第5話

 午前の十時を過ぎたころ、困った問題が発生した。

 それは父の信彦と、母の洋子の携帯に、ひっきりなしに電話がかかってくるのだ。

 テレビ台(テレビはない)の上に置かれた二人の携帯が、今もブワンブワンと振動している。

 むろん、両親の勤め先からであることは容易に予想された。


「殿下、それはなんなのですか? なにやらブルブル震えておりますが、魔法でしょうか?」

「いや、これは魔法じゃない。ただのスマホだ」


 はてと首をかしげるチャムだが、この原理を説明している場合ではない。

 説明できる知識もない。

 だから浩太はチャムにダンジョンの見張りを頼み、どうしたものかと思案した。

 電話をシカトしたままでは騒ぎが大きくなり、警察がやってくるかもわからない。

 携帯の電源を切ることもそれと同義と言えるだろう。

 無断欠勤を繰り返し、両親がクビにされるのは構わない。

 だが事件や事故に巻き込まれたと会社側に疑われては困ることになる。

 警察訪問→ダンジョン発覚→世界大戦勃発

 ダメだ。絶対にこれだけはダメだ。

 そうともなれば、思い切った行動に出るほかはない。


「は、はい~? なにかしら?」


 浩太は母を演じて携帯に出た。

 声色は新宿二丁目っぽくなったがまあよしとする。

 

『吉岡さん、どうしたのかお? もう十時を過ぎてるんだお?』


 この秋葉系の声は、スーパーマーケットの店長だ。

 そんな彼は少し苛立ちをあらわにそう訊いてきた。

 ここは強い態度に出て店長につけ入る隙を与えない。


「私、もうあなたのセクハラに耐えられなくなったの!」

『ぼ、僕がいつセクハラをしたっていうんだお!』


 母の声マネに、店長はまんまと騙されていた。

 この調子で浩太は畳みかけていく。


「いつも私をいやらしい目で見てたじゃないの! 私のナイスバディを目で犯してたじゃないの! このド変態!」

『な、なにかの勘違いだお! 僕はそんな目で吉岡さんを見てないんだお!』

「私だけじゃないわ! あなた、レジの子にちょっかい出してるじゃないの!」

『そ、それをどうして知って――あッ!』


 店長は墓穴を掘った。

 浩太は知っている。

 洋子の勤め先のスーパーには、隣のクラスの山田花子がレジでバイトをしているのだ。

 顔はブスだがスタイルはバツグンだしおっぱいもでかい。

 浩太をふくめ、一部のマニアには定評のある女子生徒だ。

 このハゲ散らかしたキモオタ店長なら、花子をロックオンするのも当然だろう。


「そんな変態店長のいるお店で働けないって言ってるのよ! 私、本日をもって辞めさせていただきます! このハゲ! クズ! 死ね! 早漏!」


 浩太は罵詈雑言をぶつけて通話を切った。

 これで二度と店長から電話がかかってくることはない。

 次は父の電話に出ることにした。


「は、はい? どちらさんかな?」


 少し声を低くして信彦の声をマネてみる。


『吉岡君、いま何時だと思ってるの? ただでさえ君は成績が悪いのに、遅刻とかふざけないでくれる? 家を建てたからって浮かれてもらっちゃ困るのよね。聞いてる? よ、し、お、か、くん』


 信彦より年下であろう女性の上司が、蛇のようにねちっこく嫌味を言ってきた。

 父はこのような扱いを受けていたのだ。

 だからときおり涙ぐんで帰宅するのだ。

 浩太はまるで自分のことのようにズキリと胸を締めつめられた。

 むろん、こんな会社は辞めてやる。


「うるせえ、ババア」

『は? 今なんか言った?』

「うるせえ、ババア、って言ったんだよ。耳クソ詰まって聞こえなかったのか?」

『あ、あなた……私に向かって、なんて口を――』


 上司はかなり動揺している様子。

 ここは父の代わりとなり、社畜のうっぷんを晴らすまでだ。


「おまえなんぞ、たった今から上司でもなんでもねー! ただの臭いメス豚だ!」

『い、言ってくれるわね! 自腹でしかノルマを達成できないクズのくせに!』


 たしかに信彦はたくさんの開運グッズを自腹で購入していた。

 ラピスラズリのペンダントやブレスレットである。

 そんな哀れな父のためにも、浩太はパワハラ上司に鉄槌を下す。


「ノルマだかノロマだか知らねーけどな、おまえは俺以上のクズだ! 婚期を逃した腐ったクズ野菜なんだよ! その点、俺は結婚してるから、私生活ではおまえより勝ち組だ!」


 ここは山を張る。

 声色からするに、推定年齢は三十代半ば。

 その歳で上役に就くなど、私生活より仕事を優先してきたにちがいない。

 社会のことはよくわからない浩太でも、彼女が独身であると推測がつく。


『ひ、ひどい――。私が一番気にしてることを――』


 電話越しから上司のすすり泣きが聞き漏れてくる。

 ここで一気にまくし立て、インチキ臭い開運グッズ販売会社とおさらばだ。


「なにが開運グッズだ! 開運しないから、おまえはいまだに独身なんじゃねーか! 親に早く孫が見たいって言われてるんじゃないのか!? 同窓会に出れば、育児の話に参加もできないんじゃないのか!? 毎晩遅くに帰宅して、一人で寂しく酒をあおってやさぐれてるんじゃないのか!? ようはな、そんな開運効果もない商品を販売する会社で働くのは、もうゴメンだって言ってるんだよ! わかったか! このウンも枯れた肥溜めババアが!」


 強い口調で罵倒し通話を切る。

 これで二度と上司から電話がかかってくることはない。 

 ここまで言えば、事件事故と疑われることなく、警察がくることもないだろう。

 社畜、完全勝利。

 悪の組織を撲滅させたかのように、浩太は心をスカっとさせた。


「父ちゃん、母ちゃん、俺は世界の平和を守ったぞ。だから二人とも、天国で安らかに眠ってくれよな――」


 浩太は涙ぐみ、亡き両親に対し弔いの気持を捧げた。



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 ここはダンジョン地下五階層。

 テニスコート一面ほどのフロアに、吉岡信彦と妻の洋子がいた。


「母さん、あらかた敵は倒したみたいだな」

「そうね、あなた」


 フロアの地面に散らばる無数の骨と、点在する魔石。

 魔物、スケルトンの残骸である。

 およそ数にして三十。

 信彦と洋子はスケルトンの撲滅に成功した。

 そんな二人は革鎧を身につけ両刃の剣を携えている。

 ダンジョン内に放置された、冒険者の白骨死体より拝借したものだ。


「ふ、まさかこのペンダントが役に立つとはな」

「肌身はなさず身につけておいてよかったわ」


 二人はラピスラズリのペンダントを首からぶら下げていた。

 信彦が働く、開運グッズを販売する会社の商品である。

 販売ノルマを達成するために、信彦自らが購入した高額なペンダント。

 その開運効果などないと思われるクソみたいな商品が、この異世界では力を発揮した。

 魔力吸収――。

 魔物が有する魔力を、このラピスラズリが吸収する。

 吸収した魔力は自身の物理攻撃、魔法攻撃に転化され、たやすく戦闘をおこなうことができた。

 青く輝くこの宝石は、異世界でのみ特殊な作用をもたらしたのだ。


「母さん、魔石を集めて一度冒険者ギルドに売りに行くか」

「そうね、装備も整えたいし」


 二人はすでにランテリア王国、冒険者ギルドに身を置く冒険者となっていた。

 ダンジョンで出会った冒険者が、この魔石が売れることを教えてくれたのだ。

 魔力吸収の効果か、この世界の言語も理解できた。

 復讐の旅に立ちはや五日。

 信彦と洋子は異世界に順応し生活を送っていた。


「浩太のやつ、今ごろどうしてるだろうな」

「あなた、それは言わない約束よ」


 夫婦はともに誓っていた。

 復讐を果たすまで、決して家には戻らないと。

 愛する我が子の顔を目にすれば、冒険者として培った牙は抜け落ちてしまう。

 苦労して建てた家、それをめちゃくちゃにした魔物への復讐心など消え失せてしまう。

 だからこそ戻らない。

 二人は心を鬼にして、ダンジョンに巣くう魔物すべてに復讐を果たす覚悟だった。

 それすなわち、最深部にいる魔物までもが、夫婦の標的ともいえた。


「母さん、長い戦いになりそうだな」

「あなた、私たちならきっとできるわ」


 信彦は妻の顔を見て労わるように微笑んだ。

 洋子は夫の手に、自らの手を優しく重ねた。

 二人が歩み出した茨の道の先には、はたしてなにが待ち受けているのか。

 吉岡夫妻の復讐は、序章を迎えたばかりである。



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