第26話 解ける弦
「壮観だな……だが、ぎこちねぇ。やっぱりお前には向いてねぇよ。レジスタンス」
彼女の行動一つ一つに見せる数秒の間。
明らかな
一瞬の筋肉の硬直、それは人間の当然の反応だ。
「そんな様子じゃぁ、俺を乗り越えるなんて無理だな。そもそもこの戦争は本当にお前が望んだことなのか?」
「……兄貴には関係ねぇじゃねぇかよ……」
「あぁ?」
「だってそうだろっ! 経済支援にしに来ただけの人間が、何で戦争にしゃしゃり出てきてるんだよっ!」
最もな話だ。はっきり言ってTwelveThinkerの
経済支援団体がただの武装集団と認識されてしまっては、団体の存続も危うくなってしまう。
紛争地域での活動も日常茶飯事なこともあってか、自己防衛手段としては余りある戦力を保持していることは否めないが。
「……まぁ、そうなんだけどな。はっきり言って俺達の仕事の範疇を超えている。部外者が出張る問題じゃねぇし、誰が好き好んで戦場に足を踏み入れなきゃなんねぇんだって話だ」
肩を竦めてそう言うが、戦場に赴く君の足は少し浮き足だっていなかったか?
まぁ、一先ず水を指すような真似は止めておこう。
「……けどな、どうやら俺は――」
アキラは言いかけた言葉を呑み込み、周囲を見回し何かを探し始める。
人間特有の直感なのだろう。その高速演算処理で彼は稀に阿頼耶識を速く察知することがある。
何者が近づいてくる足跡。
素足で走っているようなペタペタと粘りつく奇妙な音を拾う。
その音が鳴り止み、見覚えのある人影が視界に飛び込んできた。
「シオンっ!」
声の主はアイシャ氏であった。
我々を探すと言って、何処へ行方が眩ましたかと思っていたが、どうやらシオンを探していたらしい。
息を切らし、胸を押させ、青ざめた顔に滝のように流れる汗、全身には無数の
様子からして町中を走り回っていたような印象を受ける。
「……シオンっ! お願いっ! もう、こんな事はやめてっ!」
心の高ぶりと焦りを抑えきれないアイシャ氏、切実な声音はそれを物語っている。
「何でお前がここにいんだっ!? 二度とその
アイシャ氏の想いとは裏腹、シオンからは冷えきった銃口が向けられる。
実妹の威圧的な剣幕にアイシャ氏は気圧され、次第に身を震わせ怯えた子犬のように足が後ずさり始める――
しかし、彼女は踏み留る。
唇を強く結び、拳をぎゅっと握りしめ、震える体を押し殺し、一歩踏み出した。
一歩踏み出した足に震えが消えていた。しっかりと地に着き、強い意志が宿っているように見える。
大きく擦りむいた片足を少し引き摺りながらも、アイシャ氏は徐に二人の間に割って入り、両手を広げシオンの前に立ちはだかる。
「おいっ! ちょっと待てっ! アイシャっ! 何の真似だっ!」
怖ず怖ずと振り返るアイシャ氏の顔には何故か疑念に満ちており、その疑念の正体は直ぐに分かった。
「その声はもしかしてアキラさんですか? どうしてここに? その格好はいったい……」
フルフェイスマスクに全身プロテクターという見るからに奇怪な出で立ちならば当然の反応と言える。
「ああ、これは――って、今そんな話をしている場合じゃねぇっ! 何でこんな所に居るんだっ! さっさと逃げろっ!」
無防備な知人が目の前に現れ、声を大にして待避を促すが、アイシャ氏の決意は固い。瞳に微塵の揺らぎも無い。
「……ごめんなさい。今は出来ません。お願いです。最後にもう一度だけシオンと話をさせて下さい」
真剣な彼女の眼差しにアキラは肩を竦めるほか無かった。決意した彼女の前にはどんな言葉も無粋にしかならないだろう。
「分かったよ。アンタのその胸の中にあるもん全部ぶちまけてきな」
アキラは無粋な中でも上等な激励の言葉を選択する。
力強く頷くアイシャ氏は振り返りシオンの下へと歩み始める。
だが、最後という言葉。その言葉だけが引っ掛かる。
「今さらアンタと何を話すことなんてねぇっ!」
歩み寄り始めたアイシャにシオンの再び銃口がつけらる。
「……そうよね。本当に……」
胸元で手を合わせるアイシャ氏。
背中に汗が滲み出て極度の緊張が窺える。
白いブラウスが透けて――
「私はあの日の事を後悔してもしきれない」
何だ? あれは……?
「なあ? 紅。アイシャの背中……」
『ああ、傷痕のようだな』
ブラウス越しから見える無数の傷がアイシャ氏の背中に刻まれていた。
「ねぇ? 彼処にあったレストランを覚えている?」
左手にあるテナントを見つめ、アイシャ氏はシオンに問いかける。
「……そうだっ! アンタは綺麗なドレスを着てっ! 温かい料理を食って! そしてアンタはアタシから目を反らしたんだっ!」
それがシオンの言っていた祖母の薬を買った帰り道で見たものか。
右目を潰してまで物乞いをしなければならない貧しい妹。
かたや裕福な家庭に引き取られ、綺麗な服、豪華な食事に囲まれる姉。
たった一枚の硝子がシオンにとってとても分厚い壁に見えただろう。
シオンが見たのはリアレートという都市の現状――。
そして貧富の差という世界の現状だ。
恐らく彼女がその時感じた絶望は、時を経つにつれ怒りに変り――。
悔しさは憎しみに変り――。
憧れは願いに変わったのだろう。
「やるせねぇな……」
居た堪れないな。
アキラが肩を落とすのよく分かる。
シオンが集落の為にレジスタンスまで作った理由がこれか。
だが、そこを漬け込まれた。
「そうね。私はガラス越しの貴女から目を反らしてしまった。手を差し伸べる事も出来たのに……出来なかった。今さら謝っても遅いって分かっているっ! それでも私は――」
「うるさいっ!! 結局のところアンタはアタシを見捨てたんだっ!」
「……そうよね。理由や形がどうあれ、結果として私はシオンを見捨ててしまった……議会に入って経済支援担当になって、罪滅しが出来ると思ったけど、結局アキラさん達に頼ることしか出来なかった……」
肩を落とし、俯くアイシャ氏。
しかし彼女が陰りを見せたのは一瞬だった。
「そんな無力な私だけど、それでも私には貴女を止める」
表を上げたアイシャ氏は腕を広げ、シオンへと再び歩み寄る。
アイシャの気迫に気圧されたのか、シオンの表情に段々と焦りが見え始める。
「ごめんね。苦しかったよね……辛かったよね……」
「近づくんじゃねぇっ!」
怯えた獣のように吠えながら、シオンは一歩一歩と後ずさっている。
いや、怯えとは少し違う。シオンはアイシャが自分に向けてくる感情が何なのか分からず、人間が未知のものに恐怖するかのように、どうすればいいか分からず困惑しているのだ。
「紅、いざとなったらう動くぜ」
「ああ、分かっている」
その困惑は噛みついてくる猟犬のようにシオン自身を激情へと突き動かし兼ねない。一触即発の状態、心のメーターが振り切られればアイシャ氏の身が危ない。
しかし、シオン自身もその感情が何であるか分かっているはずだ。亡くなった両親や祖母、アデニ氏、アキラやマリアが向けていたものだ。
震え始める銃身。
アイシャを向けられた銃口が宙を彷徨う。
「なんでっ!」
照準を合わせられず、銃の不調を疑い、わざとらしく銃を平手で叩くシオン。
自分の手を見てようやく分かったようだ。震えいるの銃ではなく自分の身体だということに――
「……やだ……こっちに来ないで……そんな目で私を見ないで……」
怯えた様子で首を横に降るシオンの顔にはレジスタンスのリーダーとして凄んでいた面影は最早無く――
「何もしてあげられなくてごめんね……わがままかもしれないけど……貴女に……貴女のその手を血に染めたくないの……」
そして、ただ純粋に妹を慈しむ姉の姿があった。
だが――
「……どうして……そんな目で私をみるの……そんな目を向けられたら……そのまま見捨てておいてよっ! 私に恨まさせておいてよぉぉぉっっ――!!」
「まずいっ!!」
銃声――
シオンの溢れでる感情が火を吹く。
刹那――
振り下ろされた銀閃――
乾いた金属音が鳴り、銃弾は叩き落とされ、彼方へと消える。
発砲の瞬間、重力波加速によりアキラはアイシャの前に割って入り、天羽々斬で弾丸を弾き飛ばしたのだ。
銃口から昇る硝煙の先に映るシオンの顔は雷に打たれたかのように目を大きく開かれ、片方の瞳から涙が伝っていた。
「……え?」
「お前に誰も殺させないって言ったろ?」
零れ落ちるAk-47。
騒がしくも虚しい音が鳴り響く。
そして訪れる刻。
崩壊の刻を迎えヌーの群れが霧散していく。
粉雪のように――
綿毛のように――
儚く舞い散る光の粒子――
青白い燐光に包まれシオンは全身の力が抜けたかのようにシオンはその場に膝から崩れ落ちる。
大粒の涙が地面を濡らしていく。
「……なんで……どうして……私は……おばちゃんの為に……みんなの為に……戦わなきゃならないのに……みんな……どうしてとめるの」
「そいつは――」
「貴女を愛しているからよ」
「え……?」
顔を上げたシオンの顔はもう年相応の少女の顔に戻っていた。
肝心な台詞をアイシャ氏に奪われ、無粋にも悔しがるアキラであったが、やがてシオンに頷いて見せる。
シオンは大勢の人からの愛情を受けていたことに始めて気づいたのだ。
アイシャはシオンの前に膝を着き、シオンの頬へと伸ばされる手は――
「愛して……いるから……放っておくことが……できないの……苦しんでいる……貴女を助けたいの……」
突如崩れ落ちる。
アイシャ氏は胸を抑え苦しみ始め、額には汗、顔色がみるみる青くなっていく。
この症状はもしや――
「アイシャっ! 大きく息を吸えっ!」
呼吸が荒くなり、その場に苦しそうに踞るアイシャ。
「何……どうしたの……?」
何が起きたのか分からず、狼狽え動転し始めるシオン。
「こいつは……まさかPTSDかっ!?」
その懸念はあった。気落ちしやすく、度重なるストレス。極めつけは肉親が起こした戦争。その根本は恐らく背中にある無数の傷痕。
THAAD内でも残酷無情なドローン相手故にPTSDの患者は後を絶えなかった。私の記録領域にも大量のデータが残っていたため症状の照合は容易であった。
PTSD、心的外傷後ストレス障害は生命の危機や虐待などで強い精神的衝撃を受けることのより、心身の支障をきたす疾患だ。
「アキラっ!!」
頭上から降り注がれた声へと見上げたアキラの視界に巨大な影が映る。
衝撃――
目の前に落ちた巨大な物体は地面を激しく揺らす。
爆風にも似た土煙は、漂っていた光の粒子を吹き飛ばし、一瞬視界を奪う。
落ちてきたのは仰向けになった巨大な蛇、グローツラング。
その上に佇むのは二つの人影、一人は黄昏髪の淑女。見慣れない箱を肩から下げたユラナ=ベフトォンの姿。
もう一人はオリアーヌ=エスラン。余裕の表情を見せるユラナとは対照的に、息も絶え絶え、酷く消耗しているように窺えた。
アイシャの異変に眉をひそめたユラナが、血相を変えて近づいてくる。
「何があったの?」
「ああ、アイシャ氏が倒れた。多分――」
「やっぱりね」
ユラナは懐から何かを取り出そうと手を伸ばしたが、止まり、目を伏せ一瞬考えるような素振りを見せた。
「アイシャ、呼吸に意識を向けて、私に合わせて呼吸して」
うっすらと開いたアイシャの目を見つめ、ユラナは吸う時間より吐く時間が少々長い呼吸を始める。吸う時間は約4秒、吐く時間は約6秒といったところだろうか。
適度の間隔の呼吸を繰り返すにつれ、次第にアイシャ氏の顔に生気が戻ってきかように見えた。
「大丈夫。ここにはみんながいる。貴女を守ってくれるわ。発作も一時的で収まるから、そのまま続けて」
「やっぱりって、PTSDか?」
「そうよ。幼い頃彼女を引き取った叔父夫婦というのが酷い奴等で、気に入らない事があると彼女に折檻をしていたのよ」
やはり背中の傷痕はその時のものか。ユラナはマリアとともにシャワーを浴びている時にその話を聞いたそうだ。
「彼女が言っていたわ。レストランの前にいた妹を見たとき、食事中に席を離れ、声をかければきっと折檻されると思って、怖くて目を背けてしまったって」
理由がどうあれ目を背けてしまった事実は変わらないなどとアイシャ氏は言っていたが、それを当時子供であった彼女を誰が責められようか。
「何よ……それ……そんな話……聞いていない……」
自分の抱いた憎しみや怒りが誤解から生じたものだという事を伝えられ、自分が今までしてきたことの無意味さに、シオンの心は最早限界だった。
「ああ……ああ……ああああああああああああああああっっっっっーーーー!!!!」
堰をきったように悲痛な叫びが周囲に木霊する。
頭を抱えて、嗚咽を漏らし、大粒の涙を溢す痛々しいシオンの姿。
アキラは直視する事が出来ず目を伏せる。
「苦しいのはお前だけじゃねぇ。みんな苦しいんだ。現に今、お前の姉ちゃんは苦しんでいる。お前の目の前で苦しみから救おうと身体を張った肉親が苦しんでいる。お前はどうする? どうしたい? ばあちゃん……アデニさんが言った言葉を思い出せ」
アキラは敢えて能動的な言葉を掛けた。
それはアデニ氏の最後にシオンに掛けた言葉を思い出して欲しかったからだ。
自分の気持ちに素直になりなさい。
そうしなければ彼女自身が本当に欲しかったものが手に入らない。
徐に顔を上げ、顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、シオンは声を絞り、地面に伏せたアイシャ氏に語りかかける。
「……姉さん……ごめんなさい……私……何も知らなくて……傷つけて……ごめんなさい……本当は……昔に……戻りたい……手を繋いで……町を歩きたい……」
「……嬉しい……」
罅が割れたような掠れた声。
胸を抑え未だ苦しそうな顔を浮かべながらも起き上がろうとアイシャは身を起こす。
「アイシャっ! まだ起き上がっちゃ駄目よっ!」
立ち上がろうする身体は未だ言うことを聞かないようで――
「姉さんっ!!」
ふらついたアイシャ氏の身体を、シオンが抱き止める。
「……やっと、昔見たいに……呼んでくれた……ね」
シオンの頬ににアイシャの細い指が伝う。その姉妹の微笑みは幼い子供のよう
「ごめんね。今度は目を反らさないから、今度は絶対放さないから……」
シオンは首を横に降る。
「もういいの。今までずっと見守ってくれていたんだよね」
シオンはただ気づけなかった。手を伸ばせばそこに救いの手が差しのべられていた。
全ては誤解から始り、憎しみが宿り、そして戦火が放たれた。
互いに抱き合う二人の涙が零れ落ちる。
二人の間には最早誤解はない、憎しみは愛が包み込み、姉妹の涙により戦火は静まっていく。
「皮肉なものね……」
「何が?」
「現代の
まさか彼女達の父親は現代の量子暗号通信と超高速通信の開発者、アスレス=ヴェライタだったとはな。アイシャ氏名前は姓ではなく父称であったか。
ユラナの言う通り確かに皮肉な話だ。
「皮肉? そいつは違ぇな。端から強い絆で結ばれていたんだよ。この姉妹は……」
最初から我々が口を挟む余地など無かった。
結局のところ我々が出来たことといえば、アイシャ氏が来るまでの間、時間稼ぎをしただけというところだ。
「端から無粋な真似だったかも知れねぇな……」
もはや彼女に仮初めの
既に彼女には彼等よりも強い絆で結ばれた姉がいたのだから――
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