第44話 命を賭けて戦う獣

 目が覚めると何時もの天井ではなかった。だけど見慣れた天井で、一番見たくない天井……。

 口元には人工呼吸器、腕中にいくつもの点滴が突き刺さっていた。

 ベッドの横を見れば、生命維持装置の機材が並べられていて、定期的な機械音を鳴らしている。

 左側を見ると今にも天寿を全うしそうな老人が、俺と同じように人工呼吸器を口元に点滴を刺して死んだように眠っていた。

 集中治療室ICUは相変わらず薬臭く、死臭が漂っていた。


 老人と反対方向から壁を叩く音が聞こえて振り向くと、ガラス越しに義兄さんと姉さんが俺に手を振っていた。現実で見る久しぶりの二人に違和感を感じる。

 涙を流している姉さんの隣には、メガネを掛けている見知らぬ美人が姉さんを抱いて喜んでいるけど、もしかしてこの人がジョーディーさん? ……名前だけは知っていて、現実だと初めて見るけど、顔だけ見ればジョーディーさんだ。腐っていても美人じゃん、なぜロリにした?

 点滴が刺さっていない方の腕に力を入れるが、やはり一人では自分の腕すら持ち上げる事ができず、視線を向けただけで、喜ぶ三人に応じた。


 ICUで半日過ごした後、体の調子が平常に戻ったので自分の病室に戻された。




 担当医の内藤さんから原因を聞きたいと呼び出しを受けたので、病院のVRルームにログインする。

 何時ものVRの病室には内藤さんの他に、義兄さんと姉さんが俺を待っていた。そして、二人とも心配そうに俺を見ていた。


「それで俺はどれぐらい眠っていたんだ?」

「丸一日ってとこだな」


 空いている椅子に座って俺の昏睡時間を尋ねると、内藤さんが教えてくれた。


「なんだ、この程度なら良くある事じゃん。ICUとか少し大袈裟じゃない?」

「心拍数が二回程35以下まで落ちたんだぞ、少しは自分の体を大事にしなさい。体内に埋め込んだ管理チップが知らせなきゃ死んでいたかもしれん」

「うは、よく死ななかったな」

「まったくだ。意識を失っていたと思ったらゲームをしていたなんてシャレにならん。そのまま死んだらどうするつもりだ」


 怒られながらも安堵の溜息を吐く。心拍数35以下って平均の半分じゃん。


「それで、零ちゃんは大丈夫なのですか?」


 姉さんが尋ねると、内藤さんが頷く。


「今は全く問題ないですね、一時的な物だったのでしょう。絶対とは言えませんが、ひとまずは大丈夫だと思います」


 それを聞いて、心配で青ざめていた姉さんがようやく落ち着きを取り戻していた。


「ところで零君。原因について何か心当たりはあるかい?」


 足を組んで手に顎を添えて考える。


「心当たりも何もここ数年は浴室に入る時しかベッドから出てないから。それは内藤さんだって知っているはずでしょ」

「ああ、ではVRでは?」

「VR? 姉さんに誘われてネットゲームを始めたぐらいかな」

「どんなネットゲームだ?」


 三人でM&Sについて内藤さんに説明した。


「ふむ。聞く限りだと別に普通のゲームだな。もっとグロテスクで虐殺的なゲームだったら、心臓発作で老人が死んだケースがあったけど、この程度なら問題ないだろう」


 それを聞いて義兄さんと姉さんがほっと溜息を吐いた。

 まあ、自分達が誘ったゲームで俺が死んだらさすがに後悔するだろう。




「それじゃ、俺は次の患者が待っているからそろそろ行くか。零君、筋肉を付けろよ」

「「先生、有難う御座いました」」

「…………」


 それキメセリフなのか? 絶対に変だぞ。

 俺が手を振って、義兄さんと姉さんがお辞儀をする。

 内藤さんは笑顔で答えてからじっくりと俺を見ていた。ん? まだ何か用があるのか?


「そういえば零君、頬の傷は何時付けたんだ?」

「傷?」


 頬を触るが別に違和感はない。


「いや、ここはVRだから傷は付いてないが、現実の君の左頬に刃物で付けた様な傷が有ったからね。最近VRでしか会ってなかったから俺も初めて知ったけど、また病院で何かあったら直ぐに言うんだぞ。じゃあな」

「「「…………」」」


 過去、この病院で有った俺に対する悪戯の事を触れたのだろう。俺に忠告すると内藤さんはルームから消えた。

 内藤さんが消えても俺達は無言でいた。内藤さんの最後の言葉「頬の傷」それの心当たりは一つしかなかった。


「……やっぱりゲームの傷か?」


 内藤さんが消えてから義兄さんが尋ねてきたが、俺だって驚いて頭が真っ白だ。


「現実で傷を付けた覚えはないよ。だけど、ゲームで付いた傷が現実でも付くなんて話は聞いたことがない」

「ああ、でも他で考えられる要因がない事も事実だ」


 義兄さんが言っていることは正しい。だけどまだ信じられない。

 ゲームで付いた傷が本当に現実に残る物なのか? 待てよ、だとしたら……。


「義兄さん、俺の心拍が低くなった時間は分かる?」


 俺の質問に対する答えは姉さんが教えてくれた。


「私が聞いたのは21時と0時って聞いたわ」

「……俺が死にかけた時間と一致する」

「「……!?」」


 21時はアシッドとの戦闘の時間だし、0時はアルサの毒で死にかけた時間だ。ここまで来ると偶然とは思えない。


「確定かなぁ。確かにゲームのダメージが俺の体に影響を与えているね」

「零ちゃん! これ以上は危険すぎるわ。私達もゲームを止めるから、もう止めましょう」

「そうだな。零だけゲームを辞めさす訳にもいかない。杉本さんや笹塚さんには俺から話をする」


 ちなみに、笹塚というのはチンチラの現実の名前で、『笹塚 千恵子ささづか ちえこ』と言うらしい。

 ……仕方がない。姉さんと義兄さんには悪いがここで俺はリタイアだ。ゲームで死んだら現実で死ぬかは分からないけど、検証するにはデメリットが高すぎる。


「分かった。でも姉さんと義兄さんは辞める必要はないよ。せっかくゲームも面白くなってきたところだし、俺抜きで続けなよ」

「でも……」


 姉さんが口を開ける前に遮る。


「急に三人抜けたら、向こうだって困ると思うしね」


 固定パーティーで一気に半分も抜けたら、残った人だってモチベーションが下がるに決まっている。俺だけなら兎も角、特に義兄さんみたいな盾職を探すのは難しい。

 だけど、義兄さんは首を横に振って俺の提案を拒否した。


「いや、俺達も抜ける。零、無理するな」

「うーん、何か逆に二人に悪い気がするんだけどなぁ」

「気にするな。ゲームなんてしょせん遊びだ。常に新しいのが出るんだからそっちで遊ぶさ」


 まあ、いいか。本人達が辞めると言うなら、これ以上、俺も言うのを止めよう。




「はぁ……」


 思わず溜息が出た。

 ここ二、三日は体調が良かったから油断した……かなぁって…………あれ?

 そういえば、ゲームを始めてから確かに体調が良くなっていた。何でだ? ゲームで何をした…………思い当るのは……。


 ポーションか!!


 初日にログインしたときは婆さんの家でポーションを飲んだ。

 二日目は? そうだ! 草原でチンチラと一緒に市販のポーションを一緒に飲んだ。あれは不味かった。だけど、その後のログアウトで普段より体調が良かった記憶がある。

 だとしたら、ポーションを飲めば回復するってことか? 待て、それなら俺の病気だって治っているはずだ。

 多く飲めば回復する? それも違う! それなら一日目より二日目の方が体調は良くなっている筈だが、一日目も二日目も俺の感じでは同じ体調だった。

 だったらもっと効果のある薬なら? 確か、婆さんがハイポーションが存在すると言っていた。それを飲んでみれば……。


「……零ちゃん?」


 沈黙している俺を訝しんで姉さんが声を掛けるが、今の俺はそれどころじゃない。

 もしかしたら自分の病気が治るかもしれない。


「零ちゃん!!」


 黙ったままの俺を心配した姉さんが声を荒らげたので、思考を止めて二人を見る。


「もしかしたら、俺の病気が治るかもしれない」

「「え!?」」


 驚く二人に俺の持論を説明する。


「つまり、ゲームで薬を飲めば回復するかもしれないってことか?」


 義兄さんの質問に黙って頷く。


「チョット信じられないな」

「だけど実際にポーションを飲んだ後は体の調子が良いし、死にかけた時は現実でも死にかけた。辻褄は合っている」

「確かに、試してみる価値はあるか……」


 義兄さんが俺の考えに疑問を感じつつも納得する。


「でもβではハイポーションはなかったわ」

「NPCからハイポーションの存在は確認している。きっとある」


 ここまで話して、義兄さんが方針を決める。


「そうか、だったら俺達が取ってくるから、零は待っていろ」

「いや、俺も行くよ」

「危険だわ!!」


 俺もログインすると聞いて姉さんが叫ぶ。

 少しヒステリックになっているのか、何時もの笑顔は消えて感情が激しい。


「零ちゃん!! 駄目よ、許さないわ。下手したら死ぬのよ!!」

「綾の言うとおりだ、零は待ってろ!」


 義兄さんと姉さんが反対したけど、皆に任せて自分だけ待っている? そんなのはゴメンだな。


「このままでもどうせ死ぬんだ! 他人に命を預けるぐらいなら、血反吐を吐いても俺は自分で戦う!!」


 俺は立ち上がると、二人を真剣な眼差しで睨み叫んだ。

 二人に叫んだ? いや、違う。これは俺自身に叫んだ言葉だ!!

 生きるためなら俺は戦う。元々未来なんてない! だったら今を全力で足掻いて生きてやる!!


「……いつまでも皆の迷惑になりたくないんだ」

「「…………」」


 最後に顔を下に向けて静かに呟いた俺の本音に、二人は答えることなく沈黙したままだった。




「……分かった。零、お前もログインしろ」


 沈黙の時間が長く続いたが、俺の固い意思に義兄さんがゲームを許可した。


「良ちゃん!」

「綾、言いたいことは分かる。だけど零の気持ちも理解するんだ」

「でも……」


 泣き出した姉さんの肩を義兄さんが抱きしめる。


「ただし、零! 今までみたいな無茶はするな」

「分かっている、俺だってすぐ死にたくないからな」

「やっぱり、私は反対だわ」


 姉さんが首を振って俺を見る。


「姉さん……」

「だって死ぬかもしれないのよ。ゲームは現実よりも危険がいっぱいだわ。いつ死んだっておかしくないのよ」

「そのぐらいは分かっている。でも、姉さんだって言ってたじゃないか、ローグが居ないと先に進めないって。俺以上のローグが他に居るかい?」

「……分かったわ。だけど良ちゃんの言うとおり無茶は駄目よ」


 泣いていた姉さんも笑顔を取り戻し許してくれた。やはり美人は笑っていた方が良いと思う。


「ああ、そうだ。皆にはこの事は内緒にしていてね」

「何でだ?」

「気を使われると嫌だから」

「うーん。しかし……」


 義兄さんが渋い顔をする。


「考えてもみなよ。戦闘が始まるたびにベイブさんが「レイは後ろで待機してろ」なんて言われて下がったら全滅とか、ジョーディーさんが義兄さんよりも俺の回復を優先した結果、義兄さんが死んでパーティーが崩壊とか、どっちにしても俺は死ぬんだぜ」

「……嫌な例えだけど、確かにあり得る」

「そうね。気は進まないけど内緒の方が良いかも」


 二人とも俺の例えを想像して納得したみたいだ。


「じゃあ今日から改めてよろしく」

「あ、今メンテだぞ」


 ズルッ!


 義兄さんの返答に思わず足が滑った。せっかく気合を入れたのに運営、空気を読め。


「何で?」

「さあ、理由は知らないけど終了時間未定のメンテナンスが入っている」

「あっそ」

「まあ、その間でゆっくり体力を回復するんだな」


 しばらく二人と談話した後、義兄さんと姉さんはルームからログアウトした。

 二人が消えた後、俺はソファに寄りかかって上を向いて目をつぶる。


 病気が治れば諦めていた人生を手に入れることができる。

 理由は分からないがそんなのはどうでもいい。生きるためなら悪魔にだって魂を売ってやる。

 俺はVRでは付いてない頬の傷がある箇所を触れる。


「アシッド、感謝するぜ」


 呟いた俺の言葉はVRの空間を静かに響かせた。




『ガンバルローグ 1章 終』


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