第5話 病蚊の根城
2日後の午前10:00頃、我々と村人数人が病室となった客間へと訪れていた。
マリア嬢の立ち会いの元、感染前の状況を訊ねることになった。
「もう、大丈夫そうね。今日は念のため一日休んで、明日から起き上がって平気よ」
どうやら容体が回復したようだ。まずは一安心と言ったところだ。
病室が一斉に賑わい立つ。
「こらっ! 病室で騒がないっ!」
歓声が一瞬にして静まり返るほどの怒号が病室内に響き渡る。
「騒ぐのなら、外で騒ぎましょう?」
屈託のない笑顔で皆を追い返す。
アキラとマリア嬢、エルの家族、リアム老師を残し、他の皆は病室を後にした。
「エル。具合が悪くなる前の事をお姉ちゃんとお兄ちゃんに教えてくれる?」
「ウィル達と何して遊んでいたんだ?」
「……私、ウィルとメルとかくれんぼしていた」
どうもたどたどしいな。
病み上がりのところ無理をかけさせているようで可哀想で申し訳ないが、当時のエルの行動はとても重要なのだ。頑張ってくれ。
「最初は土管の中に隠れていたんだけど、見つかりそうになって……」
話を聞くと最初は崩れた排水溝に隠れていたそうだ。見つかりそうになって奥に進んだが、怖くなって逃げ出した。その後ウィルに間もなく見付かり、暫くそのまま遊んだものの、翌日体調を崩したという経緯だった。
「なるほどな。エルとウィル、その土管の場所大体分かるか?」
私はホログラムマップを起動する。
病室に青白い光線が走り、1/600スケールの町が形成される。
「……きれい」
子供達の無垢な眼差しを向ける。無邪気でよろしい。
暫しの沈黙の後。エルがある場所を指を指す。
「多分ここ……」
「そうか」
やはりな。
そこは一昨日調べたベンチャー企業の施設から500m離れた場所だった。
「ありがとう。疲れたでしょう?エル。 少し休みましょう」
エルの母の優しい囁きが、エルを眠りへと誘った。
眼を閉じるて間もなく、静な寝息を立て愛らしい寝顔へと替わり。アキラは少しホッとした顔を見せた。
「さてと、俺は宴会の準備でもすっかな」
「そうじゃな、今日はエルの快気祝いじゃ」
「快気祝いにしては気が早すぎるのでは?」
マリアがアキラとリアム老師のやり取りに苦笑する。
「なーに、明日も明後日もするのだから問題なかろう?」
何が問題ないのか不明だ。しかしリアム老師の上機嫌な姿を見るのは久しぶりな気がするな。
『さて、マリア嬢。君はこれからどうする? 良かったら君も宴会に参加しないか?』
私の提案に彼女は首を横に振り答える。まぁ予測していたことだが……
「私はエルのお母さんと一緒に、まだこの子を診ているよ」
『そうか。了解した。アキラ、リアム老師。我々は退散するとしよう』
「おうっ!」
「そうじゃな」
我々はそう言い残し部屋を後にする。
その日の晩。午前0時頃。アキラは酔っぱらい、ベッドに寝落ちしている。服装は乱れ腹が開けている。掛け布団は彼方へと旅に出ている。まったく風邪を引くぞ。
ふと、ドアが開き白い影がまるで音もなく揺蕩うように入ってきた。
マリア嬢か? しかし、何だ……どうも様子がおかしい。どこか思い詰めたような顔をしている。
彼女はアキラの寝相を整え、彼に頬笑み掛けている。
「……相変わらず、一人の時の寝相が悪いんだから……」
確かにアキラは集団の時の寝相はいいのだが、一人の時の寝相は最悪という特殊な癖を持っている。それは身内しか知らない癖だ。
何故、マリア嬢はそれを知っているんだ。彼と初対面の筈だ。口調からして前からその癖を知っていたかのような口振りだ。
「……何があっても、貴方を護るから……」
彼の寝顔を覗き込みながら、穏やかな声色でどこか決意秘めた言葉が溢れる 。
マリア、君は一体何者なんだ。
結局あの夜私はスピーカーをオンにすることが出来なかった。したくなかったが正解かもしれない。二人の間に割って入ることが、とても無粋に思えた。何故そう思ったのだろうか。何度も思考を繰り返してみるが、今だ結論が出ていない。
そして現在3日後の9:30頃、例の排水溝前。道路が隆起し、排水溝が剥き出しとなっている。確かに子供一人が丁度収まるスペースだ。
それはそれとして現場は瓦礫が散乱し、子供達が遊ぶにはとても危険だな。後で忠告しておこう。
「……ここか……」
アキラ達は瓦礫を踏み越え、排水溝の近くにあったマンホールの蓋を抉じ開け、覗き込む。
「これは深いね……先が見えないや」
まるで先の見えない暗闇を見て、マリア嬢の顔が何故か綻んでいく。
「なんか、冒険みたいでいいね」
「あのなぁ、遊びに行く訳じゃねぇんだぞ」
「分かってるよ。ちょっと言ってみただけだってば……はい、これ」
電子虫除け器を渡される。シートに染み込ませた薬剤をファンで放出する仕組みだ。
「よく持っていたな。こんなの」
「リアムさんが持っていたんだ。薬剤の方は私が調合したんだけどね」
「じいさん……なんでこんなもの持っていたんだ」
「歴史的価値があるとか、なんとか言っていたよ。他にもレコードっていう古い記憶媒体を見せてもらったよ」
「じいさん……相変わらずだな」
リアム老師は相変わらず骨董品収集に勤しんでいるのか、はっきり言ってガラクタばかりだと思っていたが、今回は評価を改めなくてはならないな。
我等は下水道へと足を踏み入れる。
かつて流れていた汚水は干上がり、小動物や昆虫の死骸の大半は既に風化し、鼻が曲がる汚臭も残り香さえ残さず消え失せている。
代わりに凍てついた空気と堆積した塵のみ取り残されている。
『酸素濃度21%、正常値だな』
どこか崩れて空気が漏れているのが原因であればいいが。一先ず酸欠の心配は無さそうだ。
アキラは不意に右手を凪ぎ、何かを掴んだ。
「……いるな」
掌の上には蚊が握りつぶされていた。
「白と黒の縞模様だね。ネッタイシマカかな?」
マリア嬢がアキラの背後から覗き込んできた。
「っていうか、こんな暗がりでよく分かるね」
「慣れているからな」
「……それって、どういう意味?」
「大した意味はねぇよ。そのまんまの意味だし、深く考えんな」
「……うん」
どこか腑に落ちないかもしれないが、慣れている以上の言葉がないのだ。訓練により身につけた特技なのだから。
アキラは暗がりを照らし、警戒しながら進む、所々に天井が崩れた箇所があり、落盤の危険性があるからだ。
「ねぇ? アキラ君はこの集落の復興支援に来たんだよね?」
「ああ、それがどうした?」
「それにしてはあまり何もしてないよね?」
「……人聞きが悪いな。この集落の経済支援なら昨日大体終わってる」
「そうなの?」
「あの人たちは皆『分解』と『化合』のオブジェクトが使えるようにした。手首にタトゥーみたいなのしている人を見なかったか」
「そういえば……でも、それって何の関係があるの? それにあのタトゥーは何なの?」
昨日経済支援の一貫として、〈分解〉と〈化合〉オブジェクトを提供した。 分解は化合物や混合物を元素に分解する。化合は元素から化合物や混合物を合成する。両方とも電力を利用することにより、これを可能にする。
『あのタトゥーのようなものは、
「コンクリートから石灰を分離してもらおうと思ってな」
「石灰? 何に使うの?」
「ああ、海のカルシウム濃度が下がってるのは知っているか?」
寒冷化の以前、地球は温暖化に見舞われた。増大した二酸化炭素は海洋に溶け込み炭酸イオンから水素イオンを解離させ真水に変えてしまった。それによりカルシウムイオンが炭酸イオンと結び付き炭酸カルシウムが出来なくなってしまった。それで何が起きたか。
「貝類や甲殻類の成長しなくなって、生態系が無茶苦茶になっちまったんだ」
『現在、海洋保全機構という組織が炭酸カルシウムを海洋散布を行っている。同時に炭酸イオンを増やす試みも行っているがな』
「なるほど、つまり、その機構がカルシウムを大量に欲しがっているんだね」
「そういうことだ」
我々はこの集落の人と機構を結び付ける経済支援のコーディネイトを行った。収入源を見出だすことで、集落の援助から自立を目指す。これが我々TwelveThinkrの仕事だ。コーディネイトだけでなく通常外注である現地での支援業務も行うのが我NGOの特徴だ。
約30分程歩いたところで私は放射線量を検査した。0.08前後を指し示し、自然の放射線量と変わらないことを表している。
『妙だ……』
不意な私の発声に、アキラは歩みを止める。
「どうした? 紅」
『いや、現在2km程歩いて、例のベンチャー企業の施設の真下に到着するはずだが、線量に変化がない』
「……そりゃあ、妙だな」
「どうしたの。急に立ち止まって」
『当初の予測が外れたのだ』
放射線により氷が溶け出し水場を形成しているという予想が大きく外れた。他の可能性として何が考えられるか……
アキラは空間の異変を察知したようで、腰に下げていた愛銃を手に取り構えた。
「なあ? マリア……」
「……何かな?」
「……蚊っていうのは群れるものか?」
「そんな習性は無かったと思うけど……」
「だよなっ!」
下水道の奥がやけに暗い。
暗闇が蠢き、コンクリートの壁を侵食し、反響するノイズのような雑音が、次第に騒然たる羽虫の音へとかわる。
「逃げるぞっ!」
「……ちょっと待ってっ!」
アキラはマリアの手を取り、横路へと逃げる。
蚊の飛行速度は時速1.2km前後、人間の歩く速さは平均4km前後、通常なら歩いてでも逃げ切れるが、この蚊の速度は明らかに走った人間が追い付ける速度、目算時速40km前後は出ていると思われる。
『……妙だ』
「何がっ!?」
『蚊にしてはやけに速い』
まるでオオスズメバチ並みの速度だな。一体この蚊は何だ。ゲノム編集されたのか、それとも蚊ではない何かか?
「……ハァ……ハァ……このままだと……追い付かれるよ……」
マリアの息が上がる。
「悪い、先に謝っておく。少し数を減らす! 紅っ!」
『了解』
〈階層性ディスバランサ起動、凝縮ウィークボソン解放。ニュートリノ、中性子より水素を生成〉
〈古典化シークセンスに移行……
階層性を破られたウィークボソンを解放し、空気中のニュートリノと中性子から可燃性ガスの水素を生成する。
〈支燃対象検索……酸素19.5%〉
支燃物を空気中の酸素に限定する。
〈エネルギーダイアグラムコントロール。生成物H²O……63%、CO²……14%、NO……15%、発熱反応エネルギー値、遷移状態エネルギー値、逆算より推定。反応座標方向固定。反応障壁解除〉
オブジェクト【エネルギーダイアグラムコントロール】により生成物を極力限定したものにする。一酸化炭素など有害なものを多く生成してしまってはアキラ達に危険が及ぶ。
〈点火源確認……完了〉
〈オブジェクト【
アキラは腰に下げた手榴弾を手に取り、ピンを歯で無理やり引き抜き投擲する。
「伏せろっ!」
輻射熱から守るためアキラはマリアを庇う様に覆いかぶさった。
約4秒の間。空中を舞う手榴弾が爆発する。
地面を揺らす轟音。目がくらむような激しい閃光と1000℃を超える炎が下水道を包み込む。
火の発生していない周囲から空気を取り込み、局所的な気流を発生。火災旋風となった蚊を一気に焼き尽くす。
約10秒後。蚊を焼き尽くした炎は鎮まり、周囲に再び静寂と暗闇が訪れ、生成された不燃性ガスの煙に包まれているが、酸素濃度は正常だ。
『二人とも無事か?』
私はアキラとマリア嬢の意識レベルを確認する。
「うん、私は大丈夫……アキラ君は……」
マリア嬢は無事のようだな。
次はアキラだが。
「アキラっ!」
次の刹那、マリア嬢が突然叫んだ。血相がみるみる青く染まっていっく。
「アキラ君、聞こえるっ! 名前は言えるっ! ここがどこか分かるっ!」
アキラの言語反応がない。マリアは手を握るが、運動反応もない。そして気付いた。
「アキラ君! 背中がっ!」
アキラの背中がオブジェクト【加具土命】の輻射熱により重度の火傷に侵されていた。
ここでは真面な応急処置も出来ない。私はマップを検索し、ある場所を見つける。
マリア嬢の前にホロ不グラムマップを展開し、そのポイントを赤く示した。
『マリア嬢。一先ずこのポイントへ迎え、整備用通路のハッチだ』
声を失うというのはこういうことを指しているのだろうか。
マリア嬢の顔が噴水のように吹き上げる涙で濡れそぼっていた。
「あ……あ……」
声にならない声を詰まらせ、立ち上がる力を失っているように見えた。
さすがに私も堪忍袋の緒が切れた。
『マリア嬢っ! しっかりしろっ! 君は医者だろうっ! アキラを救えるのは今は君だけだっ! 君が医者になったのは救いたい命があったからではないのかっ!』
私はあの日の夜のことを思い出す。夜中マリア嬢がアキラにかけた言葉。
『君とアキラとの間に何があるかは知らない。詮索するつもりもない。君がアキラを護るのだろうっ!』
「!……」
マリア嬢の目に光が灯り、私の言葉に自分を取り戻してくれた。
「紅……私……」
『話は後だ。早くこのポイントへ向かうんだ』
「うんっ!」
さっきとは打って変わっていて、彼女の顔は決意を秘め凛とした表情へと変わっていた。
マリア嬢はアキラの肩を抱き立ち上がる。歩き出す彼女はしかっりとした足取りで、力強く、どこか頼もしく見えた。
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