第14話

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 ダンジョン地下五十階層。

 そこは今までの階層とはまるで異なっていた。


「母さん、この階層、なんだかおかしくないか?」

「そうね、魔物ちゃんたちも全然見当たらないわ」


 迷路のように入り組んだ階層ではない。

 ワンフロアで形成された、円筒状の空間である。

 直径およそ五十メートル、高さ二十メートルほど。

 岩壁には円を成すようにして、巨大な女神像が天井近くまで彫り込まれていた。

 朽ちかけたそのどれもが胸の前で手を組み、祈りを捧げる姿で形作られている。

 魔物すら一匹もおらず、このような階層を目にするのは信彦と洋子もはじめてだ。


「母さん、あれはなんだろう?」

「石棺じゃないかしら?」


 石棺らしきものを目にし、信彦と洋子はフロアの中心へと歩を進めた。

 とはいえ、でかい。

 これまで見たものとはちがい、キングサイズのベッドぐらいの大きさがある。

 女神像はこの石棺を中心にして、祈りを捧げているものと思われた。


「この石棺、人間を埋葬するにしてはやけにでかいな」

「あなた、ちょっと石棺の土埃をはらってみましょうか」

「そうだな。もしかしたらなにか書いてあるかもしれんしな」

「たいそう立派な戒名が書いてあるんじゃないかしら」

「母さん、仏教じゃあるまいし、それはないだろ」

「それもそうね」


 なんてボケをかましつつ。

 二人は石蓋に数センチ堆積した土埃を手ではらいのけていく。

 太古から蓄積されたであろう土埃はカビ臭く、それでいてパウダーのように軽かった。


「母さん、なんだろうこれ? 象形文字かな?」

「ヒエログリルだか、ピエログリフとかいう象形文字に似てるわね」


 土埃をはらってみると、石蓋の全面には奇妙な絵柄が刻み込まれていた。

 口から火を吐く、人とも魔物ともつかないなにか。

 悪魔を崇拝するようにして、それにひれ伏す人々。

 槍を手にする頭が魔物で体が人間という生き物。

 人間を口に咥えた、とぐろを巻いたヘビ。

 石蓋にはそんなおぞましい絵文字がびっしりと羅列されている。

 むろん、信彦と洋子にはまるで意味が理解できなかった。


「この石蓋を鑑定してみればいいんじゃないかな? なにかわかるかもしれないぞ」

「さすがあなたね。ちょっとやってみるわ」


 洋子は石蓋の絵文字を目で追いながら、鑑定魔法を開始した。

 その結果、絵文字に関する情報が解読された。



 ――魔蛇歴119年:魔覇神ゲズマ、アキバエラ大地降臨。

 ――魔蛇歴120年:魔覇神ゲズマ、アキバエラ大地部族統一宣言。

 ――魔蛇歴123年:魔覇神ゲズマ、プマフソ族統治。

 ――魔蛇歴125年:魔覇神ゲズマ、ラパスンド族統治。

 ――魔蛇歴127年:魔覇神ゲズマ、モドクツ族統治。

 ――魔蛇歴129年:魔覇神ゲズマ、ヤキブト族統治。

 ――魔蛇歴133年:魔覇神ゲズマ、アキバエラ大地部族統一。

 ――魔蛇歴134年:魔覇神ゲズマ、トイメニア帝国建国。

 ――魔蛇歴338年:魔覇神ゲズマ、魔大陸制圧、修羅魔王グフオカ、帝国配下。

 ――魔蛇歴1000年:魔覇神ゲズマ陵竣成。

 ――魔蛇歴1386年:魔覇神ゲズマ崩御。


 

「母さん、この絵文字は、どうやら年表みたいだな」

「そのようね。その魔覇神とやらがこの石棺に埋葬されてるのかしら?」

「みたいだな。というか、死ぬまでの年を間違ってないか? こいつ、ずいぶん長生きしてるぞ」

「年金をもらうまで大変ね。ところであなた、この魔蛇歴っていうのはどれぐらい古いのかしら」

「今は魔龍歴表記で4977年だから、それよりも前の古代文明ということになるんじゃないか」

「まあ素敵、太古のロマンを感じるわ」


 洋子はどこか遠くを見据え、女神像と同じように手を組んだ。


「ハハハ、母さんのロマンティックは止まらないな」

「それよりあなた、石蓋を開けてみましょうか。お宝がザクザクかもしれないわよ」

「母さん、お宝もいいが、魔物への復讐を忘れてはいけないぞ」

「だってこの階層に魔物はいないのよ? 下層へ続く階段も見当たらないし」

「ならここがダンジョンの最深部ってわけか」

「ということはあなた――」

「ああ、母さん。俺たちの復讐はようやく終わったんだ」

「これでやっと家に帰れるのね」

「ああ、帰ろう母さん、愛する我が子の待つ家に」


 信彦は洋子の肩にそっと両手を乗せた。

 そして二人は言葉なく目をつぶり――。

 ねっとりと熱いディープキスを交わした。


「よし、石棺を開けるぞ。母さんも手伝ってくれ」

「ええ、わかったわ」


 信彦と洋子は横方向より石蓋を押しやった。

 よいしょ! よいしょ! どっこらしょ!

 と、声をそろえて力を込めると、石蓋が少しずつ押しやられていく。

 ほどなくして石蓋は斜めにドスンと落下し、二人は石棺の中を覗き込んだ。


「ん? なんだこいつは?」

「あなた、これは魔物なの?」


 そこには人骨や副葬品などはなく、魔物とも思える者が眠りについていた。

 ゲンコツ煎餅のようにデコボコした顔、頭には水牛そっくりなツノが二本。

 驚くべきはその体躯である。

 三メートル近い身の丈を有し、全身が筋肉の鎧で覆われていた。

 衣服は身につけておらず肌の色は浅黒い。

 息をしている気配はないが、死んでいるようにも見えなかった。


「母さん、ちょっと鑑定してみようか」

「そうね。鑑定スタート!」


 洋子による鑑定の結果、この者の正体があきらかとなる。



 名前――ゲズマ

 種族――魔覇神

 性別――男

 血液型――几帳面で無慈悲なA型

 年齢――12032才

 レベル――1001

 HP――8926914

 MP――5388235

 超古代魔法――スガナ(LV100:MAX)

 超古代魔法――ゴスバ(LV100:MAX)

 超古代魔法――クナエ(LV100:MAX)

 超古代魔法――ツザク(LV100:MAX)

 超古代魔法――ヨズモ(LV100:MAX)

 超古代魔法――イラモ(LV100:MAX)

 超古代魔法――ヨバエ(LV100:MAX)

 超古代魔法――タギラ(LV100:MAX)

 超古代魔法――オワタ(LV100:MAX)

 超古代魔法――セバス(LV100:MAX)

 超古代魔法――ルギア(LV100:MAX)

 超古代魔法――カミラ(LV100:MAX)

 超古代魔法――ナギラ(LV100:MAX)

 超古代魔法――カイン(LV100:MAX)

 超古代魔法――ナジリ(LV100:MAX)

 


 いろいろな意味においてなんともふざけたステータス。

 それに超古代魔法とやらに関しては、どのような効果があるのかさえわからない。

 ともあれ鑑定結果が出るということは、この魔覇神ゲズマは生きている。

 それすなわち、夫婦にとって復讐の対象であることに変わりがない。


「母さん、俺たちの今のレベルはいくつだ?」

「え~と、あなたが682で、私が649よ」

「ラスボスっぽいけど、まあ二人いれば勝てないことはないかな」

「そうね、やってみましょうか。ほら、あんた。寝てないで起きなさい。戦うわよ」


 洋子はゲズマの頬をパチパチ叩いた。

 それでも起きないので鼻の穴をくすぐった。


「母さんは優しいな。敵を起こす必要はないのに」

「あら、そうだったわ。私ったらや~ね~」


 などと、二人が微笑ましく余裕をぶっこいていたところ――。


「われの眠りを妨げる者は誰だ――」


 残響するような野太い声が、ゲズマの口より発せられた。

 そして魔覇神のまぶたが静かに開き、くぼんだ眼窩に赤光がぼんやりと灯り入る。

 夫婦の推察したとおり、やはりこの者はまだ生きていた。


「敵が起きたみたいだな。母さん、少し距離をとろうか」

「そうね、ちょっとこの人、雑巾のしぼり汁のような臭いがするし」


 二人は石棺から二十メートルほどはなれ、敵との戦闘に備えることにした。

 信彦はフェンシングの構えで敵に剣を突きつける。

 洋子は前後に軽くステップを踏み、シャドウボクシングで体をほぐす。


「われを冒涜した者は誰だ――」


 その瞬息――。

 石棺が木っ端微塵に吹き飛び、粉塵のベールに包まれるなか――。

 太古より目覚めし異形の怪物が、夫婦が抱く憎悪の根源が、その身をゆっくりと立て起こした。


「さあ、母さん! これがラストバトルだ!」

「ええ、あなた! ぶち殺してやりましょう!」


 事実上の頂上決戦が、ここに幕を開ける。



 

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 浩太は蘭子とチャムの三人で、遅めの昼食をとっていた。

 リビングのソファで女性陣と向かい合い、コンビニの弁当を食べている。

 いつもカップメンばかりというわけではない。

 栄養のバランスも考えて、コンビニやスーパーで弁当なども買う。

 むろん、それを冒険者に売ることはない。

 衛生管理の問題、そして手間が増えるため、提供するのはカップメンのみである。


「おーい! おーい! おーい!」


 そんなところに、ダンジョンから誰かが駆けてきた。

 よく見ると、それはエリルの金魚の糞、ギニスだ。

 彼は土足のままでリビングに入り込み、大きく息を切らせて膝頭に両手を置いた。

 その重そうなフルプレートアーマーを着て、全力疾走してきたらしい。


「おいギニス、おまえなに土足で上がり込んでんだよ。つーか、リビングは立ち入り禁止だぞ」

「王子、それどころじゃない! ダンジョンの最深部に到達した冒険者がいるらしいのだ!」

「それが俺になんの関係があんだよ」


 浩太はシレっとトンカツを口の中に放り込む。


「関係大ありだ! その冒険者の二名は、とんでもない敵と戦っているのだ!」

「だから、それがどうしたんだよ。俺にはまったく関係ねーことじゃん」

「もしその冒険者が負けてみろ! 我が国、そして日本王国が危ないのだぞ!」

「だからなんで危ないんだよ。それを説明しないとわからねーだろ」

「いいか、王子! 僕でさえ地下二十五階層で戦うのがやっとなのだ! ランテリア王国の十傑であるこの僕がだ! 実際には戦ったことはないので仮の話だがな!」

「それで?」


 浩太は露ほどにも動じず、ペットボトルのお茶をグビリと飲んだ。

 なにも慌てるようなことではない。

 ダンジョンの最深部で誰がなにと戦おうが、日本王国には無縁のことである。


「その二人が辿り着いた最深部というのは、地下五十階層だぞ! それがどれほどすごいことか君にわかるか! つまりその二人の冒険者は、我が王国の十傑さえ遥かに凌ぐ実力者ということなんだ!」

「まあ、そういうことになるんだろうな」

「その二人が負けたとしたら、その敵に勝てる者はもう誰もいないのだぞ! ダンジョンとつながる君の国も危ないと言っているのだ!」

「そ、それは確かにまずいな……。そんなもんがこの家から出てもらっちゃ俺も困ることになる……。で、その敵っていうのはなんなんだ……?」


 ちょっと慌てるような時間になってきた。

 浩太もやや動揺の色を滲ませる。


「我が国の神話で語り継がれる、最強にて最悪の支配者、『魔覇神ゲズマ』だ!」

「なんだよそれ……魔王みたいなもんなのか……?」

「バカを言うな王子! 古代に君臨した魔王を倒し、その支配地であるアキバエラ大地を統治したのが、魔覇神ゲズマだ! 魔王すら凌ぐ神にも等しい存在なのだぞ!」


 ギニスの話によれば、つまり神話で語り継がれる内容としてはこうだ。

 魔覇神ゲズマは魔王を倒し、天下統一を果たしたのち、およそ千年後に崩御した。

 しかし、死んだというわけではない。

 復活を遂げるため長い眠りについた。

 その魔覇神は石棺に収められる直前、このような言葉を残したという。

『起こしたらぶっ殺す! この世のすべてを破壊すっからな!』

 少々浩太の脚色が入ったが、ニュアンスとしてそのようなものだ。


「てかさ、なんで二人の冒険者がそこで戦ってることがわかったんだ……? 地下五十階層になんて、ほかに行ける奴がいるのか……? 」


 浩太のそんな疑問に対し、チャムが代わりに口を開いた。


「殿下、魔物は倒したころでまた新たな魔物が湧いて出ます。ですが階層の魔物をすべて撲滅すれば、何日かは魔物が湧いて出ることはありません。その二名の冒険者は階層の魔物を撲滅しながら、下へ下へと進んでいったのでしょう。ですからほかの冒険者が魔物に出会うことなく、地下五十階層より情報を仕入れてこれたものかと」


 チャムの推論は的を得ており、ギニスはそれに詳細な言葉を付け加えた。

 地下五十階層から情報を仕入れてきたのは、五名のパーティー。

 彼らは魔覇神ゲズマと戦う二人の冒険者を目にしたという。

 その二人は戦闘を続けつつ、鑑定魔法の結果を伝えてきたということだ。

 だからこそ、魔覇神ゲズマの存在があかるみとなった。


「もしかして、その二名の冒険者っていうのは……、中年の男女なのでは……?」


 なにか思い当たるふしがあるのか、蘭子がそんな質問を口にした。

 するとギニスはコクリとうなずき、自尊心が削がれたように切なく息をつく。


「蘭子さん、そのとおりだ。その中年の男女は、冒険者になって一ヵ月も経たないルーキーだと聞いている。悔しいが、上には上がいるものだな」

「ねえ、ギニスさん。その二人の冒険者の名前ってわかりますか?」

「たしか……ノブヒコとヨウコだったような……」


 その名前を耳にし、浩太の箸からトンカツが滑り落ちた。

 ついでに脳天からケツにかけ電撃が走り抜ける。


「浩太、間違いないわ。おじさんとおばさんよ。あんたの両親は生きてたんだわ」

「い、生きてたのかよ……。てか、父ちゃんと母ちゃんは、なんでそんな強くなっちゃってんだよ……」


 開運グッズを販売する会社で働いていた、ハゲかかったメガネのしおれた社畜。

 スーパーの鮮魚コーナーで刺身にタンポポを載せていた、三段腹のアフロのおばはん。

 それが今や、ランテリア王国軍十傑をも凌ぐ、最強の冒険者となっていた。

 おまけにラスボスらしき敵と戦っている。

 どうしてこうなった。


「日本王国の国王と王妃が自ら戦いに出るとは……。英雄とはまさにこのこと……。バブリエル王朝を築きあげた魔剣王ガウスとその妻、守護聖レピアを彷彿とさせるではないか……」


 ギニスは瞠目し肩を震わせ、敬意の念をその表情に示し描いた。

 そして訊いてもいないのに、バブリエル王朝とやらのことを語りはじめた。

 それはランテリア王国建国以前に栄えた、数千年前の王朝期であるらしい。

 その血族にあたるのが現国王、ルイ・ランテリア十三世とのことだ。


「おいギニス、おまえの世界の歴史なんぞ、どうでもいいんだよ。しかしこれは困ったな。父ちゃんと母ちゃん、その魔覇神ゲズマに勝てるかな」


 むろん、大切な両親だし死んでもらっては困る。

 それに二人が負けたとなれば、魔覇神ゲズマが日本を、全世界を壊滅しかねない。

 そんな浩太の不安を察してか――。


「王子さん、心配いらんかもしれんだっぺよ。あの二人はレアアイテムを持ってるだべさ」


 昼飯時を外れ、一人でカップメンを食べていたおじさん冒険者。

 彼は割り箸を持ち上げ合図を見せた。


「レアアイテム? おじさん、それってなんのことっすか?」

「瑠璃石の秘宝だべさ。その青い宝石が魔物の魔力を吸収するだっぺ。だからこそあの二人は、あそこまで強くなれたんだっぺよ」


 そこで浩太は思い出す。

 以前、客の冒険者からそのような会話を耳にした。

 瑠璃石のペンダントを持つ、凄腕の冒険者がいるということを。

 まさかそれが両親だとは、ミジンコの糞ほどにも想像もしていなかった。

 そして――。

 瑠璃石、つまり青い宝石のことなら浩太は知っている。

 ラピスラズリ。ラピスラズリのペンダントだ。

 ノルマ達成のために、信彦が自腹で購入した開運グッズ。

 両親はそれをいつも首からぶら下げていた。

 ある意味、開運効果は絶大な威力を発揮したらしい。

 俗に言うところのチートでオレTUEEE。

 そうともなれば、魔覇神ゲズマに勝てる公算は大だ。


「殿下、わたしもそのアイテムのことは聞いたことがあります。ですが少し気になることが……」


 浩太の楽観視に反し、チャムはその面相に不吉な陰を残した。

 そして彼女はその意味することを、故郷に伝わる昔話として口にする。

 むか~し、むかし、とあるところに、瑠璃石を持つ剣士、Aさんがおりました。Aさんは瑠璃石の力、魔力吸収効果を武器とし、魔物が巣くう洞窟を探索したのです。そして最深部にあらわれたのだが、洞窟の主、ドラゴン。

 しかし、ここでAさんに思いもよらぬ誤算が生じました。瑠璃石は魔力を吸収すればするほどくすんで輝きを失い、やがてそれはクソにも役に立たない、真っ黒な石コロへと変わってしまうのです。ドラゴンとの戦闘中、Aさんの瑠璃石もそうなってしまいました。 

 残念なことに、もう敵から魔力を吸収することはできません。もともとヘッポコ剣士だったAさんは、ドラゴンの鼻息ひとつでライフゼロ。それを見たドラゴンは、『返事がない、ただの屍のようだ』と、言ったとか言わなかったとか。つまり、Aさんは死んでしまったのです。

 何事にも慢心してはいけません。どこに落とし穴が待っているかわらないのですから。だからそこのボクちゃん、しっかりとお勉強だけはしておきましょうね。エッチな本なんか見たらダメですよ?

 おしまい。


「なるほど、その昔話が本当だとしたらやばいな。父ちゃんと母ちゃんはこれまでにかなりの魔力を吸収したはずだ。ボス戦でペンダントの力を失えば、一巻の終わりだぜ」


 タイミング的にはボス戦でフラグは成立する。

 むしろ成立しないことのほうがおかしい。


「とりえず我が国としても早急に作戦を立てねば!」


 ギニスは大慌てで踵を返し、何度もすっ転びながら走り去っていく。

 作戦を立てるもなにも、王国軍総力を上げて加勢したところで全滅だ。

 彼ら、ランテリア王国軍に、成すすべはないだろう。


「どえらいことになっただっぺね。んじゃ、オラは帰るとすっぺか」


 北三陸のスペシャリストのようなおじさんもその場をあとにした。

 日本王国側のメンバーだけが残されたリビング。

 そこには不穏な空気が漂うも、浩太は確固たる意志を持ち行動を起こすことにした。


「おい蘭子、ちょっくら父ちゃんと母ちゃんのとこ行ってくるからな」

「ならば殿下、わたしもおともします」


 浩太はソファを立ち上がり、蘭子へその旨を口にする。

 チャムもそれに従い、ワンピースを脱いで冒険者の正装に身を整えた。

 その瞳には一抹の迷いも見られない。

 君主と命運をともにするような、侍がごとき高潔な光を宿していた。

 すると蘭子は血相を変え、そんな二人に怒涛の勢いで詰め寄った。


「行ったらダメよ! あんたたちになにができるのよ! 本当に死んじゃうわよ!」

「ここぞというときに行かなくてどうするよ。俺は日本王国の王子だぞ」

「浩太のバカ! このハゲ! この緩んだ肛門筋! もう王子さまごっこなんか、ややめちゃえばいいのよ!」

「お、おい、蘭子……それをチャムの前で……」


 浩太はチラチラとチャムを横目に、心臓バックンバックンで言い淀む。

 しかし蘭子のお口のチャックは塞がらない。


「いいのよ! このさいだから、はっきり言ってあげるわ! チャムさん、こいつはね、王子でもなんでもない、ただの一般人よ! あなたの世界で言うところの平民よ! ていうか、愚民よ! 日本という国はあっても、日本王国なんて国は存在しないの! これでわかった!? 浩太は今まであなたに嘘をついていたの!」


 しばしの静寂。

 近所のどこかでカラスがアホーと鳴いた。


「……………………………………………………」


 チャムはぐっと唇を噛んで下を向き、肩を小刻みに震わせていた。

 その姿はまさに、火山大爆発の予兆にも等しかった。

 二週間にも渡るドッキリを敢行しただけに、怒りが沸々と込み上げているにちがいない。

 浩太は全身細切れ死体を覚悟した。

 すると――。

 チャムはガバッと顔を上げ、


「そんなことはとうに知っている! でもわたしにとって殿下は王子さまだ! 伯爵からわたしを救ってくれた王子さまだ! わたしが着ることなど許されないような、高価な服をプレゼントしてくれた王子さまだ! なによりもわたしを大切にしてくれる王子さまなんだ! だからわたしは殿下とともに行く!」


 と語気を強めて言い放ち、深紅の瞳をいっぱいに滲ませた。

 そしてチャムは胸元にぶら下げたマウス(紐を通した)を両手で包み込む。

 それは彼女にとって大切な宝物。

 青色LEDセンサー無線マウス。

 本体色メタリックレッド。

 ついでに言うなら、電池を装着しているのでセンサーは意味もなく光っている。


「チャム……おまえ、いつから知ってたんだよ……」

「はじめて外に出たときです。殿下はわたしをかばうため、お店の人に対し膝をついて頭を床に叩きつけ謝りました。お忍びとはいえ、一国の王子の振る舞いとは思えません。いくらわたしでも気づきます」


 嘘と気づいていながらも、チャムはそれを口にしなかった。

 彼女は己の心に蓋をして、今までと同じように接してくれたのだ。

 それが意味することは、偽りですら揺るぐことのない、強固な信頼関係である。

 そんなとき――。


(浩太よ――)


 涙ちょちょ切れるこのタイミングで、天の声が降臨した。

 天の声についてもう一度ご説明しよう。

 それは浩太の心に宿る、もう一人のエロ人格。

 色ものキャラとして悪魔のささやきを投げかける、雲の上に乗った仙人である。


(よいか浩太、心して聞くがよい。そなたたちの二人の絆は、ひとつの結び紐となってここに繋がれた。それはどんなことがあっても決してほどけぬ結び紐。雨が降ろうが槍が降ろうが、彼女のおっぱいを揉もうが、二人の絆は固く結ばれたのだ。それを忘れるでない。もうわしの声がそなたに届くことはなかろう。さらばじゃ――)


 天の声がはかなく別れを告げた。

 浩太は天を見仰ぎ、グズリと鼻の下に拳をあてた。

 チンコに毛が生えたときからお導きを賜っただけに、その感傷もひとしおだ。

 そして浩太はチャムに向き直り、心の底から反省の弁を口にする。


「チャム、今まで嘘をついて悪かった。本当にごめん」

「いいんです。自分の愛する国を守るため、殿下は王子の振りをするしかなかった。それぐらいのこと、このわたしにも理解できます」

「王子である立場を利用して、おまえのおっぱいも揉んじゃったんだぞ?」

「それは体を武器にしようとしたわたしとお互いさまです」

「チャ、チャム……おまえって奴は……」

「で、殿下……」


 浩太は瞳をグニャグニャに歪ませた。

 チャムもまた、両目がアメーバーのように波打っている。

 そして――。


「チャムううううううううううううッ!」

「殿下あああああああああああああッ!」


 浩太とチャムは熱い抱擁を交わし、互いの身もガッチリと結ばれた。

 もちろんエッチな意味ではない。


「やれやれ、見てられないわね。で、浩太。あんた、どうやって魔覇神と戦うつもりなの?」


 腕を組んであきれたように息を吐き、蘭子はそのような疑問を口にした。

 しかしそんなことは、はなから心配ご無用である。


「おいおい蘭子、俺が戦うわけねーだろ。この家での主役が俺だとしたら、ダンジョンでの主役は父ちゃんと母ちゃんだ。俺はその主役たちに、あるラッキーアイテムを届けるための、ただの脇役さ」


 浩太は鼻の頭を「えへん」とこすり、イタズラ小僧さながら、悪巧みをふくんだ笑みを浮かべた。

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