31.君は花風のごとく、白き花霞揺れて(六)

「匂い袋、もらいましたよね」


「これ」


「これ、あの時あの部屋で山南さんが作りました」


「あん時、先生が?」


「山南さんが…驚いたな」


「前から約束してたんです」


「これを作る約束?」


「それが果たせないまま、あの日が来てしまって…」


「そう…」


「明里さんに切腹を知らせた後、山南さんに呼ばれて話をしました」


「それじゃ、その時に?」


「うん、切腹の前に何させるんだって話ですけど、約束を果たしたかった」


「明里さんが屯所に着く直前にできあがったものなのか…」


「どうしても山南さん本人の手で明里さんに渡してほしかったんです」


「なんで…」


「一からすべて自分で作って、明里さんに贈りたいって照れてながら。だから…」


「先生がうちのために?」


「生地も、飾り紐の色も選んだのは山南さんです。縫ったのも、お花を入れて紐を結んだのも全部です」


「そんなこと一言も言うてへんかったのに…」


「この中には山南さんの想いや魂が込められてるんですね」


「せやね…」



さっき手渡した最後の沈丁花がこぼれ落ちないよう、和紙をそっと持ち上げた。


目をとじて、香りを吸い込んだ。



「ほんなら、これも一緒に入れてええ?」


「そうしてもらおうと思って持ってきました」


「そやけど、先生がいっぺん結んでくれた紐、ほどいても平気やろか?」


「大丈夫です。沈丁花の別名は千里香だって、山南さんが言ってましたから」


「千里先まで香りが届くってことだね。届きますよ、山南さんのところまで」


「堪忍え…」



香りごと胸に抱きしめる。


声が詰まり言葉が途切れた。



「“春されば まづ三枝さきくさの さきくあらば  のちにも逢はむ な恋ひそ吾妹わぎも”」


「なんで…かれんちゃん、知ったはるの?」


「え?」


「その歌、うちがいちばん好きな歌やって、話した?」


「いえ、山南さんが教えてくれました」


「それ、ほんま…?」


「山南さんも好きな歌なんだなって思って聞いてました」


「うちのこと、よう分かってはるんどすなぁ、先生…」



匂い袋を見つめて話しかけた。


今ここに山南さんがいるような感覚になった。



「わたしには、山南さんから明里さんへの言葉に聞こえたから、絶対伝えなきゃって」


「そうかもね…。万葉や平安の時代には、想い人に和歌を贈り合ってたんだもんね」



穏やかに恋を育んでいたふたりを分かつ、別れの悲しい歌だとばかり…。


自分がいなくなった後の恋人の幸せを願う。



僕が生まれ変わるのが早いのか、君とあの世で逢うのが早いのか。


それは分からないけれど。


そのときには、君の幸せな笑顔を見せて。


幸せでいれば、また逢える。


僕には君ひとりだけ。


君だけを待っているから。



そんな意味もあるのだ、と。


少なくとも、山南さんはそう解釈していたんじゃないかな。



「口には出さないけど、瞳は間違いなく明里さんを見つめてました」



愛おしそうに、でもそれが切なくて。


胸が締め付けられた。



「たったひとときの恋のときめきだけじゃないんだなって」


「分かる気がする。瞬間的じゃなく、ずっとね。そんな恋にめぐり逢えるってすごいですよ」



姿は見えなくても、背中を押してくれたり、手を差しのべてくれたりして、これからも続いていく明里さんの人生に寄り添うのだろう。


生きてそうしてほしかった。


その言葉をぐっとこらえて呑み込んだ。


それは誰でもない、明里さん自身がそう思っているだろうから。



「藤堂先生の前ですんまへん。正直、まだ新選組には会われへん。今、目を背けんと、恨んでしまいそうや…」


「いえ、そう思って当然です」


「いややわぁ、ふたりとも泣かんでよ…泣いたら悲恋になってしまうやないの」



わたしの左右の頬を流れる涙を拭いながら。



「先生とのこと、悲しい話にしたないんや…」



なんて強い人なんだろう。


いや、強いというのは違うのかもしれない。


本当はまだ涙に暮れる日もあるだろう。


瞳を閉じても、繰り返し心に思い浮かぶ人は山南さんだけで。


ともに過ごした日々は色褪せることなく、無限に無条件で輝いているのに。


現実は残酷で、山南さんだけがいない。



「けど、かれんちゃんは別や。これからも仲ようしてな?」



大津からの帰り道、山南さんの言葉を思い出した。


“明里とずっと仲良くしてやってくれ”、と。



「はい、ずっとです…」


「おおきに」



髪から櫛を抜いた。


黒々とした髪によく映える、朱色の半月型の櫛かんざし。


金色、緑、白、橙。


朱色に施された蒔絵が美しい。



「持ってて」


「大切な物なんじゃ…」


「先生から戴いたものはぎょうさんあるさかいに。心を戴いたんが何より」



右の手のひらに乗せられた想いを見つめていた。



「これ見るたんびに思い出してほしい。先生とうちが出逢うて、恋に落ちて、心を通わせてたこと」



しつこいほど頷く。



「藤堂先生にも…お願いできますやろか?」


「もちろんです」



いちばん悲しいのは忘れられてしまうことだ。



「わたし、証人ですから」



幕末にわたしが出会ったその人たちは。


いつまでも、いつまでも、憧れの恋人です。


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