第8話

 無線マウス万引き事件から三日後。

 すべての準備は整った。


「蘭子、店番は頼んだ」

「あんた、本当に行くの? いくらチャムさんを助けるとはいえ、危険じゃない?」

「心配ない。ダンジョンを冒険するわけじゃないしな」


 リビングで蘭子に店番をお願いし、浩太は伯爵の元へ乗り込むことにした。

 異世界に足を踏み入れるつもりはなかったし、これ以上深く、向こうの世界と干渉するつもりはなかった。

 しかし、これはチャムを従える王子としての責務。

 彼女はそばにいてくれると約束してくれた。

 支えになってくれると誓ってくれた。

 だからこそ浩太は、なんのためらいもなく異世界へ出陣することを決めた。

 大義名分はたったひとつ。

 守らなければいけない女がここにいる!

 それだけだ。

 

「チャム、伯爵の元まで案内を頼む」

「はい、殿下」


 浩太は王子として学校の制服姿。

 チャムは先日ショッピングモールで購入したワンピース姿だ。

 伯爵に舐められるわけにはいかない。

 ここはビシっと決めて敵陣に乗り込む。


「おじさんたちは手筈のとおり、荷物の運搬を頼んます」

「おう、わかったぜ、王子さんよ」

「俺たちに任せておきな」


 浩太は冒険者のおじさんを二人雇っていた。

 そんな彼らが背負うのは、東南アジアの行商人を思わせるような大きな荷物だ。

 その荷物のすべてが、チャムを救うための武器である。


「じゃあ、出発だ」

「はい、殿下」


 チャムを先頭に、一行はダンジョンの中へと進路をとった。

 一直線に伸びた通路を歩き、何度か二股の分岐点を左、右に曲がる。

 ときおりあらわれる魔物にも注意が必要だ。


「キュピ!」


 浩太はスライムを踏み潰す。

 その容赦のない攻撃を受け、かわいらしい断末魔を上げたのは、手のひらサイズのスライムだ。


「ギエッ!」


 今度はゴブリンにゲンコをかます。

 その正義の鉄槌を受け、だみ声で鳴き声を上げたのは、ケンケンパをして遊んでいたチビッコのゴブリンだ。

 チャムですら無視するか弱き敵をなぎ倒し、浩太はダンジョンの奥へと突き進む。


「殿下、ここが中央フロアです」


 チャムの案内により、教室ほどの広さがあるひらけた場所に出た。

 中央の地面には下層へ続く階段、正面奥には上層へ続く階段が見えている。

 もちろん向かう先は上層であり、にっくに伯爵の元。

 一行は階段を上がり、地下二階層へと先を急いだ。

 出た先は、地下三階層中央フロアと似たような構造となっていた。

 地下一階層に上がるもさほど変わりがない。


「殿下、ここがステルピア大聖堂です」

「なるほど、これはすごいな」


 地上、ようは大聖堂の中に出る。

 ダンジョンへ通じる階段は、ステンドグラスを背にする女神像の祭壇、その真後ろに位置していた。

 石床が崩れているところを見ると、隠し階段のようなものであったらしい。

 それはそれとして、壁画の描かれたアーチ状の天井はかなり高い。

 腰の曲がった年寄りが見上げれば、ボキっと首を痛めるほどの高さがある。

 壁際には壮麗な柱が建ち並んでいるが、あれをどうやって人の手で運んだのか。

 その古めかしい大聖堂の荘厳さを目にすると、三日はオナ禁しようかな、なんて気にもなってくる。


「ヤッホー!」


 凛と静まる大聖堂の中で、浩太は試しにやまびこをやってみた。

 するとヤッホーが返ってきた。


「殿下、あちらが出口です」


 チャムが指を差す先。

 女神像のある祭殿と反対方向に進み、さぞたいそうな観音扉を開き外に出る。

 するとそこには、異世界と呼ぶにふさわしい光景が広がっていた。

 石畳の広場にはいくつもの露店が建ち並び、たくさんの人で活気に満ちている。

 簡素な貫頭衣を着た者が多いが、皮鎧やローブ姿の冒険者たちも散見された。

 円形状の広場を石造りの建物が取り囲み、ヨーロッパの古い街並みを連想させる。

 浩太はチャムのあとに続き、王子たる威厳を持ってそのような広場を突き進む。


「あれどこかのお姫さまかしら?」

「すごいきれいな服を着てるわね」

「あんな服わたずも着てみてーだ」


 果物かなにかを買い物していた女性たち。

 彼女らはワンピース姿のチャムを見て、羨望の眼差を浮かべ称賛を口にする。


「あの男はどこかの貴族か?」

「なんか気品のある服装だな」

「んだんだ、只者じゃねーべ」


 見慣れぬ服を見てか、男たちの視線も浩太に集まった。

 こんな注目を浴びたのは、文化祭の演劇で立木の役を演じて以来だ。

 ここで肛門筋を緩めることは許されない。

 浩太はキュッと尻の穴を引き締める。

 広場を抜けしばらく進むと、とある建物の前でチャムは立ち止まった。

 通路に面した五階建て、ゴシック風の建築物である。


「殿下、ここがビルドリア伯爵の邸宅です」

「ここか。よしあとは俺に任せろ」


 浩太は正面入口のドアを荒々しくノックした。

 ほどなくして二枚扉の片方が外に向け開かれる。


「あんた、誰だ?」


 そこから姿を見せたのは、腰に短剣を差す軽装備のいかつい男。

 警護をかねた伯爵の使用人と思われた。


「俺は日本王国の王子、吉岡浩太だ。チャムの件で伯爵に用がある」

「お、王子だと……」

「そんな犬の糞を踏んだような顔で驚くことはない。俺はチャムの借金を返しにきただけだ。伯爵にそう伝えてくれ」

「わ、わかった……」


 使用人は当惑した様子ながらも、一度邸宅の中へ引っ込んだ。

 数分ほど待たされたのち、浩太ら一行は伯爵の執務室へ通された。


「で、王子さん、チャムの借金を肩代わりするというのは本当かな?」


 伯爵は執務机のイスに座り、ぞんざいな態度でふんぞり返っていた。

 そんな彼をひと言で形容するならガマガエルだ。


「ああ、本当だ。きれいさっぱり俺が返してやる」

「なら払ってもらおう。王子さんなら三百万リンカごときたいした額ではなかろう」

「誰が金でなんか払うかよ。払うのはこれでだ」


 浩太の指示した手筈どおり、雇った冒険者の二人が荷物の中身をぶちまけた。

 室内の床に散らばるのは、インスタント食品、そしてお菓子の数々だ。

 カップメン、カップ焼きソバ、レトルトカレー、ポテチ、etc。

 数にして三百以上の品々が、伯爵の目の前に山となる。


「いいか伯爵。これは本来、あんたが決して食べることのできない、俺の国の食べ物だ。これをすべてあんたにやるから、チャムの借金をなかったことにしてくれ」

「な、なにぃ……」


 伯爵は驚愕したように双眼を丸め、机からぐ~っと身を乗り出した。

 彼からすればお宝の山に見えるにちがいない。

 この異世界であれば、ポテチひとつで金(きん)と同等の価値があるかもしれないのだ。


「でもな伯爵、これを売ると後悔することになるぜ」

「王子さん、それはどういうことだ……?」

「この中には、ひとつとして同じ食べ物はない。すべてちがうものを取り揃えた。どれかひとつ売ろうものなら、その食べ物の味を、あんたは一生知らないで死ぬことになる。だから売らないほうがいいって言ったのさ」


 金に汚いであろう伯爵のことだ。

 異国の品は高いマージンをふっかけて売りさばくはず。

 そうともなれば、被害をこうむるのはそれを買った者たちである。

 お互いが納得の取引だとしても、それではこちらの気が引けるというもの。

 だからこそ、浩太はすべてちがう品を取り揃えた。

 これなら伯爵も、そう簡単には売りさばくことができない。


「しかし……わし一人でこれは食いきれん……。腐ってしまうではないか……」

「ところがどっこい」


 浩太はチッチッチ、と人差し指を左右に振った。

 そして食品メーカー各社が粋を極めた技術力を、無知なる伯爵に諭し示す。


「このお湯を注ぐだけでいいカップメン。これはおよそ八ヵ月、保存がきく」


 カップメンを手に取り、その賞味期限を口にする。


「この袋を開けるだけでいいポテチは、およそ四ヵ月、保存がきく」


 次にポテチを拾い上げ、同じく賞味期限を知らしめた。


「このお湯で温めて食べるレトルトカレーは、およそ一年、保存がきく」


 レトルトカレーに関してだが、レトルトご飯の用意はしていない。

 異世界に電子レンジはないので、それを買うのはやめておいた。

 それでもパンといっしょに食べれば問題はないだろう。


「お、王子さん、ひとつ、食べてもいいか……?」

「ああ、食ってみてくれ。これなんかいいんじゃないかな」


 餓えた野良犬のように喉を鳴らす伯爵へ、浩太はコンソメ味のポテチを手渡した。

 袋の開け方を教えると、伯爵はバリっと封を切る。

 その瞬間――。

 ふわっとコンソメの芳香が室内に解き放たれた。


「お、おお、おお……」


 食べる前からノックアウト。

 伯爵は大きな鼻をヒクつかせ、恍惚とした表情で唇をレロレロと舐めた。

 そして彼は恐る恐るポテチを一枚つまみ、それを口の中へ放り込む。


「こ、これは……なんという美味……」


 そのひと口を味わうと、やめられないとまらない、カ〇ビーカッパなんとか状態。

 伯爵はポテチ三枚重ねの上級テクニックを駆使し、獣のごとくむさぼりはじめた。

 あれやこれやという間にポテチを完食。

 さらには袋に残った細かいカスも、口の中にサーっと流し込む。

 それは自分一人、もしくは親しい人の前でしか見せることのできない、恥ずべき貪欲な姿。

 落ちた。

 伯爵は完全に落ちた。

 異世界にポテラーが一人誕生した瞬間だ。


「どうだ、伯爵。これでチャムの借金を帳消しにしてくれるか?」

「いいだろう。借金はなしだ」

「チャムを解放してくれるんだな?」

「ああ、連れていけ。その前にこれらの食べ方を詳しく教えてはくれんか」

「そうだったな。カップ焼きソバなんかは教えないと無理だろうな」


 浩太は優しく丁寧に実直に、その作り方を教えてあげた。

 伯爵に対しもう敵意などは感じない。

 せっかく差し出した品々を、最高の形で味わってほしかった。


「う、うっ……ううっ……」


 チャムは嗚咽を漏らし泣いていた。

 殿下、殿下、と何度も口をつき、人目もはばからず泣いていた。

 こうして浩太は、借金で火の車となったか弱き少女の呪縛を解き、彼女がこれから歩む道へ大きな光をもたらした。


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