31.君は花風のごとく、白き花霞揺れて(七)

遠く地平線で昇っていく朝日に、雲がたなびいている。


暁降あかときくだち、夜明け前。


この時間は広い広い境内と西本願寺周辺のお散歩も兼ねて、桜の下でしばしひとり静かに過ごすことにしたのだ。


暖かい日が続き、もうじき桜の季節が終わる。


びゅう、と強い春風が吹いた。


桜の花びらが枝から離れ、風とともに舞い上がる。


花嵐。



「きれい…」



早朝の青の天空の中で、淡いピンクの霞のように。


目の前が桜色に染まり、包まれる。


ひらりと舞う花びらに手を伸ばして、ただただぼーっと見とれていた。



急に後ろから手首を掴まれる。


驚いて振り返った。



「どう…したんですか?土方さん…」



焦りを伴うような、真剣なまなざしだった。


後、ハッとして頬を赤く染めた。



「…すまん」


「どうかしました?」


「…花風と一緒に、お前まで消えていなくなっちまいそうな気がして」



こんなふうに我を忘れるのはめずらしい。


土方さんも、山南さんのことが頭から離れないのだと思った。



「どこにも行きませんよ」



本当です。


山南さんと約束したの。


土方さんのそばで生きていくと。


自分でそう決めた。



「帰らなくて、いいのか…?」


「どこに?」


「あ、いや…會津に…」


「ここにいちゃだめですか?」


「そういう意味じゃ…」


「わたし、ここにいたい」



どうしてそんなことを聞くのかと、理由を聞くより先に別の言葉を発していた。



「土方さんと一緒にいたい、です」



手首を掴んだまま、わたしをぎゅっと腕の中に引き込んだ。



「離さないでくださいね」



そのまま桜の木の陰に身を隠した。



「お前を抱くと落ち着く」



目を閉じてそう言った。



「それなら」



土方さんの首に手を回した。



「今日は積極的だな」


「そういうつもりじゃなくて…ですね」


「どういうつもりだ?ん?」


「落ち着くって言うから…」



わたしのおでこに自分のおでこをくっつける。


触れるか触れないかの距離。


キスする寸前、みたいな。



「真っ赤だぞ」


「誰かに見られたら…」


「俺は構わないが」



首筋を口唇でなぞる。


息がかかって、ゾクッと体を震わせたのを見逃さなかった。



「ひじ…かたさん…だめ…です…」


「朝から煽るな」


「ふ…」



熱いキスに腰が砕けそうになるわたしを抱きかかえた。



「あおっ…て…なん…か…」


「そんな蕩けた目で見つめられたら、手遅れだ」



お寺なのに、こんなこと…


いいのかな、とためらいつつも抗えない。



桜の香りが鼻をかすめる。


いいにおい…


ふわふわと幻想的な夢の中に誘われるような…



「寝坊したっ!」



布団から飛び起きる。



「土方さん、遅刻っ!」



横を見ると、肘枕をした土方さんがキョトンとしていた。



「ははははっ!」



涙を流すほど大爆笑してるけど。



「え…夢…?」


「はははっ…目覚めに笑わせてくれるな」


「はだか…」



布団をちらりとめくり、自分の上半身を確認する。


夢から覚めたら、朝になっていた。



「夢じゃ…ない」


「夢じゃねぇよ」



腕を引っ張られて、再び布団に倒された。


壁ドンならぬ、床ドンというのか。


ほどいた髪をかき上げる姿が色っぽい。



「おはよう…ございます」


「今日は非番だ」


「そっか…よかった、焦ったぁ。ふふっ」


「桜…」


「さくら?」


「これが」



わたしの髪に紛れ込んでいた桜の花びらを取る。


手のひらに乗せてふうっと息を吹きかけると、花びらが1枚、ひらりと舞った。



「ん?この香りは…桜じゃねぇな。沈丁花か?」


「匂い袋です」


「わたしとおそろいです。紅い梅の柄にしたんですよ。どうぞ」


「ありがたく頂戴するよ」


「土方さん、三味線か龍笛りゅうてきを教えてくれませんか?」


「構わないが、急にどうした?」


「日本の楽器も弾いてみたくて」


「よし、分かった」


「やった!それと、剣も教えてください!」


「それは絶対に駄目だ」


「何でですか?じゃあ…薙刀なぎなた!銃は?」


「武器を変えても駄目」


「會津には薙刀が達者な女の人が多いのよ」


「駄目なもんは駄目だ!」


「はーい…」


「言っておくが、総司や新八に習おうったってそうはさせねぇからな」



げ…読まれてる。



「左之に槍を教えてもらおうなんざ、以ての外だ」


「そんなぁ…」


「そんな顔しても駄目だ」



シュンと目を伏せた後、頬を膨らませた。



「むくれても無駄!」



むぎゅっと片手で両頬を挟まれた。



「三味線と龍笛は教えてやるから我慢しろ」



土方さんは意外と音楽や俳句を嗜む、風流人な一面も。


土方家の長男である盲目のお兄さんは、三味線が得意で日常的に俳句を詠むそうだ。


その影響もあって、幼い頃から楽器が身近だった。


歌も上手だし。


結構な腕前らしい。


時折、部屋から聴こえてくる心地よい音色。



俳句を詠むときは“豊玉ほうぎょく”という俳号を名乗る。


俳句のセンスに関してはノーコメントだけど、何でも器用にこなしちゃうとこも好きです。


…なんて。



「かれん…」


「はい?」


「お前がここで俺とともにいることを選んでくれてよかった…」



キュン…って、ときめいたから、今度はわたしから抱きついた。



「もう1回言って?“好きだよ”のオマケ付きで」


「にっ、改まって二度も言えるか…!」


「えーお願い、もう1回だけ」



これからのことなんか、つい忘れてしまいそうになるけれど。


多くは望まない。


今、この時間がすべてだから。


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