第13話

 エリル王女と晩餐会を終えてからの翌日。

 浩太はキッチンに常備してある消火器を手に持ち、チャムにその使い方を教えていた。

 接客を担当する彼女にとって、今やガスコンロは必需品。

 ガスコンロでお湯を沸かし、カップメンにお湯を注ぎ、それを客に販売する。

 つまり火を使うということは、火事の危険を伴うということだ。

 万が一のことを考えて、消火器の使い方を教えなければならない。


「いいかチャム、このピンを抜いてからレバーを握るんだ。するとホースの先から白い粉が噴射して、火を消し止めることができる」


 浩太はガスコンロにホースを向け、動作についての手本を示した。

 するとチャムは不可思議とばかりに小首をかたむける。


「しかし殿下、火を消すなら水をかけたほうがいいのではないですか?」

「いざってときに水を汲んでる余裕なんてないだろ。でもこの消火器があれば、さっと火を消すことができるんだ。火だけじゃないぞ。アホみたいに激怒した奴にも、この消火器は有効だな」

「どうしてですか?」

「そいつは頭からつま先まで真っ白け。チーン、てな感じで怒りの炎のおさまるだろうよ。ハハハハ」


 なんて浩太が笑っていたところ――。

 ダンジョンの方から軍隊のような足音が近づいてきた。

 なにかと思えば、まさしく軍隊を引きつれたエリル王女のお出ましである。

 浩太は消火器をチャムに手渡し、ダンジョンの入口で不届き者に問う。


「おいエリル。昨日の今日でなにしにやってきた」

 

 浩太に歓迎ムードなどはない。

 突然の訪問だけに不機嫌になるのも当然だ。

 しかもギニスをはじめとする軍隊を引き連れているのだ。

 友達の家に遊びにくる感覚とは大いに逸脱している。

 

「日本王国の観光にやってきたのでしてよ」

「トチ狂ったことほざいてんじゃねーぞ。今すぐ自分の巣に帰れ」

「いやですわ。わたくし、日本王国を観光してからじゃないと帰りませんことよ」


 エリルは悪びれもせずシレっとわがままをぶっこいた。

 そんな傍若無人な振る舞いを許せるわけがない。

 ローマ軍のような部下ともども観光した日には、日本中が大騒ぎになるどころか地球防衛軍がやってくる。


「ダメだ。観光なんてさせるかよ。カップメン食わしてやるから、それ食ったら帰れ」

「カップメンはよろしくてよ。でも日本王国の観光だけは、どうして譲れませんことよ。だからさっさと案内してくださらないこと? それともなんですの? わたくしが日本王国に入ると、なにかますいことでもあるのでして?」

「あたりまえだろ。まずいことだらけだ。その理由は教えん」


 浩太が真実を伏せてキッパリ断ると――。

 ギニスがエリルの隣にたたずみ、困ったような顔で口を開く。


「王子、僕からもお願いする。少しだけでいいので、日本王国を観光させてはくれないだろうか。エリルさまは人一倍わがままな性格ゆえ、いや、人一倍自由奔放な性格ゆえ、こうと決めたら、どうしても引き下がることができないのだ」

「そうですわ。わたくし、絶対に引き下がりませんことよ」


 エリルは憤然と言いのけ、リビングのソファにどっしりと鎮座した。

 しかも土足のまま上がり込むという、日本文化をなめ腐った暴挙である。

 さすがに浩太もカチンときた。


「おいエリル、靴を脱げよ」

「どうしてですの?」

「家の中が汚れるからだ」

「わたくしの国では靴を脱ぎませんことよ」

「俺の国では家の中で靴をはかねーんだよ」

「どうしてですの?」


 このやり取りにデジャブを覚えるが、浩太はひとまず我慢する。


「い、家の中が汚れるからだ……」

「わたしの国では靴を脱ぎませんことよ」

「お、俺の国では家の中で靴をはかねーんだよ……」

「どうしてですの?」


 もう我慢の限界だ。


「このバカチン金髪縦ロール! てーめは俺をからかってんのか! よし、なら戦争だ! 日本王国と同盟国の総力を上げて、てめーのその頭をチリチリの焦土にしてやるよ!」


 浩太は怒髪天を衝く勢いでスマホを操作し、自衛隊に攻撃命令を下そうとした。

 でも電話番号がわからない。

 だから今度はタウンページをめくり、アメリカ大統領の直通電話を探した。

 そこへ――。


「殿下! いけません! アホみたいに激怒してはいけません!」


 殿、ご乱心とばかりに、チャムは消火器の安全ピンを引っこ抜く。

 そして彼女はホースの先を浩太に向け、機関銃のごとく消火器を両手に構えた。

 次いで、その手にレバーがぎゅっと握り込まれ――。

 粉末タイプの消火剤が暴れ狂ったように噴射された。


「………………………………」


 あまりにも突然の出来事だけに、浩太はひどく冷静にそれを受け止めた。

 言葉ひとつ発することもなく、全身真っ白、石膏像状態のままで立ち尽くす。

 怒りに燃えていた炎すら、チーン、とむなしく鎮火した。


「………………………………」


 エリルは状況が理解できないらしく、無言のままソファの上で固まっている。

 そんな彼女もまた、全身余すことなくホワイトカラーにペイントされた。

 その白い面相は麻呂をも遥かに凌駕し、美白に憑りつかれた化け物みたくなっている。

 浩太とエリルだけではない。

 ダンジョンの入口にいたギニスや兵士。

 彼らも消火剤まみれとなり、口からパフっと白い粉を吹き出している。

 そんな中――。


「で、殿下……わたし、ちょっと旅に出てきます……」


 チャムはそう言い残し、首を吊りそうな雰囲気で家から出ていった。

 



 近所の公園のブランコに縄をかけ、首を吊ろうとしていたチャム。

 そんな彼女を連れ戻してからのこと。

 エリルが頑として譲らないので、浩太はしかたなくそこらを案内することにした。

 とはいえ、連れていくのはエリルとギニスの二人だけだ。

 金魚の糞の兵士どもはダンジョンから一歩も出ずに待機してもらう。

 その条件をエリルが呑んだので、浩太は苦渋の決断ながらも外出を許可したのだ。

 ちなみにチャムは兵士の見張り役として留守番をしてもらうことにした。


「くれぐれも言っておくが、勝手な行動だけは許さんからな」

「わかりましてよ」

「うむ、わかった」

 

 浩太は玄関フロアで念を押しておく。

 それを受け、エリルとギニスが了承の意を示した。

 そんな二人の服装についてだが、エリルはチャムのワンピース姿。

 ギニスは浩太のジャージを身に着けている。

 お忍びでの観光と銘を打ち、異世界の服装を変更させたのだ。

 浩太自身に関しては、Tシャツとジーンズでビシっと決めた。

 

「よし、それじゃ出発だ」


 浩太は二人を連れて家を出た。

 そして住宅街を歩くこと早数分。

 一番乗りで不審者の行動を見せたのはギニスである。


「エリルさま! 危険です! 大きな魔物がこちらに向かってきます!」


 ギニスはエリル前に躍り出て、半身の姿勢でビシっと身構えた。

 しかし、前方より走行してくるのは、ただの乗用車である。


「おいギニス。あれは魔物じゃない。車という乗り物だ」

「し、しかし王子……馬なしでどうして乗り物が動くのだ……」

「深く考えるな。とりあえず、あれは魔物じゃないから驚くな」

「わ、わかった……」


 ギニスは納得していない様子だが、車のカタログを見せている暇はない。

 だから浩太はちゃちゃっとあしらい、このまま観光案内を進めることにした。

 エリルはというと、中々堂々としたものである。

 普通の街並みに興味を惹かれながらも、未知との遭遇に動じることはなかった。

 そこはさすが王女の風格だ。

 そんなところに――。


「エリルさま! 危ない! あの塀の上に魔物が寝ております! あれを起こしてしまったら戦闘は避けられません!」


 ギニスが泡を食ったようにエリルの前で盾となる。

 そんな彼の肩をポンポンと叩き、浩太はほとほと呆れて口を開いた。


「落ち着けギニス。あれはネコというただの動物だ」

「ま、魔物ではないのか……?」

「あれが魔物のわけないだろ。チャムと同じ過ちを繰り返すなよ」

 

 チャムをはじめて連れ出した日、彼女も車とネコを魔物だと勘違いした。

 ギニスはそれとまるっきり同じリアクションを見せている。

 そんな彼をよそに――。

 

「あら、このネコとかいう生き物、とてもかわいいですわね」


 エリルが塀の上に手を伸ばし、ネコの顎の下をチョロチョロとくすぐった。

 対するそのネコは、喉をゴロゴロ鳴らして完全に懐いている。

 ギニスは目をぐっと閉じ、どうか無事であってくれ! という顔で、エリルの命運を天に任せていた。

 まさにアホの極みだ。

 そして彼は天への願いを本当に乞うたらしく、胸の前で手を組んで空を見上げた。

 すると――。


「な、なんという巨大なドラゴン……。あれはまさしく古代竜――エンシェントドラゴンではないか……」


 ギニスは飛行機を目にし、魂が抜け出しかねない様相で立ち尽くした。

 これまたチャムと同じ轍を踏んでいる。

 おそらくギニスのオツムも同レベルかと思われる。

 浩太はある意味これを試練と捉え、異世界人どもを連れ観光を続けることにした。




 場所は変わって、かの有名な大型ショッピングモール。

 以前、チャムが万引きをやらかした、思い出深い商業施設である。

 

「すごい人ですわ! これはなにかのお祭りなのでして!」

「エリルさま! 日本王国とはなんて素晴らしい国なのでしょう!」


 各テナントに囲まれた吹き抜けの中央フロア。

 エリルとギニスは感嘆の声を上げ、首を捻挫しそうな勢いで360度に視線を巡らせた。

 人口三十万ほどの地方都市において、この商業施設はコミュニティの一翼を担っている。

 平日祝日を問わず、朝から晩までたくさんの人が訪れるのだ。

 いくら王女とその従者とはいえ、異世界人の二人が田舎者丸出しで驚くのも無理はない。


「おまえら、ここで待ってろよ。俺、ちょっとウンコしてくるからな」


 浩太は二人を残してトイレに向かった。

 生理現象だけはどうすることもできない。

 そしてブリっと用を済ませ、二人の元へ戻ってみると――。


「あれ……あいつらどこ行ったんだよ……」


 エリルとギニスが見当たらない。

 フロア周辺の服屋、雑貨屋を探しても、二人は忽然と姿を消していた。

 いくらなんでも、ショッピングモールの外に出ることはないはずだ。

 勝手な行動はするなと念を押したし、そこまで二人がバカとは思えない。

 だから浩太は場所を変え、飲食店が集まるフロアを探してみることにした。

 すると――。

 ラーメン店の前にエリルとギニスがいた。


「じ~~~~~~~~」

「じ~~~~~~~~」


 二人はまるで貧乏人のように、食品サンプルを「じ~~~~」っと眺めていた。

 そのケースの中には、本物そっくりのラーメン各種が陳列されている。

 しかも店内からはラーメンの匂いが漂い、食品サンプルとの相乗効果を醸し出していた。

 いくら王侯貴族はとはいえ、二人はしょせん異世界人。

 日本が世界に誇る食品サンプル、そのギミックに釘付けとなるのも無理はない。


「おまえら、それが食いたいのか?」


 浩太は後ろから声をかけた。

 対する二人は、ガラスケースに手をついて振り向きもしない。

 昨今、このスタイルで食品サンプルを見つめるのは、小学生以下の子どもだけである。

 

「ど、どうしてもというなら、食べてあげてもよろしいことよ……」

「お、王子がそこまで進めるのであれば、僕も断る理由があるまい……」

 

 ガラスケースにへばりつきながらも、王侯貴族のプライドだけはあるらしい。

 すべてをひっくるめて意地汚いにもほどがある。

 もちろん、浩太はラーメンなど食べさせない。

 なぜなら、味を占めると何度もラーメンを欲するようになるからだ。

 しまいには日本全国津々浦々、麺処を観光するはめとなり、それがきっかけで世界大戦の悲劇を招くこととなる。

 異世界人に食べさせてもいいラーメンは、自宅で提供できるカップメンだけだ。


「誰が食わせるなんて言ったよ。つーか、この観光でおまえらに飯を食わせるつもりなんて、ミジンコのクソほどにもないからな」

「どどどど、どうしてですの!」

「お、王子! 気でも狂ったか!」


 二人は狼狽した様子でガバっと振り向いた。

 とくにエリルは『ど』が四つ並ぶほど慌てている。


「いいか、よく聞け。ここにある飯屋は全部、庶民が食うものばかりだ。ランテリア王国を代表する超セレブなおまえらに、そんな安い飯を食わせられるかよ。もしおまえらが腹壊したら、王子である俺の立場ってもんがないだろ」


 ぶっちゃけ、ショッピングモールで飯を食えばそれなりに金がかかる。

 浩太クラスの庶民では、月に一回食べれるかどうかのプレミアム。

 500円でお釣りがくるコンビニ弁当とはわけがちがうのだ。

 ましてや食中毒など普通はありえない。

 だがそれをひた隠し、食べるに値しない料理と認識させ、二人をこの魅惑の地から遠ざける必要がある。


「そうでしたの……。とても高級でおいしそうに見えますけど、そんな危ない料理でしたの……」

「エリルさま、残念ですがここは諦めましょう……。一国の王女が腹を壊したら大変です……」


 未練タラタラながらも、エリルとギニスを納得させることができた。

 むしろラーメンは危ない料理だ。

 中毒性がハンパない。

 カップメンですら大人気なのに、本物のラーメンを食わすなど論外である。

 浩太はその後、二人を連れて各テナントを回り、食品コーナーをこれでもかと徘徊し、ビタ一文使わず、日本王国の観光を終えることにした。

 


 家に帰るため、ショッピングモールの出口を進んだ矢先――。

 事件が起きた。


「君、ちょっと待ちなさい」


 後ろから走ってきた警備員が、とつぜんエリルの腕をつかんだ。


「なにをするのでして! この無礼者!」

「なにかをした無礼者は君のほうだ」

「わたくしがなにをしたというのでして!」

「まさか覚えがないとは言わせないよ? ちょっとこっちにきてもらえるかな」


 抵抗するエリルの腕を、警備員はガッチリつかんではなさない。

 このような光景を、浩太はテレビで見たことがあるし、つい先日も目にした。

 そう、万引きである。

 

「エリル、おまえまさか、なんか盗んだのか?」

「盗むわけがないですわ! これをもらってきただけのことですわ!」


 エリルは握り込んだ手を広げ、イカ塩辛の小瓶をひとつ見せた。

 異世界人は日本円を所持していないし、浩太はビタ一文使っていない。

 これはあきらかな万引きである。

 塩辛の『し』の字も知らないエリルが、なぜこれを盗んだのか。

 蒸かしたジャガイモの上にのせて食べようとでもいうのか。

 それはさておき、王女であろうが万引きは決して許される行為ではない。


「おいエリル! なにがもらってきただ! 金を払わずに黙ってもらってくることを、盗んだって言うんだ!」


 浩太はビンタをする勢いで叱責を言い放つ。

 それでもエリルに反省の色は見られない。

 王女がどうして金を払う必要があるのか、庶民が買うものに価値などあるのか、それをもらってなにが悪いのか、などと、逆切れするように喚き立てている。

 そこへ――。

 ギニスが浩太に向けビシリと腰を折る。

 

「王子、すまない! エリルさまは王女ゆえ、金を払うという感覚が欠落してるのだ! 商品を黙って持ち出したことも、悪気があったわけではないのだ! むしろ、それに気づかなかった僕にすべての責任がある! だからどうかエリルさまを許してやってはくれないか!」

「バカヤロウ! 俺に謝ってどうする! 謝るならまずお店の人が先だろが! それにおまえが謝っても意味ねーんだよ! 盗んだ本人が謝らないでどうするよ! おいギニス! おまえはここから一歩も動くんじゃねーぞ!」


 浩太は警備員と入れ替わるようにエリルの腕をつかんだ。

 そして抵抗を続ける彼女を強引に引っ張り、万引き犯の拘置所、店内の事務所へと連れていく。

 聞かずとも事務所の場所は知っている。

 事務所で待つこと数分、メガネをかけたスーツの男性がやってきた。

 責任者である。


「君……この前も万引きしたよね……」

「いえ、俺は万引きしてません。それにこの前万引きしたのは、こいつとはちがう奴です。だからこいつは初犯です。どうか情状酌量の余地を」


 呆れる責任者に対し、浩太は潔く頭を下げた。

 エリルはというと、事務机に座り言葉なくうつむいている。

 ようやく事態の深刻さを受け止めたらしい。


「で、彼女はなにを盗んだのかな?」

「これです」


 浩太は塩辛の小瓶をデスクの上にトンと置く。

 ここからが勝負だ。

 いや、本当は勝負などしてはいけないのだが、警察がきた時点で最終シナリオ(世界大戦)が発動してしまう。

 だから勝負に出るのだ。


「盗んだのはそれだけかな?」

「はい、350円の塩辛が一個だけです」


 浩太クラスの庶民ともなれば、塩辛の価格ぐらいは知っている。


「でも値段じゃないんだよね。商品を盗んだ行為に問題があるんだよね。とりあえず警察に連絡を――」

「俺を殴れ!」


 責任者の言葉を遮り、浩太は叫んだ。

 責任者に対してではない。

 それはエリルに向けられた自責のシャウトである。


「ど、どうして、わたくしが浩太を殴る必要があるのでして……」

「俺の監督不行き届きだ! だから俺を殴れ! だけどその前にお店の人に謝れ!」

「で、でも……」

「いいから謝れ!」


 涙ぐむエリルはイスから立ち上がり、責任者と向かい合った。

 そして彼女は深々と頭を下げ、「申し訳ありませんでしたわ」と、謝罪の言葉を口にする。


「次は俺を殴れ!」

「わ、わかりましてよ……」


 浩太が顔を差し出すと、エリルは蚊の鳴くようなビンタで頬を打つ。


「ふざけるな! おまえの罪はその程度の軽さかよ! 万引きは決して許される行為じゃねーんだ! だから力いっぱい俺のことを殴れ! 平手じゃなくて拳で殴れ!」

「わ、わかりましてよ……」


 エリルは握った拳を大きく振り上げる。

 そして腰の回転をきかせるように、浩太の顔面へ右ストレートを打ち放つ。

 すると彼女は顔をしかめ、その拳を反対の手で包み込んだ。


「て、手が痛いですわ……」

「あたりまえだ! おまえが受けた痛みが、おまえの罪の重さだ! 俺が受けた痛みも、俺の罪の重さだ!」


 予想に反してエリルのパンチは容赦がなかった。

 浩太はドバドバと蛇口のように鼻血を流している。


「き、君たち、もういいから……お金さえ払えばもういいから……」


 今回も、責任者は顔面蒼白となり怯えていた。

 今回も、浩太はこうして血を流すはめとなった。

 

「もう二度と、このような過ちは犯させません。迷惑かけてすいませんでした。エリル、行くぞ」

「わ、わかりましてよ……」


 絶句している責任者をよそに、浩太はエリルを連れ事務室をあとにした。

 もちろん、塩辛の代金として、血まみれの千円札を置いてきた。

 ショッピングモールを出ると、浩太は近くの公園にエリルを引き連れる。

 そして小さな池を目の前に、二人でベンチに腰をかけた。

 ちなみにギニスは背後の草むらで待機させている。

 

 

「エリル、塩辛がそんなに食いたかったのか」

「塩辛とは、わたくしにはなんのことかわかりませんことよ……」


 夕日を受け、茜色に染まる水面を見続ける浩太。

 塩辛の小瓶を両手に包み込み、涙を浮かべてうつむくエリル。


「じゃあ、どうしてそれを盗んだ。おまえに盗むつもりはなかったもしれんが、どうしてそれをチョイスした」


 浩太の問いに対し、エリルは溢れる涙で答えを見せた。

 胸の内にとどめていたであろう感情を、彼女はその涙とともに吐き出していく。


「わたくしは日本王国のものを食べてみたかったのでしてよ! それなのに浩太は、なにひとつ食べさせてはくれませんでしたわ! これでもかとわたくしにおいしそうなものを見せつけて、水の一杯すら飲ませてはくれなかったのでしてよ! だからわたくしは、この塩辛とやらをチョイスしたのでしてよ! びえええええええん!」



 エリルは慟哭した。

 顔をくしゃくしゃにして泣いた。

 そして真っ赤な夕焼けが、薄暮色の空に変わったころ――。


「それ、食べてみたいか」


 浩太はそう問うた。


「食べてみたいですわ……」

「じゃあ、食ってみろ」


 浩太は塩辛の蓋を開けてやり、小瓶をエリルに手戻した。

 彼女はニョロっとした一切れを手でつかみ、その塩辛を口の中に放り込む


「しょっぱいですわ……」

「そりゃそうだ、塩辛だからな」

「それにあまりおいしくありませんわ……」

「酒飲みじゃあるまいし、そのまま食ってもうまくないだろ」

「なにかおいしい食べ方があるのでして……?」

「ああ、蒸かしたジャガイモの上にのせて食うとうまいんだ」

「それを食べてみたいですわ……」

「なら、俺んちでそれ食わしてやるよ」

「本当ですの!?」

「ああ、任せておけ」


 浩太はすっと立ち上がり、喜色を浮かべるエリルに振り向いた。

 そして、ニカっと笑って親指を突き出し、


「その代わり、おまえとギニスは金輪際、日本王国出入り禁止だからな」


 永久追放を言い渡した。

 エリルの塩辛万引き事件。

 それは許し難い犯罪ながらも、世界の平和に一役買ったのかもわからない。

 

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