プロローグ

『人は実存が本質に先立つ』

 実存は本質に先立つ。

 この言葉はフランスの哲学者サルトルが自身の講演にて放ったもので、現代の哲学における実存主義の基礎となっている。哲学的な難しいことは知ったこっちゃないが、無駄知識保有量ピカイチとまで言われたこの俺、穢谷けがれや葬哉そうやがネットサーフィンで得た浅い知識で簡単に説明しよう。

 例としてトイレットペーパーを挙げる。当たり前だがトイレットペーパーというものは、人間が尻を拭くために作られるものだ。トイレットペーパーを作る者は『人間が尻を拭くため』という本質を知って『トイレットペーパー』という実存を形作る。この場合、『実存が本質に先立つ』ではなく『本質が実存に先立つ』になる。これは身近な物、道具全てに言えることだ。時間が知りたいから時計をつくる、書きたいからペンをつくる、切りたいからナイフをつくる。全て何かをしたい、何々をするためという本質が先立ちその物がこの世に生み出される、実存するのだ。

 では、人間はどうだろうか。

 サルトルはこう言った。人間はこの世で唯一、実存が本質より先立つものだと。要するに、人間は本質を持って生まれ出るものではなく先に世界に実存し、後々自分で本質をつくるものだということだ。

 人間誰だってそうだろう。自分の本質を持って生を成すヤツはいない。よって人間は道具などの『本質が実存に先立つ』ではなく『実存が本質に先立つ』のだそうだ。人間は人生を送る過程において、自分の本質を、何のために実存しているのかを探し見つけることが大事で、人間は何も無い状態から自己を造るものなのである。


「つまり、俺が今性格ゴミカスのクズであることは人間としての成長過程の中の一個性でしかない」

「え、何急に……」

「穢谷くんが成長した時、良い方に転ぶのか悪い方に転ぶのか非常に興味深いねぇ」


 俺の呟きに春夏秋冬ひととせは若干引き顔をする。西校長は読んでいた週刊少年マ◯ジンから顔を上げて愉快そうに目を細めた。良い方悪い方どっち転ぶかは実際転んでみないとわからないけれど、多分悪い方に転ぶんでしょうねー。今よりもさらに社会のためにならなくなるとかね。

 俺は校長室の高そうなレザーのソファにどっかりと腰を下ろし、お茶を啜りながらせんべいを貪る。タダで食えるお菓子ほど上手ぇもんはねぇ。

 

「あ、ちょっとそれ私が食べようとしてたヤツなんですけど。何取ってくれてんのよ」

「知らねぇよ、せんべいなんて全部一緒だろ。何なの、焼肉でも食ってるつもりなの? お前の目には七輪が見えてるわけ?」


 俺の真正面に座る腹黒美少女、春夏秋冬ひととせ朱々しゅしゅ。俺が皿から手に取ったせんべいを見つめぶつくさ言ってくるので煽ってやると。


「別に私焼肉行って自分が焼いてた肉食べられても文句言わないわよ?」

「それは表モーd……猫被ってる状態だからだろ?」

「違うわよ根が優しいのよ」

「お前自分がつい数秒前に俺に自分のだったとか言って文句言ってきたの忘れたんか?」

「それは仕方ないじゃん。穢谷だもん」


 ほぉー、俺だったら文句言っても問題無いと思ってるんですね。

 俺と春夏秋冬の会話を見聞きして、何やら東西南北校長はニヤニヤと笑いながら口を開いた。


「なんだか君たち、より一層仲良くなってないかい?」

「より一層って言うか、元々ドチャクソ仲悪いですからね」

「そうね。今じゃ口論せずに普通に喋るくらいは出来るようになったわね」

「ふむふむ。つまり学校行事は男女の仲を縮めるには持ってこいってわけだ」


 仲を縮めるねぇ……。まあ事実春夏秋冬と共に金の亡者であるゲス校長、東西南北よもひろ花魁おいらんから弱みを握られ、面倒ごとを押し付けられていくうちに少しずつ俺と春夏秋冬の心情は変化しているだろう。目を合わせれば口喧嘩、口を開けば口論、何かあれば暴言の吐き合いが当然だった一学期から夏休みを挟み、二学期を迎え体育祭を終えた今、確かに俺と春夏秋冬が本気でいがみ合うことはほぼなくなった(完全になくなったとは言わない、言いたくない)。果たしてそれが仲が縮まったという解釈をしていいものなのかどうか……。


「犬猿の仲で敵対し合い、いがみ合ってた君たちも結構好きだったんだけど、仲良くなったら穢谷くんの青春を殺す目標は達成出来なくなっちゃうんじゃないかな?」

「まぁ、それはボチボチって感じですよ」


 東西南北校長は俺が最近少しだけ思案していることを突いてきた。今の俺と春夏秋冬の曖昧な関係性が俺は非常に不安だ。このまま彼女と馴れ合いばかりを続けていくと俺は彼女に惚れてしまいそうな気さえしている。明確に敵対関係だった昔とは違う不鮮明な説明しづらい関係となりつつある現状は、きっといつか壊れる。否、壊さなくてはならないと思っている。

 そんな風に俺が思案していると、ガチャっと校長室の扉がノック無しに開かれた。そしてそこから顔を見せたのは、校長に似てニタニタ飄々とした顔立ちの生徒。


「おっひさ〜w。体育祭お疲れ様でーすww」

「やぁ平戸くん。随分と遅かったじゃないか」

「いや〜、ちょっと校舎で迷っちゃってーw。この学校広過ぎるよ花魁先生」


 東西南北校長のことを下の名で呼ぶのは、俺が知る限り二人だけ。この人はそのうちのひとり、結構ヤバいタイプのサイコ野郎である平戸ひらど凶壱きょういちさんだ。

 過去、自分を殺そうとして来た母親に対抗し逆に母親を殺し、その後中学時代にひどい暴力事件を起こしたりと、かなりヤバめの人なのだが不思議と俺はそれを聞いた時そこまで恐怖しなかった。平戸さんのフレンドリーな振る舞いがそう感じさせなかったのだ。


「平戸さん、瞬間記憶能力あるんですから一回地図を見とけば良くないですか?」

「あっれぇww? ボク穢谷くんにそのこと言ってたっけ?」

「わたしが言ったんだよ。君のことについて知りたいとこの二人が尋ねて来てね」

「ふーんwそうだったんだ! ちなみに花魁先生、あのことは言ってないよねww?」

「……もちろんだとも」


 東西南北校長の返答に『ならいいでーすw』と楽しそうに言う平戸さん。

 あのこと、とはまぁ十中八九暴力事件についてだろう。体育祭の際、後輩である一二がレイプ魔に襲われたところを平戸さんは救ってくれた。しかしながら平戸さんは加減せずレイプ魔を半殺しにまで追いやったのだ、笑顔で。

 その振る舞いがあまりにも異常だと感じた俺と春夏秋冬は東西南北校長からその暴力事件のことなどを聞いたのである。


「よし。それじゃ全員揃ったことだし、今回君たちに頼みたい面倒ごとを……仕事を発表しよう!」

「もうガッツリ面倒ごとって言ってるし……」

「我が劉浦高校は三週間と数日後、文化祭があることは知ってるね? よって君たちには文化祭実行委員の雑務をこなしてもらう!!」

「いつもアバウトなのに今回はやることがはっきりしてるんですね」

「はっきりとはしたけど、雑務ってやることの範囲広過ぎない?」


 春夏秋冬は眉間に皺を寄せて憂鬱そうに腕を組む。普段校長が命令してくる仕事は、アバウトながらも解決するために必要な最終目標が提示される。しかし雑務と総称されてしまうと、最終的な仕事の終わりは文化祭実行委員の終了時、つまり文化祭が終わるまでということになる。こいつぁ面倒だ。いつものことだけど。


「雑務かぁww。力仕事とかはヤダなーw」

「平戸先輩、細いけど力あるじゃないですか」

「力あってもわざわざ重い荷物持たされたり労働させられたりするのはヤダよーw。まぁでも穢谷くんと春夏秋冬ちゃん二人がいるなら楽しくなりそうだけどねw!」


 何なんだろうかその謎の期待は。俺たちがいても別に楽しくなるとは限らんでしょうに。


「もちろんクラスの準備もあるだろうから、優先順位はクラスを先にして構わないよ」

「「えぇっ!?」」

「え、なんで驚くの? クラス優先にしなくてもいいかい?」


 そりゃ驚くでしょうよ。あんたが一度でも面倒ごと押し付けてそれよりも他のこと優先していいなんて言ったことないじゃないですかー。どういう心変わりだ。


「いやクラス優先にしといてほしいです。まだ何するか決まってないけど」

「まぁどっちに優先しようがどうせ俺は孤立してんだ。どっちだろうといい」

「大丈夫だよw! 雑務の方はボクも一緒だからw」

「あ、そっすねー……」


 野郎に一緒だからとか言われてもなぁ。


「とりあえず、第一回文化祭実行委員会が多分金曜日にあるから、三人ともそこに参加してくれたまえ。委員長には既に話を通してあるから」


 校長のその言葉を最後に、俺たちは校長室を後にした。いやはやしかし、体育祭に続き文化祭か。去年、俺は文化祭当日に勝手に校外へ出て昼飯を買いに行ったら生徒指導の教師に門前で見つかってその日ずっと生徒指導室で反省文書かされてたので、劉浦高の文化祭がどれほどのものなのかわからないのだが、多分反省文書かされてなくてもどっかその辺でサボってただろうなと思うと、今年は暇じゃなさそうだし、良しとするか悪しとするか……。

 際どいラインだけど、やっぱり強制労働させられてる時点で悪し確定だ。

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