個人的には牛でも豚でも

 仕事からの帰り。アパートの階段を登ったところで、隣の部屋の人とばったり行き会った。安アパートの廊下は狭い。軽く挨拶しながら右に避けたら、隣の人ベトナム人のグエンさんはなぜか手を叩いた。

「いいところで。ちょっと待ってて」

「はぁ」

 端的な言葉を残し、部屋へ戻っていく。なんだろうと思っていると、間もなくグエンさんは小鉢の器を手に出てきた。

「これ。どうぞ」

「あ、どうも」

 にこにこしているグエンさんから受け取る。湯気の立つそれは、一見すると肉じゃがのように見えた。

「えーと。これは……?」

「え、肉じゃが」

 肉じゃがだった。

「なんでまた突然」

 別に仲が悪いとかではないけれど、でも手料理もらうほど親しいかというと、微妙。用でもなければ顔を合わせる機会自体少ないし。

 しかしグエンさんは、あれっという顔で言った。

「食べたいって言ってたから」

 うーん、言った覚えはないけどなぁ。でも、せっかくの心遣いだ。それ以上は聞かず、礼を言って別れた。



「お待たせ」

 彼方かなたに声をかけながら、買ってきた惣菜をテーブルに並べる。最後にもらった肉じゃがを真ん中に置いた。

「お、なんだ?」

 明らかに出来合いではないそれに、彼方かなたが首を伸ばす。

「ああ、隣の人のおすそ分け。肉じゃが」

 ほっくりと煮崩れ知らずのじゃがいもやたまねぎは見事な飴色。肉はどうやら牛らしく、小さい角切りで大胆に入っている。うん、実においしそう。グエンさん、料理うまいんだなぁ。

 匂いにつられたのか、彼方かなたがさっそく肉へ短槍を刺した。

「ほお、これが噂のグエンの肉じゃがか」

「うん。……うん?」

 なんかさらっと言ったけど。え、ちょっと待て。

「なんだ、『噂の』って。どういうことだよ?」

「どうって。本人グエンが言ったんだ、得意料理は肉じゃがだって。今度食べさせてくれるって」

 ……確かにグエンさんも「食べたいって言ってた」って言ってたけど。言ってたのは彼方かなただったってことか。いやいやいや。

「ってか、隣の人グエンさんと知り合いなのか、お前!」

「? そりゃな。隣に住んでるんだもんよ。知らないわけないだろ」

「………………………………………………。」

 そんな当然って顔で言われても。まさか顔合わせてるなんて知らなかった。思ってもみなかった。

「なんか、問題でもあったか?」

 黙り込んでしまったので、彼方かなたがちょっと及び腰で聞いてくる。

「いや、別に。問題はないけど」

 騒ぎにならなかったなら問題はないのだ。しかし彼方かなたにそのあたり、この世界の人間との接触にリスクがあると分かっているのかどうか、ちょっと不安。

「そうか。なら良かった」

 彼方かなたは胸をなで下ろし、うまそうに肉じゃがを食べ始める。出遅れた。追って箸をつける。

 グエンさんの肉じゃがは、見た目通り大変美味だった。これは確かに得意料理だろう。グエンさん、和食上手。

「グエンは料理はなんでも上手だぞ」

 酒も飲んで饒舌になった彼方かなたが言う。

「へえ?」

「グエンが昼間いる日はな、行くと昼飯もらえるからな」

「へえ」

 ……さすが彼方かなた。ちゃっかり手料理をご馳走になってやがった。



 その次の土曜日。グエンさんが仕事から帰ってきた音を聞きつけて、隣のチャイムを鳴らした。

「ごちそうさまでした」

 お返しの奈良漬けを詰めこんだ器を返す。

「肉じゃが、どうだった?」

「おいしかった。彼方かなたもめっちゃ喜んでた」

 グエンさんが満足げに微笑む。

「しかも、なんか彼方あいつがよくご飯もらってるようで。ありがとうございます」

 いやぁ別に、と特に迷惑そうでもないグエンさんの様子にほっとする。

「……それにしても。初めて見たとき驚かなかった?」

 ついでなのでそっと聞いてみる。グエンさんは一瞬「なにが?」という顔をしたが、すぐに「ああ、カナタさん」と頷いた。

「まぁ、驚いたけど。でも、アニメで見たことあったから」

 アニメ? アニメ。アニメ!

「カッパだね、カナタさん。すぐに分かったよ」

「うん。うん、まぁ。かっぱ。そう、かっぱ」

 間違っちゃいない。間違っちゃ。

 さすが日本にはなんでもいるねぇとグエンさんが感慨深げに言ったから、一応重ねて説明しておくことにした。

 ただのかっぱじゃなくて、異世界の勇者なんですよ、と。

 グエンさんは「さすがだ!」と超嬉しそうに手を叩いた。



 なんら問題はないんだけど。釈然としないのは、なぜ?



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