第21話 策略者の凶弾

 その晩、彼等は川の字になって床に就く。安らかな寝息を立てて安心そうに眠るサクラを、二人は穏やかに見守る。


「突然、どうしたんだろうな。サクラは」


「……私には何となく分かる気がするな。多分、待っていたんじゃないかな? アデニさんが言ってたんだ。この子、よく玄関先で立ったいることがあったんだって、多分きっと」


「……両親が迎えに来るんじゃねかって思っていた?」


 無言が解答だった。アキラはサクラの髪を撫でる。


「時々、思うんだ。俺にも子供がいたんだ。いたって言っても、まだ産まれていなかったんだけどな……それを知ったのは女房が死んだ後で、もし生きていたら、こんな娘だったのかなって、まあ男の子か女の子かも分からない状態だったんだけどな」


 カーナは妊娠していた。アキラ以外の仲間はみんな知っていて彼を驚かせようと企画していた矢先、ある事件で命を落とす。彼が妊娠の事実を知ったのは、葬儀の際、彼女の身の回りのものを整理していた時、偶然見つけた網かけの小さな靴下と、そこへ現れたユラナが持っていた母子手帳を見たときだった。


「おいおい、どうした? 何があった?」


「えっ?」


 マリアの瞳から一滴の涙が流れ落ちていた。


「あ……れ……どうしてだろう……何でかな……」


 マリアの頬へと延びる指先。


 アキラはその涙を親指で拭う。


「……さっさと寝ろ」


 流石に自分の今とった行動が恥ずかしくなったのか、彼女らに背を向けて、目を閉じる。


 背後からマリアの音声を微かに拾う。


「……ちゃんと、産んであげられなくてごめんね。でもお母さん、貴方とお父さんを絶対守るから……」


 アキラの耳に届いたかどうかわからない。ただ脳波やヒスタミン量からして睡眠に落ちていないことだけは確かだった。


 

 そして三日後、ある事件が起きる。


 いつもの如くアキラは、マリアとサクラに見送られ畑に向かい、畑作りに勤しんでいた。


「兄貴っ! ありゃなんだ」


 クールー病の治療が開始し、次第に羅患者が回復を見せ始めた頃、シオンからアキラは兄貴、マリアは姉貴と呼ばれるようになって、レジスタンスも最近、襲撃を計画することもなく、農作業を積極的に協力するようになって、我々の関係はとても良好であった。


 中でも意外であったのはアキラとデュークの関係だ。古い内燃機関搭載のバイクという共通の趣味を持っていたことが幸いし、デュークのバイクを触らせて貰ったり、乗らせて貰ったり、連日連夜バイクを肴に杯を交わしていた。その度に酔い潰れ、マリアにこっぴどく叱られたのは言うまでもない。



「ああ?」


 シオンに言われるがまま、アキラは彼女が指差す方向を眺める。

 

 突如、崖の向こうから黒い巨体が現れ、目を見張る。


 彼が目を見張ったのはその光景というより、その見覚えのある巨体だろう。


 一定の角度を付けられた単純平面の装甲、鋭角なフォルム、レーダー反射段面積RCS値が低く設計された、コンテナ搭載の輸送用ステルス飛行艇。


「あれはTHAADの戦術輸送艇じゃねーかっ!」


「はぁ!?」


 その巨体は旋回しながら凡そ20㎞離れた集落へと降り立った刹那、アキラの心拍数が羽がり、鍬を投げ捨て走り出す。


「待てっ! アキラっ!」


 デュークの制止など耳に届かない。恐らく血中のアドレナリン量からして過度のストレス反応を示しており、焦りや不安が彼の心を支配しているからだろう。


 凡そ時速40㎞。アスリート並みの速度で荒野を駆け抜ける。

 

 そこへ緊急連絡用回線でユラナからの通信が入り、ホログラフィスクリーンを投影すると血相を変えたユラナが写し出された。


『アキラっ! 面倒臭いことなったわっ! THAAD本部からの別部隊が、どうもあのクズの部隊らしいの!』


「あのクズ? 誰の事だ? あそこクズの温床だろうが。まともな奴はアースの部隊の連中ぐらいなもんだろ?」


『ああもうっ! その中でもクズ中のクズがいたでしょっ!? アルバートよっ! アルバート=マクラウドっ!』


「はあ!? 何だアイツ、まだいたのかっ!?」


『残念ながらね。どうやらお灸が足らなかったようね』


 アルバート=マクラウド。オブジェクトデバイス開発企業で世界第三位、マクラウドデバイス社の御曹司で、性格に少々、否、多々問題ありの男。親のコネでTHAADに入りそれが自分の実力だと勘違いしているなど挙げればキリがないほどの愚かな男で、出来れば関わりたくない。


 背後から砂煙と地面を削る音が近づいてくる。


『ちょっ――』


 私は通信を切断する。我々の立場と能力について薄々感づかれているようだが、秘匿するに越したことはない。無用なトラブルは避けなくては――


「アキラっ! 乗れっ!」

 

 アキラの横につく軍用車両の車窓から、デュークが親指で後ろを指し示したのだが――。


「何しに来やがったっ! アイツらの狙いはお前達だろうっ!」


 それがTHAAD来襲の一番考えられる理由だ。


「アタシらのせいなら、アタシらで何とかするっ!」


「……だったらっ! その車を降りろっ! 物陰に隠れて、状況を確認しなきゃならねぇっ! 先に見つかっちまったら元も子もねぇだろっ!」



 5分後、到着した広場は案の定、面倒臭いことになっていた。


 適当な物影が無かった為、我々は洞窟の影から様子を伺う。


「ここにテロリストが潜伏しているんだってねぇっ! 早く言ったほうが君達の身のためだよっ!?」


 どちらテロリストか分からん光景だな。


 一ヶ所に集落の全員が集められ、武装した連中に銃を突きつけられている。


 病人、子供お構い無し、当然その中にはマリアもアデニ氏もいる。二人でサクラを守ってくれている。


 集落の全員を捕らえ聞いているあたり、どうやらアジトの検討を付けずに襲撃しに来たようだ。


 分かっていたことだが、この男相当間抜けというかなんというか。むしろ偵察を一切行わないなど間抜け通り越しているな。

 

 しかし天羽々斬やベレッタも置いてきてしまった為、戦闘になった場合、彼には近接格闘術しかない。


 私は身体強化オブジェクトを実行する。


 とはいっても骨格をグルーオンで強化するという骨折を防ぐ程度のものだが。

 

 部隊の人数は十五人といったところか。

 

 アサルトライフル、手榴弾、ナイフ、小銃、対人装備だけでオブジェクトデバイスを装備しているのは、金髪碧眼の薄ら笑いを浮かべる男、アルバートと後一人。

 

「俺が隙を作る。その間にみんなを頼む」


「はぁ? 兄貴、何を言って――」


 デュークがシオンの肩を掴み制止する。首を横に振っている仕草は、恐らくこの男には随分前から正体を感づかれているのだろう。


「アキラ、お前一般人じゃねぇな?」


「一般人だ」


「嘘つけ、随分戦い慣れてる」


「嘘じゃねぇんだけどな……」


 今は一般人というだけでという言葉が続くのだがな。


「一般人じゃねーって、どういことだよ。デューク?」

 

 シオンは全く気づいていなかったようだ。人を疑わない素直な娘、年齢と教育のせいもあるが、戦闘には不向き性格だな。


「……分かった。後でシオンには説明してもらうぞ」

 

 何だ。


 今のデューク発言、何か引っ掛かる。


 何故デュークはシオンにだけは説明しろというのだ?


「頼んだ」


 アキラは駆け出しす。そして――。



「マリアっ! サクラっ! ばあちゃんっ!」


「アキラっ!」


「おとうさんっ!」


 アキラの血圧と血中のアドレナリン量が更なる上昇を検知する。


 うち震えている手。


 踏み出す足から滲み出る威圧感。


 彼がこの状況に激怒しているのは明白だった。


 アルバートを睨み付け対峙する。


「き、君は! なぜ、君がここいるっ! 早くっ! 早く殺せっ! この男は反逆者だっ!」


 アキラの殺気に怖じ気づき後ずさる金髪碧眼の細身の男、アルバートが動転したまま命令を下す。


 アキラの周囲を取り囲むアルバートの部下。


 足音、体格、なるほど全員女性か。


「相変わらず、侍らせているか? ジェンダー平等を訴える団体が黙っちゃいねぇぜ?」


 アキラは横目でTHAADの配置を確認する。取り囲んでいる人数は四人、問題は目の前のアルバートと――。


「相手を挑発しながらも、冷静に状況を確認するあたり。貴方も相変わらずですね? シンドウ軍曹?」


 この男だけか。


 アルバートの背後から現れる黒髪の男、タクティカルスーツではなく執事の格好という場違いな装いに、誰もが正気を疑うに違いない。しかし、この男先程、洞窟の影からでは目視出来なかった。不意を突いてきたところから見て、恐らく気づいていたのだろう。


「お前もな。バージル。相変わらず主人に付き従っているか?」


 バージル=ボールドウィン。アルバートの側近、黒髪三白眼の優男。掴みどころがなく、何を考えているか読めない。それ故アルバートを持ち上げているように見えるようで、実はアルバートを上手く操っているのではないかと我々は疑っている。最も警戒すべきなのはこの男だ


「はい。私はアルバート様の執事ですから」


「そうかよ。で? てめぇら何しに来やがった?」


「ええ。ラウレンティ少佐に痺れを切らした上官の命令で来ました。何、単なるお手伝いですよ」


 淡々とした口調を聞き流しながら、更に確認を続ける。集落の人達を取り囲む人数は四人。飛行艇はAI、よって操縦士はいない。

 

 なら行けるか?


「あまり妙な事しないほうが良いですよ。それにしても風の便りで貴方が結婚していたことは伺っていましたが……」


 そっとバージルがアルバートの背後に回り耳打ちする。


 彼の耳打ちで次第にアルバートの顔が醜く歪んでいく。


 その笑みは侮蔑の笑みか?


 あまりいい予感はしないな。


「おいっ! 女っ! 立てっ!」


「痛いっ! 放してっ!」


 アルバートがマリアを引き摺り立たせ、拳銃を突きつける。


「君もいい趣味をしているね。容姿はとても美しい。ただ胸は貧相だね?」


 厭らしい手付きでマリアの胸がまさぐられる。


 唇を噛み、必死に耐えるマリアの頬に涙が伝う。


 その光景にアキラの憤りも限界に達し、


「テメェッッ!! その汚い手を放しやがれぇっ!!」


 吠えた瞬間だった。


「ぐっ!」


 直径10㎝程の石がアルバートの顔に直撃した。


「おかあさんを放せっ!」


 石を投げたのはサクラかっ!


 まずいぞっ!


 あの男は逆上すると何をするか分からんっ!


 アルバートの額を伝う赤い液体。


 それは滴り落ち、地面を黒く染める。

 

 その血を見るアルバート。


 サクラに視線が移り、形相が一変する。


「このクソガキっ!」


 サクラに突きつけらる銃口。


 ゆっくりと引金が引かれ――。


「サクラァァァッッッーーー!!」


「ダメェェェェッッッッーーー!!」


 悲痛の叫びの中。乾いた銃声が広場に響き渡った。




 崩れ落ちる身体。


 黒く染まる大地。


「ああ……」


 声に成らない声がアキラの口から洩れる。


 広場にいる全員が目を疑った。




 なんという事だ。


 アデニ氏が撃たれるとは。


 アデニ氏はサクラを庇い、アルバートの凶弾に倒れたのだ。




「アルバァァットォォォッッッ!!」


 アキラは怒号と上げながら走り、アルバートの顔面を殴り付けけらた。


 怒りの鉄拳がアルバートの顔にめり込む。


 奥歯と顎骨が砕かれる鈍い音が鳴り。


 十メートル程、彼の身体を吹っ飛ばす。




 アキラはマリアを取り戻し、彼女の震える身体をきつく抱き締めた。


 アルバートは顔面を大きく腫らし、ピクリとも動かない。どうやら完全に気絶しているようだ。



「おばあちゃんっ!」「ばあちゃんっ!」


 二人は我に帰り、アデニ氏に駆け寄る。


「おばあちゃんっ! おばあちゃんっ!」


 仰向けにし、アデニ氏を呼び掛ける。


 微かな呻き声が聞こえる。


 アキラは手を握り、必死に呼掛け続け。


 マリアは着ている衣服を脱ぎ、胸の銃創に押し当て、空気が漏れないようにする。


 アデニ氏が噎せて口から血が吹き出る。


 鮮血の泡。十中八九、喀血。


 肺を損傷しているのだ。


 アキラは上顎をあげ、起動確保を行う。


 窒息による喀血死を防ぐ為だ。


 マリアは更に押えつけた衣服をニュンフェ包み込む。


 次第に白く硬くなっていくニュンフェ。硬質化させ更なる出血を防ぐ為だ。だが滲み出る血液がアデニ氏の衣服が止めどなく塗られていく。


「うぁぁぁっっっっ!!」


 突然、背後から突き刺されるような女性の悲鳴。


 アルバートの部下の女性が何かに襲われいる。




 黒いライオン――


 黒い毛並みをした異形の百獣の王が少なくとも十体。


 次々とアルバートの部下を襲い、地に押し倒し、四肢を喰い千切り、鮮血と義体特有の白色の人工血液を撒き散らし、無力化していく。


「兄貴っ!」「アキラっ!」


 異形の獣達が這いずる中をシオンとデュークは臆することなく駆け寄ってくる。


「ばあちゃんはっ!?」


 無論、血相を変えたマリアに話す余裕など無く。アキラが変わりに口を開く。


「かなりマズイ……」


 老体の上に肺の銃創、そして大量の出血。


 アキラのTHAAD時代の経験が結論づけた発言だろうが、シオンを動揺させる。


「大丈夫なんだろっ! 姉貴っ!」


「……ごめん……シオン……お願いだから、話しかけないでっ!!」

 

 マリアは彼女なり抑えたのだろうが、医師である彼女の怒声はこの状況を更なる緊張に落とし込む。


「なかなか面白いオブジェクトですね? もしかしてネグロイドの君のオブジェクトですか?」


 ひらりと優雅とも言える闘牛士のような身のこなしで、バージルは気絶したアルバートを抱え、黒い獅子を華麗に躱しながら、たった一人無傷で近づいてくる。


「テメェッ!」


「流石に現状我々の方が不利のようです。今日の所はここで失礼いたします」


 不利だと?


 嘘を付け、貴様一人でもアキラ以外は殲滅可能だろう。


「ブッコロスッ!!」


 シオンが自動小銃Ak-47をバージルに向ける。怒りに身を任せ、引金に指をかけた瞬間。


「――シオンッ!!!」


 マリアの怒声がシオンを思い留まらせる。


「……もう、誰かが傷つくの……見たくないの……お願いだから……もう」


「だけど、姉貴っ!」


「お願いだからっ!!」


 シオンはAk-47の銃口を降ろす。身を震わせている様子でマリアのために必死で殺意を押さえているのが分かった。


 影を落としながら、彼女は煙たがるように手を振る。


 バージルが軽い会釈の後、負傷した部下を回収し、輸送艇で引き上げていった。


「マリア……アデニさんを家に運ぶ。手術を頼む」


 アキラの言葉に、ただマリアは涙を堪え頷くだけであった。

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