No.22『彼女は歯噛みして幼馴染に静かに怒る』

 体育祭は表向きでは平穏に終了し、放課後となった現在の学校内は、昼間の喧騒とはかけ離れ、非常に閑散としていた。


「いやはや何はともあれ穢谷けがれやくんと春夏秋冬ひととせくん、ホントにありがとう」

「はあ」

「君たちのおかげで死者を出すという最悪の事態は免れたよ」

「そうですか」


 校長室にて。俺と春夏秋冬は東西南北よもひろ校長のデスクの前に立ち、校長からの言葉を生返事しながら耳に入れている。今こうして校長室に訪れているのは、決していつものように放送で呼び出しがあったからではない。自分たちの意志で足を動かして来たのだ。


一二つまびらくんはもちろん、血塗れだったあの強姦犯たちも命に別状は無いそうだ。今は取り調べ中のようだよ」

「そりゃ良かったです」


 一二を襲った数人の男たちの中には見覚えのある顔がいくつかあった。一学期、一二が公園の公衆トイレでレイプされかけた時のレイプ魔たちだった。どうやら懲りずにまた一二のことを狙っていたらしい。結果としてあのようなことになってしまったが。


「ニュース沙汰にはならないよう何とか警察に交渉出来たけど、来年はもっと警備をしっかりしないといけないね」

「そうですね」


 校長の明らかにわかっていて触れないようにしている感じとワザとらしい口調が、俺に少しだけ苛立ちを覚えさせる。

 ぶっきらぼうな俺の態度を見て、校長は訝しげな目を向けてきた。そして俺と春夏秋冬の立っている間、虚空を見つめて口を開く。


「……なにか、不満かね?」


 きっと俺たちが考えていることを見透かした上で校長は俺と春夏秋冬に対して問うている。先ほどから校長はその話を一切しないのだ。校長がそこに触れないようにしていることは何となく感じられた。

 そして俺たちは、その校長が話そうとしない部分について聞きたくて、こうして校長室にやって来たわけで。


「俺たちが聞きたいことは他にあるってこと、わかってますよね?」

「平戸くんは一体何者なのか、みたいなことかな?」

「はい」

「うん……。君たちが初めて自分の足でここまで来てくれたわけだし、話さないわけにもいかないか」


 校長は嘆息し、社長椅子から立ち上がる。窓の外を覗きながらゆっくりと深く呼吸し、クルリと回ってこちらを向いた。その表情はなんだか何かに怯えているような、とにかく俺たちにとって校長の初めてする顔だった。


「彼は……平戸くんは五年前、中学一年生の時に暴力事件を起こしているんだ」

「暴力事件、ですか」

「あぁ。同級生六人をたったひとりで全治一ヶ月以上の怪我を負わせてね。あの時は本当にひどかった……。わたしはその時の平戸くんの所属していたクラスの担任をしていたんだ」

 

 東西南北校長が当時平戸さんのクラスの担任をしていたことは既に平戸さんから聞いていたので、もちろん大した驚きはない。しかし平戸さん自身が隠していた『言ったら引かれる話』とやらが何だったのか明らかになった。おそらくその暴力事件についてだったのだろう。

 校長の遠い目と『ひどかった』というたった一言だけでその当時の惨劇が伝わったからようだった。

一対六で一の方が勝って、それに加えて全治一ヶ月以上、今回のレイプ犯たちと同等レベルの暴行だったのだろうか。殴る蹴るの喧嘩で人を物理的に傷付けたことのない俺には、相場がわからない。


「平戸くんは紛れもない天才だ。……並外れた記憶力、抜群の運動神経、人の心に入り込む人心掌握術、どこをとっても他人より優れている。特に記憶、君たちカメラアイって知ってるかな?」

「瞬間記憶能力、ですよね」

「一度見たら絶対に忘れないみたいなアレ?」

「そうそれ。彼はそれを持っているようでね、円周率の表を一瞬だけ見せて書かせたら、いつまでも書き続けてしまったよ……。いやはや、アレには腰を抜かされたなぁ」


 淡々と、だけど昔を懐かしむかのように東西南北校長は平戸さんの頭脳明晰っぷりや人並外れた格闘術の根源を語る。

 だがしかし、俺にはその秘密を知ってなおまだわからないことがあった。俺はそのわからないことを言葉を濁さず直球で校長に問う。


「平戸さんって、マジのサイコパスですか?」

「……その言い方はサイコパスの人間を下に見ているニュアンスが含まれているような気がするなぁ」

「下には見てませんよ。平戸さんの場合、むしろ能力的に上過ぎて俺如きの人間には上目遣いで見ることしか出来ませんから」


 俺の皮肉交じりの冗談に校長は『ははっ、そっか』と乾いた笑いを漏らした。そして続けて言葉を紡ぐ。


「彼の親は彼を殺そうとして彼に殺されている」

「殺されているって……まさか平戸先輩、人殺してるの……!?」

「あぁ。無論でだ。刺しかかって来た母親の包丁を奪い、逆に腹に刺してね。その後父親は母親を追うように自殺した。そして当時小学一年生の平戸くんに裁判で下された判決は、児童自立支援施設での更生ということになった。何故かわかるかい?」


 今度は校長がいつものようにコピペしてきただけの作り物の笑顔を浮かべて問うてきた。

 児童自立支援施設というのは、俺の記憶が正しければ問題行動や不良行為を起こした児童の更生を促しながら自立を支援する施設だ。一二がいた孤児院とは全く別の施設と考えていい。

 小学一年生の児童が母親を殺害し、その施設に入れさせられる判決になったということはつまり、単純に考えて平戸さんに更生が必要だと裁判所が判断したからだろう。

 では一体何故そんな判断をしたのか。判断材料となったものは一体なんなのか。俺が考えるよりも先に、校長が答えを言った。


「平戸くんは笑っていたんだ、母親を殺してもなお。何食わぬ顔で、何が悪いのかさっぱりわかっていなかったそうだ」

「それって、平戸先輩には感情がないってこと?」

「それは言い過ぎだよ。今の平戸くんにはそれなりに感情らしきものが感じられるだろう? 他者への共感能力が異常に欠如している、と言う方が正しいかな」


 いくら善悪の判断がまだ少し覚束無い小学校低学年であろうと人を殺して、しかも自分の母親を殺して一切反省の色が見えず、その上何が悪いことなのかわかっていない。精神的に人間として大事な何かが欠如していると言っても過言ではない。

 平戸さんのそういった反社会的人格を考慮した結果、しっかりとした規則規律で指導される年少ではなく、児童自立支援施設行きが決定したのだろう。


「まあ要するに、穢谷くんの読みは正解だ。平戸くんは反社会的人格の持ち主、サイコパスだよ。でも、わたしはその言い方で彼を呼びたくはない。ちょっとだけ常人とはものの考え方が違うだけさ」

「ちょっとだけ? 人瀕死にまで追いやって血溜まりの上であんな満面の笑み出来るようなヤツが、ちょっと常人と違うだけなわけないでしょ」

「そうかな? 血の滴るイイ男ってよく言うじゃないか」

「いや言わないですよ……」


 本気で何を言ってるんだこの人は。頭おかしいのか。張り詰めていた室内の空気を無理にぶち壊すかのようにニヤケ顔でふざけたことを抜かす校長にジト目を向けると。


「今回の件で平戸くんが責められることは何も無い筈だ。一二くんのことを救い、犯罪者に制裁を加えたんだ。まさに正義のヒーローじゃあないか!」

「人を殺しかけて正義のヒーローだって言われるんなら、世の殺人犯たちはみんなレジェンド級の英雄になっちゃいますよ」

「……まあ、平戸くんが少々やり過ぎたんではないかということに関しては認めよう。だけど、あのレイプ犯たちは以前も一二くんに強姦未遂だったんだろう? 言ってもわからないヤツには一度痛い目に遭わせないとわからないのさ。犯人たちもこれで懲りたんじゃないかな。ま、ブタ箱で数年反省するさ」


 平戸さんが反社会的人格者であることは理解出来た。だけど、ではどうして、東西南北よもひろ花魁おいらんは平戸凶壱を善人とすることに固執するのだろうか。何故意地でも平戸凶壱を擁護し、守ろうとしているのか。

 東西南北校長は平戸さんのことを絶対に悪者にしないような口振りで俺たちを納得させようとしている。それは何となくわかる。でもなんでそんなことをする? 平戸さんを悪役にしたくない理由は一体何なんだ。昔の教え子だから守ってやりたい、なんて生徒思いの教師みたいにクッサイ台詞吐くような人じゃないと俺は思っているが。

 結局、平戸さんのことについて詳しく聞けても、東西南北校長の真意は一切わからないままだ。


「東西南北校長。最後にひとつ聞いていいですか」

「ん?」


 校長室から出る時に、俺はちょっとしたカマかけのつもりでこう質問してみた。


「どうしてそうやっていつも無理矢理笑顔を作っているんですか?」

「……はて、なんのことかな?」


 首を捻って笑顔を向けてくる校長を横目で見ながら、俺と春夏秋冬は校長室を後にした。やはりその笑顔は無理矢理作っていると言うよりも、平戸さんと似ているように感じてならなかった。




 △▼△▼△




 校舎を出て、俺が自転車置場から自転車を取ってくると、正門前で春夏秋冬から『話がある。ファミレス行くから付いて来い』と半強制的な言い方で俺に詰め寄って来た。正直断りたかったが、別にこの後何かしら用があるわけでもなく、大した言い訳も思い付かず、結果ファミレス行きが決定した。

 数分後、例によって普段から御用達の月見つきみさんがバイトしているファミレスに辿り着き、いつも通り喫煙席に腰掛けた。それぞれ注文するメニューを決め、ベルを鳴らし注文。注文を取りに来たウェイトレスさんの名札には研修中の文字があったけど、研修長過ぎやしないか……。


「ホントにいるのね、サイコパスって。言葉しか聞いたことなかったわ」

「まぁ本人が自分がサイコパスだって気付くことはないし、俺たちが気付いてないだけで意外と身近にいたりするらしいぞ」

「ふーん」


 相変わらず自分から話振っといて興味無さそうですね春夏秋冬さん。何なの、無駄に話広げない方が良いタイプの女子なのチミ。


「東西南北せんせー、平戸先輩の昔のことを話してる時、すっごく緊張してたわ」

「は? なんでそんなことわかんの?」

「目とか口元とか仕草とか見たらわかるわよ。何となく、普段とは違う感じだったのわからなかった?」

「うーん、ちょっとだけなら?」


 流石は人間観察のスペシャリストだ。仕草で人の緊張状態を確認出来るなんて、ワンチャン履歴書に書けちゃうんじゃない?


「穢谷、言ってたでしょ? 東西南北せんせーは何かしらの不祥事で教員免許を剥奪されてるかもしれないって。その不祥事がさっきのアレだったのよ」

「平戸さんの暴力事件か」

「そうそう。担任である東西南北せんせーは責任を取るべく教員免許を剥奪されたに違いないわ。そしてそれは東西南北せんせーの確かな落ち度よ!」


 なんかすっごいノリノリなんですけどこの人……。人の弱みを握れるかもしれないってことでそんなにテンション上がるもんかね。

 しかしながら、春夏秋冬の言うことは筋が通っていると言えば通っている。どういうことをしたら教員免許剥奪になるのかはっきりとしたことは知らないが、担任であるクラスの生徒が問題を起こし、責任を負って免許剥奪されるというのは違和感のある話ではない。


「だけど、だとしてもあの人がそれを自分から言うかな」

「私たちが弱みを握ろうとしてるってことをせんせーは知らないわ。私たちは握ろうとしてるって自覚があるからあの人が自分から落ち度になってることを話していることが変に感じるのよ」

「なるほど……あれ、でも校長が自分からその話をしたってことはさ」

「なに?」

「それをあの人は自分の弱み、落ち度だって思ってないんじゃないか?」

「へ?」


 校長が自分の弱みになる部分を見せない性格だということは今は置いといて。誰だって自分の落ち度を人に話そうとはしないはずだ。わかりやすく言えば自分の黒歴史を自分から話そうとはしないのと同じだ。要するに、校長自身は大して自分の落ち度だとは思っていないからその話をしたわけで。校長が弱みだと思っていないのであればこちらが弱みとして握ろうとしているものは一体何なのって話になるわけで。


「いつも無駄で余計なとこにばっかし気付いてる割には、痛いとこ突いてくるわね。確かに穢谷の言う通りだわ……」

「無駄で余計って言うけどな、お前その無駄と余計なヤツに助けられて今のその人気維持出来てること忘れてないか?」

「落ち度だとしてもせんせーが弱みだと思ってなかったら意味がないのよねー」


 フルシカトかい。


「それに、東西南北校長が平戸さんのこと大事にしてる意味もよくわかんないしな」

「日替わりセットとオムライスお待ちど…………おい穢谷、今なんてった!?」


 俺がそう呟くと、ちょうど注文を持って来た月見さんが目を見開いた。ガチャガチャと乱雑に皿をテーブルに置き、俺に詰め寄ってくる。その謎の圧に俺は少し身を引いてしまった。


「え、えと。今って言うのは……」

「花魁ちゃんが誰を大事にしてるって!?」

「……平戸凶壱さんです。もしかして、月見さん平戸さんのこと知ってます?」

「知ってるも何もソイツは……!!」


 俺の問いに月見さんは途中まで何かを言いかけ、ハッと口を噤んだ。そしてテーブルの俺のお冷やを一気飲みし、逆に質問してきた。


「平戸凶壱、劉浦高にいるの?」

「はい。二学期から転校してきて、それで東西南北校長が俺たちと一緒に仕事してもらうことになったからって」

「……そっか」


 俺の中で月見うさぎという人間はヤンキーさを隠しきれていないけど、芯が強く母親としての包み込むような優しさを持ち合わせた強い女性のイメージがあった。だから今、誰かを心配しているようでその誰かに怒っている、そんな複雑な表情をしていることが少し驚きだった。

 

「月見先輩、平戸先輩とお知り合いなんですか?」

「いや会ったことはない。でも……アタシがアタシの心の中で何度も何度もぶっ殺した人だよ」


 春夏秋冬が恐る恐るといった感じで月見さんに問うと、恐ろしく冷たい声音でそう言った。その言い方は、もし実際に会ったら本当に殺しかねないと言っているようでもあった。


「花魁ちゃん、なんでアタシに言ってくれなかったんだ……!」


 悔しそうに唇を噛み締め、月見さんは厨房の方へと歩いていった。

 幼馴染の形はひとつじゃない。華一かいち籠目ろうもくのように共に生きようとする関係性だったりすれば、月見さんと東西南北校長のような第三者が絡んではいけない複雑であろう関係性もあるのだ。

 そんな複雑そうな二人の関係性について、不躾にも勝手に考え込んでしまっていた俺と春夏秋冬は、ファミレスを出るまでの食事中一言も言葉を発することはなかった。

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