第4話
翌朝の七時をちょっと過ぎたころ。
浩太が洗面所で顔を洗っていると、ピンポンパンポンとチャイムが鳴った。
さっと顔を洗い終え、玄関の扉を開けてみる。
するとそこにいたのは、両手にビニール袋をぶら下げた蘭子だった。
インスタント食品各種、飲み物などを届けにきてくれたらしい。
「おい、蘭子。ちょっと話がある」
「話? どうしたのよ?」
「いいから俺の部屋にきてくれ」
蘭子を二階の自室へと連れていく。
そして浩太は勉強机のイスに座り、ベッドに腰をかけた蘭子に向き直った。
「蘭子、俺さ、王子になったんだ。それも日本王国のな」
「はあ? あんた、なにバカなこと言ってんの?」
「バカげた話だが、この家の中ではそういう設定になってるんだよ」
「まったく意味わかんない。どういうことか詳しく説明しなさいよね」
「じつはな、この家に異世界人がいる。今はダンジョンの入口で魔物を見張ってるけどな」
「異世界人がいるですって!? どうしてそんなことになってんのよ!」
「昨日、おまえが帰ったあとにこんなことがあったんだよ――」
度肝を抜かす蘭子に対し、浩太は事の経緯を詳しく述べた。
昨夜に冒険者であるチャムという女の子と出会ったこと。
彼女の進入を阻止するために、日本王国の王子であると嘘をついたこと。
プレゼントした皿をチャムが割ってしまい、それを口実に彼女を配下に迎え入れたこと。
腕の立つチャムがいれば、魔物が襲ってきても心配いらないためだということを。
風呂場でおっぱいを揉んだ件だけは伏せておく。
「その子、よくそんな嘘を信じたわね……」
「まあ、こっちの世界の品々のすべてが、チャムにとっては高価なものに見えるらしいからな。それでなんとかごまかすことができた」
「でも浩太、その子がこの家から外に出たらすぐにバレるじゃん」
「だからチャムを外には出さん。この家の中にとどめて情報をシャットアウトする」
「いつかバレると思うけどね」
蘭子はあきれたようにため息をつく。
「もう、あとには引けないんだよ。というわけでさ、俺は王子ってことになってるから。話を合わせてくれよな」
「あたしは、どういう立場の人間ってことにするのよ?」
「ついでだ。おまえも親戚で王族ってことにしておく」
今日の蘭子の服装は、白地に花柄のワンピース。
異世界人からすれば、さぞ豪奢なドレスに見えるはずだ。
「どうなっても知らないわよ」
「まあ、なんとかなるだろ。よし、リビングに行くぞ」
階段を下り玄関フロアを通り抜け、浩太は蘭子とともにリビングに向かった。
カーテンが閉められてはいるが、正面奥には庭に通じる大きな窓がある。
右手はキッチン、左手の壁一面が消失し、そこから先がダンジョンだ。
その裏の部屋、両親の寝室から見ると壁があるので、ダンジョンはリビングからのみつながる異空間であると言える。
これが一階の主な間取りであり、異世界の脅威から全世界を守るための最前線だ。
チャムはというと、ダンジョンの少し先にいた。
岩壁に背を寄せながら地面に座り、魔物の襲撃に備えている。
「チャム、ちょっとこっちにきてくれ」
「はい、殿下」
浩太はチャムをこちらに呼びつける。
すると蘭子は持参した品をキッチンテーブルに置き、ビシっと直立するチャムと向かい合う。
「あなたがチャムさんね。あたしは浩太の親戚の坂峰蘭子。よろしくね」
「殿下のご親戚ということは、蘭子さまも王族ということになるのでしょうか?」
「ま、まあ、そういうことになるわね……」
バツが悪そうな顔つきとなるも、蘭子は予定どおりに王族を演じた。
でもその身に着けたワンピースは、ファッションセンターの特売で買った千円の安物だ。
浩太は幼馴染だからこそ詳しく知っている。
「わたしはチャム・ペデゴリー。わけあって殿下に忠義を誓いました」
チャムは深く腰を折って蘭子に頭を下げた。
「そんな、かしこまらなくてもいいから。あたしには普通に接してよね」
「そういうわけにはいきません。殿下のご親戚なら、蘭子さまにも忠義を誓うまでです」
「そ、それより、あたし、あれを届けにきただけだから! じゃあね!」
キッチンテーブルに置いた食品に指を差し、蘭子はそそくさと退去した。
忠義どうこう言われ、気まずくなったにちがいない。
「さすが殿下のご親戚です。とてもきれいなお召し物を着ておられました」
「チャムもあんな服を着てみたいか?」
「わ、わたしなどがあのような服、滅相もございません!」
そう否定はするも、チャムは紅葉したように頬を染め照れている。
革鎧姿の冒険者とはいえ、かわいらしい服に興味があるのだろう。
ワンピースぐらいなら買ってやれないこともない。
浩太は親の遺産(財布)から金をくすねておくことにした。
そんなところに――。
チャムが警戒の眼差しを浮かべてダンジョンの方を見やる。
「どうしたチャム、魔物か?」
「いえ、ちがいます。冒険者が二名、こちらに近づいてきます」
彼女の言うとおり、ダンジョンの奥に人影がふたつ。
五十メートルほど先から歩いてくるのが見てとれた。
「同じ冒険者なんだろ? そんなビキビキに警戒しなくてもいいんじゃね?」
「いえ、殿下。ある意味、ダンジョンで一番危険なのは冒険者です。盗賊まがいの輩は少なくありません。あの二人との接触が避けられない以上、警戒を怠るべきではないかと」
「なるほど、そういうわけか。よし、ここは俺が行く」
「殿下、危険です!」
「いいから、俺に任せておけ」
心配するチャムをよそに、浩太はダンジョンの中に立ち入った。
そして少し先で立ち止まり、冒険者の二人とコンタクトを試みる。
チャムだけに頼るのではなく、自らも異世界の脅威に立ち向かうことも必要だ。
すると二人の冒険者はリビングまでの距離、十メートルほどで足を止めた。
「あん? てめーは誰だよ?」
「ガキが俺たちになんか用でもあるのか?」
軽装の革鎧を身にまとう、二十代後半と思われる体格のいい男が二人。
見下したようなその目つきや口調からしても、ガラの悪そうな男たちだ。
「あんたら、ここから先は通さないぞ」
浩太はカバディの動きで道を封鎖した。
カバディについて説明している暇はない。
「ダンジョンはてめーだけのもんじゃねーんだよ」
「それともその先にお宝でも隠してあんのかよ?」
二人は腰から剣を抜き、威嚇しながらこちらへにじり寄ってきた。
浩太の背後からは、金属がこすれたような音が小さく響く。
チャムも抜刀した。
最悪の事態だけは避けねばならない。
「俺は日本王国の王子、吉岡浩太だ!」
「あん? 日本王国?」
「王子だと?」
浩太がドンとたたずむも、二人の男がひるむことはない
上はTシャツ、下はスウェット。
寝起きのままの格好なので王子としての品格に欠けていた。
彼らに舐められるのも当然だ。
それでも浩太の気持は揺るがない。
「ここから先は空間変異魔法により、俺の国につながっている! だからあんたらを通すわけにはいかない! 日本王国に入ることは、絶対に許さない!」
「ざけんなよガキ。空間変異魔法なんぞ、この世に使える奴がそういるかよ」
「そうだ、そうだ。バカも休み休み言えっつーの、このクソガキが」
むろん、空間変異魔法はとっさのブラフである。
しかし、ここから先が日本の領土であることだけは確かだ。
未来あるチビっこたちのためにも、絶対にここを通すわけにはいかない。
チャムの腕であれば勝てるかもしれないが、それは最後の手段。
相容れぬ異世界人だとしても、二人を殺すことは浩太も望まない。
そうともなれば、彼らと理解し合えるなにかを模索する。
そこで浩太はピンときた。
「なら、俺の国の料理を食べてみてくれ。あんたらが食ったことのない料理だ。そして、その料理がもしうまかったら、ここは王子の俺に免じて手を引いてくれないか」
「俺たちが食ったことのない料理だと?」
「辺境の国々も旅してきた俺らに、食ったことのない料理なんてあるわけねーだろ」
右の男は鼻でふんと笑う。
左の男はニタニタといやらしく口角を上げた。
「なら確かめてくれ。そしてもし俺の言うことが本当だとしたら、この先へ行くことはあきらめてほしい。それが俺の国のためでもあり、あんたらのためでもある」
「いいぜ、そこまで言うんなら確かめてやろーじゃねーか。なあ相棒?」
「でも条件がふたつある。もし俺たちが食ったことのある料理なら、その時点でアウト。もし食ったことのない料理だとしても、それがまずければそこでアウト。てめーを殺してでも、この先を進ませてもらう。それでもいいか? 王子さんとやら」
右の男は余裕の表情を浮かべ、トントンと刀身で肩を叩いた。
左の男は剣先を浩太に向けて条件をふたつ提示する。
「ああ、その条件でいい。ならちょっと待っててくれ。チャムはそこで待機だ」
「はい、殿下」
浩太はキッチンに赴き、ガスコンロでお湯を沸かした。
料理などはつくれないので、彼らに提供するのはもちろんインスタント食品。
蘭子が届けてくれたカップメンである。
どれにする――
どのカップメンにする――。
醤油味、シーフード味、天ぷらソバ、キツネうどん、などなどetc。
どの味であれば、この大一番を乗り越えることができるのか。
「やっぱ、これっきゃねーじゃん」
しばし考慮したのち、浩太はとあるカップメンを選択した。
子どもから大人まで好まれる、代表的な食べ物。
そう、それはカレーだ。
ならばこのカレー味のカップメンで勝負に挑む。
これをまずいと言った者が、かつていただろうか。
これが販売中止とならず、長年愛されてきた理由。
答えは至極単純、うまいからだ。
カップメンにお湯を注いで三分後。
浩太はそれをふたつ持ち彼らの元へ向かった。
「よくかき混ぜてから食ってくれ」
割り箸を添えたカップメン、それを二人に手渡し浩太は静かに時を待つ。
右の男は食べる前から、目を丸めた。
左の男もまた同じように驚いている。
すでにカップメンの容器ですらチート。
その洗練されたデザイン、熱伝導を防ぐ科学技術、異世界人にとって未知の領域。
容器に驚嘆しながらも、二人の男は割り箸で中身をかき混ぜる。
ダンジョンにふわっと漂う、スパイスの芳醇な香り。
そこにいる者すべてがゴクリと唾を呑む。
そして彼らは震える手で口に麺を運び入れた。
「こ、これは――」
「な、なんだと――」
男たちのギラついた獣の瞳が、無垢な幼子のごとくピュアなものへと変わった。
そのひと口を味わえばもう箸は止まらない。
麺をジュルジュルとすすり、スープをゴクゴクと喉に流し込む。
言葉はない。
本能に身を委ねるように、咀嚼と嚥下の二連コンボをただ繰り返す。
そして二人は顔を上げ容器を逆さにし、汁一滴残さずカップメンを完食。
しばしの余韻に浸ったのち、彼らは静かに口を開いた。
「王子さんよ、完敗だ。叩きのめされたぜ」
「その部屋の先に広がる宝物、大切にするんだぜ」
拳で語り合ったかのような笑みを浮かべ、二人は潔く引き返していった。
カップメンを食べさせる、たったそれだけのこと。
だが浩太は彼らとの死闘に勝利し、日本を防衛することに成功したのだ。
国民栄誉賞ものである。
「殿下、お見事です」
チャムは剣を腰に納めると、浩太に向けて深々と頭を下げた。
もし男たちと剣を交えれば、彼女もどうなっていたかはわからない。
大切な側近を失わずに済み、浩太はほっと胸を撫で下ろした。
「チャム、俺たちも朝飯食べようぜ」
「はい、殿下!」
もちろん朝食は二人そろってカップメン。
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