第8話 火星の執行者

 男は首が仰け反ったまま、まるで倒れる気配がない。


 アキラは鋭い舌打ちをした。


「やっぱり効かねぇか……」


 緩やかに男は首を起こす。


「……さっきのは、何のマネかね?」


 冴え冴えした眼光。冷たい視線は落胆というより軽蔑で意地悪く光っている。

 男の額には傷一つないどころか、当たった痕跡さえ消え失せていた。


「挑発だ」


「なら、結構。情動的行動であれば評価を改めたところだよ。銃など私達には無力だからね。戦闘経験値も申し分ない。あくまで挑発により私の隙を誘う理性的な行動は評価に値する」


「そいつは光栄だ。THAADのスポンサー。いや、火星評議会の執行者さん」


「おや? 君のような存在に知ってくれていたとは驚きだ」


 約20年前に行われた火星移民計画。劣悪した地球環境から逃れる為に人類はテラフォーミングされた火星に移り住む。一縷の希望に見えたその計画は一部の権力者と科学者の為であり、多く者は切り捨てられ、絶望し、劣悪した環境で生きることを余儀なくされた。

 数年地球と火星との交流はなかったと思われたが、だがある時我々は執行者という存在を知った。

 彼らは安全保障理事会や様々な機関に入り込み、ある計画を企ている。THAADも例外ではなかった。


『……人類削減計画、これもその一部か、THAADに潜入している執行者がいるのもそのためか?』


 人類削減計画。人口を削減し支配しやすい体制へと変革する。人間の自由と権利を奪い、完全な管理社会を構築する計画。計画では現在の人工を7億人まで削減する。現在の人類総人口は約18億。凡そ半数の人間が殺害される。


「それは人工知能かね? そこまで知っているとは素晴らしい。たが、THAADの件は私の担当ではない、まぁ、これは計画全体の為の実験だよ」


 TwellvThinkerで支援活動を行っていた最中、幾度となく問題の裏で手を引いていた存在。ある事件で犠牲を払いながらも尻尾を掴んだ。その時以来敵対関係にある。それは我々の活動において必ず障害となり、敵対するのは必然とも言えた。


「……そうかよ、それでラプラスの悪魔なんて名前よく知っているじゃねぇか。白衣の聖女なんてのは聞いたことねぇが」


 ラプラスの悪魔、アキラのTHAAD時代の異名。THAADには二人の悪魔がいると詠われ、彼は戦況予測、戦術予報の分野において、まるで未来が見えているかのように巧みな戦術で数多くのドローンや反政府組織を屠ったという。本人はあまり好んでいないようだが。


「愚問だね。時間は十分に有ったからね。調べさせてもらったよ。因みに白衣の聖女というのは、そこに踞っている彼女のことだよ」


 耳の付け根まで真っ赤に染まり、必死に顔を抑え、踞っている白衣の聖女。


「そんなに恥ずかしがる名前か? いいじゃねぇか。白衣の聖女」


「その名前で呼ばないでっ!」


 涙目になりながら叫ぶ。


 後で調べたが、彼女は世界中の貧困地域に訪れ、命を救っている。だが亡くなった者も多く、その際彼女は自ら墓を造り、祈りを捧げているのだとか。その行動からその名前がついたのだとか。


「それで君達は何しに来たのかね?」


「それこそ愚問って奴だ。テメェを止めにきたに決まってるだろ」


「何故だね?」


「何故って……ふざけてんのかっ!」


 男は腑に落ちないといった風に首を稼げる。


「君達が手を掛けなければ、生き抜くことも出来ない人間を助けようとするのか……下らなすぎて、私には理解出来ないよ」


 男の戯言は止まらない。

 アキラの脳内アドレナリン量の上昇を検知する。


「環境に適応できない存在は淘汰される。我々のように種として進化し続ける人類には百害あって一利ない。謂わばゴミだな」


 引金なんていうものは些細なことだったりする。


 集落の人々をゴミと称する戯けた言動。


 まさしくこの言葉が引金になった。


 我々の琴線に触れたのだ。


 アキラの拳が忿怒に震え始め、マリアの顔に影が落ちる。


「それに引き換え、君達は違う。己が能力でこの場に辿り着いた。それだけで君達が優秀ということが証明された。我々は人類の更なる進化の為に、私は君達を保護する。さあ、私と共に来たまえ」


 差し伸べられる白い手。

 もし私に手があっても、決して取る気にならない手だ。

 アキラとマリア。二人は無言のまま男の言葉に撃ち震える。


「……アキラ君……私……この人の言ってることよく分からなかったよ」


「実は俺もだ……」


「なんだか私達気が合うみたいだね」


「ああ、俺もそう思ったところだ」


 マリアはゆっくりと立ち上がり、憤りを露に男へ言葉をぶつける。


「……メルヴィは美味しいものをいっぱい作りたいって、エルのお母さんは子供思いのとてもいい人。エルは私みたいなお医者さんになりたいって言ってくれたっ!」


 アキラは銃剣『天羽々斬』を宙に投げ、引金から銃床のグリップに持ち変え、刃を男に突きつける。


「ウィルはサッカー好きで、俺がやったボールを大切にしている。リアム爺さんは、ガミガミうるせぇ癖して、下らねぇもんを集めてやがるが、みんないい奴だっ!」


「みんな懸命に生きているっ! 下らないものじゃないっ!」


「それをゴミとほざきやがってっ! ゼッテー許さねぇっ!」


 男は憤りを向けられているのにも関わらず、顎に手をあて熟考し始め、暫くして閃いたかのように会話を再開する。


「……なるほど、大切なものか……なら君の大切なものを甦らせるならどうだろう。例えばカーナ=サンチェス」


「なん……だと……」


 アキラの心拍数の上昇を検知。明らかに動揺し始めた。


 男が口にしたのはアキラの亡き妻の名だ。カーナ=サンチェス。結婚後は神藤花菜しんどうかなと名乗っていた。


 TwellvThinker創立メンバーの一人で、彼がTHAADを辞めるきっかけとなった女性。

 ふいにアキラの足が動き、マリアが彼の手を掴み制止させた。


「……アキラっ! 待ってっ!」


『アキラっ! 男の戯言に耳を貸すなっ! 死んだ者は生き返らないっ! どんなに科学が進歩しても、覆ることのないこの宇宙の理だっ!』


「果たして、そうかな?」


 もう口を閉じろ。


「人の精神と言うものは外的要因により形成されていく。その者が触れあった人物の記憶を集めデータ化し、AIでシミュレーションを行えば精神を構成することが出来る。後は遺伝情報を元に作った肉体に転写すればいい」


 理論上可能に思える話だが、それは他人の記憶データで構成するということは、つまり――


「それは他人にとってのその人で、つまりハリボテ。言い換えれば愛玩人形。決して魂を持った人間じゃないっ!」


 マリアが私の主張を代弁する。


 男はそんな主張を小馬鹿にするように鼻で笑う。


「魂など……医者でありながら非科学的なことを言うとは、買い被り過ぎていたよう――」


「ウオオオオォォォォッッッッ!!」


 悲鳴とも似た野獣のような悪魔の雄叫びが、空気を震わせ、男の声を掻き消し、放たれた気迫が空間を響かせ、男の体を怯ませる。


 アキラの左足が踏み出された。まるで空間が削り取られたかのように、男との距離が須臾にして縮まる。


 尾を引く銀閃の刃が、男に振り下ろされたが。


 金属が打ち合った鋭い音が響く。


「……はぁ……?」


 天羽々斬が金属床に突き刺さっている。


 どういうことだ……


 男は傷一つ負うことなく、その場に飄々と不敵な笑みを浮かべ立っている。


「……!」


 アキラはその笑みを掻き消すかの如く、刃を凪ぎ払う。


 今度は空気を切る颯々とした風の音が響く。


「クソがっ!」


「どうしたかね。当たっていないぞ?」


 男に襲う無数の残光。幾度となく男を斬りつけるが、全てが空振りに終わる。


 これは……すり抜けているっ!


 立体映像かと思ったが、男が刃を右手で受け止めるのを見て、その考えは間違いだと気付いた。


 目の前の男が紛れもない質量のある実体を持った存在なんだと――


「実に魅力的な取引だと思うのだが……双方に利益のある決して悪い話ではないだろう?」


「いい加減口を閉じやがれっ! カーナを殺したのはテメェ等だろうがぁっ! ふざけたこと抜かしやがってっ! ぶっ殺すっ!」


 アキラは力を込め、重心移動で刃に体重を乗せていくが、男も刃も微動だにしない。


「……ふむ、君の事も買い被りすぎていたようだ」


 男の左手がアキラの胸に触れる。男の手のひらに収束していくのは……光子かっ!


『まずいっ!』


<クォーク最大散布。グルーオン膠着開始。透過率0.96%、スパン09>


 アキラの前方にバリオンの壁を最大出力で展開した。


「――っ!」


 男の手のひらから放たれるガンマ線。強烈な閃光とエネルギーは、大質量恒星の最期を飾る超新星爆発のよう、差し詰め極小のガンマ線バースト。


 超高速で放たれる高エネルギーに、壁際へと吹き飛ばされる。


 急激に狭ま視野。遠退いていく男の姿。


 ガンマ線の透過率とエネルギー量は他の放射線とは比較にならない。超高密度のバリオンの壁でガンマ線の透過を極限まで防いでいるが、一瞬でもグルーオンの核力が弱まれば丸焦げだ。


 だが、私としたことが、その核力制御に演算を割くあまり、背後の状況を失念していた。直ぐ様、衝撃吸収のオブジェクトを実行しようとしたが――


『間に合わん!』


 演算が間に合わず、背中から壁に打ち付けられ、アキラの視界が一瞬暗転する。


 アキラの衝撃により体を動かせない。


 直撃は避けられたものの、バリオンの壁はもう維持できず崩壊した。グルーオンの残量は……やはり使いきってしまったか。次あの攻撃を食らったら、私も破壊されるだろう。


「アキラっ!」


「……くそ……ったれ……」


 マリアの声。駆け寄る足音が聞こえる。アキラの視界はまだ廻っている。


「アキラっ! 大丈夫っ!?」


「……ああ」


『すまん、防ぐことに演算をさいてしまって、衝撃吸収が間に合わなかった』


「……平気だ」


 返答が出来ということは、一先ず脳に異常が無いようだ。


「なるほど、これがエネルギーパックだな」


『あれは……いつの間に、くそっ! やられた! なんて手癖の悪い奴だっ!』


 いつの間にか天羽々斬の両側面に取り付けられていたカードリッチの片方が無い。


 男が指の上で回しているのは、天羽々斬に取り付けられた水素電池の一つ、あれがないとオブジェクトが使えない。さっきはもう1つの水素電池で実行出来たが、それももう4×10の9乗ジュール程度。複雑な古典系オブジェクトは使えない。量子系は精々1つか2つだろう。


 何故使えないか、それは――


「太陽光の届かない地下で、どうしてオブジェクトが使えるか、気になっていたのだが、種が分かれば大したことないな」


 我々のオブジェクトは三要素の内のエネルギーを太陽光に依存している。光が届かない地下でオブジェクトを使用するため水素電池を持ってきていたのだが、それを絶たれた今、我々になす術はない。


「さて、再評価を始めようか。君達にはこれの相手をしてもらおうか」


 男が指を鳴らすと部屋の隙間という隙間から黒い影が滲み出て渦を巻く。


「この蚊はオオスズメバチの遺伝情報を掛け合わせてみたのだが、良くできているだろう?」


 それで蚊にしては異常な速度であった訳か。くそっ! とうとう本気で始末しにきたかっ!


「すまねぇ……俺が冷静さを欠いたばったりに」


 アキラの体が震え始める。拳を握りしめ、爪が食い込み、血が流れる。

 

『謝る必要はない。サポートシステムにも関わらず、君を制止できなかっのは私だ』


 私はなんて無力なんだ。悔しがる相棒のために力を貸すことも出来ないとは――


 ただ消滅を待つことしか出来ないとは――


 これが悔しさというものか。


「大丈夫」


 アキラの震える手を握りしめられる。


 それはマリアの儚くとも美しい白い手だった。


「アキラはまだ戦える。紅も諦めないで。あなた達にはその力がある」


 アキラの触覚を通じて暖かさが伝わり、次第に手の震えが止まっていく。


 これが温もりというものか。


「アキラ。貴方の瞳は、運命を断ち切ることが出来る」


 アキラの手を両手で包み、持ち上げる。真剣な眼差しで訴えかける。


「……運命を……断ち切る……?」


「そうだよ」


 マリアが頷く。それは希望を持たせるような励ましではなく、確信から齎される断言のようだ。


 しかし……瞳……運命……断ち切る?


 そうか!? どうやら冷静さを欠いていたのは私も同じようだ。


「紅! アレを使うぞっ!」


 アキラも気づいたか。確かにアレならエネルギーは使わない。まぁ、私の回路もアキラの脳も焼き切れるかも知れんな。しかし出し惜しみなどしていられない。


『了解した』


 アキラは大地を踏みしめ、力強く立ち上がる。怯えも恐れも吹っ切ったようだ。


「大丈夫そう?」


「ああ、ありがとう……少し迷惑かけちまったな」


 マリアは首を降り、その言葉を聞くと安心したように笑顔を見せる。


「そんなことないよ」


 この子は我々に絶対の信頼を寄せてくれている。そんな彼女の言葉に我々は励まされた。さて期待に応えるとしようか。


「話し合いは終わったかね?」


「ああ、戦うことを決めたぜ」


「そうか。残念だ」


「残念か……そうかよ。そいつは悪かったな。じゃあ代わりに」


 アキラの手にマリアがそっと手を重ね頬笑む。アキラの頬もそれを返すかのように頬笑む。どうやら彼女に勇気付けられたようだ。もしかして、彼女は……いや、今は考えるのはよそう。今はこの男に見せつけてやるのだ。我々の――


「とっておきを見せてやるよっ!」

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