第10話 二人の門出

「行くぞっ! ウィルっ!」


「うんっ! 兄ちゃんっ!」


 サッカーボールが青空を舞う。


 地上に戻った2日後 10:24――

 アキラ達は子供達を連れ、フロートバイクでサーカーコートに訪れていた。


 人工芝は幸いさほど朽ちておらず、錆びたゴールを除き、ネットを張り替えすれば意外に様になった。


 私はフロートバイクに思考を写し、隣にマリアがアキラと子供達を眺めていた。


 今日の天気は快晴、気温は4℃、湿度0%という、氷河期にしては中々の陽気だ。 


『それにしても脳に異常は無くて良かった』


「……紅、無茶させすぎ……」


 返す言葉もない。

 あの後マリアが念のため脳に異常がないか、オブジェクトでMRIを取り、特に異常は見つからなかったものの、極度の疲労状態であったため、回復まで1日要した。


 我々を襲った蚊はマリアのニュンフェにより無害化され、むしろ分子マシンを移植され、体内でウィルスが弱毒化されるようにされた。謂わばワクチン製造工場と化したのだ。今まで害虫であった蚊は益虫となった。


『……君は以外に演技が上手かったのだな』


「何の話?」


『……最初にあった時、いや、再会した時、まるで初めてあったような素振りであった』


「……」


 無言か、口を閉ざすのも悪くないだろう。


『いや、忘れてくれ――』


 マリアは首を横に振る。


「あの時は……正直ギリギリだったよ。必死に気持ちを抑えていた……あのオブジェクトには昔は無かったし正直驚いた」


『そうか……』


「それに、あの人まるで変わってなかった。人に心配ばかり掛けて、無茶ばっかりして……」


『私の監督不行き届きだ。謝罪しよう』


「そうだよ。反省して」


 どこかもの悲しい笑み。やはり話さなくていいのだろうか。これでは余りにも。


『……話さなくて、いいのか?』


「……今はどうしても話せないの……それは大事な事だから」


『それでは君が余りにも……』


 不憫ではないか……


「ありがとう。心配してくれて……私は大丈夫だから!」


 マリアは立ち上がって、背伸びをする。


「それじゃあ。ちょっと交ざってこようかな」


『……そうするといい……』


 あの娘も人の事を言えず相当無理をする。夫婦は似てくるというが全くその通りだな。


 何故戻って来たのか。何のために戻って来たのか、何故話せないのか。姿以前に存在そのものが全く異なっている。


 まるで輪廻転生……馬鹿な。非科学的過ぎる。それこそ戯れ言だ。


 いずれ全て語ってくれる時がくるだろう。今はそっと二人を見守る事としよう。


 地上に戻った三日目 14:06 グランドストリート――


「そうだ。その調子だ」


 本日はオブジェクトの授業だ。ウィルに分解のオブジェクト<石巣比売イワスヒメ>の使い方を教えている。


「タブレットに表示されたダイヤルで電圧を調整していくんだ。するとAIが学習して次からは電圧調整が要らなくなるからな」


「兄ちゃん。難しいよぅ。これ」

 

 積み上げられたコンクリートの瓦礫がウィルの目の前に置かれ、ウィルはそれにそっと手を置いている。


 ウィルは右腕の量子回路サーキットに繋がれたタブレットの操作に悪戦苦闘している。


 私がセーフティを掛けているので危険は無いが、10歳の少年には少々酷であったか。


「ウィル。身につけた知識と積み重ねた努力は自分を裏切らねぇ。それは生きる糧になるんだ。そこで大事なのは諦めないこと。諦めず続ければ出来なかった子とも出来るようになんだ」


「……うん」


 ウィルは再びタブレットに真剣な眼差しで向き合う。

 いい子だ。昨日ウィルが皆を手伝いたいからオブジェクトを教えてと言い出し、危険だから15歳位までは使用させたくなかったのだが、結局のところ熱意に負けた。


 ウィルの量子回路が青白く輝く。

 添えられた手の平から、砂が零れ始め、コンクリートから酸化カルシウムが分離されていく。

 

「おおっ! 出来たじゃねぇか!」


「あっ! やった!」


 ウィルの驚きと嬉しさに満ち溢れんばかりの笑顔にアキラは思いっきり頭を撫でて答える。

 感動に酔いしれる二人の仲を、ふと白い光の球体が漂ってきた。

 これはマリアのニュンフェか? たが少し様子が違うような……


「おーい! アキラっ! 聞いてっ! 聞いてっ!」

 

 銀髪を靡かせ、マリアがエルの手を引き現れた。

 エルの容体はすっかり良くなり、もう立って歩けるようになった。

 あの男がウイルスに何か仕込んでいたんじゃないかと勘ぐっていたのだが。マリアの入念な検査の結果、問題なしというお墨付きを貰った。取り越し苦労で何よりだ。


「エルって凄いのよっ! ニュンフェをあっという間に使いこなして、それだけじゃなくて、更に進化させたのっ!」

 

 興奮したマリアが身ぶり手振りを使って説明してくるのだが


「は? 意味が良くわからねぇ……」


「つまり、あれがそうなのっ!」

 

 マリアは浮遊する白い球体に指を指す。

 注意深く観察を続けると、それは白い球体に包まれた人形の何かに見える。


「妖精?」


「そうなんだっ! この子、天才っ!」


 医者になりたいといったエルにマリアは自分のニュンフェを移植してあげたのだという。筋が良くて基本的な操作をマスターし、応用を始めたところ白い球体を創り出したのだという。


精霊ニュンフェならぬ、妖精フィーだな』


「それいいねっ! このオブジェクトはフィーって名付けようかっ!」

 

 エルは手の平を掲げると、白い球体フィーはその上に座る。


「フィー」


 名前が気に入ったのだろうか、その呼び声に答えるかのようにフィーがエルの周りを回る。

 病気で塞ぎ混んでいたエルの顔が次第に笑顔に満ち溢れていく。

 エルとフィーはその場で踊るように駆け回る。

 その妖精と戯れる少女の姿はとても絵になった。


「この子達が未来を創っていくんだね……」

 

 彼女は子供たちに優しい眼差しを送る。まるで母親が我が子に向ける慈しみに満ち溢れた瞳で見守っている。

 

「……何ハバくせぇこと言ってやがんだ。俺達だって――」


 首が軋むようにゆっくりとマリアの顔がアキラに向けられる。

 顔こそ笑っているが頬がピクピクと動いている。


「いやいや、違ぇんだっ! 俺達もまだ若いって意味で――」


「アキラぁ? 今なんて言ったのかなぁ? 良く聞き取れなかったんだけどぉ? 怒らないからもう一回言ってみてくれるぅ?」


「……」


 アキラは弁解も謝罪も聞き入れそうにないマリアの姿を見て、直ぐ様踵を返し全速力で逃げた。

 この後直ぐに捕まり、三倍に膨れ上がった顔のまま、マリアに引き摺られ帰ってきたのは言うまでもない。

 まったく、何をしているんだか……



 そして地上に戻った四日目 8:03 飛行挺内操縦席――

 

 アキラ達は集落の人達に見送られ、会社へ帰社すべく準備をし始めた。


「……何してんだ?」


 シートベルトをしっかり閉め、行儀よく副操縦席に座る白い少女を見て、アキラは怪訝そうに問いかける。


「だって、私、移動手段壊れちゃったし……」


「いや、迎えに来てもらえば」


「えー、貴方ってこんな可愛い娘を見捨てるの?」


 マリアは手を合わせて上目遣いで業とらしく懇願してくる。

 

「見捨てるって人聞きの悪りぃな。それに自分のこと可愛いって……」


「……まぁ、冗談はさておき」


「冗談って、お前――」


 マリアはタブレットを取り出し、アキラの前に差し出す。


「何だこれ。辞令……?」


 医師団本部から届いたメールのようだ。

 内容はこう書かれている。


 シャロン医師団所属医師マリア=スミス様。

 本日よりNGOTwellvThinkerとの協力体制確立の為、出向を命じます。

 シャロン医師団代表、ウィン=シャロン=スミス。


 淡々とした用件だけの内容。事務連絡書類だから無理もない。


「そっ。簡単にいうとTwellvThinkerに出向しなさいってこと」


『君と代表のウィン=シャロン=スミス氏は親戚か?』


 マリアは首を横に降り、取り繕うともせず答える。


「お母さんだよ」


『……』


 根を回したな。


「ちょっと待て、俺は何も聞いて――」


 館内に通信が入ったことを知らせる電子鈴が鳴り響き、二人の会話を遮る。

 相手先は天=兰愫ティエン=ランスゥーとパネルに表示されている。


『副代表からだな』


「出た方がいいんじゃない?」


「ったく。あいつ何の用だ」


 面倒臭りながらもアキラは通話ボタンを押し、ホログラフィースクリーンを展開する。


『お疲れ様。アキラ君』


 写し出される東洋人の女性、マリアとは対照的なストレートの黒髪、スーツの胸元から覗かせる豊かな胸が印象的な女性。

 天=兰愫ティエン=ランスゥー。TwellvThinkerの副代表を務め、皆からは何故かラスティの愛称で呼ばれている。


「おう、どうした?」


『次の仕事の件なんだけど……あら? 貴方は?』


「私はマリア=スミス。本日付で医師団より出向社員として配属されました」


 ラスティはマリアの顔を見て、一瞬考える素振りを見せたが、直ぐに合点が言ったように再び話を始める。


『ああ! 貴方がマリア=スミスさんね。話は聞いているわ。先に出会っていたのなら話が早いわ』


「何の話だ」


『貴方達は直接次の場所に向かってくれる?』


「ちょっと待て、一時帰ってからでたも遅くないだろ? 先にユラナが行くことになっていたじゃねぇか?」


『それが……貴方達と同じで奴らが現れたらしいの』


 奴らとは火星評議会の連中か。ユラナとはアキラとともにTwellvThinkerで働く同僚で、彼女とはちょっとした腐れ縁で結ばれている。


「マジか?」


『現れたと言っても、尻尾を見せる前に姿を消してらしいの。だからユラナは無事。だけど後処理の関係でユラナの方が大分遅れていて、アキラには先に行ってコーディネート業務を始めて貰いたいの』


 ユラナが無事であることは一先ず安心だな。

 だがアキラは肩を落として、頭を抱える。心配なことはユラナの無事よりも他の事にあるらしい、まったく薄情な奴だ。


「分かったけどよ……またキサキにどやされるかもしれねぇ」


『あ……』


 アキラの顔が青く染まっていく。たしか来週には帰ると約束していたな。彼女との約束を袖にすることになるとは、薄情と思ったことは訂正し同情しよう。


『あっ! でもこれならどう? ユラナには一時帰ってきて貰って、物資を持っていて貰うから、あの子キサキと仲良いし言伝を頼んだら?』


「……前に何回か頼んだ。また貸しを作ると何を要求されるか……」


 アキラは頭を横に振って困惑している様子だ。

 だが背に腹を変えられるか? 

 こう言ってはなんだがユラナの方が幾分かマシではないか?

 たしか前に要求されたのは、女装で市内一週だった。これが以外に似合っていたな。ユラナは似合い過ぎて不満そうであったが。

 その前は試作料理の実験台にされて死にかけ、そのまた前は……


『そんな話はさておき』


「さておくんじゃねぇよ!」


 さておくさ。君自信の個人的問題だ。

 ラスティはアキラの苦悩を無視し話を続ける。


『現地では原因不明の病が発生しています。マリアさん。貴方にはその対処をお願いします。詳細はメールで送るわね』


「分かりました」


『アキラ君は現地自治政府と貧困支援のコーディネートをお願いするわ』

 

「了解……」


『それじゃあ。二人ともよろしく』


 そう言い残し通信が切れた。

 さて、次の支援地域はアフリカにある大地溝帯にある都市だ。大地溝帯はプレート境界で、地球上て海抜下に火山があるのはここだけだ。この氷河期の時代において、温暖な地域の一つだ。但し有毒ガスが吹き出している場所もある。

 その都市は谷底からの地熱エネルギーを利用した地熱発電を主な収入源とし、好景気を迎え豊かになる一方、谷底に形成されたスラムが社会問題となっている。

 今回は自治政府のスラム対策の担当者と話し合い、具体的なプランを企画するコーディネート業務。比較的安全な仕事である。


「じゃあ気を取り直して行こうっ!」


 悩めるアキラとは違い、マリアは元気がよくて何より。それもそうか。


「……何で、お前テンション高いんだよ?」

 

 アキラと一緒にいられることが何より嬉しいのだろう。


「えぇ?」


 マリアは頬を桜色に染め、悪戯っぽく微笑み、口元に人差し指を当てる。


「内緒っ!」

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