No.8『コイツら皆んな無能にも程がある』

 物語はまず二人の出会いから始まる。

 根暗で友達も多くない主人公とクラス一の人気者なヒロイン。決して混じり合うことのないはずの二人はある日の席替えで隣同士になるのだ。


「ねぇねぇ、この問題イミフなんだけどわかる?」

「え、あの……黒板に答え書いてるよ?」

「あれれ?」


 初めての会話はそんなヒロインの抜けた発言から派生する。

 次の日、また授業中。


「ねぇ、なんでsinπ/4が45度なの?」

「いやえっと、それ今先生説明してるんだけど……」


 その次の日も、またその次の日も、その次の次の日も。ヒロインはわからないところは全部隣の主人公へ問いかけた。

 やがて朝から『おはよう』と挨拶するようになり、帰りには『またね』と手を振りあえる仲にまで進展した。

 

「お前コイツとどういう関係だよ!」


 みたいに明らかにお前ヒロインに恋心抱いてるんですね役のヤツと衝突、かと思いきやソイツと仲良くなったり。


「よし、んじゃお前ら二人頼んだぞ!」

「はーい!」

「はい……」


 ヒロインと主人公でボランティア活動を任され、さらに二人の仲が進展していったり。

 ヒロインの影響力はすごく、主人公にはどんどん友達と呼べる存在が増えていった。

 友達と遊ぶ日々、主人公とヒロイン二人きりで過ごす日々。そんな濃密な時間を過ごし、主人公とヒロインの関係はいつしか友達と言うには生ぬるく、恋人と言うにも生ぬるい、曖昧な関係になってしまう。

 

「僕は彼女が好きだし彼女も僕のことが好き……そんな厚かましい考えを持つなんて僕は、なんてキモチ悪いんだ」

「私は彼が好き。それなのに周囲からの目を気にして彼に告白出来ない。結局私は人からどう思われているかを一番に気にして、彼のことを本当に好きなんじゃないのかもしれない……!」

「僕にとって彼女は一体何なんだ。わからない、彼女のことがわからない。自分のこともわからないのに他人のことをわかろうとすることがそもそもの間違いなんだ。僕は間違ってるんだ」

「私にとって彼は好きな人であり、大切な人、気の合う人、一緒にいて心落ち着く人。今すぐにでも抱き締めたい人なのに、どうして私は一歩踏み出すことが出来ないの? 一歩踏み出す勇気が欲しい!」

「僕は馬鹿だ。人のこと、全部わかりたいなんてこと思う時点で馬鹿なんだ。人に言えない秘密の一つや二つ、誰にだってあるのに」

「私は阿保だ。人に自分の価値観を押し付ける。人にこうあって欲しいと、勝手にその人の考え方や行動の仕方を決め付けて。人はそれぞれ考え方が違う。それはわかってるのに、私は人に自分の気持ちをわかってもらおうとするのよ」

「僕は厚かましい。考え方全てが!」

「私は醜い。容姿以前に中身が!」


 この劇一番の長ゼリフ。二人の葛藤シーンだ。流石はいけ好かないイケメン野郎と普段から演技してるようなもんの腹黒女とでも言ったところか。一度も噛むことなく、セリフを間違えることもなく、何事もなく劇はラストシーンへ。

 なんだよー、こういうのは何かハプニングがあってこそ面白くなるもんだと思うんだけどなぁ。

 俺がギャラリーの柵に体重をかけながらそんな縁起でもないことを考えているうちにもステージでは物語が進む。

 聖柄と春夏秋冬。主人公は進学、ヒロインは留学という別々の道を行くことになり、果たして二人はどういう決断を下すのか。脚本初〆芥はそれをワザと明らかにせず、ただただ二人の涙ながらのキスで幕を閉じるというモヤモヤ感残る終わり方にした。

 実際キスするわけにもいかないので、キス寸前で緞帳が完全に閉じるようにゆっくりと緞帳を下ろしていくらしい。

 一歩ずつ一歩ずつ、聖柄と春夏秋冬はステージ上で歩み寄る。春夏秋冬の方は既に目元が潤んでいて、目薬差したのかガチでやってんのか非常に気になるところだ。

 

「なぁ。そろそろカーテン閉じないとなんじゃねぇの?」

「だよな。このままだと、キス寸前どころかガチキスしちまうぞ」

 

 俺の少し隣で照明のスイッチを持ったおそらく照明担当の二人が心配げに言う。

 確かに全く緞帳が下りる気配が無く、聖柄と春夏秋冬の距離は縮まるばかり。このままいけば確実にキス寸前で幕を閉じることは出来ないだろう。

 俺は緞帳を操作できるステージ端を覗いてみた。そこでは何人かの男女が何度も何度もスイッチを押したり離したりして焦っている姿があった。皆困り顔で、どうすればいいのかわからずパニクっているようにも見える。


 どうやらハプニング発生のようだ。ここまで四十数分間、何事もなく恙無く進んでいたのはまさに嵐の前の静けさとでも言うべきか。

 まぁとにかく故障なのか何なのかは知らないが、らしい。

 下りないというと誤解が生じそうだから詳しく言っておくと、劉浦高の体育館ステージ緞帳は左右から閉じていくタイプのヤツだ。上から下に下りてくるタイプではない。

 とにかく幕が閉じないため初〆自慢のラスト、主人公とヒロインの涙ながらのキスで緞帳が下りるという終わり方が出来ないのだ。


「おい、ヤバい……! マジでカーテン閉じねぇ!」

「どうすんだよ……。綾と朱々固まってんぞ!」


 突然のハプニング……って日本語的におかしいか。突然起きた予期せぬ問題にクラスの連中は戸惑い、当然ながら慌てふためき始めた。

 さて、これまで何もかも人任せにしてきたコイツらゴミどもがこのハプニングにどう動くのか。はたまたこんな時でも人任せにするのか。実に見ものですねー。

 クラス中が焦ってあたふたしてる中、俺はそのあたふたしているのを見て口角が上がってしまい、口元を隠しながらステージを眺める。ステージ上はキス寸前で固まった謎の二人という構図となっていて、客席も若干ざわついている。

 いいねー、このトラブルどう切り抜けるかねー。そんな風に俺が呑気にニヤニヤしていると。


「……やっぱり、ごめん」

「え?」


 春夏秋冬が聖柄の身体をトンと押し返し、そう呟いた。春夏秋冬の放ったそのセリフは、練習中一度も耳にしたことがなかった。聖柄の困惑の声も演技ではなく、本気の『え?』だ。

 そう、つまり。春夏秋冬はこの絶望的状況を打破するためにアドリブに入ったのである。


「私のワガママだけどお願い、私のこと、待ってて欲しいの」

「待つ……?」

「うん、留学が終わってこっちに戻ってくるまで。ホントは離れたくない、今すぐにでもキスしたい! だけど……私はっ!」

「うん……わかった。もう全部言わなくていいよ。僕は待つから、絶対に」


 今にも泣き出しそうな(演技)春夏秋冬の頭を優しく撫でる聖柄。聖柄も上手いこと春夏秋冬のアドリブに乗っかれたようだ。


「あ、ありがとう……っ! 良かった、ホントに良かったぁ! 私、もし嫌だって言われたら、どうしよって心配でっ!」


 うぉ、すげぇな春夏秋冬。泣きの演技まで完璧に出来んのかよ。すご過ぎて逆に引きそうなんだけど。


「嫌なわけ、ないよ……」

「うん、うん……っ。ありがとぉ、大好き!」

「あぁ。僕も君のことが好きだ」


 春夏秋冬は涙ながら愛を叫び、聖柄を抱き締める。聖柄も少し目元に涙を溜めながらギュッと抱き締め返す。

 春夏秋冬の考えとしては多分これで終わりのはずだ。役者がハプニングに対応すべきことは全てやった。あとは流石に裏方がどうにかしなければならない。

 だと言うのに……。


「……おいバカ何やってんだよ、早く照明落とせ! 聖柄と春夏秋冬のアドリブが無駄になんだろうが!」

「えっ、あっ! おっけ!」


 俺はあまりにもボケーッとしていて動く気配がない無能な照明担当に向かって、つい思いっ切り叫んでしまった。

 しまったな。絶対に今の指示出しするのは俺じゃなかった。少なくともスクールカースト中位のヤツが言うべきだった。なんで俺叫んじゃったんだろ。

 まぁ過ぎたことは忘れるとして、暗くて誰が言ったかわからなかったことを祈ろう。

 しかしその叫びのおかげで我に返った照明担当はゆっくりとそれっぽく照明を落とし、二人のアドリブが水の泡となることは避けられた。

 暗くなった体育館内は一瞬の静寂の後、大きな拍手が巻き起こった。ラストシーンはまるで練習していたかのように完璧な演技で、おそらく見ていた人誰ひとりとしてアレがアドリブだとは気付いた人間はいないだろう。

 拍手が鳴り止む気配は無く、客席からは『素晴らしい』『泣けた!』『もう一回見たいぞー!』みたいな多くの歓声も飛び交った。

 二年六組の演劇は本番前も本番中もトラブルに見舞われたがそれも乗り越え、大団円を迎えたのである。

 しかし春夏秋冬、お前はクラスの連中を買いかぶり過ぎだぞ。コイツら皆んな無能にも程がある。

 お前がアドリブで時間稼いでやってる時も裏方皆んなお前の演技に釘付けで我関せず決め込んでたからな。ま、別に終わったことだし俺はとやかく言いませんけど。言う立場でもねぇし。

 俺はギャラリーから降り、マル秘ゲスト雲母坂きららざか黎來れいなのショーまで時間を潰すため体育館を出て、学校内を見て周ることにした。




 △▼△▼△




「ナイスだったよ朱々ー!」

「マジあのアドリブには震えたわ〜」

「それなぁ! いきなり始まったからマジビビった!」


 劇終了後、体育館裏にて。私たち二年六組は先ほどの劇の話で盛り上がっていた。


「いやいや私だって超ビビったんだよー? 私と綾近付いてんのに全然幕閉じないんだもん!」

「あれは今思い返したらちょっと笑えてくるわー」

「ちょっと此処〜! こっちはボタンいくら押しても閉じなくてホント怖かったんだからね〜!」


 此処の冗談に頬を膨らませる緞帳担当だった女子生徒。何が怖かったんだからね、だ。それも考慮して準備しておくもんでしょ。甘いのよあんたらは。

 私が笑顔の奥でそう愚痴をこぼしていると、諏訪が皆んなに聞かせるようにデカい声を上げた。


「いやー、でもやっぱり今日のMVPは朱々で決定だよな!」

「うん。おれも異論ないなー。朱々のアドリブに救われたよ」

「救われたのは綾だけじゃないって。クラス全員助けられたもん」

「えー、それは流石に大袈裟じゃない?」


 私は一応ツッコミ交じりの謙遜をしておいた。MVPなのは私自身全く異論ないけど、一応ね。いきなりMVP受け入れてもアレだし。


「大袈裟じゃないよ。皆んなどうすればいいのかわかんなくて、マジで焦ってたところに朱々のアドリブで。ホント助かったんだよ」

「うんうん。さざなみの言う通り」

「流石は我らが春夏秋冬だー!」

「観客からも大拍手貰ったしな!」

「朱々のお陰で大成功だよ!」


 皆んな私のことを大絶賛だ。素直に嬉しいことこの上ない。正直自分でもあのアドリブはかなりナイスだった気がしてるのよね。よくあの場で続きの話展開出来たわ私。

 でもそうだ。アドリブと言えば……。


「初〆くん、最後終わり方変えちゃってゴメンね」


 コイツにコレを言うのを忘れてはいけない。この物語を作った本人で、しかもラストシーンには一番こだわってた。初〆の気持ちがどんなものか確認しておかないとね。

 そういう気持ちで初〆へ問うてみると。


「いえ、いいんですよ。あのラストも、彼と彼女のひとつの答えですから」


 とか何とか抜かす初〆。深そうで何も深くない浅ーいコメントだ。実はそんなにこだわってなかったな?

 ま、とにかく初〆も不満は無いみたいだしいっか。さて後は……。


「あ、そう言えば照明ありがとね! ホント私が落として欲しいタイミングで照明落としてくれたから驚いちゃった」

「あー、いやそれが俺らも春夏秋冬たちの演技に見惚れちゃってて、照明落とす気は全然無かったんだけどさ」

「いきなり隣にいた誰かから照明落とせって言われたんだよな」


 照明スイッチ担当の二人に礼を言うと、二人は頭をかきながら納得いかない顔をした。

 誰だろう……よく私の照明落として欲しいタイミングわかったわね。誰だか知らないけど、良い働きだわ。

 もしあのタイミングで照明落として体育館真っ暗に出来てなかったら、私と綾のアドリブは全て無駄になってた。流石の私もアレ以上物語を勝手に広げて収拾つけるのは無理だったし。

 つまり私は、誰かわからない人間に救われたわけか。……私もまだまだね。

 でもまぁコイツらクラスの連中の中では私が英雄みたいになってるし、そこは受け入れといてあげるとしますか。

 何はともあれ演劇が大成功に終わり、着替えに向かう私の足取りは自然と軽やかになっていた。

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