第7話
浩太がベッドの中で寝ようとしていたところ、誰かが自室のドアをノックした。
深夜なので蘭子がこの家にいるわけがない。
ということは、ドアの向こうにいるのはチャムだ。
「どうした、チャム」
「殿下、入ってもよろしいですか」
「ああ、いいぞ」
「失礼します」
チャムは室内に姿を見せるが、なぜか素っ裸となっていた。
胸と股間を両腕で隠し、恥じらうように下を向いている。
「おい、チャム。おまえ裸でなにしてるんだ?」
浩太は目をそらさずベッドに寝たままで訊いてみる。
「殿下にわたしの体を……はじめてのアレを捧げようかと思いまして……」
しばしの沈黙。
近所のどこかでワオーンと犬が鳴く。
浩太はガバッと上半身を起こし、
「バカ野郎おおおおおおおおおおお!」
と、大声でチャムを叱責。
そして拳をギュっと握り、目の前のスッポンポンに対し愚行を正す。
「なぜ大切にしない? なぜ大切に思わない? なぜそんな簡単に捨てられる?」
「ですが……わたしは殿下に忠義を尽くす身であり……」
「おまえは本当にそれでいいと思ってるのか?」
「はい……」
「このハゲーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
チャムは背中まで伸びるロンゲだが、浩太はそれとは関係なしに罵倒した。
興奮のボルテージがMAXにまで高まったところで、己の本意を口にする。
「忠義を尽くすなら、ダンジョンにつながるリビングを、守らなければいけない防衛線を、もっと大切にしろと言ってるんだ! その防衛線を簡単に捨てるなって言ってるんだ!」
「え!? え!? え!? え!?」
チャムは目をパチクリさせ、まだ意味がわからない様子。
これではまるで泥棒に吠えないアンポンタンの番犬だ。
「おい、チャム。おまえはなぜリビングのソファで寝ることになっている?」
「魔物の襲撃に備えるためですが……」
「そのとおりだ。でもな、ここは物音が聞こえにくい二階だぞ。そして俺はおまえとエッチなんかしたら、一回こっきりじゃ済まない。賢者になることもなく、朝までズッコンバッコンコースだ。童貞の俺にはそうなる自信がある」
「け、賢者とは……?」
「そこはいい。つまりな、朝までリビングが無人になっちまうってことなんだよ」
「たしかにそれはまずいかと……」
「あたりまえだ。もしゴブリンの一匹でも野に放たれてみろ。ビックリ映像ランクインどころの騒ぎじゃ済まないんだぞ。それが世界大戦勃発の引き金になるんだ」
「せ、世界大戦――」
チャムはハッと青ざめた。
ようやく事の重大性に気がついたらしい。
「そうだ。おまえの住む世界を巻き込んでの世界大戦だ」
「それは困ります! わたしには大切な両親が!」
「なら、戻れ。今すぐリビングに戻れ。俺の息子の血がたぎる前にな」
「わ、わかりました……」
プリティーなお尻を向けながら、チャムは部屋を出ていった。
ダンジョンなんぞなければ、やっていた。
チャムとセックスをやっていた。
してみたかった。
無念――。
浩太は一発抜いてから寝ることにした。
翌日の午前中。
浩太がキッチンで客のカップメンにお湯を注いでいると――。
蘭子が仕入れのダンボールを抱え、家に上がり込んできた。
そんな彼女に対し、浩太は願いを申し出る。
「おい蘭子。午後から空いてるか?」
「とくに用事はないけど」
「じゃあ、店番頼でいいか?」
「いいけど、どっか行くの?」
「チャムと買い物に行こうかなと思ってな」
「ダメよ、そんなこと!」
「なんでだよ」
「あの子、なんか隠してるって言ったでしょ!」
蘭子は声を抑えてチャムに目を向けた。
その当人はというと、ダンジョンに設けられたテーブルをせっせと拭いている。
「俺はチャムを信じてるんだよ」
「だから、昨日の件を忘れたの? あの子、本当は忠義なんて誓ってないわよ」
「そんなことはない」
浩太はキッパリと否定した。
チャムは昨夜、身を捧げる覚悟だった。
それだけで信用するに事足りる。
「なんでそう言い切れるのよ」
「俺だからこそ、わかることがあるんだよ」
「で、なんでとつぜん買い物なわけ?」
「チャムに服でも買ってやろうと思ってな」
チャムの担う仕事はとても大変だ。
昼間は魔石を売りに王都へ出向き、深夜は魔物の見張り役。
彼女と代わってやりたい気持ちはあるが、浩太にはそれが無理だった。
王都へ行くことは、こちら側の人間としてもちろん許されない。
魔法も使えないただの人間が、ジャイアントスパイダーなど倒せるはずもない。
チャムに頼るほかないのだ。
だからこそ、そんな彼女に休日がてらプレゼントを送りたかった。
家の外に出したとしても、問題さえ起こさなければいいだけのこと。
「まあ、あの子が働き詰めなのは確かよね。休日は必要かも」
「だろ? 俺がちゃんと見てるから心配ないって」
「なら、条件がふたつだけあるわ」
「なんだよその条件って?」
「ひとつ。彼女の剣はこの家に置いていくこと」
蘭子はピンと人差し指を立てた。
「ふたつ。魔法は絶対に使わせないこと」
中指を立てVサインをつくり、蘭子はパチリと片目をつぶる。
疑いの目は向けるも、チャムへの気遣いが見てとれた。
さすが蘭子だ。
「でも外に出たら、あんたが王子じゃないってバレちゃうんじゃないの?」
「そこは考えがあるから、大丈夫だ」
考えといっても、それは簡単なものだった。
お忍びで城下町に遊びに行くお殿さま。
そのようなニュアンスとしてチャムに伝えればいい。
「だから、蘭子。チャムに着る服を貸してやってくれないか?」
「革鎧にエプロン姿じゃ、外にも出られないか。いいわ、服持ってくる」
「サンキュ、蘭子」
蘭子が一度家に戻ったので、浩太は注文を受けたカップメンを客の元へ運んだ。
するとそこでは冒険者の二人がなにやら話し込んでいる。
「しかし、とんでもねールーキーがあらわれたな」
「ああ、あの男と女か」
「今日は地下二十階層に向かったらしいぞ」
「マジかよ。ルーキーなのにもう地下二十階層かよ」
「それが、とんでもねーレアアイテム首からぶら下げてんだよ」
「レアアイテム?」
「ああ、どこで手に入れたか知らないが、瑠璃石さ」
「る、瑠璃石だと!? 魔力を吸収するとかいうあの秘宝かよ!」
「こりゃあの二人、伝説になるかもしれないぞ」
浩太はそんな男たちの会話を耳にし、「すごい冒険者もいるもんだな」
と、やや感心しつつ、あまり興味がないので便所にでも行くことにした。
昼過ぎとなり、浩太はチャムといっしょに家を出た。
窓にはカーテンをし、外を見るなと言いつけていた。
ゆえにチャムが外界を目にするのははじめてである。
「殿下、外に出てもよろしかったのですか?」
「ああ、今日は特別だ」
「蘭子さまからは、このようなお召し物をお借りして恐縮です」
Tシャツ、ひざ下を見せたクロップドパンツ、サンダル履き。
蘭子に借りた服を身にまとい、チャムは照れ臭そうに後ろをついてくる。
昨日の一件は水に流してくれたのか、怒った様子は見られない。
すると――。
「あの、殿下。ここらには殿下のお住まいと同じような家がいくつも建っていますが……これはすべて王族の方々なのでしょうか……?」
チャムは住宅街を目に、奇々怪々と小首をかたむけた。
「俺は国民の生活を知るために、あえてこの平民地区に住んでるんだ。もちろんお忍びでな。だからこうやって外出しても、俺が王子だってバレることはない」
「そうでしたか。ですが国民の衣服も、平民のものとは思えないのですが……」
すぐ目の前には、立ち話をしている主婦が二人いた。
ごく普通のワンピース姿だが チャムには王族が着るような服に見えるのだろう。
「俺の国はとても生活水準が高い。王族が着るような服は国民も着る。あんまり深く考えるな」
「はい、わかりました」
やや疑問が残った感じだが、チャムを納得させることはできた。
このまま嘘をつき通し、買い物を終えればいいだけのこと。
浩太がそう安心していたところ――。
「殿下、危ない! 大きな魔物がこちらに向かってきます!」
チャムが浩太の前に躍り出て、半身の姿勢でさっと身構えた。
しかし、前方より走行してくるのは、ただの乗用車である。
「チャム。あれは魔物じゃない。車という乗り物だ」
「ですが……馬なしで動いているとはどういうことでしょうか……?」
「深く考えるな。だから車は魔物じゃないから驚く必要はない」
「わ、わかりました……」
チャムは納得していない様子だが、それ以上訊かれても浩太が困る。
車はガソリンを燃料にエンジンで動くもの。
そうとしか説明ができなかった。
偏差値三十ていどの十七歳に、タービンがどうとかまではよくわからない。
そんなとき――。
「殿下! 大変です!」
チャムは激しく狼狽し、民家の塀の上に視線を合わせた。
浩太もそちらを見やる。
すると塀の上では、佐藤さんの飼いネコが寝ているだけだった。
「あの魔物、寝ながらにして耳を立てこちらの様子をうかがっております! 姿は小さくともどんな攻撃を仕掛けてくるかわかりません! くっ、やはり剣を持ってくるべきだったか!」
両腕を広げ片足立ちとなり、チャムはツルの拳法のように身構えた。
「落ち着けチャム。あれはただネコだ」
「ま、魔物ではないのですか……?」
「あれが魔物のわけないだろ。ほら、さっさと行くぞ」
何度も後ろを振り返るチャムを連れ、浩太は住宅街をスタスタ歩く。
しばらく先へ進むと――。
「はッ!」
チャムは怯えたようにとつぜん空を見上げた。
浩太もその視線の先に目を向ける。
すると遠くの空には、旅客機らしき機影が見てとれた。
「な、なんという、巨大なドラゴン……。あれでは軍隊を召集したところで勝ち目はありません……。この日本王国が炎に包まれ壊滅してしまう……」
「チャム、あれはドラゴンじゃない。飛行機という乗り物だ」
「ち、ちがうのですか……?」
「ちがうに決まってるだろ。つーか、この国には魔物はいないんだよ。だからいちいち驚くな」
おしっこがチビリそうなチャムを引き連れ、浩太は住宅街をあとにした。
そして目抜き通りに差しかかったとき――。
「天にまします我らの神よ。願わくはみなに神のご加護を。願わくはこの地に豊穣を来たらせたまえ。我らの罪を許し、悪より救い、この世に安生をもたらしたまえ――」
チャムはマンションを見上げ、胸の前で手を組み、なにやら祈りを捧げはじめた。
その十数階建ての建造物に対し、神妙かつ厳かな雰囲気でぶつぶつ言っている。
「おい、チャム。おまえなにやってんだ」
「神殿に祈りを捧げていたのですが……」
「そうか。おまえにはそう見えたか。うん、まあいいだろう」
浩太はあえて言及することを避け、その信仰深さに敬意を称した。
ときとして、このように大人の対応を取らねばならぬこともある。
そんなとき――。
「よう、浩太。かわいい子連れてデートか?」
歩道に軽トラが横づけされ、運転席から声をかけられた。
車の整備工場で働く、従兄の『よっちゃん』である。
これには浩太も焦りを抱かずにはいられない。
「よ、よっちゃん……今日は仕事じゃないのか……?」
「仕事だけど、コンビニに昼飯買いにきただけだ」
「そうだったんだ……じゃあ、よっちゃん、仕事頑張ってくれよな……」
「で、誰だよ浩太。そのかわいい子は」
よっちゃんはニヤニヤとゲスに笑い、なかなか解放してくれない。
これは困ったな、と浩太は思うも、もう遅かった。
「もしや……このお方は……」
チャムの顔色がどんどん青ざめていく。
記念皿にプリントされた顔写真、その猿顔の人物であると理解したらしい。
チャムからすれば、よっちゃんは浩太の親族であり王族だ。
さらにはその記念皿を割っただけに、彼女の血の気が引くのも無理はない。
「た、大切な記念皿を割ってしまい、たいへん申し訳ございませんでした!」
チャムはビシっと腰を九十度に折り、謝罪の言葉を口にした。
「記念皿を割った? お嬢ちゃん、なんのこと言ってるんだ?」
「結婚の儀に配られたという、皿のことでございます!」
「ああ、あれのことか……あれが割れちゃったのか……」
よっちゃんの表情がいくぶんか暗くなる。
そして彼は訊いてもいないのに、肩を落としてしんみりと語りはじめた。
「新婚そうそう、浮気はまずかったよな……。嫁さんは子どもを連れて実家に帰るしさ……。でも誘ってきたのはエリコちゃんのほうだったんだ……。それにお互い酔ってたし、しかたないじゃないか……。なんでこうなっちゃうのかな……」
よっちゃんは自分なりの正当性を訴え、どんよりと軽トラを走らせていった。
エリコちゃんとは誰のことかはわからない。
でも悪いのはよっちゃんである。
年内の離婚、近し。
「よし、チャム。行くぞ」
「はい、殿下」
浩太はチャムを連れ、お目当てのショッピングモールへ赴いた。
ここであれば、女の子が喜びそうな服がたくさん売られている。
チャムは子どもように瞳を輝かせ、各テナントに釘づけだ。
そんな姿を目にすると、浩太もなんだか嬉しくなってくる。
「チャム、どんな服がほしい?」
「殿下、お召し物を買っていただけるというのですか……?」
「ああ、好きな服を選んでいいんだぞ」
「しかし……わたしごときにそのようなお心遣いは……」
「いいんだよ。そんな気にするなって。とりあえずパンツ買いにいくからな」
エッチなパンツを買いに下着売り場へ向かうと――。
チャムは爆発しそうな勢いで顔を大きくほころばせた。
それもそのはずである。
ここに陳列された品々は、お花畑のごとく華やいだ色とりどりの下着類。
彼女がふだん身につける、手ぬぐいのような下着とはわけがちがう。
ひとまず浩太の趣向に合わせ、ピンク色のパンツとブラジャー購入。
限りなくレースの薄い、とてもエレガントでエッチな下着セットだ。
チャムは買い物袋を胸に抱え、ホクホク笑顔で喜んでいる。
浩太も彼女の下着姿を想像し、股間のナニがほっこり熱くなる。
その後、ワンピースを何着か購入し、店内のカフェでひと休みすることにした。
「殿下、本日はわたしごときのため、本当にありがとうございました」
「そんなかしこまらなくていいって。俺が買ってあげたかったんだし」
「それはそうですが……」
そう言いかけて、チャムはカフェラテをストローで吸い込んだ。
浩太はその味にさぞ驚くと思ったが、彼女の表情がどことなく暗い。
「どうしたチャム? ウンコでもしたくなったのか?」
「そうではありません……。わたしだけがこのような贅沢など……いえ、なんでもありません……殿下、今のことは忘れてください……」
カフェを出てからも、チャムの面相は曇空のままだった。
家に帰るため、ショッピングモールの出口を進んだ矢先――。
事件が起きた。
「君、ちょっと待ちなさい」
後ろから走ってきた警備員が、とつぜんチャムの腕をつかんだ。
「なにをする! はなせ!」
「なにかをしたのは君のほうだ」
「わたしがなにをしたというのだ!」
「まさか覚えがないとは言わせないよ? ちょっとこっちにきてもらえるかな」
抵抗するチャムの腕を、警備員はガッチリつかんではなさない。
このような光景を、浩太もテレビで見たことがある。
そう、万引きだ。
「チャム、おまえまさか、なんか盗んだのか?」
「そ、それは……」
そのしまった感がうかがえる表情。
それは万引きを肯定している証拠ともいえた。
「警備員さん、俺もいっしょにいきます」
「わかりました。じゃあ、こちらへ」
浩太とチャムは、小部屋の事務室のようなところへ通された。
チャムは事務机の前に座らされ、言葉なくうつむいている。
するとそこへ、警備員と入れ替わるように、責任者らしき者がやってきた。
スーツを着た中年男性だ。
「まず、盗んだ物を出してもらえるかな?」
ため息交じりに責任者が問う。
それでもチャムは頑なに口を閉ざしていた。
「俺が調べます」
これではらちがあかない。
だから浩太は買い物袋の中身をチェックすることにした。
すると――。
パソコンで使うマウスが、未開封のままでひとつ紛れ込んでいる。
もちろんこのような物を買った覚えはない。
金のないチャムが買えるはずもない。
あきらかな万引きである。
パソコンの『パ』の字も知らないチャムが、なぜこれを盗んだのか。
無線のマウスで、センサーは青色LED。
それはさておき、万引きは決して許される行為ではない。
「チャムッ!」
浩太がひと声怒鳴ると、チャムは「ひっ」と肩をすくめた。
「おまえ、なに考えてんだ! やっていいことと、悪いこともわからないのか!」
「で、殿下……申し訳ありません……」
チャムはどんどん涙目となっていく。
殿下という言葉に耳にしてか、責任者と警備員はそろって眉を潜めた。
「申し訳ありませんで済むか! それに俺に謝ってどうする! 謝るならまず先に、お店の人にだろうが! この愚か者めが!」
チャムを叱りつけながらも、浩太は事の顛末について考えていた。
万引きを扱った番組を見た限りでは、警察を呼ばれるケースが多々あった。
異世界人であるチャムに、身分を証明するものなどなにもない。
彼女の見た目は外国人なので、密入国の疑いをかけられしょっ引かれる可能性がある。
そうなれば、THE END。
遅かれ早かれ吉岡家のダンジョンが発覚し、最終シナリオ(世界大戦勃発)が待っているのだ。
それだけは避けねばならない。
それにチャムをここ連れてきた自分にも責任はある。
浩太はそう考え、最終手段的行動を起こすことにした。
「すいませんしたーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
土下座し、床にドカンと額を叩きつける。
「こいつは、俺の家のもんなんでーーーーーーーーす!!」
気絶しそうな激痛に堪え、ハンマーヘッドを打ちつける。
「だから俺に責任があるんでーーーす!! 俺がすべて悪いんでーーーす!!」
浩太は何度も何度も自傷行為を繰り返す。
すると額が割れ、リノリウムの床に鮮血がポタポタと滴り落ちた。
「き、君、もういいから……。代金さえ支払えばもういいから……」
責任者は顔面蒼白となり、小刻みに体を震わせていた。
床には殺人事件さながら、ベットリとした血の海が広がっている。
彼が怯えるのも当然だ。
「もう二度と、このような過ちは犯させません。迷惑かけてすいませんでした」
浩太はよろけながら(演技)立ち上がり、財布からマウスの代金を支払った。
もちろん、マウスは買い物袋の中にしまい直す。
「チャム、行くぞ」
「は、はい……」
絶句している責任者をよそに、浩太はチャムを連れ事務室をあとにした。
一度トイレに立ち寄り、トイレットペーパーで額をぐるぐるに巻く。
幸いなことに、傷はそれほど深いものではなかった。
いずれ出血も止まるだろう。
ショッピングモールを出ると、浩太は近くの公園にチャムを引き連れる。
そして小さな池を目の前に、二人でベンチに腰をかけた。
「チャム、正直に話してみろ。どうして盗んだ」
「そ、それは……」
夕日を受け、茜色に染まる水面を見続ける浩太。
買い物袋を胸に抱き、涙を浮かべてうつむくチャム。
「俺でも使ったことのない、青色LEDセンサーの無線マウスを、なぜ必要とした?」
「マウスとはわたしにはわかりません……。でも高く売れるかなと思ったのです……」
「金がほしいのか?」
沈黙を一泊置いたのち、チャムはコクリとうなずいた。
「いくらだ?」
「三百万リンカ――」
「もしかして借金か?」
浩太のその問いに対し、チャムは大粒の涙で答えを見せた。
その押し殺していたであろう感情を、彼女はとめどなく吐き出していく。
「はじめに借りたのは二十万リンカだったのです! それが十日に三割の高利子をかけられて、あっという間に三百万リンカになってしまいました! わたしていどの冒険者ではもう返すことのできない大金です! でもどうしても金が必要だったのです! 両親のためにも金が必要だったのです! うああああああああああ!」
チャムは慟哭した。
顔をくしゃくしゃにして泣いた。
そして真っ赤な夕焼けが、薄暮色の空に変わったころ、彼女は静かに語りはじめた。
チャムの故郷は小さな村でありとても貧しかった。
それでも畑を耕し、最低限、生きるだけの営みを送ることができた。
だがここ数年日照りが続き、まともに作物が収穫できない。
ただでさえ少ない作物は、子どもに優先して分け与えられた。
大人たちは体を壊し、飢えて死ぬ者も出た。
だからこそ、故郷を守るため、金を稼ぐため、チャムは冒険者になる道を選んだ。
それに村で唯一、魔法の才があるのは彼女だけだった。
しかし故郷を旅立ちランテリア王国へきたものの、冒険者の道はそう甘くはない。
ダンジョンに深く潜り、強い魔物を倒し、価値のある魔石を得ることは、並みならぬ危険がつきまとった。
安定して狩りのできる階層では、日銭を稼ぐのがやっと。
このままでは村が飢えで崩壊してしまい、大切な両親も死んでしまう。
それゆえチャムは高利貸しから金を借り、村を救う道を選んだ。
そして莫大な負債を抱えることになったのだ。
以上がチャムの語った、ベタな身の上話である。
「なるほどな。そういう事情があったわけか」
「利息をなくす代わりに、高利貸しの伯爵から日本王国を探れとも命じられていました。珍しい異国であれば、なにか金になるものがあるはずだと」
「だからマウスを盗んだのか」
「はい――」
「使い道も知らずに盗んだのか」
「はい――」
「エッチしようとしたのも伯爵の指示か」
「はい――」
「もしかしてカップメンの売上を、ちょろまかしたりもしてたのか」
「はい――」
浩太の質問に、チャムは泣き腫らした目でつぶやいていく。
それでも浩太は彼女を咎めることはなかった。
自分も王子であると嘘をつき、チャムを利用していたのだ。
ここで真相を打ち明けようとも思ったが、浩太にはそれがどうしてもできなかった。
その理由はふたつある。
王子という権威を失えば、客の冒険者たちは態度を一変させるかもわからない。
ただのガキとして認識され、パンドラノ箱(玄関のドア)を開けられてしまう可能性がある。
もうひとつの理由は、チャムに対しての後ろめたさであり、それは自分の弱さだ。
「よし、チャム。俺はすべて許した」
「わたしは殿下を裏切ったのですよ? 殿下を伯爵に売ったのですよ?」
「もういいって言ってるだろ」
ここで浩太はベンチから立ち上がり、数歩前に出た。
そしてくるりとチャムに向き直る。
「その代り約束してくれ」
「約束――」
視線をポツリと落としていたチャムは、浩太の顔をすっと見上げた。
「これからも俺のそばにいてくれ。これからも俺の支えになってくれ」
「で、殿下――」
チャムは両手で口元をおおい、キラキラと光る涙を頬に滑らせた。
その涙こそ忠義の証。
その深紅の瞳に一点の曇りなし。
「だから俺はチャムの借金をなんとかする! なんせ俺は日本王国の王子なんだからな!」
浩太はニカっと笑って親指を突き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます