第16話 仮面の鴉
何だ?
この食卓は?
テーブルを囲む淑女達から異様な雰囲気を感じる。
非常に名状し難い。
マリアはユラナからじっとりと粘りつくような視線を浴びせられ、罰の悪そうに視線を会わせようとしない。明らかに何かあった様子。
アイシャ氏は酷く落ち込んで憔悴しきった様子。戦闘に巻き込まれたのだ。無理もない、いくら我々に守られていたと言え、死の恐怖が感じていたのだ。
「ほい、お待っとうさんっ!」
「「この香りっ!」」
アキラの登場でその雰囲気が一変。
香ばしい香りに釣られ、目を輝かせマリアとユラナが同時に立ち上がる。
テーブルの上に置かれていくアキラ手製の特製炒飯。
本来は白米、鶏卵、食用油、葱や玉葱の香味野菜を使うが、この氷河期時代、寒冷化と干ばつの影響で、稲の生産地は限定的なものとなり、同時に飼料の高騰により鶏の飼育が困難となった。
そして起きたのが食糧戦争。四人の魔女の活躍により沈静化はしているが、人類の食糧事情は今だ厳しい状況といえる。
現在は各国で耐寒性や耐乾燥性などを備えた過酷な環境でも育つ食糧の開発及び栽培方法の開発競争に躍起になっている。
彼の炒飯には白米の代わりに耐寒性、耐乾燥性、耐塩性に優れた食材キヌアを炊き込み、鶏卵の代わりに最近この時代で安価になってきたジェンツーペンギンの卵を使用している。
「今回は培養肉じゃなくて、低脂質高蛋白、食物繊維豊富のソイミートにしてみた」
「美容に気を使った憎いチョイスっ!」
ユラナの喚起の声が響く。
気を使ってか気紛れか、秘蔵の大豆肉・ソイミートをアキラは使用した。
肉より豆果の方が抗ストレス物質であるトリプトファンの含有量が高い、そしてキヌアに豊富には神経を正常に働かせるために必要な栄養素ビタミンB群、蛋白質や神経伝達物質の合成に関わる葉酸などか豊富に含まれる。
高いストレス化にあるアイシャ氏に配慮された良い食事と言える。
彼女には是非食して貰いたい。
「アキラの料理って味だけじゃなくて、健康的だから大好きっ!」
マリアは目の色を輝かせて、目の前の炒飯を食い入るように見つめる。
「そいつは人としてか? 医者としてか?」
変なところを気にするな……
「両方だよっ! オメガ3が多く含まれている調理油を使っているところも評価高いよっ!」
「そりゃあ。どうも」
アキラは調理に亜麻仁油を使用することが多い。熟成した亜麻の種子から抽出した乾燥油で、オメガ3脂肪酸のαリノレン酸を多く含む。αリノレン酸は人間の体内では合成できない必須脂肪酸の一つで、そこから生合成されるDHAは、脳や網膜のリン脂質に含まれる主要な脂肪酸である。
亜麻は冷涼な気候を好んで生息し、花も可憐なことから、アキラの実家の庭先で栽培されている。
「……美味しい」
ふと溢した自分の言葉に驚いた様子のアイシャ氏。
口にあって何よりだ。
「それは良かったわ。ただ……アイシャさん。私達は食べる前に必ずやることがあるの」
ユラナはアイシャ氏を諭す。確かに我々には必ずと言って良いほど必ずとやることがある。他文化には余り無い風習であるため知識がある者にしか認知されていないのが現状である。
アイシャにはその手の知識があったようで、気不味い表情をしていた。だが彼女の知識は宗教上の知識だったようで的外れな回答であった。
「ごめんなさい。カトリックだとは知らなくて、祈りを捧げるのですね?」
「いや、違うんだ」
とアキラが口を開き。
「私達はこうするんです」
とマリアが続き三人は手の平を合わせる。
「「「頂きます」」」
我々は生産者と提供者の人々、食材を育んだ大地の恵みへの感謝、犠牲になった食材の命に対する感謝を込めて頭を下げる。
17:03――
食事は思いの外終始和やかに済んだ。アイシャ氏の表情も晴れやかなものとなり、マリアとユラナの間も表面上の緊張感は取り除かれたようだ。
どうせ女の勘とやらでバレそうになっていたのだろう。
本当は実の姉妹のように仲が良いのだ。ユラナの口は非常に固く、嘘もポーカーフェイスも上手い。バレた所でさほど心配する必要も無いだろう。
マリアの淹れたコーヒーが皆に渡った所で我々は今後について話し合うこととした。
『さて、今回の襲撃に不可解な点が二つある』
深く頷くアキラとユラナに対し、マリアは何故か顔をしかめ、アイシャ氏は話が全く見えていない様子で口をぽかんと開けている。
『それじゃあ、マリア? その一つって何?』
先程まで沈黙を貫いていたケェリィアが音声をオンにする。
〈許した訳じゃないから。勘違いしないように〉
という私宛に電子通信が送られてきた。
やはり意味が分からん。
顰め面のマリアは渋々といった様子で答える。
とても不満げだが、何か燗に触っただろうか。
「……えぇと、彼等が使った〈獣化〉はおかしかった。全長3メートル以上の巨体を合成するには総量のアミノ酸、ミネラル、糖質、脂質などが必要になるの。これは基本的な物理法則である質量保存の法則でも言われているように医学でも当たり前のこと。だけど彼らの獣化にはそんな様子は無かった」
『正解ね。何者かが本来の獣化を改良、恐らくオブジェクトと組み合わせた可能性がある』
『そして、それを供給する何者かがいることになる』
「まず、そいつを突き止めなければならないわね。それはアースも気づいてるだろうし、それはあっちでやるんじゃないかしら」
半ば投槍いったような雰囲気で肩を竦めるユラナ。確かにその通りだ。その点は彼等に任せれば問題ないだろう。寧ろ厄介なのはもう1つの方だ。
「
タイミングが良すぎるのだ。それに襲撃直後、 窓の先に見えたもう一本の煙。
『彼等は役所への襲撃と同時刻、APHRPA系企業の培養肉製造会社の倉庫が襲撃されたわ。約1トンの培養肉が強奪された』
『しかし解せないな。THAADを相手に陽動としては効果的であったが、いくら困窮しているとはいえ、3名を犠牲にするとは割り合わないのではないか?』
「そいつはあれじゃねぇか。本当にTHAADが来ていることを知らず、最初から役所を襲うことが計画に入っていて、撤退に失敗したと――」
突然、マリアが椅子を荒々しく鳴らして立ち上がる。
「いい加減にしてよっ! 二人ともっ! さっきから戦うことばかりっ!」
両手に腰を当て、憤りを露に話を続ける。
「どうせ評議会が一枚絡んでいると思ってるんでしょっ!? TwelveThinkerの仕事って彼等と戦うことじゃないよねっ!? 貧困で苦しんでいる人達を救うことじゃないのっ!? 」
沈黙。
我々は唖然とし口を紡ぐ。
彼女の言う通りだ。
我々は本来の目的を見失っていた。
「私もそう思います……あなた方が仰る評議会というのが何なのか分かりませんが、私達がやるべきことはスラムの方々を救うことです」
依頼者から言われては目も当てられないとはこのことだな。
我々は人工知能とは異なり間違うことが出来る。
人工意識としての
チェスや将棋などの二人零和有限確定完全情報ゲームは完全な予測が可能で、人工知能なら最善手を打ち続けることが可能だ。
しかし我々は対局中や対局前の心理戦や盤外戦術を理解し行使することが出来る。同時にそれは我々にも有効だ。
それは我々の根本的な設計思想が人に使役されるのではなく、理解し寄り添い合うことに置かれているからだ。
故に我々は怒り、悲しみ、喜び、楽しみ、友情を分ち、恋をし、愛を語ることが出来る。
過ちも失敗も理解し、協力し触合いながら人と共に歩む。
それが我々、人工意識ACの存在意義と私は考えている。
しかしこの場合、そんなものは体のいい言い訳に過ぎない。
徐にアキラは立ちあがり、テーブルを見つめ、唇を噛み締める。
「……すまねぇっ! マリアの言うことが全面的に正しいっ! アイツの想いを無下にするところだった! 評議会の連中なんか関係ねぇっ! 俺達のやるべき事は一つだっ!」
ユラナは頭を抱え深い溜息をつくと、面をあげ、決意に満ちた表情を見せる。
「そうね。彼女の言う通り。あの子から託された願いを叶える。それが今私達TwelveThinkerがやるべきこと。貴女のお陰で目が覚めたわっ! ありがとうっ!」
「二人とも……ありがとう」
胸もと手を当ててマリアは柔らかい眼差しを二人に向け、感謝の言葉を贈る。
『感謝するのはこちらだ』
『そうよ。
「アキラは
「よく言うぜ。淡々とライフルを打っ放したクセによ」
戦闘狂共は激しく睨み合い啀み合う。仲のよろしいことで。
おっと、やっと通信が来たようだ。
『二人とも喧嘩はその辺にしておけ、ようやく彼から通信が入った』
「やっとかよ。待たせやがって……」
ホログラフィスクリーンに写し出される漆黒の外套を纏い、鴉の面を被った男。
執務机に佇み、威厳のある雰囲気を醸し出す
人前に素顔を見せず、政府や企業、他の組織へ掛け合い、信頼する我らが参謀。TwelveThinker現リーダー。
『待たせたな。二人とも……交渉に手間取ってしまってな』
「オセーよ。ラ……クロウっ!」
いい間違えるなよ。付き合ってやれ。
クロウ=ワイズマン。TwelveThinker創立メンバーの一人で当初から交渉や取引が苦手なカーナに変わり、調整役を引き受けていた。相変わらず忙しく内部の調整はラスティに任せ現在も各地を駆け回っている。
「すまん。お初にお目にかかる。医師団のマリア=スミス嬢とリアレート都市議員アイシャ=アスレス嬢。私はTwelveThinkerの代表を務めるクロウ=ワイズマンという。以後見知り置きを」
マリアは呆れたというより諦めたといった表情で眼を反らし、アイシャ氏の表情はあまりの異様さにひきつっている。
端から見ても直視しても怪しい人物だ。無理もない。
確かこういう者の病を何と言ったか、大昔の東洋の島国で流行した……確か……そうだ。
『マリア、君なら治せるのではないか。確か中二病という病気なのだろう』
「……これは治せないんだ。ある時期のある特殊な環境である特殊な生活習慣が関わっているらしくて、自然治癒を待つしかない不治の病なんだ」
ははは……と無気力に笑うマリア。
なんと、そんな重大な病であったとは……見舞金を包むべきだろうか。
『……酷い言いわれようだ。これは大昔に流行ったファッションなのだがな』
「……い、いいセンスですね……」
そんな訳が無いだろう。
ひきつりながら目一杯のお世辞。
苦しみに耐えるアイシャ氏の姿がなんとも痛ましい。
『そうだろう? この良さが分かるとは……アイシャ嬢、君には素質があるな』
何の素質だ。それにとても嫌な素質だ。
「クロウ……雑談はその辺にして、仕事の話を始めましょう? 状況は聞いているのでしょう?」
我々の下らないコントに終始つまらなそうに頬杖をついていたユラナが、痺れを切らし無愛想に言い捨てる。
既に私の方で、リアレートの状況、THAADの介入、テロリストの襲撃などを報告書をまとめ彼に送ってある。
『報告は受けている。現状我々が行うべきなのは、スラムの状況改善だろう』
「悪りぃが、その下りはやったんだ。テロリストが潜伏してる可能性があるんだろ? いいのか行って?」
『意味がよく分からないが……まあいい。話を聞けば、テロリストというより都市の現在の体制に不満を抱く武力集団、レジスタンスと定義出来るだろ。幸い今までも今回も非武装である民間人の犠牲は出ていない』
アイシャ氏は深々と頷く。どうやら事実らしい。今までも民間人には威嚇射撃のみで殺害はしていないのだという。
「だけど、俺達は襲われたぜ?」
『武装していただろう?』
「あ……」
アキラは拳銃をユラナはライフルを所持していたな。
『状況から判断するに、彼等とは交渉する余地はある。話が通じない訳ではない。危険は少ないと思われる。そこでだ』
クロウが執務机に両肘を付き、寄りかかり、両手を口元に持っていく。隠す口許など仮面で見えないだろうに。
『そうだな……まずはスラムの住民と信頼関係を得ることが第一歩だ。アキラとマリア嬢には夫婦としてスラムに潜入してもらう』
「はぁ!?」「えっ!?」
二人の上ずった声が洩れる。一人は純粋な驚き、もう一人は歓声に似たような弾んだ声だ。
同時に激しくテーブルが叩かれ、立ち上がったユラナの姿にスクリーンが覆い隠される。
「ちょっと待ちなさいっ! 夫婦という設定なら私とアキラでもいいはずよっ!」
『ユラナ……あなたって子は……』
食い付くところがそこなのか? 本来なら何故その様な事をするのか、などと聞かないか?
『君とアキラが行って、感染症の件はどうする?』
その通りだ。スラムには原因不明の感染症が流行しているのだ、マリアを外す事はできない。
『まして多人数で行っても食糧事情で追い出されるだけだ。仮に君とマリア嬢だった場合、無用なトラブルを生む』
「どこぞの性犯罪者に遅れなんかとらないわ」
『違う。寧ろ傷害事件だ』
「どういう意味かしら?」
そのままの意味だろう。犯罪者の方が返り討ちに合うという。
『説明が必要か?』
「……」
不貞腐れた表情で腰を降ろしたユラナは頬杖をついてコツコツと爪でテーブルを叩き始める。
嫉妬か不満か、個人的な感情はこの際置いておくべきだ。
困窮している実情、一人二人さえ怪しいが多人数で向かえば、自分達の食い扶持が減ると思い歓迎はしないだろう。女性二人で向かったとして強姦などの問題が起こる可能性がある。信頼関係を得るにあたって無用なトラブルは避けたい。
『以上、消去法でそういう結論に達した。頼めるかな?』
「……はい……分かりました」
今にも火が出そうなくらい、耳まで真っ赤に染まり俯き恥じらうマリアとは裏腹、ユラナの表情が寒々として険しいものに変わる。
「言っての置きたいのだけれどアキラ。この状況に乗じて不埒な真似をしようものなら貴方の血脈を軽蔑するわ」
「誰がするかっ! 血は争えないみたいな風に言うんじゃねぇよっ! 神藤家の男が女癖の悪いみてぇじゃねぇかっ!」
といいながらも、作戦に対して拒絶を示さないということは満更でも無いという事だろう。
『君達の設定は夫アキラは農夫、マリア嬢は元看護師。住んでいた町が飢餓で崩壊、長旅の末、この都市へ流れ着いたというところで良いだろ』
設定としては妥当なところだな。農夫と看護師がどうやって出会ったのかという疑問は残るが。
『アキラはユラナに絶えず状況を報告してくれ、ユラナはアイシャ氏とともに具体的な対策を立てて欲しい。それとユラナには他にやってもらいたいことがある』
「……何かしら? どうせ面倒ごとでしょ?」
憮然とした態度でユラナは手の平を上に向ける。
『THAADの動向に変化があった場合、アキラに知らせてくれ。それとリアレートの経済発展に関して、幾つか不可解な点がある。後で資料を送るので調べてくれ。場合によっては支援の妨げになるかもしれん』
「貴方にしては随分曖昧なのね……まぁいいわ。やってあげる」
渋々了承したといった感じだな。適材適所と言えるだろう。アキラは政治的な駆引きや金の流れを読むのは不得意だしな。
そんなことよりも先程から紅潮した頬で俯き、チラチラとアキラの方を見るマリアが気になって仕方がないのだが。
「どうした。熱でもあるのか?」
「だ、だいじょうぶ……一緒に頑張ろうね。
「……いやいや、普通に名前で呼び会えばいいだろ?」
wifeyと呼んでやればいいだろう。付き合ってやれ。
恥ずかしいのか何なのか知らんが、そう嫌そうな顔するな。彼女が可哀想だろう。
『話は纏まったな。それでは皆準備を始めてくれ』
通信が途切れ、我々は準備を始める。
気づけば日が既に傾き始め、時刻は17:17を指し示していた。一先ず我々はスラムに赴くのは明朝にして今夜、用意だけ行い休息を取ることした。
むっつりした表情でユラナに睨み付けられながら、必要最低限の食糧、農具、医療キットを用意し、更に難を逃れたことを装うため古い外套を用意する。実を言うと接触方法として旅人を装うことは何度もあるため、劣化した防寒具を取り揃えてある。
翌日、それぞれ行動を開始する。ユラナはアイシャ氏と共にリアレートへ戻り、アキラ達はどこからどうみても旅人というような見窄らしい格好に着替え、
今から思えば夫婦などではなく医師団としてなら普通に受けいれてくれたのではないかと思ったが、浮かれるマリアに水を差すのが忍びなく、私は暖かく見守る事とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます