第34話 猟奇の魔女

 甲高い声と華奢な足音に気付き、視界の片隅に青ざめた表情で駆け寄ってくるマリアの姿を捕らえる――が、既に遅い。


 制止を訴えるマリアの悲痛な叫びは男達の大地を蹴った衝撃と轟音により虚しく掻き消された。


 それは体重70kgの二乗、凡そ5tの物体が秒速300kmで移動する為に生じた衝撃。熱量にして約220MJメガジュール。乗用車数台分を容易く吹き飛ばす程の衝撃だ。至近距離では無かったため、恐らく無事であろう。


 残り――11秒


 交差した刃の衝撃が土煙を吹き飛ばす。


 アキラは両手剣を受け流し、D.Dの背後を取り、そして反転、回転を付け加え、龍の爪の如き三の並列した刀傷を彼の背中に負わせる。


 無類の堅牢さを誇っていた甲冑は嘗ての面影は無く、赤い飛沫が撒き散らす。


 残り――8秒


 痛みを堪えD.Dが振り向き様、両手剣で振り払う。


 だが、アキラは既に図上、D.Dの刃は空を切り、土煙を撒き散らすだけに終わる。


 アキラは空中で身体を捻り、回転を付け、龍の尾の如く刃を振り下ろす。


 大地を砕く銀閃がD.Dの肩が裂き、傷口から噴き上がっ血吹雪は、衝撃により舞い上げられた土煙を黒く染めていく。


 残り――6秒


 D.Dは両手剣を振り下ろされ、銃剣の剣先に触れたことで、反響した金属音が空気を波立たせる。


 その剣先は龍の逆鱗に他ならない。


 弾かれた銃剣は弧を描く。



「紅っ!!」


MassAccumulation質量累積……Cubed三乗


 アキラの呼び掛けに私は更に質量の増大を実行する。熱量にして15億J。それは雷のエネルギーに匹敵する。


 宙に舞う銃剣を掴み、アキラは踏み込む。


 煌めく二重の銀閃。


 龍の顎の如き上下二段の白刃は、盾された両手剣と彼の腕を喰い千切り、宙に舞った砕けた刀身と左腕が鮮血と破片の雨を降らせる。


 血で塗りたくられた大地の上に、彼は右手には柄だけとなった両手剣が携えられている。既に満身創痍なのは明らか、いつ倒れても可笑しくは無い。


 もう終わりしによう。


 この闘いは無意味で虚しい。アキラもそれは分かっていた。無理にでも拒むことは出来た。だが、彼がそうしなかったのは、彼との束の間の友情からか、それとも背負うものがあるもの同士の敬意からか。



 何れにせよ、責めて自分の剣で幕を引くことを握りしめられる彼の手が私に伝えた。


 故に私は応える。


 残り4秒――


MassAccumulation質量累積……Quadratic四乗


 台風に相当するエネルギーを纏い、踏み込んだ脚が地面を抉り、駆け抜ける跡には隆起した大地のみを残す。


 空気の摩擦熱と舞い上がった小石により、アキラの皮膚が徐々に焼けただれ、引き裂いていく。バリオンによる保護をしていたが、最早限界だ。



 天羽々斬がD.Dの心臓を貫く。


 残り2秒――


 アキラは勢いに任せ、D.Dの身体を岩壁に叩きつける。


 本来なら肉体など紙片となる衝撃だが、D.Dの身体は人の形を保っている。ダイヤモンドの甲冑が辛うじて繋ぎ止めているのだ。


 蜘蛛の巣のような無数の亀裂が岩壁一面に走り、岩石の雨を降らせ、飛び散った硬い岩盤の破片が、アキラの身体に突き刺さる。


「ああ、安心しろ……俺は死なねぇ!!」


 それは誰に伝えた言葉なのだろうか。いや、恐らく自分に言い聞かせる為の言葉だろう。


 残りの時間を全て使い刃を押し込んでいく。


 D.Dの手は刃を掴み、抵抗を見せているようであったが、既に押し退ける力は無かった。


 ――益荒男、強制終了シャットダウン


 吐血を地面にぶちまけ、二人は地面に崩れ落ち、膝を付く。


 徐にD.Dの手が刃から離れ、その手から琥珀色の半透明な立方体が構築されていった。


 それはキューブ。特殊な記録素子でできた大容量記録媒体。


 アキラが何も言わず受け取るのを見届けると、D.Dの身体は次第に分解され、青白い粒子となって霧散していく。



 ようやく長い戦闘も幕を引かれようとしていた――が、


 

 突如、霧散していった青白い粒子がまるで竜巻如く、我々の周囲を回り始め、そして一点に収束する。


 そして青白い粒子は互いに結び合い、青く輝く水晶のような正八面体が構築されていった。


 万有引力の法則を無視し、空中で漂うその物体は、緩かに回り、その輝きは見いってしまうほど美麗であり、同時に不気味であった。


 好奇心に釣られたのか、アキラは徐にその物体に手を伸ばす。


 緩かだった回転が突如その速度を速め――。


 そして、止まる。


〈熱量急速上昇を検知〉


『避けろっ!! アキラっ!!』


 視界がその物体から放射される閃光に包まれる。


「これで貸し二つよっ!!」


 D.Dが放っていた同質のガンマ線による光線が青い物体の頂点から放たれ寸前、襟首を引っ張られ、景色が変転する。


 我々はユラナに間一髪助けられた――のはいいが、アキラの身体は乱暴にマリアの懐へと投げ飛ばされる。

 

 まったく……もう少し丁寧に扱ってやってはくれないか?


「アキラっ!!」


 抱き止めたマリアは、直ぐ様触診をし始める。瞳孔の確認、裂傷と熱傷の確認、脈拍。アキラの全身を隈無く調べていく。


「……大丈夫……だ……」


「ちょっと黙って」


 彼女に心配かけまいようとして付いた見え透いたアキラの嘘など一蹴して、マリアは患部の確認を続ける


「……ニュンフェ……お願い」


 アキラの胸元に置かれた手からマリアの治療用オブジェクトであるニュンフェが白い糸状に吹き出て、身体中の患部という患部に纏わり付いていく。


 ニュンフェが患部を覆うと、忽ち突き刺さった岩盤の破片が滲み出るように白く覆われた表面から排出されていった。


 苦悶の表情を浮かべていたアキラの顔は段々と穏やかな表情へと変わっていく当たり、恐らく麻酔剤も注入されているのだろう。


「一先ず体内にも分子マシンを注入して、応急処置はしたから、今は絶対に動かないで」


 頷く当たりをみると意識はあるようだ。注入された麻酔剤の筋弛緩作用からか、筋肉の強ばりが解けている。


『命の別状は無いのか?』


「紅……私、今凄く怒っているんだけど?」


 目尻を険しく吊り上げ、声にも怒気が混ざり、大変ご立腹であらせられる。

 

「……マリア……違げぇんだ……俺が……頼ん――」


「だから喋らないでって言っているでしょっ!」


「二人ともイチャついているところ、悪いんだけど、あれをどうにかしないとマズイと思うのだけれど?」


 その場を不気味に漂い沈黙している青い物体に向けユラナは膝を付きライフルを構え、射撃体制を取る。


 引金に指を掛けた瞬間、青い物体は再び強い輝きを放ち回転し始め、頂点がユラナに狙いを定める。


 ユラナは引金に掛けた指を放し、咄嗟に地面を転がり回避行動に移る。迅速な行動が 功を奏し、青い物体より放たれた光線は肩を掠めるだけで済んだ。


「こちらの攻撃に反応するのかしら?」


『恐らく自動迎撃システムの一種ね。一定の距離や、攻撃体制に反応して、あの光線を放つのね』


 ケェリィアの言う通り、青い物体の動作は反射的で機械的であった。アキラの場合は至近距離に居たため、ユラナは射撃体制を取ったため、攻撃を受けたのだと推測する。


「あらぁん? 本当に倒されちゃっているのねぇ?」


 突如頭上より、粘り付くような女性の声が岩壁内で響き渡る。


 一人の女性が月夜より舞い降りてくる。 D.Dと同じ色の銀髪青眼、銀色に輝く羽衣。豪華絢爛な着物を纏い、冷やかな輪郭の中に柔らかい肉感と愛らしさを閉じ込めているような蠱惑的な容貌。際どく開けた着物から、はみ出さんばかりに盛り上がった白い胸の双丘。妍姿艶質な容姿で妖姿媚態を振り撒く。


 恐らく執行者なのだろう。ここに来て連戦になるとは温存しておくべきであった。アキラもユラナも、もうまともに動ける身体ではないことは明白だ。


 アキラが傷付いた身体を起し、立ち上がろうとし。患部を覆ったニュンフェに血が滲み出して赤く染めていく。


「アキラっ! お願いっ! 動かないでっ! これ以上動いたら本当に死んじゃうっ!」


 立とうとするアキラをマリアが腕に必死にしがみつき止めようとするが、アキラは徐に彼女の頬に手を伸ばし、赤い瞳に底光りする涙を拭い、微笑みを投げ掛ける。


わらわはL.L……安心ししなさぁい。戦いに来たんじゃないわん」


 突如舞い降りた女は、D.Dであった青い物体を救い上げるようにして手にとってみせると、それを手の上で漂わせる。迎撃されていないところかから察するに同族同士を判別する為の何かしらのシグナルがあるのだろう。


「これは妾達の身体、MQZ義体の最終自閉状態。反射的な防御行動を取りながら、急速な再生を行っているわん」


 露骨な迎撃行動の上、光線の殺傷力、反射的な防御行動が聞いて呆れる。寧ろ悪意さえ感じる。


『L.Lと言ったな。君の目的はそれの回収か?』


「それだけじゃないのだけどぉ、そうねぇ……」


 L.Lと名乗る女は青く輝く物体を眺めながら次第に恍惚とした顔つきになっていった。


「もう一つ出来たわぁん」


 女の姿が消えた刹那、フラフラと立ち上がったアキラの眼前というより寧ろ目と鼻の先に女の顔が現れる。アキラが振り解く間も与えないほど、それは瞬く間であった。


 腕を首に回し、ねっとりと唇を押し付けられる。


 唇を吸われ、舌を押し込まれ、貪るような接吻の前にマリアとユラナが唖然とする。


「――っ!!」


 アキラは唐突に痛みを感じ、女を押し退けるが、既に女の姿は無く、唇から血が滲み出ていた。


「……妊娠したわぁん」


 その意味不明な呟きとともに、腹部を擦りながら再び現れる妖艶な微笑みを浮かる女。

 その猟奇的ともとれる微笑みは他の女性陣が敵意を示すに十分であった。


「この水晶体から貴方様の戦闘データを見させて貰ったわぁん。アキラ様……貴方様は妾の夫として素晴らしいわぁん。何せ執行者を単体で屠れる能力と頭脳をお持ちですものぉん。きっと産まれてくる子は素晴らしい存在となるわぁん」


 どさくさに紛れてL.Lという女はアキラの遺伝情報を奪取したのだろう。それを自分の卵子に受精でもさせたのか。経口で好配可能とは一体MQZ義体とやらはどういう構造をしているのか。疑問に尽きないがTQX素体の遺伝情報を奪われたのは相当な痛手なのだが、代わりと言ってはなんたが、はっきりした事が一つある。執行者を含め火星評議会の連中は、黴の這えた優生学理論に固執している。V.Vや眼前のL.Lといい、一々言動が狂っている。


「……この臭い、アンドロゲンとオキシントンねっ!!」


 マリアの鼻を抑えながら叫ぶ。先ほどからアキラの神経伝達速度が鈍いと思っていたが、なるほどL.Lという女は性欲増進ホルモンをばら蒔いていたのか。


 アキラの視界が歪んで膝を付く。血圧が上昇し、血流量も増加する。血中にアンドロゲンを中心に異常な性欲増進ホルモン量を検知する。


 吸引のみならず経口から直接血管内に注入されたのか。


 崩れるアキラを見や否やマリアはアキラの背中に手を置く。


 次第に各種性欲増進ホルモンの数値が下がり始める。


 マリアは咄嗟にニュンフェで抗ホルモン剤を精製、注入することで興奮作用の抑制を測る。


「貴女があの培養肉をばら蒔いた主犯ねっ!!」


「頭が高いぞ、小娘」


「――!!」


 女の目つきが変わった瞬間。ユラナの右足の膝から下が弾け飛び、肉片と血膿を撒き散らす。


 言葉では表現できない程の押し潰すような呻き声を揚げて、ユラナは地面をのたうち回る。


「ユ、ユラナっ!!」


 マリアはアキラの背から手を放し、袖を食い契り、患部を縛り上げ、急いでユラナに止血を施す。


「優れた男、英雄好色なれば、側室や愛人の一つや二つ、赦してこそ良い女というもの……ですが、この者達はアキラ様と肩を並べるに少々品性に欠けますわぁん。そうは思いませんこと? アキラ様ぁ?」


 D.Dの言っていた猟奇的とはこう言うことか。この女、アキラ以外の人間をゴミ程度にも思っていない。ただ女は頬を赤らめて手を当て恍惚した表情でアキラを見下ろしている。


「その憤怒に満ちた表情も、また素敵ですわぁん。培養肉なんていう手間を掛けた甲斐がありましたわぁん。無能そまつ人間しょくざいでも味わい深い料理へと変えるのが良い妻の条件と言えるのではなくてぇ?」


「狂ってる……わ」


 そのユラナの発言と同時に、その女の冷淡な瞳が、今度は左腕を弾けさせ、肉片と血漿の雨を頭から被ったマリアとユラナの悲鳴が岩壁内を木霊する。


 L.Lはその光景を満て醜くも満足げな表情を浮かべると、青い物体を周囲に漂わせて、裾の先を掴み、軽く会釈をする。


「今日はこの辺で失礼いたしますわぁん。無事、稚児が産まれた暁には、御披露目致します故――」


 L.Lは頭を上げ、続け様に何かの暗示を言い残す。


「それと呉々も帰り道、ドローンには注意してくださいませ。無事をお祈りしておりますわぁん。貴方様」


 V.Vと同様に量子化による青い粒子となって消えるL.Lをアキラは何もすることができなかった。


 意識レベルが急激に下がっていく。


『アキラっ! しっかりしろっ! マリアっ! 直ぐに此方に――』


 私の呼び掛けも虚しく、アキラの脳が処理できていない事がわかる。


 歪む視界。月夜なのに白く包まれる幻夢へとアキラの意識が誘われていった。

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