第3話 妹の想い

 他愛のない居座古座の後、私達は再びフロートバイクを走らせる。牽引しいるのは凡そ1メートル四方の金属製の赤い立方体。


 変香式水素発生装置「フレーバーハイドロゲンジェネレータ」 


  略してFHG。


 入り組んだビル街を縫うように走り10分ほど目的地に到着する。


 そこは設置先として選んだ町の水素ステーション跡地。ここを利用する車両はもはや無いが、耐震性といい、耐火性といい、水素を貯蔵しておくことに適したところは他には無いだろう。


「さてと、始めるとしますか」


『まず、水素製造装置と圧縮機の接続をカットして、FHGを接続する』


「分かってるって」


 接続には物理的な手段を用いる。つまり刃物による切断である。


 鼻唄混じりに振り下ろされる『天羽々斬』


 不要な分厚いパイプを次々と切り落としていく。銀色に輝く美しい断面はアキラの腕と刃の切れ味を賞賛しているかのようだ。


「ソーラーバッテリーが付いていて良かったぜ」


『ああ、まったくだ。そうでなければこの施設は使い物に成らなかった』


 冷却する為のプレクーラーも充填する為の圧縮機も電気がなければ動かない。動力がないと、代わりの動力機の設置から始めなくては成らなかった。


 それから用意しておいた代わりのパイプを切り取ったパイプとFHGに繋げるべく、オブジェクトを使い溶接する。


「紅、マリアに何であんな嘘をついたんだ?」


 アキラは電磁気力系のオブジェクトで次々とパイプを電気溶接している。


『嘘とは、被爆の件か?』


 線量は極限まで押さえているが、全く被爆しないというのは嘘だ。人間関係を円滑にするためには多少の嘘も必要だ。


『あのまま診られていたら支障が出ていたが?』


「そうなんだけどよ。後でバレた時にどうすっかなって……」


『分からんでもないが、バレた時に共に怒られよう』


 アキラの身体は普通の人間の生身ではない。「TQX素体」オブジェクト使用に特化した生体義体で驚異のDNA修復速度により、放射線耐性を獲得している。


 致死被爆量は常人の10000mSvの約10倍まで耐えられる。


 故にまず大丈夫だろう。


 その後、圧縮機、プレクーラー、充填器、計測器などをチェックし、端末に新しい制御プログラムをインストールを兼ねて、戦闘の直後故、アキラを事務所で休ませる。


 正午過ぎから始めて正味四時間程で完了した。


 町に戻ると雪と氷に支配された白い摩天楼は、朱金色の残照と濃紫色の影法師にその支配権を写し、静寂の他に恐怖が顔を見せ始めていた。


 気温は氷点下40℃まで下回り、火を絶やそうなら凍死は避けられない。身近に感じる死の恐怖というものは私にはなかなか理解しがたいものである。


 私達は飛行挺の一室へと足を運ぶ。患者の為に急遽用意した病室だ。デング熱は蚊を媒介とするため、人から人への直接感染の恐れはないが、町の人々の精神的な配慮により遠ざける必要があった。私達を含め俄知識によるパニックで暴動など起こったとなれば目も当てられない。


「なんだありゃ?」


 そわそわとたむろする子供たちが病室の前を占領し、病室を覗きこんでいる。


 今朝あった少年達のようだ。確か名前はウィルとメルヴィナだったな。


 アキラはまた馬鹿なことを思い付いたようで、薄ら笑いを浮かべながら、息を潜め、足音を消す、視界に入らないよう、慎重に徐々に近付き、背後から。


「ようっ! どうした? お前ら!」


 背中が跳ね上がる。背後から子供達を抱え込み、暴れだす少年達を押さえ込む。


「やめろっ! 放せ!」


「放して!」


「おいおい、ウィル、メルヴィ、落ち着け、俺だ」


 ドアが音を立てて開かれる。憤慨したマリア嬢が仁王立ちで佇む。これ自動ドアなんだが。


「うるさいっ! ここは病室よっ!」


 何かの破片が落ちた。この歯車は従働プーリー。ターニングベルトも垂れ下がっている。これは直すのに時間がかかるな。

 

 アキラを押し倒した時もそうだが、なんて馬鹿力だ。私は至って冷静に分析する。直すのは私では無いからな。


「アキラ。あなたは一体何をやっているの?」


 アキラが子供を二人脇に抱えている姿を見て、信じられないといった表情。呆れて頭を抱えている。


「こいつらが病室を覗き込んでたからな。捕まえてみた」


 マリアの視線が子供達とアキラを往来する。腕を組み、溜息を付き、一言。


「捕まえてみたって……馬鹿なの?」


「馬鹿って……それよりあの子の様子は?」


 必死の苦笑を噛み殺し、少女エルの容体を確認する。


 アキラ。君のその顔のひきつりは自分の愚かしさの反省からくるものか? それとも馬鹿にされ不快感の抑制からくるものか?


「……入っていいよ。今眠っていたところなんだけど、さっきので起きちゃったかも」


『それは君の……いや、何でもない』


 ちらりと刺すように睨み付けられ、私は音声をオフにする。これ以上言うとアキラの手首を螺切られそうだ。


 淡い常夜灯に照らされた病室のベッドに、エルが静かな寝息を立てている。あれほどの騒ぎでも起きなかったのには安心した。


「それで容体は?」


「今、安定しているかな。早めに対処できて良かった。後3,4日すれば熱が引いてくると思うよ」


「だとさ! お前ら良かったなっ!」


 またしても、ウィルとメルヴィの頭を豪快に撫でる。だから嫌がっているからやめないか。


「それにしても、問題はどうしてデングウィルスに感染したかなんだよな……」


「それはやっぱり蚊だったよ」


 マリアはエルの首の付け根をアキラに見せる。

 赤く腫れて、少し皮が捲れている。


「ほら、ここ、痒くて掻きこしたんだと思う……」


「……でも、何で蚊が? 自然界にはもういないんじゃなかったか?」


 蚊は既にレッドリスト、絶滅危惧種に指定されている。現存するのは各研究施設に保管されている種のみだ。自然界に存在は報告されていない。


「自然界に存在が報告されていないというだけで、イコール絶滅って言い切れなかったことじゃないかな?」


 まぁ、そういう可能性はあるが――


「……どこか府に落ちねぇが、まぁ、一応この子が感染する前に何処で何をしていたかだけでも、探ってみる必要があるな」


 アキラはウィルとメルヴィの肩を抱く。


「腹減っただろ! 飯食ってくか!」


 粗暴のように見えてアキラの特技は料理であったりする。食糧難の今を生き抜くために創意工夫を凝らしていた弊害とも言える。


 今は寒冷に強い穀物や野菜の開発。微細藻類養殖。昆虫畜産。培養肉農業により各国の食糧自給率は徐々に回復しつつあるが、それでも飢餓は未だ無くならない。


 今も昔も食糧難の時代において入手困難なのは調味料だ。


 アキラは仕事の傍ら調味料の開発を趣味にしている。言うならばアキラにとって料理とは体のいい新作調味料の実験である。


 夕食は思う存分腕を震い、町の皆の舌を唸らせた。



『奇跡だ……』


 この呼称は私としても不本意だ。

 大抵私の忠告を無視し、抽出に失敗するのだが……

 アキラは手早く夕食を済ませ、船のコックピットへと戻っていた。


「失礼な。今回は理論をちゃんと組み立てたんだ。失敗するわけねぇだろ」


『……しかし、通常はグルタミン酸含有量1600mgに対し300mg少なかった。これでは物足りなかったと思うが』


 食糧難故、普段味気ない食事がされていたことに救われたのだと言うべきだろう。


「……気にしていることをづけづけと……」


 アキラが作ったのは味噌と醤油である。寒冷化により殆ど大豆が採れなくなり、他のあらゆる種で実験を行っていた。


 今回のは発酵に何かしらの問題があったのだろう。


 不貞腐れてアキラは眼を閉じる。まったく仕方がない奴だ。背もたれに寄りかかる。


『そう不貞腐れるな。今までに比べれば良い出来だったさ。おっと、通信が入ったようだ』


 アキラの眼前にホログラムディスプレイを展開し押し付けるが――


「…………」


 そっぽを向いて、アキラは出ようとしない。子供か。


 まったく居留守を決め込む気じゃないだろうな?


 後が怖いぞ。


『いいのか? キサキだぞ?』


「はぁ!? それを早く言えよっ!」


 相手の名を上げると、飛び起きホログラフィーディスプレイの通話ボタンを押す。


『兄さん!』


「よ、ようっ! キ、キサキ」


 写し出されたむくれた顔の少女の名はキサキ。アキラの妹。明るい栗色の癖毛風ナチュラルカール。横分けの前髪が大人っぽさを演出しながらも、頬辺りでカットすることで可愛らしいさも加えている。そしてアキラと同じ琥珀色の瞳はこの神藤家の特徴だ。


『……毎週連絡するように言いましたよね?』


「悪りぃ、忘れていた。ちょっとバタバタしてたからな……」


 本当にバタバタしてたな。


『……まったく、義姉さんが亡くなってからというもの、兄さんは――』


「……キサキ」


 少しアキラの声色に怒気が籠る。無意識に出たような愚痴が、琴線に触れた事に気付き、キサキの表情が陰る。

 気不味い雰囲気が流れ、アキラも俯き加減で視線を反らす。


 三年前。生別れた母との再会と引き換えにアキラは大切な者を失った。キサキも私も何も出来なかった。


 アキラの大切な妻を無くした。交際期間も短く、籍を入れてからの結婚生活も数年だったが、それでも濃密で、傍らにいた私も互いにどれだけ愛し合っていたかよく知っていた。その繋がり断たれた時の喪失感も。


『……ごめんなさい。それで来週には帰ってこれるんですよね?』


 話題を無理矢理でも変えようとするキサキの気遣いにアキラの心も少し慰めれただろうか、それとも気を遣わせて逆に気をとがめたのだろうか。


 話の流にアキラは乗った。


「あ、ああ。その予定だぜ。出発前に言ったろ?」


『母さんが心配しています。なるべく早く帰ってきて下さいね。あれ以来、ようやく家族水入らずの時間が過ごせると思ったのに兄さんは仕事ばかり……』


「生活が掛かってるからな。それに生まれてすぐ生別れちまったからな。お袋は俺よりお前との思い出が少ないんだ。お袋にはお前が一緒に居てやれ」


『またそんなこと言って……兄さんも一緒じゃなきゃ駄目なんです!』


「……分かったよ。なるべく早く戻る」


 突然、艇のフロントガラス越しに見えた後ろのドアが開かれる。


 暗闇に映し出された白いシルエット。


「ごめんね。シャワーを借りちゃって」


 湿った髪をバスタオルで丁寧に拭き取りながら、スリッパが乾いた音を立ててアキラに近づいてくる。


 アキラがその声の主に振り返って。


「……!」


 立ち上がろうとして、崩れるように椅子から落ちた。


 火照った体を冷やすためか、ショートパンツにブラトップというラフな格好。たくし上げた髪に艶々した項。むき出しになった桜色の太腿。着崩した服の隙間から乳房の端の膨らみがほのかに見える。憐れもない姿のマリアを眼にし、指をさして叫ぶ。


「お、お前っ! なんて格好してんだっ!」


「?……何か変かな?」


 マリアは首を傾げる。 自分の格好を確認し、やがて合点がいったようで、何故か意地の悪そうな口許に浮かべる。


「……アキラくんって、もしかして童貞?」


 マリアの顔が近づいてくる。アキラの紅潮した顔を拝もうとし姿勢が前のめりに、慎ましい胸の谷間にアキラの視線が泳ぐ。


 数年彼を見ていたが、どうも豊満な胸の女性より、慎ましい胸の女性の方が好みのようだ。それは人類の間では特殊な性癖に属するらしい。人工意識である私には理解出来ない話だ。因みにアキラは性交渉を経験済みである。


『兄さん? そこのビ……綺麗な方はどなたですか?』


 今、ビッチって言いかけなかったか? beautifulの発音がおかしい。


「あ、ごめんっ! 電話中だったんだねっ!」


『あっ! 待ってくださいっ!』


 足早にこの場を去ろうとするマリアをキサキが慌てて引き留める。


『兄さん。紹介してくださいよ。綺麗な人じゃないですか? いつ何処で知り合ったんです? 唐変木な癖して以外に隅に置けないですね?』


「はぁ……? 何言ってんだよ。お前」


 にやにやと卑しい笑みを浮かべ、キサキ聞いてくる。


 確かに唐変木だが、そこはせめて「とぼけた顔」と言ってやれ。


 呆れた顔を見せるあたり、アキラにその気は無いようだ。


「ったく、しょうがねぇな……」


 観念しろ。キサキが一度面白そうと思ったものを見逃す訳が無いだろう。

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