第58話 8日目⑨

 疑問はすぐに吹っ飛んだ。というか、疑問を抱いてことさえ忘れた。忘れされられた。

 なぜならそこに現れたのは、瞬間移動を施す下級の悪魔、いわゆるジンではなく、魔王だったからだ。

 魔王はゆっくりと歩いて立方体の周りを歩いて、高い二本の木に挟まれたかどで立ち止まった。そして、そのかどを横にずらして中に入って行った。ここまでの動きがあまりに洗練されていて、無駄もなく、したたかだったので、僕たちは何かを頭に浮かべることさえできなかった。ただただ、目の前の動きをというか、空間を眺めている感じだった。

 そして、魔王は完全に立方体の中に消えた。ここでやっと僕たちは正気を取り戻した。今ここで何が起きているのか。なぜ。そんなことが頭に流れ込んできた。しかし、そんな疑問の波を止めるものは何もなく、僕たちの周りには虚ろな会話があるだけだった。

「今の何?」御紋さん。

「分かんない。でも、魔王だよね。」三谷さん。

「何、入ればいいの?」椎名さん。

「よく、分かんないです。」僕。

 こんな中身もなく、何も進展しない会話だけが、この広い森に積まれていった。積まれた結果は僕たちにほぼ何も残さなかった。ほぼ、とはどういうことか。僕たちの会話が途切れた後、魔王が言った。

「早くしろ、今は魔法で開けているだけだ。いずれ閉まるし、部屋も移動する。」この魔王の言葉すらしっかりとは理解できなかったが、御紋さんが早くしろに反応して、中に入っていく。それにつられて僕らも入る。

「やっと、入ったか。では、どこに移動させますか。」そう魔王が言っている。質問の対象は、そこの見るからにフカフカそうな椅子が置いてあっただろう場所にある、木製の椅子に座っている、魔物だった。何とも知れない、得体のしれない、魔物だった。闇を抱えているのか、楽天家なのか、穏やかなのか、荒々しいのか、何もわからない。何も形容する言葉が見つからない。しいて言うならば、これが形容する言葉だろうか。

「ああ、どうしようか。お前はどこがいいと思う。」そう重さを感じさせる声で言った魔物に

「この子たちは、『始まりの大地』から来ました。そこはいかがでしょうか。」と返している。

「お前がそう言うなら、そうしよう。そうしてくれ。」その一言で、外の景色は一変した。たしかに、『始まりの大地』の雰囲気がする。

「ねぇ、私たち、魔王討伐しに来たんだよね。」ひそひそ声で御紋さんが言う。

「そうだけど、、、。」椎名さんが言う。

「どうする?」三谷さんが言う。

「今は割と無防備ですよね。」僕がそう言う。

「私、後から治癒できるから、とりあえず、攻撃してみる?」御紋さんがこういった次の瞬間、椎名さんがこの狭い部屋で、黒魔法を繰り出した。

 なにやら、黒いオーラともいえるようなものが椎名さんの揃えられた指先から出ている。

 明らかな不意打ち。怯んで当然だが、攻撃を相殺しようとこちら側に攻撃が飛んできた。その主は魔王ではなく、魔物だった。しかし、彼、おそらく男性だろう、も余裕という感じではなかった。それを見たのか、椎名さんが、魔力を強めた。

 次第に二つの力がぶつかり合う点が移動した。魔王側に。そして、2秒後ぐらいで、その点は彼らに重なった。あちら側の壁がぐにゃりと曲がり、彼らは森へ放り出さされた。椎名さんは力を使い切ったといった感じで、その辺に座り込んでいる。

 あっけにとられていた僕らだったが、御紋さんが気付いた。彼らを治癒させなければ、本当に死んでしまうということに。すぐに、治癒の能力を使い始めた。

 次第に二人は起き上がって来た。よく考えたら、縄で縛るか何かした方がよかったのかもしれない。しかし、そんな気は僕には起きなかった。なぜなら、縛る必要がないと思えたから。彼らの目には戦意が宿っていなかったのだ。

「魔王様。」そう言って、先に起き上がったのは魔王だった。

「大丈夫だ。お前は。」そう言った、魔物?魔王?

 それに

「私は大丈夫です。」と

 応えた魔王?魔物は私たちの方を見た。

「『修道女』のジョブをもらった、あなた。魔王様は治りますか。」と訊いてきた。

「あ、大丈夫です。」そう答えた御紋さん。

 もう何が何だか分からない。そんな風に気持ちは混沌としている。目の前の半壊した、真っ白な立方体と広大な森が一体化しているように。

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