エピローグ

『彼女に惚れてしまうんじゃないかと、俺は密かにひとり物案じる』

「じゃあ俺コレで帰るから、またな」


 ファミレスで食事を済ませ、外に出るや否や俺は自分のママチャリを指して春夏秋冬に別れの言葉を述べる。春夏秋冬は電車通学のため、これ以上一緒に帰ることはない。というか、コイツとあまり一緒にいたくない理由が俺にはあるわけで。そもそも一緒に帰るなんて馴れ合ってる現状が俺と春夏秋冬に関してはおかしな話なわけで。

 俺は春夏秋冬の返事を待たずに自転車に跨り、漕ぎ出そうと踏み込んだのだが、春夏秋冬から後ろの荷台を掴まれてしまい前に進まずバランスを崩しかけた。


「なんだよ」

「ここからだったら私、一々駅行って電車乗るより歩いて帰った方が早いから、送ってって」

「いや、でも俺は……」

「なによ、早く帰らなきゃいけない用事でもあるわけ? 女の子ひとり置いて自分だけ早く帰るなんてないわ〜」


 うぜぇ……こういう時だけ女の子とか言いやがって。結局数時間前のファミレス行くのを断ることが出来なかったのと同じように今回も一緒に帰ることを断れなかった。帰る地区が一緒なのでここで別れて別々に帰路につくのも変と言えば変なんだけど。昔だったらこうして二人並んで歩くなんてことさえ有り得なかったってのになぁ。

 一緒に帰るから仲良くお話しながら~なんてことはもちろん全くなく、春夏秋冬はただただ無言で自宅の方へ歩みを進める。俺はその横で自転車を押しながら思考を巡らせることにした。

 平戸さんの暴力事件、俺は不思議とその話を聞いて納得してしまった。驚かず、スッと飲み込むことが出来たのだ。それはきっと俺の内で平戸さんのイメージがものだったからだろう。そういうもの、と抽象的な言い方になってしまうのはどうしようもないから勘弁して欲しい。人間の感情というものがそもそも抽象的で言葉として明確に表すことが難しいのだから。

 いやそんなことよりも、暴力事件以前に母親を刺し殺していることに自分が驚かなかったことの方が驚いた。流石に人殺してる人と今まで結構な時間接していたのに驚きも恐怖も感じなかった自分が逆に怖いまである。それもこれも平戸さんのあの性格が恐怖を感じさせていない要因になっているのかもしれない。コミュ力高くてやけに人懐っこくて、常にニタニタ笑みを浮かべて飄々としている振る舞いが平戸さんを殺人者だと思えない、思えたとしても何故か恐怖を感じないようにしているのだ。

 振り返ってみれば、平戸さんが反社会的人格者サイコパスなところは前々から随所随所に垣間見えていた。吹奏楽部の時のあの衝動に任せた異常なまでの饒舌っぷりや普段の常に笑顔な振る舞いそのものがそうだ。あの人はもしかするとあの表情、ニコニコと口角の上がった顔しか知らない、出来ないのかもしれない。

 平戸さんは暴力事件を起こしているという秘密を人に知られたくないようだった。せっかく仲良くなった俺や春夏秋冬に引かれたくはないと。他者への共感能力が欠けているとは言え、世の中で悪とされていることの判断は出来るだろう。そもそも共感能力が欠けていることと感情がないことはイコールではない。共感能力がない……これは他人の気持ちを汲み取るのが苦手だと言い換えることが出来る。だから人を不可抗力ながら殺してしまっていたり、同級生を全治一ヶ月以上のひどい怪我を負わせていたりと、こういうことをしていたと知られてしまうと社会的に負のイメージを持たれてしまうことはわかるはず。人の感情以前に法律に悪だと定められているからだ。故に反社会的人格の持ち主であり、他人の気持ちを汲み取ることが苦手である平戸さんでも俺たちにそのことを隠しておきたかった。否、隠しておかなくてはと感じとったのだと思う。


 誰にでも秘密が存在する。恥ずかしいことだったり自分の弱みになることだったり黒歴史だったり、誰かに隠しておきたい秘密が必ずある。そして誰でもその秘密を知られたくはないものだ。

 それは俺の隣を歩いている完璧超人で超絶美少女の人気者(表の顔)の春夏秋冬ひととせだって例外なく当てはまる。彼女の場合、実は腹黒とか母親が既に亡くなっていたりとか。母親が死んでいることに関しては俺も今朝知ったばかりだし、おそらく春夏秋冬の友達もどきも知らないだろうけど。俺もようやっとその事実に落ち着いて考えることが出来るようになった。

 だけどコイツに関して言えば一番の秘密はやはり、どうして周囲からの人気を欲するのかだろう。これは中学生でコイツの人気が勝手に集まっているのではなく、意図的に本人が集めているのだと知ってから、何度か不思議に思ったことだ。春夏秋冬自身がこれを秘密として捉えているのかどうかは知らないが、理由もなくストレス溜めてまで好きでもないヤツとつるみ、猫被って人気を獲得しようとしないだろう。となれば何かしらの理由、人気を求めるようになったきっかけが存在するはずだと思うのだが……。


「なんでそんなに人気を欲しがるんだ?」

「え?」

「……あ」


 まずった。俺はその疑問をふと無意識のうちに口に出してしまっていた。考え事をしながらブツブツ呟く悪い癖が出てしまったようだ。もちろん、難聴系美少女でも何でもない春夏秋冬に俺の言葉はしっかりと届いてしまったようで、しっかりと振り返られてしまった。


「どしたの急に? 人のこと、深く知るのは好きじゃないんじゃなかった〜?」


 春夏秋冬はニヤニヤ意地悪な笑みを浮かべながら俺に詰め寄ってくる。

 俺もそう思っていた。ずっとそうして生きてきた。他人のことを深く知り、ズブズブの関係性になることを否定してきた。

 だから俺自身驚いているのだ――俺が今、他人について深く知りたいと思っていることに。


「春夏秋冬のことを、俺は知りたいと思ってるんだ」

「へっ? ちょ、あんたマジでどうしたの……」

「俺にもわかんねぇ。お前がなんでそんなに人気を欲しがるのか知りたいって思っちまったんだよ。それだけだ」

「それだけって……前の穢谷なら、そんなこと言わなかったじゃん」

「だから俺も驚いてんだよ」


 自分が角が取れて丸くなっているのはわかっていた。でもこうして自分が変わっていることを他人から指摘されることがここまで面映いとは知らなかった。

 春夏秋冬は俺に対して複雑そうな表情を向けて、少しの間腕組みしうーんと唸った。そして小さく首を傾げて俺に問う。


「……聞く?」

「秘密にしてるんなら別に無理に話さなくていい」

「そ。じゃ話すわ」


 そう言って歩くペースを上げて少し俺の前に出る春夏秋冬。話すということは、秘密ではなかったのだろうか。

 

「私ね、母さんが死んでるの」

「……」


 日常会話をするみたいに唐突に、サラっと、何気ない調子で言う春夏秋冬。本来なら何かしら反応をするべきだったのだろうけど、俺は既にその事実は知っていて、反応しようにも出来ないでいた。するとすぐに春夏秋冬が続けて言葉を紡いだ。


「知ってる? 『Shiki』って名前でモデルしてて、昔はめちゃくちゃ人気でテレビに引っ張りだこだったんだけど」

「あぁ、うすーく記憶ある。……ガンで亡くなったんだろ?」

「うん。流石は無駄知識保有量ピカイチね」


 春夏秋冬は冗談めかしてクスっと口角を上げる。まぁ、今朝お袋から聞いて夏休みに見たニュース記事思い返しただけなんだけどな。


「母さんはホントにすごい人だったわ。モデルとして超可愛かったし、仕事に熱心で私が物心つく頃には忙しくて一年のうちに家にいることの方が少ないくらいでさ。でも私はそんな母さんのことをずっとカッコいいって思ってたの。私は、母さんが自慢だったの」


 遠い目をして噛み締めるように言う春夏秋冬。どうやら嘘でも冗談でも何でもなく、マジで母親のことを尊敬していたらしい。両親のどちらも好きでも嫌いでもないから尊敬とかあったもんじゃない俺は春夏秋冬の言葉を聞いて、少しだけ春夏秋冬がカッコいいと思った。


「だから病気で入院ってなった時は本気で心配したのよね。その時は大人みんな口合わせてすぐに良くなるって嘘吐いてわ。私を安心させようとしてたみたい。多分入院になった時点で治ることはないってわかってたんだと思う」


 こういう時聞き上手の人間が羨ましい。聞き上手の人間なら話の区切り区切り、息継ぎのところで何かしら反応することが出来るのだろうけど、俺はそんな高度な陽キャテクは持ち合わせていないのでただただ黙って春夏秋冬の話に耳を傾けることしか出来ない。


「すぐ良くなるって言うクセに全然退院しなくてさ、入院してからどれくらいだろ。半年くらい経って死んじゃった。その後はお通夜やら葬式やらで慌しかったしやっぱり普通に悲しかった…………ってなるはずじゃん普通?」

「お、おう?」

「でもその時私が感じたのは悲しいって気持ちじゃなくて、だったのよ」

「憧れ……?」

「そう。母さんのお通夜で母さんの死を惜しむたくさんの人を見てね、十年前まだ七歳だった私は母さんにこれまで以上に強く憧れたの。私もこうなりたい、母さんみたいに死んだ時大勢の人に悲しんでもらえるような人間になりたいって。それが私が人気を求めるようになったきっかけ。私は母さんよりも人気者になって母さんよりも葬儀で私の死を悲しんでもらいたいのよ」


 春夏秋冬の話はそこで終わった。春夏秋冬が何故なにゆえに人気を欲しているのか、ついに春夏秋冬自身の口から聞くことが出来た。

 春夏秋冬は人気者であった母親が死に、そしてその葬儀で大勢の人間が悲しむ姿を見て猛烈な憧れを持った。それが自分が人気者として存在することになったきっかけだと。

 

「おかしいでしょ? 母親が死んでるってのに、小二の私は泣きもせず遺影に向かって羨望の眼差しを向けてるの。普通じゃないわ」

「何が普通かはその人の主観だ。おかしいかおかしくないかはお前のその話を聞く人によると思うぞ」

「じゃあ穢谷はどうだったの? おかしいと思った?」

「俺は……」


 別におかしいとは思わなかった。本当に大切なものはなくなってからわかると言うように、カッコいいと尊敬していた母親が死に、実際にたくさんの人から悔やまれている実状を目の当たりにして春夏秋冬の気持ちが揺れ動いたってのは理解できる。

 だから変だとは、普通じゃないとは思わない。そもそも俺はそんなこと気にしてない。気にしていたのはどうして人気を欲するのかという部分だけなのだから。その理由を聞けただけで俺は満足だ。


 ……いや、まだ満足してはいけないな。


「悪かった」

「え? な、なにが?」


 春夏秋冬は俺の謎タイミングで放たれた謝罪に戸惑い、目を丸くする。


「実は、お前のお袋さんが亡くなってた話はちょうど今朝俺のお袋から聞いたんだ。昔のママ友からその話聞いたとかで、俺にまで話してきて」

「そうだったんだ……」

「中学ん時、お前俺にマジビンタしてきたことあっただろ? 俺が、お前の母親バカにしてさ」

「あー、あったわねそんなこと」


 過去を思い返し、微笑む春夏秋冬。相変わらず可愛らしく美しい顔だ。いや今なら、春夏秋冬の人気を欲する理由を聞いた後なら、顔だけでなく心も美しいと言えるような気がする。


「悪かった、お前が母親のことそんなに想ってるとは知らずに……」

「……ふふ、いいよ別に。母さんのことは誰にも言ってないから、穢谷が知らなくて当然だし。私こそ、思いっきりぶっ叩いて悪かったわね」


 春夏秋冬も春夏秋冬で俺に対して頭を下げてくる。これでようやく満足いった。今朝からずっとモヤモヤしていたものが無くなり、スッキリした気分だ。

 お互いに謝罪し合って春夏秋冬と対等になった(人間的に春夏秋冬が上であることは今は考慮しない)俺は、涼しい夜風を頬に感じながらちょっと清々しい気持ちになり、足取りが軽くなったような気がした。

 とそこでふともうひとつ何気ない疑問が生じた。この際だから俺はその疑問を少し前を歩く春夏秋冬へ投げかける。


「良かったのか? 誰にも言ってないようなこと俺なんかに言っちまって」 

「良くはないわよ。……でも、私の秘密言うような友達いないでしょ? 社会不適合者さん?」


 俺の問いに振り返り、ニンマリと蠱惑的こわくてきな笑みを作る春夏秋冬。煽られたからには言い返してやると口を開こうとしたが、俺の頭はそんなことよりも春夏秋冬に対する俺の気持ちの処理でいっぱいだった。

 可愛らしく美しい、人気を欲するのにも確固たる理由がある春夏秋冬ひととせ朱々しゅしゅという腹黒な女の子。深く知れば知るほど、関われば関わるほど、話せば話すほど、俺は彼女に魅了されていくような、実際されていっているような気がする。このままだと下手したら彼女に惚れてしまうんじゃないかと、俺は密かにひとり物案じるのだった。




【Vol.3終わり】

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