第16話
浩太がラッキーアイテムを届けてから翌日。
お昼近くになったころ、信彦と洋子がようやく家に戻ってきた。
帰り支度に時間を要したとのことだが、浩太はなにひとつ心配することはなかった。
魔覇神を倒したのち、二人は家に立ち寄っていたからだ。
そして現在、浩太はそんな両親をダンジョンの入口で出迎えていた。
「浩太、おまえのおかげで助かったぞ」
「さすが私たちの息子ね。これなら東大合格も間違いなしだわ」
ニコニコと笑顔を浮かべる両親は、腰紐を結んだだけの貫頭衣を身に着けている。
異世界戻りだしそれはいいとして、浩太は二人が背負う大きな布袋が気になった。
それはパンパンに膨らんでおり、なおかつズッシリとした感じでとても重そうだ。
「なあ、父ちゃん、母ちゃん。その荷物の中身はなんなんだ?」
「これはすべて金貨だ」
「魔石を売って稼いだお金よ。二人合わせて五万枚はあるんじゃないかしら」
蘭子行きつけの質屋に売れば、金貨一枚が三千円。
それを元に浩太が暗算してみたところ、導き出された答えはこうだ。
3000円×50000枚=150万円(あくまでも浩太の暗算)
目がくらむような大金である。
両親は莫大なお宝を手にし、復讐という名の冒険から帰ってきた。
「ところで浩太、その女の子は誰なんだ? ダンジョンでも連れてたろ?」
「とてもかわいらしいお嬢さんね」
二人はキッチンでお湯を沸かしていたチャムの存在に気がついた。
浩太は彼女の紹介するため、こちらの方へ呼びつける。
「この子はチャムといって、俺の手伝いをしてくれてるんだ」
「は、はじめまして……殿下にはいつもお世話になっております……」
チャムは照れ臭そうにペコリとお辞儀した。
すると両親は、『殿下』という言葉に「はて?」と首をかしげる。
二人が疑問に思うのも当然だ。
だから浩太はこれまでの経緯を詳しく語り、チャムとの関係性を打ち明けた。
「そうか。王子の振りをしてダンジョンの脅威から世界を守っていたのか」
「浩太、あなたも立派に成長したのね」
「チャムはいいけど、ほかの異世界人には内緒だぞ。だから父ちゃんと母ちゃんも、日本王国の国王と王妃ってことでよろしくな」
「この俺が国王か……なんだか恥ずかしいじゃないか……」
「私が王妃だなんて……。いつかこんな日がくるとは思っていたけど……」
信彦はダンディーなスマイルを浮かべ、オホンとひとつ咳払い。
洋子はおばさんパーマを撫でつけ、モデルウォークをはじめた。
その権力に奢ることのないよう、うまく役を演じてほしいものである。
権力に奢れる浩太はそう願う。
「じゃあ、父さんと母さんは金貨を換金してくるからな」
「チャムちゃん、お夕飯いっしょに食べましょうね」
両親は着替えもせずに家を出ていった。
異世界気分が全然抜けていないどころか、腰に剣まで差していた。
たぶん、あの国王と王妃は、これから別のなにかと戦うことになるだろう。
そんなところへ、二人と入れ替わるように蘭子が家へ上がり込んできた。
「おじさんとおばさん、無事に帰ってきたんだ」
「帰ってきたのはいいけど、またしばらく会えなくなるかもな」
「それより、お客さんはどうしたの? お昼近いのに一人もいないじゃない」
蘭子はダンジョンの中をひょいと覗き込む。
「父ちゃんの話じゃ、ランテリア王国が冒険者の立ち入りを禁止しているらしい。なんか、いろいろ調べることがあるんだとよ」
「ふ~ん、なるほどね。ま、それだけの大事件だったわけだし当然――ッ!!」
と言いかけたところで、蘭子は仰天したようにギョギョっと目をむいた。
「どうした蘭子? 釣り針にかかったフグそっくりな顔して」
「ダンジョンよ! ダンジョン! その入口が狭くなってるのよ! 現在進行形で!」
「う、嘘だろおい!?」
半ばパニック状態の蘭子につられ、浩太もそれを確かめてみた。
すると――。
リビングの壁一面、つまりダンジョンへ通じる空間が、左右の壁から閉じられていく。
それはまるで、ふすまを両側からゆっくり閉じるような、そんな狭まり方だ。
はっきりしたことはわからないが、考えられる原因はいくつかある。
この世から存在の消えた魔覇神。
その力を失ったダンジョン。
両親の帰還。
それら複合的な要素が絡み合い、空間に作用を及ぼしたのかもわからない。
だがしかし――。
このリビングには、本来、ここにいてはならぬ者がいる。
「チャム! 戻れ! 今すぐダンジョンへ戻れ!」
キッチンで昼食のカップメンをこしらえていたチャム。
浩太はそんな彼女へ大呼し、ダンジョンに向け何度も何度も指を突きつけた。
「し、しかし、殿下ッ!」
混乱と困惑を交えるように、チャムはカップメンを片手にオロオロと歩み寄ってくる。
浩太のためにつくられたシーフード味。
それが彼女の手元より滑り落ち、麺とスープが床にドバっと飛散した。
チャムはそこで立ち止まり、浩太の顔とダンジョンを交互に見やる。
うるうると瞳に涙をたくわえながら、どうしたらいいのか判断を決めかねていた。
しかし、のちのち後悔しも遅いのだ。
十年後、二十年後、やっぱり異世界へ戻ればよかった、そう後悔しても遅いのだ。
担任の先生も言っていた。
大人になってから後悔しても遅いんだぞ、と。
「いいかチャム! おまえはこっちの世界の人間じゃねー! 入口が塞がっちまったら、もう二度と戻れなくなるんだぞ! だから戻れ! これは王子である俺の命令だ!」
「でもわたしは殿下の元に! 殿下の元に!」
「バカ言うな! 残された両親のことはどうすんだ! 両親のためにも立派な王国の兵士になるんじゃなかったのかよ!」
「ですが! ですが!」
それでもチャムはあるべき場所へ戻ろうとはしなかった。
浩太の顎下から視線を突き上げ、今にも決壊しそうな涙で別れを拒んでいる。
「チャムさん! 早くしないとまずいわよ!」
蘭子の言うとおり、空間の幅はもう二メートルほどに狭まっていた。
秒速五センチメートルの切ないスピードで、刻一刻とそれが閉じられていく。
急がなければならない。
「俺だってつらいんだ! チャムに二度と会えなくなると思うとつらいんだ! でもおまえにはおまえの世界がある! 俺には俺の世界がある! だから行け!」
浩太はチャムをダンジョンの中へ強く押しやった。
「で、殿下ッ!」
チャムは数メートル先で尻もちをつき、すがるように手を差し伸べた。
空間の幅はどんどん狭くなる。
一メートル――。
五十センチ――。
十センチ――。
確実に隔たれゆくごくわずかな隙間を通し、浩太はチャムの瞳をじっと見据えた。
とめどなく涙があふれる深紅のまなこを優しく見つめた。
そして――。
浩太は別れの言葉を口にする。
「その首からぶら下げたマウス。俺だと思って大切にしてくれよな。あばよ、チャム」
「で、殿下ッ! わたしは殿下のことが――」
チャムが最後に言いかけた、なにか。
その言葉が置き忘れたかのようにして、ダンジョンの入口は完全に塞がれた。
目の前に映るのは、真新しいクロスの貼られた、無情で理不尽な壁だけだった。
「う、ううっ……こんなのってあんまりだぁ……こんな別れなんてあるかよぉ……」
浩太は両の拳を壁に叩きつけ、力なく膝をついて嗚咽を漏らした。
ポロポロと涙を落とし、寄り添う蘭子の隣で、いつまでも子どものように泣いていた。
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