第6話 忘却:どうせきょうはやすみだから

 愕然とした。俺はあまり超能力だとか、超常現象だとかいうものを信じる人間ではないのだが、目の前、いや、今自分自身に起きている事実を受け入れなければ説明がつかない。

 覚えていないのだ。名前以外。

「な?不思議だろ?」

ヤスリは目をこすりながら軽く言う。

「どういうことですか!?名前とあとは・・・メンバー。弾正台の一員だってことしか思い出せません!」」

「俺も今そうだ。」

「なんでそんな悠長なんですか!」

 言葉にした瞬間自分が動転している事に気づき平静を取り戻す。

「す、すいません。」

「いや、いいんだ。・・・俺もそうだった。今でさえも。『カジャ』っていう名前は分かるんだ。けどよ、そいつがどんな顔してたか、どんな声だったか、あまつさえ男か女かも分からねえ。それは・・・なぜか怖かった。自分がひろっ・・・。いや、それは言わなくてもいいか。」

ヤスリは言葉を濁す。言葉を濁したとき、ヤスリの顔に影が落ちた。

「・・・いつか話してください。」

「まあ、そうだな。いつか、な。」

「おはよう。」

 二階から眠気を拭い切れていないような声が聞こえた。声の方向を向くと、そこには白髪の少女がいた。短い髪は寝癖だろうか、ありとあらゆる方向に伸びていた。もしやこの娘が・・・。

「・・・?なに?」

 少女は無表情でこちらを見つめる。なんときれいな瑠璃色だろうか。瑠璃の目は目の前の俺を通り越してどこか別の物を見ようとしているかのようだった。その目に一瞬言葉が詰まったが、なんとか言葉を声にする。

「君が、カジャ、ですか?」

「・・・そう。カジャ。」

「・・・。」

「・・・。」

 気まずい。あまりしゃべるタイプの娘ではないようだ。助けを求めようと、ヤスリの方に顔を向ける。

「ま、そういうことで、」

 ヤスリは俺の方を見て急に改まった口調で言った。先程の影はすっかり失せている。

「百舌鳥アカ君!君を警隊の便利屋こと弾正台の正式なメンバーとして迎え入れよう!よろしく!ほどほどに命をかけてもらうぜ!」

 わざとらしく敬礼をする姿は少なくとも俺が今日まで見てきたヤスリの姿の中で(ふざけた言葉を除けば)一番警隊官らしかった。(もっとも、寝巻きだったので一般的に見ればただの敬礼をしたおっさんに見えるだろうが。)

「そんな姿で言われてもねえ。」

 と、キトラが階段を下ってくる。なんと、もうスーツ姿だ。

「とにかく、よろしくね。アカ。」

 ・・・あれ?この人も?

「あの・・・。カリ・・・。」

 キトラは白い歯を見せ、ニカッと笑う。

「なんてね。カリ。」

 ・・・失礼なことかもしれないが、この人と話すと疲れるのかもしれない。

「えっと、今日は何かすることありますか?」

 なんとか仕事の方に話題を移そうとする。

「ヤスリ、夜の間になにか来てた?」

「いや、来てなかった。昨日なんか言ってたやつがいたが、まあいいだろ。」

「じゃあ・・・。」

「ああ、そうだな。」

ヤスリは急に両手を広げ、言い放った。

「お前ら!今日は休みだ!どっか行きたいとこあるか!?」

「へ?」

「・・・パーカーと蕎麦。」

カジャは呆気にとられた俺をよそに質問に即答した。そして・・・。

「蕎麦って・・・。」

「・・・何?」

「いや、なんでもないです。」

 出掛かった「渋いな」という言葉をギリギリのところで飲み込む。

「アカリは、行きたいところある?」

 キトラが心配そうな顔で改めて俺に問う。

「いや、ありません。」

よし。と、ヤスリは手を叩くと、

「じゃあ、カジャの新しいパーカーと蕎麦、食いに行くぞ!」

「・・・楽しみ。」

 カジャの顔は相変わらず無表情だったが、どことなく瑠璃の目が輝いているようにも見えなくもなかった。


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