第7話 悪魔と聖女
下水道に入って約7時間。アキラは起き上がり上半身裸のまま、焼け焦げた服同士をなんとか繋ぎ合わせ、一先ず着れるようにしている。まったく、寝ていろと言ったのだがな。
『……という訳だ』
「地下へのルートは探すべきじゃぁねぇし、使わねぇ方がいい。罠だ」
『やはり、そう思うか……だとしたら、どうする?』
「そいつは俺に考えがある。上手くいけば時間を短縮出来て、罠を無力化出来る」
犬歯を剥出し不適な笑みを浮かべる。統計上、アキラがこの笑みを浮かべた時、録な事がない。所謂嫌な予感というものだ。
「そういやぁ、腹減ったな……」
『全く君は緊張感が足りないな。怪我して束の間、空腹を覚えるなんて一体どんな身体をしているんだ』
無論TQX素体のだが、再生に使ったエネルギーを補おうとする至って生理的な反応だった。
唐突に背後に眠っていたマリアが起き上がった。
「ようっ! 眼が覚めたか?」
マリアは両目を大きく見開いたまま瞬きすら忘れている。
「……アキラ……君」
「おうっ!」
ふらふら立上がり、揺ったりとした足取りでアキラに近づくと胸元に飛び込んだ。
「馬鹿っ! なんて無茶するのっ!」
悲憤の涙を杭に打ち付ける拳は、アキラの精神に深く突き刺さったことだろう。どうしたらいいか分からず困惑した表情を浮かべている。
「マリア。痛てぇって、悪かったよ」
アキラはマリアの涙を指先で拭う。
「……ほら、背中診せて」
「へいへい」
アキラは素直に背中を差し出す。相変わらず女性の涙には弱いな。いつか騙されはしないかと少々不安だ。
「……内出血のあとがあるけど、再生は完了しているね。話は聞いていたけど本当に短時間で回復するんだ……」
『それは君の幹細胞のお陰だろう。そうでなければ3日程要していただろう』
「という訳だ。あんたには感謝しても仕切れねぇ、この礼はいずれ何かの形で」
『礼だけではないぞ。代償も支払わなくては』
「は?」
マリアは胸元の傷口を見せて、アキラの耳元に囁く。
「……私を傷物にした責任取ってもらうから」
「へ?」
アキラの顔が凍りついた。こんな表情を見るのは始めてだな。愉快というのはこういう事を言うのだろう。
『君に骨髄液を提供した時の傷だ。言わば君が付けた傷だ。責任取らないというのは男らしくないな』
「……23にもなって、こんな傷物にされちゃったら、誰もお嫁さんに貰ってくれないよ……」
悪乗りするマリア嬢は膝を崩し、俯き顔を手で抑えおろおろと泣き始める。
「いやいや、ちょっと待て、23って同い年じゃねぇか、もっと若いかと、じゃなくて、ええと、あの、そうだな、ええ」
アキラの狼狽する姿はなんとも滑稽だ。
しばらく楽しみたかったが、アキラは大きく息を付き、眉根を寄せて真剣な顔をする。
「マリア。実は俺一度結婚して妻と死に別れているんだ。だから今は責任を取れと言われても正直……すまん」
まぁ、だろうな。少々不謹慎であったな。
「ごめんなさい。本当にごめん。そんなつもりは無かったの」
アキラは背を向けて銃の整備を始めた。
「……別に怒っちゃいねぇよ」
またこの表情だ。アキラの過去に触れる度、マリア顔が悲しげに曇る。
「アキラ君、一つだけ教えて」
「……何だ」
「その、奥さんのこと今でも愛している?」
「……ああ、今でも愛している」
アキラは振り返る事はなく、ただ一言口にしただけだ。
アキラの背中にマリアは頭を埋める。
悲哀の籠る言葉にマリアも一言の言葉を交わす。
「そっか……」
ぐぅぅぅ―
突然室内に情けない腹の虫の音が響いた。それまでの物悲しい空気を一気にぶち壊す。
あまりにも場を欠いた乾いた音にマリアは失笑する。仕舞いに堪えきれなくお腹を抱えて笑う。
「……お弁当食べる? 作ってきたんだ!」
アキラの耳が真っ赤に染まる。それは何ら飾ることもない解答を示していた。
腹ごなしも済み、私達は今後の行動について話あった。
「つまり、蚊は操られていて、ここに誘い込まれた可能性が高く。地上に出るでる事も出来ず、八方塞がりの状態ということ」
「しかも、この部屋に長く居られねぇ、そろそろ、その内通気口から蚊が出てくるんじゃねぇかな」
「……呑気に構えているということは、何か手があるんだよね」
「まぁな」
私には思い付かないが、アキラには何か手段があるらしい。さっきもだが全くいい予感がしない。
アキラは部屋の中心へ向かい、直径2メートル程の円を描き、その円の縁に愛銃を突き立てる。
「分解のオブジェクトを使う」
『まさかっ!』
「そのまさかだ」
発信源はこの部屋の丁度真下200メートル。アキラはコンクリートや土を原子に分解し穴を掘り発信源に向かうという。
「なんか、デタラテ……ここは知恵と勇気で乗り越えるべきじゃないの?」
「それはそうなんだけどよ。正攻法じゃあ、死ぬからな……時間ももったいない」
この方法が一番効果的だな、どんな罠を張っていようが分解してしまえば無力化出来る。やれやれ。
『いずれにしても、このままだとジリ貧だ。今はその手しかないだろう』
「だろ?」
だろ? ではない。最もらしい方法を言っているつもりだろうが。やることは無茶苦茶だ。確かにこれがゲームだとすれは意表を突く必要があるが。
『分かった。マリアは危険だから少し放れていてくれ』
「うん……」
安全確認した後、作業を開始する。
〈電磁気力系還元オブジェクト、「
描いた円に稲妻が走る。円の縁から徐々に中心へと電子回路のような模様が刻まれていく。やがて中心に到達すると模様は消え。中心から分子結合が解除され、砂へと変わる。
その砂は流砂となり、下へと流れ落ちていく。
「そろそろか……」
砂は全て流れ落ち、空洞だけが残った。穴の先には一筋の光。どうやら上手く繋がったようだ。
「さて、降りるか」
「どうやって降りるの?」
「こいつを使う」
愛銃剣に取り付けたワイヤーガンを指す。このワイヤーはスパイダーシルクとカーボンファイバーを組み合わせ代物で1トンまで重量を支えられる。
アキラは天井の配管に狙いを定めると引き金を引く。
空気が抜ける乾いた音と共に射出されたワイヤーは配管に絡まり、引っ張っても外れない事を確認すると、ベルトに装着する。ズボンの形状が変り腰部と大腿部に衝撃吸収のハーネスが形成される。形状記憶素材が使われたタクティカルスーツだ。再度ワイヤーを確認後、アキラはマリアを手招きする。
『マリア、アキラに捕まるんだ』
「……うん」
一瞬抱きつく事に躊躇するマリアを、アキラは腰に手を当て強引に抱き寄せる。
眼と鼻の先まで二人の顔が近づき、マリアは恥ずかしながら俯き加減に視線をそらす。
「しっかり捕まってろよ」
アキラは縦穴を
約40秒程で降下し、二人は黒い砂の山に足を着ける。黒いのは炭素だろう。眩く輝いている粒は恐らく珪素だな。
降りた場所はエントランス通路のようで、白を基調としたシックなデザイン。
さて発信源は……
『信号は前方300メートル先から届いているな』
12時の方向、約300メートル先にその反応があった。
「マリア、顔が赤けぇぞ。大丈夫か?」
「大丈夫っ! 気にしないでっ!」
手をバタバタと振りマリアは必死に冷静を装っている。
気は使えても、人の好意には疎いこの唐変木はどうしてくれようか。
『ラブコメディを展開する尺などもうないぞ。さっさと降りろ』
「……ラブコメが何だって?」
『いいからさっさと行け』
二人は砂の山を滑り降り、発信源へと足を進める。
暖かみなど感じられない無機質な白い金属の壁が続く。静寂の中で二人の足音だけが木霊する。不可解といえば繋目一切無いことと、照明が無いのに明るいという点。そして天井に大穴を開けたというに電力供給が絶たれていない点だ。
「何か気味が悪いね……」
何かを恐れるようにマリアは背を丸くしている。
一方、アキラは終始無で周囲を警戒しながら進む。
「何だ? じっと見つめて」
「……えっ!」
アキラは執拗な視線を感じ、背後にいるマリアに一瞬視線を走らせる。
マリアは短い驚きの声をあげると、顔を真っ赤にして言葉に詰まっている。
「えぇと……歩き方が軍人みたいだなって」
『アキラは元THAADだ』
アキラは元軍人。治安維持組織
垂直降下やアサルトライフルの扱いに慣れているのも、そういった経験があってのものである。
「やっぱり……隣にいて心強いなぁって思っていたんだ」
「そういうの。馬鹿な男は勘違いするからな。やめといた方がいいぞ」
「なっ!」
軽くあしらわれ、ムスっと不満げな表情をするマリアは、小言でぶつぶつと不満を漏らす。
「何か言ったか?」
「何でもないっ! やっぱりTHAADを要請した方が良かったかなって言っただけだよっ!」
「?……何を怒ってんだ? 言って置くが今回はTHAADは要請しても来ないぞ」
「なんでよ」
「この先の部屋に答えがあんだ」
雑談の末、エントランスの先、扉の前に到着する。アキラは愛銃剣「天羽々斬」を振りかざし、無数の銀閃が走り容易く扉を切り刻んだ。
アキラは倒壊する扉を飛び越え、中へと侵入すると、直ぐ様銃剣を構え、周囲を警戒する。
凡そ300㎡四方の広い部屋に数十本の培養液で満たされた円柱状の水槽が立ち並んでいる。
「何? ここ?」
アキラは突如マリアの言葉を遮る。
瞬間的に気配を察知し、銃剣の照準を気配の主へ合わせる。
金属の階段が鳴く音に重なる拍手の音。
「素晴らしいっ! よくここまで辿り着いた」
無機質な銀髪、眼鏡の奥から光る硝子細工のような蒼眼、肌は気味が悪いほど白い。顔は輪郭の整った女のような美男子。
白衣を纏う姿は華奢に見えるが、隆起した首筋から贅肉のない均斉の取れた体ということが分かった。
「流石、ラプラスの悪魔と白衣の聖女だ。ようこそっ! 我が研究室へ、歓迎しよう」
意地悪い笑顔を浮かべ、左手を腹に右手を背中へ回す西洋の伝統的なお辞儀、ボウ・アンド・スクレープ。本来敬意や謝罪を示すものだが嘲られているように見えて仕方がない。
「私は……そうだな。V.Vという。以後お見知りおきを――」
アキラは冷めた表情で引金を引いた。
研究室に響く乾いた銃声。
V.Vの脳天をぶち抜き、男の首が大きく仰け反った。
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