閑話 鍋田先生ランデヴー

本話は本編とはなんの関係もなく、楽しみながら書いていたら割と長くなってしまったので、読まなくても支障はないです。

鍋田先生(3話参照)についてのサイドストーリーです。


 午後10時を過ぎた高等学校。

 闇に満ちた校舎には、生徒はもちろんのこと、先生の姿もほとんどない。

 そんな学校の職員室の一角、そこだけ灯りがつけれあれぼんやりとした光の中で、1人の男が仕事をしていた。

 黒より白に近い髪と、最近シワが少し増えてきた風貌は、おじさんからおじいさんへと近づきつつある。

 眼鏡越しにスクリーンを見つめる細い目と薄い唇は、あるいは冷徹そうな雰囲気を醸し出しそうではあるが、いかにも中年のそれなふくよかな腹回りがいい感じに中和し、ゆるキャラ的な優しさを彼に与えていた。

 それに、細い目の奥をのぞき込めば、やさしい2つの目がまっすぐに見つめ返してくれるだろう。

 結婚指輪のはまった指がキーボードの上を行ったり来たりし、しばらくの間職員室にはその音だけが響く。


 カタカタカタカタ……タァン!


「んん~、終わった…」


 鍋田秀一(なべたしゅういち)教諭は最後に一つ強めにエンターキーをたたくと、背もたれに上半身を預け、伸びをする。


 ギシギシ、ぎしっ…


「…椅子もそろそろ買い替え時かもな」


 そんなことを言いながらもやっぱり不安になったので少し姿勢を正す。


 鍋田秀一教諭52歳。

 教員歴30年近くにして、この学校の古株の一人に名を連ねつつあるベテランだ。

 ちなみに担当教科は社会。


「さて……」


 ――テストも作り終わったし、採点まではそこまで大きい仕事はない。とりあえずはひと段落、か。


 机のわきの引き出しを開けると、カモフラージュのために雑多に詰め込んだ書類の山をかき分け――PSβ(プレイステーションベータ)を取り出した。

 日頃生徒からスマホを取り上げている立場上、知られるわけにはいかないのだ。

(というかほかの先生にも知られるわけにはいかないのだ)

 まあ、それ以上に重大な秘密があるわけなのだが。

 え?そんな隠すぐらいならスマホゲーをすればいいんじゃないかって?

「簡単にアプデできるスマホゲーと違ってこっちのほうがストーリーの奥が深いんじゃぁ!」

 とは彼の言い分である。

 電源ボタンを押すと少しして画面が明るく光る。

 画面上に浮かんできたホーム画面の壁紙の美少女をやさしくなでると、流れるような指さばきでパスワードを入力する。


「もう、秀一君遅いよ~」

「ごめんごめん」


 最小限に絞られた声にこたえた鍋田先生の細い目が柔らかく弧を描く。

 今彼がハマっているのは、最近発売されたギャルゲー『君のいる学校で』である。

 そしてそのメインヒロイン、夏服のセーラー服を着たショートカットの女の子、渚ちゃんは言葉をつづける。


「何で遅れたの?」


 ➤ちょっと寝坊して。ごめん。

 君のことを考えてたら眠れなくって。


 ――一見下のほうが好感度が上がりそうに見えなくもない。

 が、友人の今はまだ早い。

 引かれる可能性もあるな…

 それに渚ちゃんは正直な人が好きだろう。


「ちょっと寝坊して。ごめん。」

「正直なんだね。いいよ、許してあげる。あんまり無理しすぎちゃだめだよ?」

「ありがとう~。」


 渚ちゃんのセリフと『好感度+5』の文字に鍋田先生の顔がさらに緩む。

…教師が普段相手にしている生徒たちと同い年の女の子が出てくるギャルゲーをするのはさすがにまずいんじゃないだろうか?


「嫁さん以外の3次元の女には興味ないね」


……こういう奴に預けるのが案外一番安全なのかもしれない。

 そうこうしてる間にも渚ちゃん攻略は着々と進行中で。


「そういえば、今週末部活休みで暇なんだよね~」


 ➤へぇ、そうなんだ。

  そうなんだ。じゃあ、一緒に映画でも見に行く?


 ――さて、どうしたものか。

 親密度がビミョーなんだよなー。

 毎朝こうして一緒に行くぐらいにはなったから下でもいい気もするが、攻めすぎて引かれると少し手間だ な…まあ、それもそれで良いのだが。

 もし誘ってくれるのを待ってたんだとしたら上はそっけなさすぎるし…


「よし、正解はこっt――」 


 ガラッ


 ビクッ!!


 ガンッ!!


 急に正面のドアが開き、完全に世界に入っていた鍋田先生の肩が大きく跳ねる。


「つう……」


 机の下にぶつけた膝をさすりながら顔を上げる。


「ああ、佐藤先生…」


 佐藤智治(さとうともはる)。

 今年の新採用の数学教師。

 同じ学年団でベテランの鍋田先生が自然と教える形になり、いつの間にか変な師弟関係みたいなものが出来上がっていた。

 新人特有な熱血指導は生徒からの評判もいいし、外見はチャラいが、実はまじめなところも嫌いではない。

 最近なれなれしすぎる気もしなくはないが。

 …まあ、慕われているってことにしておこう。


「あっ、鍋田先生、お疲れ様っす。」


 ――お疲れ様です、だろ?……まったくいいとこだったのに…


「ああ、お疲れ様」


 返事をしながら目だけ動かして、なんとか机の下、ひざの上に隠したPSβな画面を確認して――


「一緒に映画でも見に行く?」


 !?


 ――おいまて、そっちじゃな――


「うん!!えへへ~楽しみだな~。」


 !?


 ――…なんか渚ちゃんのこんな表情見れてうれしいけどこいつのおかげっていうのがちょっと悔しいような…   いや、渚ちゃんはめちゃめちゃかわいいんだけど。


「鍋田先生…何か?」

「いやいやっ、なんでも、ないぞっ!?……それより佐藤先生は何を?」

「僕っすか?いや、家に帰ろうと思ってたんすけど、家に持って帰ろうと思ってた仕事を忘れたことに気づいて、明日でもいいかな~って思ったんすけど、まだ近かったんで、取りに来たんすよ。…鍋田先生は何してたんすか?」


「ああ、僕はテスト作りを、ね。」

「先生、持ってるクラ子ス多いっすもんね。ほんと、お疲れ様っす。」


 ――よしよし、どうやらまだばれてないみたいだな…


「ん、ありがとう。君のほうどうだい?授業にはもう慣れたかい?」

「ええ、もう、先生のおかげで完璧っす。本当に、ありがとうございます。」

「そうか、がんばれよ。」

「ありがとうございます。鍋田先生も頑張ってくださいっす。…じゃあ僕はこれで。お先に失礼します。」

「ん、お疲れ様。」

「お疲れさまっす。」


 佐藤先生がドアのほうへと歩き出したのを見て鍋田先生の体から力が抜ける。


 ――よし、何とか乗り切れ――


「あ、そう言えば先生、さっきなんでPSβ持ってたんすか?」


 ――てなかった――!!うおおおい!!なんでそこで思い出すよ?そのまま帰れよ!?なあ!?いつの気が利か ないくせにこういうことばっか気づきやがって…


「い、いや、PSβなんて持ってるわけ…何かの見間違いじゃないのかい?」

「絶対持ってましたって。僕こう見えて視力いいんすよ~」

「眼鏡なのに?」

「伊達っす。」


 パチクリキュピンッ


「そうか…」


 ――うをおおおい!!!だてぇ!?だてだとぉ!?えぇ!?その眼鏡引っぺがしてカチ割ってやろうか?あ  あ!?伊達ならいらんだろう!?


 まあこうなったら仕方がない。

 観念した様子の鍋田先生はしぶしぶPSβを机の上へ。


「うわっ、しかもこれ最新のやつじゃないすか。いいなぁ。…何のソフトやってたんすか?」

「ん?ああ、渚tyじゃなくて、その、ええと、あれだよあれ、あの有名なやつ…」

「有名な…あ、わかりましたよ!先生モン◯ンしてたんすか?」


 ――はい?モ◯ハン?化け物狩るより女の子狩ってた方が楽しいに決まってるじゃないか。…そりゃ◯ンハンも ある程度は極めたけどさ…


「いや、そうじゃなく――」

「いや~先生もモンハ◯してたんすね~。こないだ新しいの出てましたもんね。楽しすぎて仕事がすすないから今ちょっと封印してるんすよね~」

「そうか……」


 ――こいつ人の話聞かねえな…。ん?待てよ、こいつはチャンスじゃないか?このまま話を会わせれば…いけ  る!!


「あ、先生、あいつ倒しました?あの新しい奴っすよ。ガード硬くて全然ダメージ入んないんすよね~」

「ああ、あいつね。確かにちょっと強めだったなぁ」

「報酬いいから倒したいんすよね~」

「確かに、何回か行けば集会の手間が省けて楽だったな。」

「え?あいつそんなに気軽に何周もできるような敵じゃないと思うんすけど…」

「え?」


 ………


 二人の間に流れる沈黙。


「まじっすか?さすが先輩っす!!今度教えてください!!てか一緒にマルチプレイしてほしいっす!!」

「あ、ああ、いいぞ」


 デスクトップパソコンのスクリーンや書類の山で築かれた万里の長城越しに身を乗り出してきた佐藤先生に若干引きつつうなづく鍋田先生。


「やった!…そんなに強いってどんな装備してるんすか?ちょっと見せてくださいよ」


 !?


 佐藤先生が、教科ごとの先生の机でできた島を回り込んでこっちに来る。


 ――マズイマズイマズイ…


 ……どうやら調子に乗って藪をつついたら蛇が出てきてしまったようだ。

 いや、蛇というよりはツチノコが出てきたような…


「い、いや、今はその、ちょっと見せられないというかだな…」

「え~いいじゃないすか~。なんでダメなんすか?」

「いや、だから、その、とにかくだめだっ」

「いいじゃないすか~」

「や、やめろぉ~」


 PSβを抱き住めるようにして隠した鍋田先生は、くるくる回る椅子の上で、伸びてくる佐藤先生の手の上からPSβを守る。


 クルクルッ シュッシュッ クルッ シュッ クルクル シュッ クルシュッ


 この時ばかりは広い背中がありがたい。


「分かりましたよ。そこまでするんだったら諦めます…」


 ――やったぜ!!守り切った!!勝った!!勝ったぞい!!アイアムウィナー!!


「すきありっすよ!!」


 シュッ!


「あっ!?」


 時すでに遅し。

 つかみ損ねたPSβは鍋田先生の手を離れ佐藤先生の手へ。


 ――ま、まあいいさ、パスワードがかかって…かかって…

 ホーム画面!!

 今の壁紙は…なぎさちゃんだ!しかも事前予約者限定のバニーガール衣装のやつ!!

 あんなもの見られたら信用が…マズイマズイマズイ……


「あの、佐藤先生ちょっとま」


 ポチっとな


 佐藤先生の指が非情にも電源を入れる。


「ああああああああっ!!!」


 頭を抱える鍋田先生。

 対して佐藤先生の顔にははっきりと『シマッタ』と書かれている。


 ――ああ、終わった。俺の教員生活。なんか今にしてみれば楽しかったなぁ…


 花で縁取られた脳内スクリーンに流れるのは、楽しかった日々。


「ぐすっ………終わった………終わったよぉ……ぐすっ……」


 いつも生徒のヤローどもがやっているように机に伏せるとふて寝をする鍋田先生。


「何か…すいません…」

「ぐすっ……ほっといてくれ……」


 コトリ


 机にPSβが置かれる音がする。


「…じゃあ、僕は帰るんで、お先に失礼しますっ」


 気まずいのかそそくさと佐藤先生は職員室を後にする。


 ――おお、帰れ帰れ、さっさと帰りやがれ!


「あ、先生、今度はちゃんと充電しといて下さいよ~。僕も持ってくるんで、マルチ、お願いしますよ~」


 ――はいはい、さっさと帰れさっさと!…ああ、これからどうしよう…お好み焼き屋でも開くか……ん?充電!?


 ガバッ!!


 顔を上げた鍋田先生の目にPSβの画面に表示された『充電してください』の文字が飛び込む。


「………セーフっ!!よしっ!!」


 9回裏5対4,2アウト満塁で内野ゴロ、ぎりぎりのタイミングでヘッドスライディングした時の1塁塁審並みに大きく手を水平に広げた鍋田先生は、大きくガッツポーズ。


 ――まったく、心臓に悪い…







































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