第6話 白き聖女

 暗闇の下水道の中で、激しい息遣いが響き渡る。 マリア嬢は気を失った体重70kgのアキラを抱え、整備用ハッチへと歩き続けている。


「……ハァ……ハァ……」


『マリア嬢、次を左だ』


 息を弾ませ、喋るのさえ辛そうだ。


 マリア嬢の足が止まる。顔が強張り色を失い、滲み出た汗が胸元を濡らす。


 微かに聞こえる耳障りな羽音に、マリア嬢は恐る恐る振り返る。


 黒い影が蠢く。


『マリア嬢っ! 急げっ! その先を右に曲がれば直ぐだ』


 マリア嬢は先程より歩調を速め、呼吸は更に荒くなる。黒い病蚊の群れは刻々と彼女に這い寄る。 まるで一つの軟体生物のようだ。


『次は左、右、そこだっ!』


「前から来たっ!」


 前方から蚊の群れが現れる。挟み撃ちか……これは明らかに。


「これどうやって開けるのっ!」


『そのハンドルを時計回りに回すんだ!』


「ハンドルって、この輪っかのことっ!? 時計回りって何っ!?」


 しまった……時計回りが分からないのか……デジタル世代だからな……って、そんな悠長なジェネレーションギャップを感じている場合ではない。


「……こっちだ……」


「アキラ君っ!」


 アキラが突如意識を取り戻し、ハンドルを掴み。震えながらも力を込め回す。


 火傷の激痛に耐え、まるで獣のようなうめき声をあげる。


 12箇所の施錠が一斉に外れ扉が開く。


『中に入るんだっ!』


 マリア嬢は扉が開くとアキラを押込み、

自分も倒れるように入ると、直ぐ様扉を閉めハンドルを回し施錠する。


「……ハァ……ハァ……」


 極度の虚脱感に陥り、その場で頽れ、嵐のような荒々しい息を吐く。


「……アキラ君っ!」


 安堵するのも束の間、焦燥感が再燃したかのようで、立ち上がるが、痙攣したかのように足が激しく震え起き上がる事が出来ない。


「動いてよっ! このっオンボロ足っ! 今立ち上がれなくてどうすんのよっ!」


 マリア嬢は自分の大腿へ何度も拳を打ち付ける。自分への情けなさからかだろうか、腹立たしさ高じて涙を流している。震えの止まらない足に痺れを切らし這いずるように再び気を失ったアキラの側に寄る。


 懐からライトを取り出す。アキラの瞼を開き、照らしたライトに瞳孔の縮小を確認すると火傷へと目を移す。


 上皮が焼け爛れ、水泡や発赤。場所によって白や茶色に変色している。


「……熱傷深度……二度から三度……面積……体幹後面13%……広範囲に及ぶから、全層植皮は出来ない……どうするっ、どうするっ」


 アキラの火傷は思いの外深刻のようで、マリア嬢の顔が蒼白に染まり、唇が強張る。絶え間ない焦燥を心中に醸すあまり爪を噛み始める。


『マリア嬢……大丈夫だ。落ち着け。冷静に、深呼吸しろ。慌てたところで事態は改善しない。それに彼の身体は普通の生身ではない』


 私の言葉に耳を傾けられる程度の冷静さは残っていたようだ。マリア嬢は自分の胸元を手を起き深呼吸を始める。


『そうだ。今度は鼻から息を吸い込み。2秒止め、出来る限り長く息を吐くんだ。目安は吸った時間の二倍だ』


 3、4回繰り返し、マリア嬢の顔色は元通りとは行かないものの大分好色を取り戻す。


『少しは落ち着いたか』


「……うん……」


 それは何よりだ。ようやくまともに話が出来るな。


「……さっき、普通の生身じゃないって言ったけど……それってどういう意味?」


『ああ、アキラの身体は生体義体〈TQX素体〉だ』


 生体義体〈TQX素体〉、オブジェクト使用に特化した生体義体で、常人の3倍の幹細胞生産を誇り、さらに驚異のDNA修復速度により、放射線耐性を獲得している。


 換装者の遺伝情報を元にモデリングされ、拒絶反応はない。


 アラタ体が存在し身体に著しく損壊した時、蛹化により再生することが可能。元の体組織は脳と主要な神経系を残し、すべてアミノ酸に分解され、新たな体組織へ再構築される。これを羽化と呼ぶ。


『つまり、幹細胞により再生速度は常人を遥かに上回る。だが、三度熱傷の場合、再生可能かどうか……』


「……幹細胞……そうかっ!」


 行き詰っていた思考に一閃の光が差し込むか如く、マリア嬢の顔が一気に晴れたものへ変わる。


「ニュンフェ!」


 彼女の呼び掛けに答えるように、彼女の背中から二本の白い光の柱が現れる。丸で空想上の産物である天使のようだ。


 その二本の光は無数の光で構成されているようで、アキラの熱傷部分へと降り注いだ。


「壊死した細胞を生合成。コラーゲンを生成。ヒトI型コラーゲンを合成。細胞外マトリックスを構築」


 アキラの熱傷部分が次第に白い線維状のものに覆われていく。


 熱傷が白い線維に覆われ見えなくなると、マリア嬢は背負ったバックを下ろし、何か探し始める。


「……良かった。あった」


 出来たのは消毒液。麻酔薬。パッケージに密封されたコルク抜きのような形をした器具と注射器。


 そしてマリア嬢は徐に胸元のボタンを外し始める。


『待て。マリア嬢、一体何をする気だ』


「私の胸骨にある幹細胞を移植する。この骨髄生検針を使って採取するの」


 そのコルク抜きのような物は、その為のものだったのか。しかし――


『正気か!? 拒絶反応はどうする!?』


「私のHLA型、つまりヒト白血球型抗原は特別拒絶反応が出にくいで組み合わせで、所謂スーパードナーなの。だからこれはちょっとした賭けになるかな。確認だけどアキラ君の血液型はB型RH+だったよね?」


『……ああ、そうだが?』


 なぜアキラの血液型を知っている? いつ検査する機会があった?


 全てのボタンを外し、ブラジャーのホックを外す。


 注射器に針を取り付け、胸元を消毒後、麻酔を打ち、インクでマークをつける。骨髄生検針を操作し、穿刺深度せんししんどを調整する。


「じゃあ。私と同じだからメジャーミスマッチは起こらないね」


『……分かった。医師としての君の判断に任せよう。君を傷物にするんだ。アキラには目が覚めたら責任を取ってもらうこととしよう』


「そうね」


 マリア嬢の顔に少しだけ笑みが垣間見えた。


 使い捨てメスを取り出し2センチ程切開し、骨髄生検針を胸元に宛がう。


 骨髄生検針を切開部位に刺入する。


 ハンドルを時計回りと反時計回りと交互に45度程度回転させる。初見では痛々しく衝撃的な光景だろう。そしてゆっくりと押込み、穿刺を容易に行うガイド、スタイレットというらしいが、それをハンドルから引抜き、シリンジを取り付け採血を行った。三回ほど採血を行い輸血パックに積めていく。


「後はこれを熱傷部位に輸血すれば……」


 切開部位の縫合などを手早く行うと、針を交換しアキラへと輸血を始める。


『一先ず終わったか?』


「うん……」


『少し休むといい。疲れただろう。容態に変化があったら、起こすから心配いらない』


「……あと、Missはやめない?」


『既婚であったか?』


 マリアは首を横に振る。


「単に畏まった言い方好きじゃないんだ」


『そうか、了解した』


「……それじぁ、少しだけ、休ませてもらおうかな……」


 マリアは目を閉じるや否や、静かな寝息を立て、彼女まどろみの中へとて落ちていった。


 しかし、この娘は一体……いや、思考するのはよそう。彼女も自分のことを話そうと思えば話せた筈だ。話せないのは何か事情が有るからだろう。今はその機会を待つこととしよう。


 それにしてもなんとも末恐ろしい少女だ。歳はアキラとそう変わらないのに、医療に関する知識と技術。かつて世界を救った白き魔女を連想させる。その女性は英雄四人の魔女の一人で永久凍土より復活した太古のウィルスによるパンデミックを、卓越した知識と技術で治療に当たった。言わばマリアはその再来、白き聖母。いや彼女は婦人ではなく淑女だから白き聖女と呼ぶべきか、さすがに持ち上げすぎか。



 さて今はあの蚊の対処だ。群れを成して襲いかかり、先程は挟み撃ちなどという狩りの技術も習得していた。この下水道にそこまで進化出来る環境にあったと思えない。何せ獲物となる生物が存在しないからだ。となると操られていると考えるのが自然だな。しかし何故という問題が残る。目的が不明だ。何かの防衛手段か、それだとして態々蚊という生物を用いるだろうか。それに執拗に迫る必要もあっただろうか。相手の意図がまるで分からない。


「……うっ」


『目が覚めたか、アキラ』


 どうやらアキラが意識を取り戻したようだ。さすがTQX素体、回復が速いな。


「……どのくらい……眠っていた……?」


『二時間程だ。しばらく動かない方がいい、というより動けないだろう』


「……くそっ……そうも言ってられねぇ……俺達は追い込まれたんだ……こいつはゲーム……この手口には……覚えがある……」


『……今は休め。TQX素体の再生機能を最大値に設定している。マリアの治療のお陰で通常の約10倍の速度で再生が可能となった。6時間程で回復するだろう』


「……紅……信号を追え……」


 アキラは目を閉じる。多少朦朧した意識の中でも理解できたようで回復を優先する。


 しかし、ゲームか。なるほどそれなら大分辻褄が合ってくる。そうなるとここに追い込まれたと考えるべきだろう。相手は精神的に追い込んでくる筈だ。安心仕切ったところで仕掛けてくる。逆に言えば回復に時間をかけることが出来るということだ。


 私はホログラフィーマップを展開する。


 図面を見た限りでこの部屋の隣に階段があって、地下鉄ホームへと繋がっている。たが恐らく地上に上がるルートは潰されているだろう。特に怪しい場所は見当たらない。通気口は論外だな、人一人通れそうにない。


 アキラは先程、信号を追えと言っていたな。まさかアキラ。どさくさに紛れて蚊に発信器を取り付けていたのか。君という人間は手癖が悪いな。


 私は追跡オブジェクト〈事代ことしろ〉を起動する。ホログラフィーマップ上に赤い点が表れる。信号はこの部屋の下、地下200メートル付近から届いていた。地図上には無いが、ここへと繋がるルートがある筈、待ち伏せも考慮すべきだろう。ここ一先ずアキラの回復を待ってから計画を立てるべきだな。

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