31.君は花風のごとく、白き花霞揺れて(五)
「銭湯に行って、ごはんもご馳走してくれた。初めて会ったその日にだよ。通りすがりに偶然見つけた奴に、そんなこと普通できないよ」
「うん、そうだね」
「今思えば、同じ年頃の沖田さんを思い浮かべて、私に声をかけてくれたのかもしれないなって」
平助さんと土方さんとの間に、そんな過去があったなんて。
平助さんもここに来るまで葛藤とか試練とか、乗り越えて強くなったんだ。
自分が悩んだ分、相手の痛みも分かる。
「実はね、藤堂
「そうだったの」
「若気の至りってやつかな。いつも表では強気に見せてたけど、内心は少しのことで揺らいでしまう弱い自分が情けなくてさ」
「そういうの、誰でもあるよ」
「“今牛若”なんて呼ばれて笑っちゃうよ」
「そんなことない。平助さんは思いやりも、勇気もあるもん」
「ありがと」
「だから今牛若なんだよ」
「あの時、土方さんがかけてくれた言葉、一字一句忘れたことはないよ」
「土方さん、何て?」
「“せっかくいい剣の腕を持ってるんだ。北辰一刀流の目録も得てるんだろ。いつの日か必ず、胸を張って父親に会うんだ、って思い続けろ。そのために身も心も強くなれ”って」
きっと土方さんにもあったんだろうな、そういうお年頃の時期が。
平助さんの気持ち、理解できたんじゃないかな。
「うれしかった。それで試衛館へ来いって誘ってくれたんだ」
「話してくれてありがとう」
「あ、ごめん!話し込んじゃって。かれんちゃん、出かけるところだったんじゃないの?」
「あ、うん、ちょっと」
「私も行っていい?」
「わたしはいいけど、行っても会ってもらえるか分からないの」
「誰に会うつもりなの?」
気掛かりがひとつあった。
あの日。
山南さんの切腹以来、明里さんの姿を見ていない。
事が重大なだけに、変な気を起こしていないかと身を案じていたけど、会う勇気がなかった。
「山南さんの恋人か…」
「山南さんが最期まで大事にしていた想いとか、恋をしていた姿が、平助さんにも伝わると思うんだ」
愛の証人はひとりでも多いほうがいい、記憶に残せるから、と言って平助さんは背中を押してくれた。
今日こそ行くと決めていた。
思い切って明里さんがいた置屋を訪ね、新居の場所を教えてもらった。
細い路地裏。
実際の道と交互に確認しつつ、地図を頼りに平助さんと歩く。
「ここ、じゃない?」
「うん」
たぶんこの家も山南さんが用意したのだろう。
「会ってくれるかな…」
拒否られたらどうしよう…
玄関先で深呼吸をしてから。
「こんにちは」
…返事はない。
さらに一段階大きな声で。
「こんにちはー」
「へえ、どちらはんどす?お待たせしてえらいすんまへん」
声とともにガラッと戸が開く。
「かれんちゃん…」
「来ちゃった…」
帰れと言われたら…
「おいでやす」
表情が緩んでいく。
悪い想像とは真逆、笑って迎えてくれた。
「しばらくやね」
3つ並べた湯呑みの中に、塩漬けの桜香煎をひとつずつ入れる明里さん。
とても手際がいい。
白い湯気を纏い、コポコポと急須から白湯が流れ出たら。
ふわりと桜の花が浮かんで、花びらがほどけて咲いた。
「桜の御香煎、今年は最後ですね」
「いい香りだね」
会話が続かず。
来てはみたものの、何と言ったらいいか…
「そちらはんは…」
「新選組の藤堂です。初めてお目にかかるのに、お邪魔してすみません」
「ほんなら、“今牛若”はんやね?」
「あ、はい…何だかそう呼ばれてるとかで」
「今牛若はんのことも、山南先生から聞いてましたえ」
「そうでしたか…」
気遣いからか、いつものチャーミングな笑顔。
「気にせんで…言うたら嘘やけど、来てくれはってうれしい」
「嫌がられたらどうしようかと…」
「何で?あんたは何にも悪いことあれへん」
「そうだけど…」
「悪いのはうちや」
「え?」
「かれんちゃん、ごめんなさい!」
「なんで?謝るんです?」
「うち、あん時あんたに酷いこと言うてしもた」
「なんだ、そんなこと。忘れてましたし、そもそも気にしてませんよ」
「かれんちゃんには感謝してるんよ」
「感謝?」
「冷静になって思たんよ。知らせてくれへんかったら、今頃後悔してたわ。しんどいことばっかりで。二度と逢われへんのやさかい…おおきに」
「もし自分ならと思うと…」
深い悲しみが消えるわけではないけれど。
一生の苦しみが残る。
それと、一生の後悔。
「明里さん、これ…」
手渡したもの、それは。
「ええ香りやわぁ」
乾燥させた沈丁花の花を和紙に包んで持ってきた。
「これ、乾燥させる前は、切り花にしてあの部屋に生けていたんです」
「そういや…あん時、ふわぁっと甘い香りがした気ぃするわ」
「つまり、山南さんと最期の時まで一緒にいた沈丁花ってこと?」
「うん、山南さんと過ごした花だから、明里さんに渡さなくてはいけないと思いました」
わたしに預けてくれた想いは、明里さんに必ず届けます。
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