第14話
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
ダンジョン地下五十階層。
そこは今までの階層とはまるで異なっていた。
「母さん、この階層、なんだかおかしくないか?」
「そうね、魔物ちゃんたちも全然見当たらないわ」
迷路のように入り組んだ階層ではない。
ワンフロアで形成された、円筒状の空間である。
直径およそ五十メートル、高さ二十メートルほど。
岩壁には円を成すようにして、巨大な女神像が天井近くまで彫り込まれていた。
朽ちかけたそのどれもが胸の前で手を組み、祈りを捧げる姿で形作られている。
魔物すら一匹もおらず、このような階層を目にするのは信彦と洋子もはじめてだ。
「母さん、あれはなんだろう?」
「石棺じゃないかしら?」
石棺らしきものを目にし、信彦と洋子はフロアの中心へと歩を進めた。
とはいえ、でかい。
これまで見たものとはちがい、キングサイズのベッドぐらいの大きさがある。
女神像はこの石棺を中心にして、祈りを捧げているものと思われた。
「この石棺、人間を埋葬するにしてはやけにでかいな」
「あなた、ちょっと石棺の土埃をはらってみましょうか」
「そうだな。もしかしたらなにか書いてあるかもしれんしな」
「たいそう立派な戒名が書いてあるんじゃないかしら」
「母さん、仏教じゃあるまいし、それはないだろ」
「それもそうね」
なんてボケをかましつつ。
二人は石蓋に数センチ堆積した土埃を手ではらいのけていく。
太古から蓄積されたであろう土埃はカビ臭く、それでいてパウダーのように軽かった。
「母さん、なんだろうこれ? 象形文字かな?」
「ヒエログリルだか、ピエログリフとかいう象形文字に似てるわね」
土埃をはらってみると、石蓋の全面には奇妙な絵柄が刻み込まれていた。
口から火を吐く、人とも魔物ともつかないなにか。
悪魔を崇拝するようにして、それにひれ伏す人々。
槍を手にする頭が魔物で体が人間という生き物。
人間を口に咥えた、とぐろを巻いたヘビ。
石蓋にはそんなおぞましい絵文字がびっしりと羅列されている。
むろん、信彦と洋子にはまるで意味が理解できなかった。
「この石蓋を鑑定してみればいいんじゃないかな? なにかわかるかもしれないぞ」
「さすがあなたね。ちょっとやってみるわ」
洋子は石蓋の絵文字を目で追いながら、鑑定魔法を開始した。
その結果、絵文字に関する情報が解読された。
――魔蛇歴119年:魔覇神ゲズマ、アキバエラ大地降臨。
――魔蛇歴120年:魔覇神ゲズマ、アキバエラ大地部族統一宣言。
――魔蛇歴123年:魔覇神ゲズマ、プマフソ族統治。
――魔蛇歴125年:魔覇神ゲズマ、ラパスンド族統治。
――魔蛇歴127年:魔覇神ゲズマ、モドクツ族統治。
――魔蛇歴129年:魔覇神ゲズマ、ヤキブト族統治。
――魔蛇歴133年:魔覇神ゲズマ、アキバエラ大地部族統一。
――魔蛇歴134年:魔覇神ゲズマ、トイメニア帝国建国。
――魔蛇歴338年:魔覇神ゲズマ、魔大陸制圧、修羅魔王グフオカ、帝国配下。
――魔蛇歴1000年:魔覇神ゲズマ陵竣成。
――魔蛇歴1386年:魔覇神ゲズマ崩御。
「母さん、この絵文字は、どうやら年表みたいだな」
「そのようね。その魔覇神とやらがこの石棺に埋葬されてるのかしら?」
「みたいだな。というか、死ぬまでの年を間違ってないか? こいつ、ずいぶん長生きしてるぞ」
「年金をもらうまで大変ね。ところであなた、この魔蛇歴っていうのはどれぐらい古いのかしら」
「今は魔龍歴表記で4977年だから、それよりも前の古代文明ということになるんじゃないか」
「まあ素敵、太古のロマンを感じるわ」
洋子はどこか遠くを見据え、女神像と同じように手を組んだ。
「ハハハ、母さんのロマンティックは止まらないな」
「それよりあなた、石蓋を開けてみましょうか。お宝がザクザクかもしれないわよ」
「母さん、お宝もいいが、魔物への復讐を忘れてはいけないぞ」
「だってこの階層に魔物はいないのよ? 下層へ続く階段も見当たらないし」
「ならここがダンジョンの最深部ってわけか」
「ということはあなた――」
「ああ、母さん。俺たちの復讐はようやく終わったんだ」
「これでやっと家に帰れるのね」
「ああ、帰ろう母さん、愛する我が子の待つ家に」
信彦は洋子の肩にそっと両手を乗せた。
そして二人は言葉なく目をつぶり――。
ねっとりと熱いディープキスを交わした。
「よし、石棺を開けるぞ。母さんも手伝ってくれ」
「ええ、わかったわ」
信彦と洋子は横方向より石蓋を押しやった。
よいしょ! よいしょ! どっこらしょ!
と、声をそろえて力を込めると、石蓋が少しずつ押しやられていく。
ほどなくして石蓋は斜めにドスンと落下し、二人は石棺の中を覗き込んだ。
「ん? なんだこいつは?」
「あなた、これは魔物なの?」
そこには人骨や副葬品などはなく、魔物とも思える者が眠りについていた。
ゲンコツ煎餅のようにデコボコした顔、頭には水牛そっくりなツノが二本。
驚くべきはその体躯である。
三メートル近い身の丈を有し、全身が筋肉の鎧で覆われていた。
衣服は身につけておらず肌の色は浅黒い。
息をしている気配はないが、死んでいるようにも見えなかった。
「母さん、ちょっと鑑定してみようか」
「そうね。鑑定スタート!」
洋子による鑑定の結果、この者の正体があきらかとなる。
名前――ゲズマ
種族――魔覇神
性別――男
血液型――几帳面で無慈悲なA型
年齢――12032才
レベル――1001
HP――8926914
MP――5388235
超古代魔法――スガナ(LV100:MAX)
超古代魔法――ゴスバ(LV100:MAX)
超古代魔法――クナエ(LV100:MAX)
超古代魔法――ツザク(LV100:MAX)
超古代魔法――ヨズモ(LV100:MAX)
超古代魔法――イラモ(LV100:MAX)
超古代魔法――ヨバエ(LV100:MAX)
超古代魔法――タギラ(LV100:MAX)
超古代魔法――オワタ(LV100:MAX)
超古代魔法――セバス(LV100:MAX)
超古代魔法――ルギア(LV100:MAX)
超古代魔法――カミラ(LV100:MAX)
超古代魔法――ナギラ(LV100:MAX)
超古代魔法――カイン(LV100:MAX)
超古代魔法――ナジリ(LV100:MAX)
いろいろな意味においてなんともふざけたステータス。
それに超古代魔法とやらに関しては、どのような効果があるのかさえわからない。
ともあれ鑑定結果が出るということは、この魔覇神ゲズマは生きている。
それすなわち、夫婦にとって復讐の対象であることに変わりがない。
「母さん、俺たちの今のレベルはいくつだ?」
「え~と、あなたが682で、私が649よ」
「ラスボスっぽいけど、まあ二人いれば勝てないことはないかな」
「そうね、やってみましょうか。ほら、あんた。寝てないで起きなさい。戦うわよ」
洋子はゲズマの頬をパチパチ叩いた。
それでも起きないので鼻の穴をくすぐった。
「母さんは優しいな。敵を起こす必要はないのに」
「あら、そうだったわ。私ったらや~ね~」
などと、二人が微笑ましく余裕をぶっこいていたところ――。
「われの眠りを妨げる者は誰だ――」
残響するような野太い声が、ゲズマの口より発せられた。
そして魔覇神のまぶたが静かに開き、くぼんだ眼窩に赤光がぼんやりと灯り入る。
夫婦の推察したとおり、やはりこの者はまだ生きていた。
「敵が起きたみたいだな。母さん、少し距離をとろうか」
「そうね、ちょっとこの人、雑巾のしぼり汁のような臭いがするし」
二人は石棺から二十メートルほどはなれ、敵との戦闘に備えることにした。
信彦はフェンシングの構えで敵に剣を突きつける。
洋子は前後に軽くステップを踏み、シャドウボクシングで体をほぐす。
「われを冒涜した者は誰だ――」
その瞬息――。
石棺が木っ端微塵に吹き飛び、粉塵のベールに包まれるなか――。
太古より目覚めし異形の怪物が、夫婦が抱く憎悪の根源が、その身をゆっくりと立て起こした。
「さあ、母さん! これがラストバトルだ!」
「ええ、あなた! ぶち殺してやりましょう!」
事実上の頂上決戦が、ここに幕を開ける。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
浩太は蘭子とチャムの三人で、遅めの昼食をとっていた。
リビングのソファで女性陣と向かい合い、コンビニの弁当を食べている。
いつもカップメンばかりというわけではない。
栄養のバランスも考えて、コンビニやスーパーで弁当なども買う。
むろん、それを冒険者に売ることはない。
衛生管理の問題、そして手間が増えるため、提供するのはカップメンのみである。
「おーい! おーい! おーい!」
そんなところに、ダンジョンから誰かが駆けてきた。
よく見ると、それはエリルの金魚の糞、ギニスだ。
彼は土足のままでリビングに入り込み、大きく息を切らせて膝頭に両手を置いた。
その重そうなフルプレートアーマーを着て、全力疾走してきたらしい。
「おいギニス、おまえなに土足で上がり込んでんだよ。つーか、リビングは立ち入り禁止だぞ」
「王子、それどころじゃない! ダンジョンの最深部に到達した冒険者がいるらしいのだ!」
「それが俺になんの関係があんだよ」
浩太はシレっとトンカツを口の中に放り込む。
「関係大ありだ! その冒険者の二名は、とんでもない敵と戦っているのだ!」
「だから、それがどうしたんだよ。俺にはまったく関係ねーことじゃん」
「もしその冒険者が負けてみろ! 我が国、そして日本王国が危ないのだぞ!」
「だからなんで危ないんだよ。それを説明しないとわからねーだろ」
「いいか、王子! 僕でさえ地下二十五階層で戦うのがやっとなのだ! ランテリア王国の十傑であるこの僕がだ! 実際には戦ったことはないので仮の話だがな!」
「それで?」
浩太は露ほどにも動じず、ペットボトルのお茶をグビリと飲んだ。
なにも慌てるようなことではない。
ダンジョンの最深部で誰がなにと戦おうが、日本王国には無縁のことである。
「その二人が辿り着いた最深部というのは、地下五十階層だぞ! それがどれほどすごいことか君にわかるか! つまりその二人の冒険者は、我が王国の十傑さえ遥かに凌ぐ実力者ということなんだ!」
「まあ、そういうことになるんだろうな」
「その二人が負けたとしたら、その敵に勝てる者はもう誰もいないのだぞ! ダンジョンとつながる君の国も危ないと言っているのだ!」
「そ、それは確かにまずいな……。そんなもんがこの家から出てもらっちゃ俺も困ることになる……。で、その敵っていうのはなんなんだ……?」
ちょっと慌てるような時間になってきた。
浩太もやや動揺の色を滲ませる。
「我が国の神話で語り継がれる、最強にて最悪の支配者、『魔覇神ゲズマ』だ!」
「なんだよそれ……魔王みたいなもんなのか……?」
「バカを言うな王子! 古代に君臨した魔王を倒し、その支配地であるアキバエラ大地を統治したのが、魔覇神ゲズマだ! 魔王すら凌ぐ神にも等しい存在なのだぞ!」
ギニスの話によれば、つまり神話で語り継がれる内容としてはこうだ。
魔覇神ゲズマは魔王を倒し、天下統一を果たしたのち、およそ千年後に崩御した。
しかし、死んだというわけではない。
復活を遂げるため長い眠りについた。
その魔覇神は石棺に収められる直前、このような言葉を残したという。
『起こしたらぶっ殺す! この世のすべてを破壊すっからな!』
少々浩太の脚色が入ったが、ニュアンスとしてそのようなものだ。
「てかさ、なんで二人の冒険者がそこで戦ってることがわかったんだ……? 地下五十階層になんて、ほかに行ける奴がいるのか……? 」
浩太のそんな疑問に対し、チャムが代わりに口を開いた。
「殿下、魔物は倒したころでまた新たな魔物が湧いて出ます。ですが階層の魔物をすべて撲滅すれば、何日かは魔物が湧いて出ることはありません。その二名の冒険者は階層の魔物を撲滅しながら、下へ下へと進んでいったのでしょう。ですからほかの冒険者が魔物に出会うことなく、地下五十階層より情報を仕入れてこれたものかと」
チャムの推論は的を得ており、ギニスはそれに詳細な言葉を付け加えた。
地下五十階層から情報を仕入れてきたのは、五名のパーティー。
彼らは魔覇神ゲズマと戦う二人の冒険者を目にしたという。
その二人は戦闘を続けつつ、鑑定魔法の結果を伝えてきたということだ。
だからこそ、魔覇神ゲズマの存在があかるみとなった。
「もしかして、その二名の冒険者っていうのは……、中年の男女なのでは……?」
なにか思い当たるふしがあるのか、蘭子がそんな質問を口にした。
するとギニスはコクリとうなずき、自尊心が削がれたように切なく息をつく。
「蘭子さん、そのとおりだ。その中年の男女は、冒険者になって一ヵ月も経たないルーキーだと聞いている。悔しいが、上には上がいるものだな」
「ねえ、ギニスさん。その二人の冒険者の名前ってわかりますか?」
「たしか……ノブヒコとヨウコだったような……」
その名前を耳にし、浩太の箸からトンカツが滑り落ちた。
ついでに脳天からケツにかけ電撃が走り抜ける。
「浩太、間違いないわ。おじさんとおばさんよ。あんたの両親は生きてたんだわ」
「い、生きてたのかよ……。てか、父ちゃんと母ちゃんは、なんでそんな強くなっちゃってんだよ……」
開運グッズを販売する会社で働いていた、ハゲかかったメガネのしおれた社畜。
スーパーの鮮魚コーナーで刺身にタンポポを載せていた、三段腹のアフロのおばはん。
それが今や、ランテリア王国軍十傑をも凌ぐ、最強の冒険者となっていた。
おまけにラスボスらしき敵と戦っている。
どうしてこうなった。
「日本王国の国王と王妃が自ら戦いに出るとは……。英雄とはまさにこのこと……。バブリエル王朝を築きあげた魔剣王ガウスとその妻、守護聖レピアを彷彿とさせるではないか……」
ギニスは瞠目し肩を震わせ、敬意の念をその表情に示し描いた。
そして訊いてもいないのに、バブリエル王朝とやらのことを語りはじめた。
それはランテリア王国建国以前に栄えた、数千年前の王朝期であるらしい。
その血族にあたるのが現国王、ルイ・ランテリア十三世とのことだ。
「おいギニス、おまえの世界の歴史なんぞ、どうでもいいんだよ。しかしこれは困ったな。父ちゃんと母ちゃん、その魔覇神ゲズマに勝てるかな」
むろん、大切な両親だし死んでもらっては困る。
それに二人が負けたとなれば、魔覇神ゲズマが日本を、全世界を壊滅しかねない。
そんな浩太の不安を察してか――。
「王子さん、心配いらんかもしれんだっぺよ。あの二人はレアアイテムを持ってるだべさ」
昼飯時を外れ、一人でカップメンを食べていたおじさん冒険者。
彼は割り箸を持ち上げ合図を見せた。
「レアアイテム? おじさん、それってなんのことっすか?」
「瑠璃石の秘宝だべさ。その青い宝石が魔物の魔力を吸収するだっぺ。だからこそあの二人は、あそこまで強くなれたんだっぺよ」
そこで浩太は思い出す。
以前、客の冒険者からそのような会話を耳にした。
瑠璃石のペンダントを持つ、凄腕の冒険者がいるということを。
まさかそれが両親だとは、ミジンコの糞ほどにも想像もしていなかった。
そして――。
瑠璃石、つまり青い宝石のことなら浩太は知っている。
ラピスラズリ。ラピスラズリのペンダントだ。
ノルマ達成のために、信彦が自腹で購入した開運グッズ。
両親はそれをいつも首からぶら下げていた。
ある意味、開運効果は絶大な威力を発揮したらしい。
俗に言うところのチートでオレTUEEE。
そうともなれば、魔覇神ゲズマに勝てる公算は大だ。
「殿下、わたしもそのアイテムのことは聞いたことがあります。ですが少し気になることが……」
浩太の楽観視に反し、チャムはその面相に不吉な陰を残した。
そして彼女はその意味することを、故郷に伝わる昔話として口にする。
むか~し、むかし、とあるところに、瑠璃石を持つ剣士、Aさんがおりました。Aさんは瑠璃石の力、魔力吸収効果を武器とし、魔物が巣くう洞窟を探索したのです。そして最深部にあらわれたのだが、洞窟の主、ドラゴン。
しかし、ここでAさんに思いもよらぬ誤算が生じました。瑠璃石は魔力を吸収すればするほどくすんで輝きを失い、やがてそれはクソにも役に立たない、真っ黒な石コロへと変わってしまうのです。ドラゴンとの戦闘中、Aさんの瑠璃石もそうなってしまいました。
残念なことに、もう敵から魔力を吸収することはできません。もともとヘッポコ剣士だったAさんは、ドラゴンの鼻息ひとつでライフゼロ。それを見たドラゴンは、『返事がない、ただの屍のようだ』と、言ったとか言わなかったとか。つまり、Aさんは死んでしまったのです。
何事にも慢心してはいけません。どこに落とし穴が待っているかわらないのですから。だからそこのボクちゃん、しっかりとお勉強だけはしておきましょうね。エッチな本なんか見たらダメですよ?
おしまい。
「なるほど、その昔話が本当だとしたらやばいな。父ちゃんと母ちゃんはこれまでにかなりの魔力を吸収したはずだ。ボス戦でペンダントの力を失えば、一巻の終わりだぜ」
タイミング的にはボス戦でフラグは成立する。
むしろ成立しないことのほうがおかしい。
「とりえず我が国としても早急に作戦を立てねば!」
ギニスは大慌てで踵を返し、何度もすっ転びながら走り去っていく。
作戦を立てるもなにも、王国軍総力を上げて加勢したところで全滅だ。
彼ら、ランテリア王国軍に、成すすべはないだろう。
「どえらいことになっただっぺね。んじゃ、オラは帰るとすっぺか」
北三陸のスペシャリストのようなおじさんもその場をあとにした。
日本王国側のメンバーだけが残されたリビング。
そこには不穏な空気が漂うも、浩太は確固たる意志を持ち行動を起こすことにした。
「おい蘭子、ちょっくら父ちゃんと母ちゃんのとこ行ってくるからな」
「ならば殿下、わたしもおともします」
浩太はソファを立ち上がり、蘭子へその旨を口にする。
チャムもそれに従い、ワンピースを脱いで冒険者の正装に身を整えた。
その瞳には一抹の迷いも見られない。
君主と命運をともにするような、侍がごとき高潔な光を宿していた。
すると蘭子は血相を変え、そんな二人に怒涛の勢いで詰め寄った。
「行ったらダメよ! あんたたちになにができるのよ! 本当に死んじゃうわよ!」
「ここぞというときに行かなくてどうするよ。俺は日本王国の王子だぞ」
「浩太のバカ! このハゲ! この緩んだ肛門筋! もう王子さまごっこなんか、ややめちゃえばいいのよ!」
「お、おい、蘭子……それをチャムの前で……」
浩太はチラチラとチャムを横目に、心臓バックンバックンで言い淀む。
しかし蘭子のお口のチャックは塞がらない。
「いいのよ! このさいだから、はっきり言ってあげるわ! チャムさん、こいつはね、王子でもなんでもない、ただの一般人よ! あなたの世界で言うところの平民よ! ていうか、愚民よ! 日本という国はあっても、日本王国なんて国は存在しないの! これでわかった!? 浩太は今まであなたに嘘をついていたの!」
しばしの静寂。
近所のどこかでカラスがアホーと鳴いた。
「……………………………………………………」
チャムはぐっと唇を噛んで下を向き、肩を小刻みに震わせていた。
その姿はまさに、火山大爆発の予兆にも等しかった。
二週間にも渡るドッキリを敢行しただけに、怒りが沸々と込み上げているにちがいない。
浩太は全身細切れ死体を覚悟した。
すると――。
チャムはガバッと顔を上げ、
「そんなことはとうに知っている! でもわたしにとって殿下は王子さまだ! 伯爵からわたしを救ってくれた王子さまだ! わたしが着ることなど許されないような、高価な服をプレゼントしてくれた王子さまだ! なによりもわたしを大切にしてくれる王子さまなんだ! だからわたしは殿下とともに行く!」
と語気を強めて言い放ち、深紅の瞳をいっぱいに滲ませた。
そしてチャムは胸元にぶら下げたマウス(紐を通した)を両手で包み込む。
それは彼女にとって大切な宝物。
青色LEDセンサー無線マウス。
本体色メタリックレッド。
ついでに言うなら、電池を装着しているのでセンサーは意味もなく光っている。
「チャム……おまえ、いつから知ってたんだよ……」
「はじめて外に出たときです。殿下はわたしをかばうため、お店の人に対し膝をついて頭を床に叩きつけ謝りました。お忍びとはいえ、一国の王子の振る舞いとは思えません。いくらわたしでも気づきます」
嘘と気づいていながらも、チャムはそれを口にしなかった。
彼女は己の心に蓋をして、今までと同じように接してくれたのだ。
それが意味することは、偽りですら揺るぐことのない、強固な信頼関係である。
そんなとき――。
(浩太よ――)
涙ちょちょ切れるこのタイミングで、天の声が降臨した。
天の声についてもう一度ご説明しよう。
それは浩太の心に宿る、もう一人のエロ人格。
色ものキャラとして悪魔のささやきを投げかける、雲の上に乗った仙人である。
(よいか浩太、心して聞くがよい。そなたたちの二人の絆は、ひとつの結び紐となってここに繋がれた。それはどんなことがあっても決してほどけぬ結び紐。雨が降ろうが槍が降ろうが、彼女のおっぱいを揉もうが、二人の絆は固く結ばれたのだ。それを忘れるでない。もうわしの声がそなたに届くことはなかろう。さらばじゃ――)
天の声がはかなく別れを告げた。
浩太は天を見仰ぎ、グズリと鼻の下に拳をあてた。
チンコに毛が生えたときからお導きを賜っただけに、その感傷もひとしおだ。
そして浩太はチャムに向き直り、心の底から反省の弁を口にする。
「チャム、今まで嘘をついて悪かった。本当にごめん」
「いいんです。自分の愛する国を守るため、殿下は王子の振りをするしかなかった。それぐらいのこと、このわたしにも理解できます」
「王子である立場を利用して、おまえのおっぱいも揉んじゃったんだぞ?」
「それは体を武器にしようとしたわたしとお互いさまです」
「チャ、チャム……おまえって奴は……」
「で、殿下……」
浩太は瞳をグニャグニャに歪ませた。
チャムもまた、両目がアメーバーのように波打っている。
そして――。
「チャムううううううううううううッ!」
「殿下あああああああああああああッ!」
浩太とチャムは熱い抱擁を交わし、互いの身もガッチリと結ばれた。
もちろんエッチな意味ではない。
「やれやれ、見てられないわね。で、浩太。あんた、どうやって魔覇神と戦うつもりなの?」
腕を組んであきれたように息を吐き、蘭子はそのような疑問を口にした。
しかしそんなことは、はなから心配ご無用である。
「おいおい蘭子、俺が戦うわけねーだろ。この家での主役が俺だとしたら、ダンジョンでの主役は父ちゃんと母ちゃんだ。俺はその主役たちに、あるラッキーアイテムを届けるための、ただの脇役さ」
浩太は鼻の頭を「えへん」とこすり、イタズラ小僧さながら、悪巧みをふくんだ笑みを浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます