第35話 聖女の正体

 リアレートで起きた一抹の事件は一先ず幕を降ろした。


 意識不明の重体で担ぎ込まれたアキラとユラナの二人は、マリアの応急処置のお陰で一先ず一命を取り止めている。


 現在はL.Lという女が去った三日目。私は飛行艇館内サーバーに身を移している。というのも、アキラとユラナは飛行艇のクエルボルームという一室で肉体再生を行っているからだ。


 クエルボルームには人体の再生に必要な営養素の入った箱が一面に敷き詰められている。


 TQX素体には昆虫に存在するアラタ体という器官が存在する。その器官によりTQX素体は蛹化ようかを実行する。人体は繭で覆われ、さなぎ内で脳精髄以外の組織は溶解され再構築される。


 ユラナは左腎臓破裂、右脚左腕欠損、もう3時間もすれば再生が完了するだろう。


 しかし問題はアキラだ。益荒男の放射線の影響により、脊髄に遺伝子レベルで深刻な損傷を負っていた。マリアがチューニングした分子マシンにより、再生を行っているが、後二日三日は掛かるだろう。


 さて、どうやらユラナの身体が全快したようだ。

 

 繭の中心に亀裂が走り、ユラナが中から指を掛け、強引に引き裂き、一糸纏わない姿で現れる。


 伸びきった髪をずるずると床に引き摺りながら、用意しておいたガウンに身を包み、欠損していた右手の平を閉じたり開いたりして、感覚の確認を行う。


『どう、まだ違和感がある?』


「……多少ね。でも、もう一度鍛え直さないといけないかしら」


 ケェリィアへの受け答えは正常だ。だが再生できるの筋肉量は日常生活に差し障りの無い程度までだ。彼女の握る手には、以前の同様の筋肉量が備わっていない。更に動きを鈍くさせているのは、破裂したときの激痛がトラウマ、それが緊張を与え、痛覚が残留しているような感覚を与えているのだろう。


電気的筋肉刺激EMSトレーニングをする?』


「今はいいわ……」


 ユラナはアキラが眠る繭に一瞥くれ、影を落とす。頭を抱えて顔を歪ませる。


『アキラなら心配要らないわ。後二日三日で再生が完了するわ』


 ユラナはケェリィアの言葉に首を横にる。唇を噛み締め、肩を震わせている。


「結局、私は……何も出来なかった」


 いつになく弱気を見せているのは、アキラがいないからだろう。普段啀み合い、貸し借りの話をするが、彼女はアキラに対してTHAAD離脱の際、大きな貸しがある。いや、彼女がそう思い込んでいるだけで、アキラ自身何とも思っていない。しかし、それは彼女は今でも、それを悔いている。今回の件は、持ち直した心を再び挫けさせたのだろう。


『そんなことは無いわ。貴女が作ったタメスゲン氏を追い込む資料がなければ、この都市は完全に崩壊していたわ』


 ユラナは都市の異常な経済成長課程を調べていた。そこから浮上した企業誘致に伴うタメスゲンへの不正な献金。それがリアレート独立への布石となった。ユラナの貢献はアキラとは比較ならないほど大きい。卑屈になる必要など何処にもない。


「……紅、見ているんでしょ?」


『何だ?』


 覗き見をしていたつもりは無かったのだが……やはり感づいていたか。


「……アキラが最後に使った……あのオブジェクトのソース。私に貰えないかしら」


『何を言い出すかと思えば、馬鹿なことを……益荒男のなら、マリアにこっぴどく責められてな。なだめる為に仕方がなく暗号キーを掛けた。彼女の許可無しにソースの閲覧も使用することも出来んよ』


 無理矢理抉じ開けられなくもないが後が怖い。無論アキラに二度と使用させる気も無いが。


「そう――ちょっと頭を冷やしてくるわ」


 ユラナはそう言って部屋の出口へと歩き出す。しかし、この場合シャワーを浴びて暖めたほうが良いだろう。


『そういえば、マリアが言っていたぞ』


「?」


 カメラに向かってユラナが不思議そうに小首を傾げて見せる。


『目覚めたら、待っていると言っていた。話があるのだろう?』



――PM11:00――飛行艇館内リビング――



 マリアはサクラに膝枕をしてあげながら、座ったまま船を漕いでいた。


 連日、難民キャンプの負傷者や病人の治療に当たっていた彼女は、昨日到着した医師団の増援により激務から解放された。


 シャワーを浴びて着替えたユラナは、伸びきった髪は一先ず上に纏めたポニーテールを揺らし、リビングへと音を立てずにそっと入室する。


 まだ温かさの残るコーヒーをカップに二つ入れ、マリアの前の席に付く。


 びくりとマリアの肩が跳ねた。ユラナの気配に気づいたのだろう。だが、見開かれる瞳はまだ虚ろだ。


「……起こしちゃったかしら」


「……ユ……ラナ?」


 ガタッと椅子がなり、サクラが目を覚ましてしまう。


「……お母さん……」


 目を擦りながら、サクラが身を起こす。


「……ごめんね……起こしちゃったね……まだ寝てていいんだからね」


 コクりと頷くとサクラはマリアの膝で再び眠りに付く。


「もう、すっかり母親ね……」


 愛おしく髪を梳く二人を見て、ユラナの口許が綻んだ。


「……ユラナ、身体の方はもういいの?」


「ええ……って言っても検査するんでしょう?」


「もちろん」


 二人の間に失笑が溢れる。それはユラナにとって死んだはずの姉妹との再会であった。


「久しぶりね。カナ」


「久しぶりだね。ゆっち」


 カーナ=サンチェス。彼女はアキラの妻であり、三年前レイズ=レヴェナントとシルフィア=レヴェナントと策略により殺害され、マイクロブラックホールエネルギー抽出実験施設の暴走事故により遺体も跡形も無く消滅した。


 ユラナが10歳の頃、町を襲った野良ドローンにより、それまで男手一つで育ててくれた父を殺され、当時母親は既に離婚し行方しれずであった為、奇跡的に難を逃れた教会に身を寄せることになった。そこで孤児であったカーナと出会い、以降姉妹同然の関係となった。


 彼女等は『ゆっち』『カナ』と呼びあって仲睦まじかったと聞いている。


「やっぱり、気づいていたんだね」


「私が気付かない訳ないでしょう? といってもちょっと前まで私も半信半疑だったのだけれど……」


 コーヒーカップをテーブルに置いて、仰け反りユラナは天井を仰ぐ。


「ちょっと前?」


「……戦闘の際、アキラを見る貴女の目を見て確信した。あの頃とまるで変わっていなかった」


「……そっか」


 そう言ってマリアはユラナから差し出されたコーヒーを受け取り、ありがとうと軽く感謝の意を告げる。一口付けて漏れたため息は諦めからか、納得いったからだろうか。


「ねぇ? 教えて? あの時死んだはずの貴女が何故生きているのか? その姿は何なのか? 今まで正体を明かさなかったのはどうして?」


 マリアはカップの水面を憂いだ瞳で見つめ、少し思案して、やがてサクラの頭を撫でながら語り始める。


「どこから話をしようか……その前に一つだけ約束してくれる」


「……何かしら?」


「あの人には黙っていてくれないかな? もちろん聞いていると思うけど、紅とケェリィアもだからね?」


 カメラに目線を合わせ、腰に手を当てて訴えてくる。


 あの人とはアキラの事か。確かに前に彼女は言っていた。自分がカーナであることを告げれば彼の命に関わると。


 ユラナは仕方がないといったように肩を竦める。


 まあ、仕方があるまい。


『了解した』


『分かったわ』


「分かった。もちろん、その理由も説明してくれるのよね?」


 ゆっくりと頷くマリア。そして彼女の口からあの事件の後の出来事が語られる。


 かつてアキラとユラナが互いに慕っていた二人の存在、レイズとシルフィアがカーナに手を掛けた三年前の事件を振り替える。


「あの時、私はブラックホールに飲み込まれ肉体はバラバラに分解され消失した……けど私の意識だけは消失することなかった」


「……意識だけ?」


「うん、正確には私という意識は消失を免れた」


『それはあり得ない。理論上救出可能なブラックホールは、太陽の10の5乗倍以上の大質量ブラックホールで、それも潮汐力が比較的弱い事象の地平面に到達するまでの間だけだ』


 とてもではないが、あの事件のブラックホールは、幾ら回転しているカー・ブラックホールとはいえ、その潮汐力は非常に強いブラックホールであった。


 その場合、飲み込まれれば直ぐに潮汐力でバラバラに分解されてしまうため、生存不可能である。


「話の腰を折らないで、それには理由があるの……」


『……すまない』


 叱責を受け、私はスピーカーを噤む。不機嫌になった心を諌めるようにコーヒーを口に含み飲み込む。


「生前の私が使っていたオブジェクトって何だったか、覚えている?」


「……パーフィットトランスポーター……もしかしてっ!」


 ユラナは何かに気付いたかのように驚きの表情に変わる。


 パーフィットトランスポーター又はパーフィットの分離脳、有名な思考実験の一つで、完全な脳移植があったと仮定して自分のクローンに脳を半分移植したらどうなるのか? 又は完全な細胞スキャン技術があったとして、それを元に遥遠い火星などで、寸分違わない状態の自分が構成できたとして、ただしスキャンされた人間は完全に消滅する装置があった場合、人格同一性が保たれるのかを考える議論だ。


 彼女は自分が感じた意識体験クオリアを他者に伝え共有することが出来た。たが他者に胸の内を曝け出すそのオブジェクトの本質は意識を量子バイナリデータにして転送する点にある。


「意識だけとなった私は、気づいたときには特異点を越えて、四次元時空、反ド・ジッター空間に辿り着いた」


 俄には信じがたい話ではあるが、あり得ないと言い切れないかもしれん。反ド・ジッター空間ということは空間と時間が区分されない空間。


「私はそこであの人、アキラの未来を見た」


 彼女は永遠の時を虚空で孤高の空間でただ一人、彼だけを見続けていたという。誕生から死まで、並行宇宙のあらゆる可能性とその結末を彼女は見た。その結末というのは――


「その全ての結末が、私を庇って死ぬ」


 彼の死は免れない。いずれの時においも自分がカーナであることを告げ、殺害される。相手はバラバラだが三人いて回避は不可能。唯一の可能性は自分がカーナであることを明かさない事。その未来だけは無かったのだという。


「それじゃあ、貴女は――」


「私は彼を護る為に、助ける為に戻ってきた」


 彼女はただ愛する者の為に戻ってきた。だがしかし、それでは正体を告げることも回避不可能ではないだろうか? それも彼女は分かっている筈だ。となると彼女の取ろうとしている手段は一つしか考えられない。


『君は再び身代わりになるつもりなのだな』


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