第36話 聖女が語る真実

 殺害されるという現象事態が回避不可能であるのであれば、身代わりなら可能なのかもしれん。


「結局戻ってきても、貴女は死ぬんじゃないっ!!」


 思わず声を張り上げてしまったユラナに、マリアは口に人差指を当てて、口を噤むように伝える。マリアの膝でサクラが寝返りをうつ。どうやら起こさずに済んだようだ。


「いいの……死んでもまだ想っているこんな重い女、あの人も願い下げだと思うし」


「カナ。次同じこと言ったら本気で怒るわよ。アイツがそんな人じゃないこと一番よく分かっているでしょ?」


 ユラナはコーヒーを煽るように飲み干す。血が上った頭を落ち着かせるためにとった自然な行動だろう。


「それで貴女が戻ってきた理由は大体分かったわ。アイツを助ける為って言うなら手を貸す。その三人ってのは誰かっていうのも気になるけど、その前にその姿は何、どうやって戻ってきたの?」


 マリアは自分のも飲み終わっているのにも気づき、ユラナのも淹れようとするが、変わりに自分が淹れると言ってユラナが立ち上がる。眠っているサクラに気を使っての事だろう。


「その前に……四人の魔女って知っている?」


 ユラナのコーヒーを注ぐ手が止まる。


 知っているも何も、食糧紛争を止め、世界にオブジェクトを広めた四人姉妹の科学者の事だ。ユラナの場合知っているというより――


「何で、あの女が出てくるのよ」


 頭を抱えてユラナは首を振る。やはりというべきかそうなったか。


「やっぱりまだ、お母さんの事嫌い?」


「やめて、私はあの女のこと母親なんて思っていないし、私の母親はジュリさんだけよ」


 ユラナの母親は四人の魔女の一人、青の魔女と呼ばれるミエリ=シャロン。彼女は海洋生物や陸上動物の保護などで貢献した人物。彼女の父ジャンディーレ=ベトフォンとの離婚の原因が彼女の不倫であり、以来ユラナとの間には確執が生まれている。名前を聞くだけで嫌悪感を抱くほどに。


 今もユラナが母親と慕っているのはカーナと自分の育ての親である故郷の教会のシスター、ジュリ=サンチェスだけである。


「……ありがとう」


 ユラナは淹れ直したコーヒーをマリアに渡して椅子に腰を掛ける。


「そんなことは良いから、話を続けて……」


 不貞腐れたように手をヒラヒラさせて、話を進めようとするユラナに、物悲しげな表情を見せながらマリアは話を続ける。


「……私は彼女達の手でサルベージされたの。私は反ド・ジッター空間で裸の特異点を生成することを条件に私はお母さん……白の魔女、ウィン=シャロンの胎児に私の意識は移植された」


 ユラナは口に含んだコーヒーを蒸せた。気管に入ったらしく激しく咳き込んでいる。マリアは心配そうに大丈夫と声を掛けながらティッシュを渡す。


 裸の特異点。通常ブラックホールの特異点は光も出ていくとこが出来ない空間に囲まれており、観測できない。即ち特異点の情報は隔絶され、外側で因果律や物理法則が議論できるが、物質密度が無限大の点が剥出しで存在したとすれば、一般相対性理論は破綻し、因果関係を予測できなくなる。


 裸の特異点は五次元以上の時空か、四次元時空でも反ド・ジッター空間でのみ存在できる。


 裸の特異点を欲しがるのは幾つか考えられるが、一番は恐らくエネルギー問題を一気に解決するためであろう。


 何せ安定して無限の質量エネルギーが取り出せるのだからな。


「……ちょっとごめん。混乱してきた、一度整理させて」


 まずその話は返って疑問が増える。時系列が入り乱れてるのもそうだが、四人の魔女が何故四次元時空にいる彼女の存在を特定出来たのか。サルベージとは一体どうやって行ったのか。


『四人の魔女とは一体何者なのだ。それはアキラにも関係するのだろう。何せアキラの実母は紅の魔女と呼ばれた人物なのだからな』


「そうだね。実のところ私もよく知らないんだ……私のお母さんも、アサおば様やミエリおば様、セオリお義母様も何も教えてくれなかった」


 相も変わらず謎の多い人物達だ。アキラもユラナも彼女等のアサ氏、セオリ氏、ミエリ氏とは多少の面識はある。皆飄々としてどこか謎めいているのではあるが、彼女等の頭脳と技術力をもってすれば可能かもしれないと、彼女の話も強ち有り得なくないと思えてしまうのが余計にタチが悪い。


「……にわかには信じがたいのだけれど、百歩譲ってその話が本当だとして、裸の特異点は結局出来たの?」


「まぁね。私の中にはまだ反ド・ジッター空間に繋がるアインシュタイン=ローゼンブリッジが次元ごと折り畳んで封印されている。裸の特異点のエネルギーを取り出すには次元をこじ開けないといけないね」


 降りた畳まれた次元をこじ開けるには高エネルギーの重力が必要だ。万が一こちらの時空に漏れてくることは無いだろう。漏れれば凄まじい熱量で周囲一体焦土と化すだろう。


 また時系列が可笑しいのは、四次元時空上であるからと推測できるだろう、精神年齢はさておき、肉体年齢はアキラ達と同年齢だというのも頷ける。


 しかし、それだと以前より彼女の存在を四人の魔女達が知っていたのではないか。それもレイズ達がアキラの母、セオリを誘拐し、カーナがブラックホールに飲み込まれ消滅する前から、いや流石に考えすぎか。


『ユラナ、その前に幾つか確認しなければならないことがある。大事なことだ』


「何かな?」


『まず一つは彼女達はサルベージされる前から君とをコンタクトを取っていたのか?』


「そうだよ。そうじゃないとサルベージ出来ないから」


『サルベージの方法と連絡手段についてはこの際置いておこう。君は彼女達に未来で起こることを話したか?』


 マリアは頷いた。となるとセオリ氏は自分が誘拐されることを知っていたことになる。


「実は、あの人ともう一度出会えるように取り計らってくれたのも、お母さん達なの。今まで合いに行けなかったのは、存在は違うかもしれないけど、同一時間軸に同一人物が二人いるというパラドックスを避けるため」


 本来ならウィン氏と面識があっても可笑しくない関係なのだが、我々にはその記憶がない。それがパラドックスを起こさない為の措置だとすれば頷ける。


「じゃあ。セオリさんは貴女が死ぬことが分かっていて見殺しにしたって事じゃない」


「……そうだね。それについては何も言えない。でもお義母さんは、そうと分かっていて何もしないでくれたの。もしかしてお義母さんは今でも酒に溺れているのかな?」


「……ええ、あの人が酒に溺れているのは、貴女を見頃した自己嫌悪からかしら?」


 再び眉間を押さえるユラナ。やはり病み上がりに、この手の話は応えるか?


「大丈夫……ゆっち? もう休んだ方がいいよ。続きは明日にしよう」


「最後に一つだけいいかしら?」


「何かな?」


「アキラを殺す三人って誰? 大体想像ついているけど……」


 マリアはコーヒーカップの縁をなぞりはじめる。


「一人はレイズ=レヴェナント。もう一人はゆっち達の元上官THAADの大佐、アレクシス=ヴォルグ=アーレス」


「……アーサー隊長かぁ……正直以外だったわね」


 レイズ=レヴェナントはカーナを殺し、アキラとユラナの恨みを買っている。だが今から思えば彼には何か目的が有って動いていたよう見える。


 問題はアレクシス=ヴォルグ=アーレス大佐。当時は小佐であったが、アキラとユラナがTHAAD時代所属していた小隊の隊長であった。部下からの信頼も熱く、誠実で頭脳明晰、それでいて人柄もよくアキラとユラナかTHAAD退役の際も快く尽力してくれた尊敬に値する人物だ。


「でも、まぁ……腹の内は何を考えているか分からないところもあったわね……で? 最後の一人は?」


「……それは……」


 マリアは口を噤む。表情も暗い。口にするには憚れる人物ということか。だが分からなければ対策が取れん。


「そりぁ、言いにくいでしょうね……」


「……ゆっち……気づいて……」


「私でしょ? 貴女はそれを回避するため、私にこの話をした」


 ユラナの真剣な眼差しに耐えかねマリアは視線を反らす。それは肯定とるに十分な仕草であった。


「貴女がカーナだって知らなかったら、貴女の事を忘れてのうのうと幸せそうに生きているアキラの事を、多分赦せなかったもの。どう? 図星?」

 

 沈黙のまま頷いたマリアは徐に語り始める。ユラナの臆測通り、執行者にカーナを甦らせるといわれて取り込まれ、それを止めようと奮闘したアキラを口論の末、手に掛けると言った内容であった。


「分かっていたけど、相変わらず自分の馬鹿さ加減に嫌気が差すわ……」


 頭を抱えてテーブルに突っ伏す。これを自己嫌悪というのだろう。並行宇宙の自分とはいえ、自分が仕出かしたことの罪悪感に苛まれる。


「信じてくれるの?」


「……何を今さら、私がカナの話を疑ったことがあったかしら?」


 その言葉を聞いたマリアの表情が急に晴れやかなものに変わる。


「そっか! 実はこの話をしても信じて貰えたことなんて無かったんだ! もしかしたら今回は私が今まで見てきた時間軸と違うんだと思う。」


 嬉しさのあまりからかユラナの手を握ってマリアは涙を溢す。


「全く大げさね。それじゃあ。カナ、じゃなくて、これからはマリアって呼ぶけど、貴女も絶対ゆっちって読んじゃダメよ」


「うん……うん……」


「もしかしたらって言ったけど、他にも違うところがあるのかしら?」


 くずりながら頷き続けるマリアの膝元で寝返りをうったサクラがむくりと起き上がる。


「……お母さん」


「どうしたの?」


「……抱っこ」


 マリアはよしよしと愛娘を抱き抱える。懐で眠るサクラは安心感を得たのかとても心地よさそうであった。


「サクラちゃんはどの時間軸にも存在しなかった。別の子はいたけど、サクラと初めて会ったとき他人とは思えなかった。だから多分この子は……」


「考えられない話じゃないわね。当時の貴女、妊娠三ヶ月ぐらいだったじゃない。その頃はすでに脳や脊椎は出来ていて、意識形成が始まっているころ。巻き込まれていても可笑しくないんじゃないからしら?」


「そっか……」


 マリアはサクラを優しく抱き締め、愛おしそうに頬擦りをする。ユラナはその光景に羨望のような眼差しを向けている。恐らく自分の実母の関係との余りの差異に苛まれてのことだろう。


 ユラナは重々しい溜息をついて、肩を竦めながら痛烈な言葉の追い討ちを掛ける。


「あとアキラともう一度結婚しなさい」


「え?」


 我々外野を非常にやきもきさせ続けていたのだ。唖然としているのではなく、しっかりこの言葉を受け止めて貰いたいところだ。

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