なんということもない、ある日の晩酌

 お土産があるから取りに来いと言われて出向いた実家で渡されたのは、イナゴの佃煮だった。どうやら母が友達と長野の温泉へ行ったらしい。

 イナゴの季節には早いはずだが。まぁ好きなのでありがたくいただく。

「てか地酒は?」

「え?」

「だから地酒。絶対買ってきただろ、なんか」

「もう」

 せっかくイナゴの佃煮があるのなら、おいしいお酒が飲みたい。母が自分用に買ってきたらしい喜久水を強奪……いや、分けてもらう。

 珍味があって旨い酒があって。あとはソバでも茹でたら、なんとなく信州っぽい晩酌になっていいんじゃないだろうか。

 そういうわけで、ついでにソバももらって帰っていいですか?



 ソバはざるにして、付属のつゆを器に出す。二人前もらったので彼方かなたにも一人分のつゆをつけられる。

 六畳間へ運ぶと、彼方かなたはすでに小テーブルの上で待ち構えていた。

「お、できたか! 今日はなんだ?」

「ソバだよ」

「おお、いいな。俺はソバにはちょっとうるさいぞ」

 どうやら彼方かなたの世界にもソバはあるらしい。そしてうるさいらしい。

 でも新ソバの季節とかじゃないし、道の駅で買えるようなお土産のソバなので、そんなに期待されても困る。

 彼方かなたはざるソバを見て少し悩んでから、いつもの勇者の槍をひっぱりだした。それでくるくるとソバを取ろうとする。ソバはつるつるっと逃げる。取ろうとする。ソバは逃げる。結局取れなかった。

「むう」

 腰に手を当てて口をとがらせた彼方かなたは、やおらもう一本槍を取り出す。いつものよりも大きくて、穂先が十文字になってる凶悪なやつだ。

「てぁ!」

 ソバになんの恨みがあるんだというような気合いを込めて、二槍流でソバを絡め取った。

「……おお、お見事」

「なぁに、このぐらいの槍術、朝飯前だ」

 ソバをつゆにつけて機嫌良く答えたが、そこからが大変だった。つゆを纏ったソバはつるつる度がはね上がるらしい。器の中のソバはとにかく勇者の槍×2から逃げまくる。それを口に運ぼうなんて、どだい無理なお話だった。

「…………」

 彼方かなたは、勇者の槍を黙って置いた。そしてソバを手で掴んだ。ずるずるっと気持ちよく啜りこみ、もぐもぐと勢いよく咀嚼する。

「ふむ、こっちのソバも、まぁなかなかだな!」

 分かったようなことを言った。本当にソバの味が分かっているかは、さてどうだろう。

「そりゃ良かった。信州の酒もあるからどうぞ」

 もらってきた長野の酒喜久水をそれぞれの飲み口に注ぐ。キラリと目を光らせた彼方かなたが即座に手を伸ばしてきた。こくりと一口飲み、大きく頷く。

「ほう、この酒も旨いな。ソバに合うぞ」

 ご満悦らしい彼方かなたはさておき、俺も自分の酒を楽しむ。うん、旨い。これはすっきりした口当たりで、どんどんいってしまうやつだな。

 うっかり飲み終わる前にと、土産のイナゴを器にあける。濃い目に煮付けられてつややかに光っている。見た目が虫だから駄目な人は駄目だろうけど、甘じょっぱくてカリカリしてておいしいと思う。

 イナゴをつまみながら酒を飲んでいたら、彼方かなたが口をあんぐり開けていた。

「……どうかした?」

 わなわなと震え、人の顔とイナゴとを交互に指さす。

「――おま、それ……虫、じゃねぇか……」

「え、うん」

「そんなもん食べて……そんな、そんな食うに困ってんのか……?」

 あれ、ひどい言われよう。買おうと思うとお安くないのに、イナゴの佃煮。

「いや、困ってないけど。え、お前、イナゴ食べないの?」

 ぶんぶんと首を横に振る彼方かなた。なんとなく平気で食べると思っていたから意外だ。

「だって、それ。虫だろ!?」

 信じられないという顔で言う。

「うん。おいしいよ?」

「いやいやいや。あり得ん」

「そっか」

 まぁ無理に勧めるものでもない。器を自分に引き寄せて、彼方かなたから離した。

「……お前、虫食べんの好きなのか?」

 一人でカリカリつまんでいると彼方かなたが恐る恐る聞いてくる。

「虫ならなんでもってわけじゃ。というか、イナゴの佃煮しか食べたことないけど」

 蜂の子とかは、たぶんムリ。

 そうか、と彼方かなたが眉間にシワを寄せ腕を組む。

「……どした?」

「うーん、いや。なんかお前があんまりうまそうに食ってっから」

 なんだかんだ興味はあるらしい。

「珍味だよ。酒とも合うし」

「つっても、まんま虫じゃねーか」

 そっと近づき、器をのぞき込む。

「小エビ食べるのとそう変わんないと思うけどね」

「ああ、うん、まぁ」

 口ごもりながら、そっと一匹取りあげた。……ああ、彼方かなたが小さいから、イナゴがすっごく大きく見える。そんなイナゴと目と目で見つめあったら、そりゃ食べづらいだろう。

 結局彼方かなたはイナゴをそっと戻した。

「…………」

 手についた佃煮のたれを舐める。そこで「おっ」と表情が変わった。

「まわりの黒いやつ、うまいな」

 もう一度器をのぞき込み、うんうんと逡巡し続ける。それを肴に俺は酒のおかわりを飲むことにした。うん、どんどん飲めるな。

「…………ものは試しだ」

 とうとう勇者は決意した。そんな決死みたいな顔で食べるほどのものでもないと思うが。面白いので放っておく。

 イナゴの佃煮を品定めし、外れていた足を見つけてそれを掴む。持ち上げ一眺め。が、どう見ても虫の足。ちょっとおののきつつ、そっと口へ運び――。

 カリッ。

 目をつぶって先っちょを思いっきり齧った。カリカリカリと咀嚼。そして。

「…………お、うまい」

 目を見開いた。

「うまいな! 甘じょっぱくてカリカリしてて。虫の味はしねぇ!」

「そう、そりゃよかった」

 彼方かなたは瞬く間に一本食べきり、酒をぐいっと呷った。

「くはぁ、うめぇ!」

 にこにこと存外気に入ったようだ。

「いやぁ、こんなにうまいなんてな。食べてみるもんだな」

 次を物色し、また外れた足を拾い上げる。さすがに本体を頭から丸齧りする度胸はないのだろう。彼方かなたが齧るには少し大きいから、しょうがない。

 まぁでも、こちらとしてもイナゴの足がうっかり歯茎に刺さると痛いので、食べてくれるのなら好都合でもある。

「これ、先に足を外しちゃおうか」

「おお、いいのか? そりゃ助かる」

 彼方かなたが食べるならと二人で片っ端から外してみる。彼方かなたは喜んだが、……イナゴの足の山盛りとか、見てくれが非常にアレだな。そっと視界から外した。

「こんなにうまいなんてなぁ。食わず嫌いは駄目だなぁ」

 ニヤニヤ顔で何度目かのつぶやきをもらしつつ、彼方かなたが足をくわえる。……そんな口から足生やして、あんなに嫌がってたやつとは思えない姿だ。

「そうだ! こんな虫ならたくさんいるし、簡単に捕ってこれるぞ!」

「食べません」

 彼方かなたがつまらなそうに、くわえた足をくるりと動かした。



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