第2話 「普段と違うけど違わない撫子さん」

 迎えた休日。

 俺は、シアターのあるショッピングモール前に立っている。

 現在の時刻はもうじき11時になろうとしているところだ。撫子と交わした待ち合わせの時間は11時。

 映画の放映時間は13時過ぎからなので遅刻されても問題はない。ないのだが……

 どうせなら昼食を食べてから見に行こう、と言って待ち合わせ時間を決めたのは撫子だ。言い出した本人が遅刻というのはどうなのだろう。

 もしや来る途中で事故にでも遭ったのだろうか……。

 いや、それならばサイレンの音などが響いてもいいはず。それ以外の可能性を考えるとするなら……スマホにも遅れるという連絡は入っていない。となると……

 もしやまだ寝てるのか?

 最近撫子は寝不足だったし、十分にありえる。

 また楽しみなことがあると眠れなくなるタイプだった気もするので、今日の映画が楽しみでなかなか寝付けなかったのではなかろうか。

 そう考えると、一度電話しておいた方が良い気がする。


「……ん?」


 電話を掛けようとスマホを操作していると、こちらへ向かってきている足音が聞こえた。

 視線の先に現れたのは、艶やかな栗色の長髪を毛先の方で束ね、清楚さのあるワンピースを纏った同年代の少女。

 何でこんな綺麗な人が俺の方へやってくる?

 そう思ったのもつかの間、よく見てみれば見覚えのある顔立ちをしていることに気づいた。

 それなりに綺麗な顔立ちで、それなりにスタイルの良い身体。それに栗色の長い髪……と、それらの特徴は我が友である藤堂撫子の示している。

 だらしない格好と不健康そうな顔が見慣れつつあったため、視界に生じているギャップが激しい。


「す、すみません! 少し遅れてしまいましッ……!?」


 うん……ここで盛大に舌を噛んでしまうあたり撫子だと思う。

 普段より身なりに気を遣っていることもあって可愛らしいとも思うが、やはり最後まで締まらない。残念系美人の称号は今日も揺らがないようだ。


「大丈夫か?」

「は……はい、大丈夫です。……それよりも……遅れてすみません」

「いや、別に気にしてないけど」


 時間を見ても11時から数分過ぎているだけ。さすがにその程度で「遅い」だとか「何やってんだよ!」と言うのは気が引ける。

 かといって遅刻を全て許容するつもりはない。時と場合によるだけだ。

 さすがに仕事で遅刻して商談が遅れた、とかならば流して良いものではないのだから。仕事というのは、ひとりの失敗が他のメンツにも迷惑を掛けるなんてこともざらにあるだろうし。

 基本的に遅刻はダメ。5分前行動を心がけましょう。

 ちなみに余談ですが、声優さんの場合は30分前には現場に着くようにって言われたりするらしい。共演者だけでなくスタッフさんにも挨拶とかしないといけないからね。

 それにギリギリになると焦って走るかもしれないでしょ?

 息が上がった状態で収録してもオッケーは出ない。息が上がったシーンとかなら話は別だけど。

 まあ声優になりたいと思ってる人は、普通の人よりもさらに時間を守ることを意識しましょう。


「何か……ずいぶん気合の入った格好してるな」


 女子であることを考えれば、オシャレな格好をするのは分かる。分かるのだが……あの撫子がしていると素直に納得できない自分が居る。

 俺なんてシャツに半袖の上着を羽織って、下はジーンズって割とラフな格好ですよ。だって外に出ると言っても映画とか見るだけだし。一緒に見る相手も撫子だもん。ビシッと決める必要もないじゃないですか。


「べ、別にこれくらい普通ですよ! 私だって女子なんですから外に出るとなれば最低限のオシャレはします。いつまでもダメダメな撫子さんだと思わないでください」


 えっへん!

 と言わんばかりに胸を張る撫子。それなりにボリューミーなお胸をお持ちなだけに良き山が現れていますよ。僕も男なのでつい目が行っちゃうね。だけど……


「ねぇねぇ撫子さん、平日にあれだけ女子力皆無の姿を見せておいて説得力あると思う?」

「……忘れてくださいぃぃぃッ! あれは、あのような姿で学校に行っていたのはすでに私の中で黒歴史なんです。忘れたい過去なんです。欲望に忠実に生き過ぎたんです!」


 そんなことを言うなら頭を掻きむしりながら叫ばないでもらえますか。

 普段以上にオシャレしているせいか、周囲からの視線の集中率が凄まじいから。俺が何かしたのかってヒソヒソと話してるから。

 だから今すぐやめて、というか今日はそういうことしないで。


「こらこら、ノリと勢いで行動するな。せっかく高めた女子力がダダ下がりだぞ」

「はっ……!? そ、そうですね。今日はその……ですから普段のノリは控えることにします」


 一部聞き取れなかったが、まあ深く考えないようにしよう。大方、映画を楽しむためだとか言ったんだろうし。

 さすがに……俺と出かけるのをデートだとは思わないだろうしな。

 これまでにふたりで出かけたことなんて何度もあるわけだし。今更そんなことを意識する可能性も低いだろう。……それ以上に。


「あの……その驚いたような目は何ですか?」

「いや……自分からバカなことしないとか言うから熱でもあるのかと」

「確かにそう言われても仕方がないことを普段はしてますけど、控えようと思えば出来ますから! これでもバイト先では、気さくな美人ってイメージで通ってるんですからね。あんまりバカにしないでください」


 ならバカにしないんで俺の前でもそのイメージで居てもらえますか?

 そう言いたくなったが、言ったところで否定されるのがオチだろう。この手のタイプは、そんなことをしたら自分が自分ではなくなると訳の分からんことを言ってくるに決まっているのだから。

 故に……ここはスルーして話を進めるべきだ。


「はいはい、分かりました。それで気さくな美人の撫子さん、お昼は何を食べたいですか?」

「何でそう地味に私の精神を削る言い回しをしますか。もっと普通で良いでしょう……まあいいですけど。お昼は軽めなものが良いですね。私は映画を見る時はポップコーンとジュースは必ず買う派ですので!」

「別に自論までは聞いてない。バーガーとかで良いか?」

「良いですね。ちょうどそこにお店もありますし、女子高生って感じがします」


 学校帰りに友人と食べるなら高校生って感じはするけど、休日にバーガーを食べるのは高校生らしいのだろうか。

 安価で食事できるから学生は多いとは思うけど……女子高生はもう少しオシャレな店に行くのでは?

 そんな疑問を飲み込みながら移動し、バーガー店の中に入る。休日ということもあって子供連れの客も多いようだが、ふたり座れる余裕はあるようだ。

 俺と撫子はそれぞれ注文し、商品を受け取ると空いていた窓側の席に移動。

 ちなみに面倒なので撫子と一緒に注文したわけだが、店員の目に嫉妬めいたものを感じたのは俺の気のせいだろうか。

 別に俺と撫子はカップルではないし、カップルに見えたとしても店員なら見慣れてると思うのだが。カップルの客なんて見ただけで結構居るようだし。


「何だか……久しぶりですね」

「ん……何が?」

「こうして零次さんとふたりで出かけるのがですよ。最近はアリスさんや明日葉さん達と一緒に居る時間が多かったですから」

「まあそうだな」


 最近まではギルドを作るために毎日レベル上げとかに勤しんでたし。今は自由行動の時期になってるけど。毎日のように会ってるのなんて明日葉ことルシアだけだしな。

 武器の関係でムラマサとは会うが、最近はログイン時間が減っているように思える。まあ目の前に居るオタクに付き合わされて疲れが溜まってるんだろうけど。


「……ところで」

「はい」

「お前は何をそわそわしてるんだ? 食事も進んでないみたいだが……もしかして」

「違います」


 言う前に否定されてしまった。

 確かに食事中にトイレといった言葉を使うのはマナー的に悪いのかもしれないが、我慢されるようなことでもない。

 生理現象なのだから行きたいなら行ってくればいいと俺は思う。別にトイレを遠慮するほど、気まずい空気でも関係でもないのだから。


「その……周りの視線が気になって落ち着かないだけです」

「あぁ……まあ仕方ないだろ。今日のお前は、見た目だけはいつもより女子としての戦闘力が高いわけだし」

「見た目だけってところ要りますか?」

「要りますよ」


 だって中身は至っていつもの撫子さんじゃないですか。今のところノリと勢いはセーブしてるけど。


「零次さんって口調はブレても根っこは本当にブレないですね」

「そこがブレたらあなた達の相手は出来ませんからね。大体別に気にすることないでしょ。そっちに来てる視線なんてあの子可愛くない? みたいなもんなんだから」

「それはまあ……そうですけど。普段あまりあの手の目で見られませんから落ち着かないというか……零次さんとデ、デートしているように思われて恥ずかしいというか」


 その羞恥心があるのにどうしてお前は変な言動をやめない!

 そう叫びたかったが、俺はどこから構わず大声を出す非常識な人間ではない。グッと耐え、努めて冷静にこう切り返す。


「それはあれか? 俺みたいなのが彼氏だと思われると癪だとでも言いたいのか?」


 俺なんて「あいつが彼氏? 釣り合ってなくね?」みたいな視線を受けてるんだぞ。

 別に平凡な男子がそれなりに可愛い(見た目だけ)女子と一緒に居てもいいだろうが。妬む暇があるならお前らも親しくなれる努力をしなさいよ。

 俺だって日々努力して、こいつを含めたあのメンツの相手をしとるんだから。


「べ、別にそんなことは思ってませんよ。大切なのは見た目よりも中身だと思いますし。二次元に理解のない方はお断りですから!」


 その条件なら今時の男子は大抵満たしていると思うんですが。

 アニメといった二次元文化は今や世界にも認められていますし、今時は誰でもオタクの一面はあるでしょうからね。


「その……零次さん的に私みたいなタイプはどうなんですか? あ、勘違いしないでくださいね。あくまで一般的に、参考までに聞きたいですから」

「しないから安心しろ」

「……分かってました……分かってましたよ。でも即答することないじゃないですか。もう少し迷ったり、どぎまぎしたりしてもいいじゃないですか。そんなに私には魅力がないんですか……」


 魅力ですか?

 うーん……ないとは言わないよ。見た目は良いし、スタイルも悪くない。性格も話しやすい部類だし……でもさ


「撫子ってさ、気さくに話しやすすぎて異性として意識されにくいタイプじゃん。はたから見てる分には明るい美人で良いなって思う奴も多いだろうけど。でも俺はお前と親しくしてる分、他の男子より余計に異性意識が下がっているというか……魅力はあるよ魅力は」

「もういいです。聞けば聞くほど悲しくなってきますから……変に意識してた自分がバカみたいです」

「意識してくれるのは嬉しいが、あまりされるとこっちとしても意識するからギクシャクするだけだぞ」

「こういう時は聞き流してくれませんかね。それかドキドキしてくれませんか?」

「いやーこうした方がお前も普段どおりに接してくれるかなって」


 親しい奴が何かいつもと違うと落ち着かないじゃないですか。

 いつもみたいに暴れろって言ってるわけじゃないし、望んでるわけでもないけど……何かそわそわするじゃん。こいつ、気を遣って楽しんでないのかなって。

 むむ……あれは……。


「……撫子」

「な、何ですか? というか、何でそんなキリっとした顔と良い声で名前を呼んだんですか」

「そこは気にするな……それより」

「は……はい。……ゴクリ」


 ゴクリ、と言葉にするのはやめなさい。

 そういう効果音を自分で言うと場の空気が乱れるでしょ。


「頬にソースが付いてるぞ」

「……何ですと!?」

「気にするな。ソースを頬に付けたままの奴と一緒に歩きたくはないから言っただけだ」

「私が驚いたのはそこじゃないです! それだけのことをここまで重々しく言ったことに驚いてるんです。というか、仮に私が気づかないままだったとしても一緒に歩きたくないなら拭いてくれてもいいと思うんですが!」

「いや、だって俺はお前の彼氏じゃないし。彼氏でもないのに気安く触れるのはどうかと」

「正論ですけど! でも他よりもハードルは高くないでしょ。胸とかお尻はアウトですけど、髪の毛に付いたゴミとか頬に付いたソースを拭けるくらいには親しい関係だと思うんですが!」


 そうかもしれないけど……ほら、やっぱり周囲の目もあるじゃないですか。

 良からぬ噂が立つのもどうかと思うし、やっぱりこうやって騒ぐのはお前らしいというか。

 少しの間とはいえ、お前に意識されてたから恥ずかしいなんて言えない。

 言ったら絶対にあっちがまた意識するから。普段から親しくしているほど、意識したら余計にギクシャクするものだろうし、俺と撫子はこういう関係で居るのがちょうど良いと思う。


「零次さん、人の話を聞いているんですか!」

「聞いてます聞いてます。というか、先にソース拭いたら?」

「言われなくても拭きますよ!」


 うんうん、これが撫子さんだよね。

 久しぶりに元気な姿が見られて良かった。これ以上は見なくていいけど……多分この後の方が大変になるよね。映画でテンション上がるだろうし。

 まあ……頑張りますか。俺にはそれしかできないし。



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