 資金を集め、まずはどこかの高校を買収する。そしてそこで校長として学校を変えるんだ。うさぎはそこに入学しに来てくれ」

「うん、わかった」

「さぁ、やるぞ! 東西南北花魁、第二の人生の始まりだ!!」


 花魁ちゃんは楽しそうに顔を綻ばせて言う。そんな花魁ちゃんを見て、アタシはこの幼馴染を陰ながら支え続けるんだと勝手に使命感に燃えていた。もしかしたらその選択は間違いだったのかもしれないけれど。でもまぁ悔やんでもしょうがない。過ぎたことはもうどうすることもできないのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る