第2話『ワタシがぁ〜、生徒会長だぁっ!!』

No.4『エビングハウスの忘却曲線』

 翌日、待ちに待った文化祭本番の日を迎えた。まぁ別に待ちに待ってたわけでもないんだけど。無いなら無いでいいし。

 とにかく俺はうるさい目覚ましを眠たい目を擦りながら止め、服を着替える。寝間着代わりとなった中学校のダサい青色ジャージを脱ぎ捨て、テキトーにクローゼットから選んだTシャツを着、その上から学ランを袖を通さず羽織る。一階に降りて飯を食う時は脱ぐからだ。

 今日は一日文化祭で、もちろんのことながら授業はない。中には文化祭後に部活動をするという可哀想なヤツらもいるそうだが。

 いつも肩にかけるショルダーバッグが軽くて、というか何も入ってないので重みはほぼなく、非日常感を感じる。平穏な日常も大切だが、たまにはこういう被害ゼロの非日常を味わうことも必要なのかなと思ったりしなくもない。


「おはよー」

「おはよ……」


 一階に降ると、すぐさまお袋が挨拶してきた。ボソっとした声で返事すると、お袋は何やら呆れたようなため息を吐いた。


「楽しい楽しい文化祭当日なのに、テンション低過ぎじゃない?」

「いいかお袋。世の中には文化祭を楽しいと思ってないヤツだっているんだよ」

「えー、そんな人いるの!? お母さんの学校はみーんな楽しみにしてたけどなぁ。お母さんも前日に友達と前祝いとか言って飲みまくって、当日二日酔いでめちゃくちゃ吐いてた記憶あるもん」

「うん、お袋の母校がヤンキー校だったってことは理解出来た」


 それとお袋もヤンキーだったことがわかりました。


「ヤンキー校じゃないよー。背伸びして大人ぶりたい子が多かっただけだって」

「でも前言ってたじゃん。タバコ吸ってないヤツは先輩から無理矢理にでもニコ中にさせられるとか」

「そうだよ?」


 そうだよってそんな当然だろみたいな顔されても……。現代の高校生はんなことしないんですよ。あと多分だけどお袋の世代でも他校はしてなかったと思うけどね。


「ただみんな受験期になると勉強ガチりだすんだよね。お母さんもその一年だけは必死だったなぁ」

「ふーん、何校って言ったっけ?」

東山とうざん高校! 中高一貫だけど、お母さんは中学校は別だったんだ。ちなみに今も昔も中学校の方が荒れてるらしいけどね」


 今完全に荒れてるって言ったよね、それヤンキー校だって認めたってことだよね。

 まぁ別にその真偽はどうでもいいんだけど、東山高校か……なんかどっかで聞いたことあるんだよなぁ。思い出せない、首元まで出かかっている気がするんだが……。俺の低スペック脳どうにかせねば。

 でも人間の記憶力はそこまで優れたものではない。何の学者かは忘れたけどエビングハウスという人間の研究から忘却曲線なるものが作られた。それによれば人間は何かを新しく学んだ後、一時間経つとその学んだことの約四割しか覚えていないそうだ。さらに時間が経つに連れて忘却する量はどんどん増えてゆき、一ヶ月後には八割忘れてしまうとのこと。

 じゃあどうすれば忘れずに覚えておくことが出来るのか。掛け算、九九が良い例だ。アレは小二で初めて習い、毎日のように何度も計算練習、反復して言うことで確実に脳に染み込む。要は復習をし、忘却曲線の波を緩やかにすることで徐々に記憶に残るのだ。

 ってことは。そもそも興味が無くて覚える気もなかったことで、その上復習もしていない。忘れて当然なんじゃね?


「あ、そうだ今日お弁当作らなくて良かったんだよね?」

「うん。行く時にコンビニで買う」

「お金は?」

「くれるならもらう」

「じゃああげる」


 お袋はテーブルの上の財布から手に取り、千円札を二枚俺に渡す。俺は有り難くそのお金を受け取り、自分の財布に入れた。


「別にいつも通り千円だけでいいけど」

「いや朝ご飯作り忘れちゃったから、朝ご飯も買って食べてくれない?」

「その分のプラス千円か……」

「ごめんね〜。でも人間失敗する生き物だから仕方ないよね!」

「それ俺が慰めでかける言葉な。自分で言う人普通いないから」


 俺はそうツッコミを入れてソファに腰掛ける。普段は親父が寝てるのだが、今日はいない。いない理由は知らない。多分仕事だろう。編集社で働く親父は結構家に帰ってこないことが多いのだ。


「親父、出張?」

「んーん。昨日は会社で寝るって連絡入れさせたわよ」

「入れさせた……。お袋、束縛激しいタイプ?」

「そんなことないわよー。でもお父さん曰く編集者ってホント家に帰れないらしいから」

「から?」

「夜は何があるかわかんないじゃん? 酔っ払ってそのままいかがわしいとこ行っちゃうかもしれないし。だからちゃんと連絡はしてもらうようにしてます」


 夫への信用ゼロじゃんこの人……。もっと信用してあげてよ。


「でも連絡だけなら嘘吐いて何でも出来るんじゃねぇの? お袋が心配してることも含めて」

「それは大丈夫よ、ほら!」

「何これ……GPS?」

「そう! お父さんのスマホにアプリをこっそりインストールしたの。見て、ちゃんと会社にいるでしょ? これを見たらさ、嘘吐かずにちゃんとお母さんのこと想ってくれてるのねって思えてドキドキしちゃうのよ〜、ね?」


 怖っ! 女の人怖っ! 勝手にGPSは怖過ぎるって。後どこに愛情感じてんだ。何が『ね?』だよ、同意求めんな。

 お袋は俺の引き顔に目もくれず、『これお父さんには内緒ね』と釘を刺してきた。そして画面から目を離し、付け加えるように人指し指を立てて言う。


「それに帰ってきた時はちゃーんと愛してあげるからね。まだまだ若い女には負けないわよ」

「あー、ごめんもういいよその話」


 これまで幾度となく親父がお袋から猛アタックを受け、付き合い、結婚にまで至ったという話を聞き、親父羨ましいなぁと羨望していた。

 それも今のお袋の暴露を聞いてからだと、羨望よりも同情してしまう。付き合ってからきっと相当束縛されたことだろう。そして今では疲れて帰ってきたら夜のプロレスごっこが始まると……。

 男は年取るにつれて性欲は薄れていくと言う。二人目を作る気もないのにするのは、疲れるだろうなぁ(童貞の意見です)。


「ちょっと前にはいつまでもアツアツの夫婦はいないとか言ってたのに」

「ま、そうなんだけどさ〜。そのはなしした時はちょっと倦怠期入ってたのかもね。今お母さん猛烈に蜜月期突入してるんだ〜」


 もうやめてくれー、親のそんな話聞きたくないんだよー。そう口にしようとしたのだが、何故か身体がフワッと浮くような謎の感覚に陥り、言葉は脳内で反響するだけで音として発せられなかった。




 △▼△▼△

 



「葬哉? 起きてる?」

「ん……あれ?」


 目を開けると、そこにはエプロン姿のお袋の姿があった。耳元ではスマホがスヌーズ機能により音を鳴らしながらバイブしている。


「おはよー。ずっと葬哉のスマホのスヌーズがうるさかったから止めにきたの」

「え? あれ……お袋、GPSは?」

「GPS? なんの話?」


 うわ、マジか夢かよ。やけにリアルだった。てか久々にこんなはっきりと思い出せる夢見たな。いつもは起きた瞬間さっきまで見てたはずなのに思い出せない夢ばかりなのだが。


「ていうか、今日文化祭でしょ? いつもより遅く登校していいの?」

「あ、うん……。いや待って。今何時」

「八時ちょうど」


 お袋が答えると同時にスマホ画面に映った時間を見て俺は飛び起きた。


「やっべぇ。普通に遅刻じゃねぇかよコレ……!」

「あー、やっぱりそうなの? ごめん、起こせば良かったねー」


 呑気なお袋を部屋から追い出し、猛スピードで着替えを済ませ、コンタクトを秒で装着し、家を飛び出した。そして自転車にまたがり、帰宅部の全力のパフォーマンスを発揮してペダルを漕いだ。

 夢とは違ってしっかりダイニングに用意されていた朝飯に口を付けることが出来ず、少し申し訳ない気持ちになる俺なのであった。

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